左手の薬指にはあなたの指輪を
お弁当を持って
スピリアと対峙した翌日。天気は快晴。
昨日の消耗でまだ軋む身体を何とか動かしつつ、プリムはお弁当を作った。リーフへの差し入れである。プリムは弁当の入った大きなかごを持つと、屋敷を出た。リーフが入院している病院を目指して。
病室に近付くと、リーフとミールがなにやら言い合っている声が聞こえる。扉を叩いてプリムはそっと中に入った。
「一体何ごとですか?」
「勧誘ですよ」
プリムの問いに、寝台の隣の椅子に座っているミールがさらりと答える。リーフは不機嫌そうだ。
「プリムさんからも言ってくれませんか? もっと協会に協力するようにって」
「考えておきます」
苦笑してプリムもさらりと答えると、椅子を用意してそこに腰を下ろす。
「――そういえば、プリム?」
頭の中を切り替えたリーフが真面目な顔でプリムに問う。
「なに?」
「俺を景品扱いにしたこいつの助言って何のことだ?」
どうやら根に持っているらしい。作戦とはいえ、スピリアの人形になることを考え出したのがミールらしいと知って、真相を聞きたいと思っていたのだ。
「えっとそれは……」
その作戦はプリムにとっても苦渋の選択だった。リーフを人形にしないためなのに、彼を一瞬でも人形として扱ってしまったことは今でも忘れることができなかった。
「プリムさんを責めてはいけませんよ」
「わかってるさ。どうせあんたがプリムを脅したんだろ? ったく、悪趣味な」
「仕方がないではありませんか。スピリアさんはこの私にとってもなかなか手ごわい相手だったのですから。こうでもしないと隙を見せちゃくれないでしょうし」
ミールの台詞に、リーフは自身の頭を乱暴にかく。そしてため息。
「ごめんね、リーフ君。あたし、あなたを人形扱いしないって宣言していたのに……」
「気にするな。つーか、俺は気にしてない。お前を信じていたからな」
「リーフ君……」
リーフが作った笑顔に偽りがないとわかったプリムはほっとする。彼を傷つけたのではないかと気にしていたのだ。
「一応参考までに解説しておきますが、それまでプリムさんが魔導人形の
ミールがにこやかに指摘すると、リーフは嫌そうな顔をする。
「――ならば、契約の上書きを行ってプリムさんの
今度はプリムに向かってミールは微笑む。始めに説明を受けたときには素直にうなずくことができなかったが、今は違う。プリムは自分の力に自信を持ち始めていた。
「契約の上書きを行えそうな人物がいるとすれば、それはスピリアさんが適任です。リーフ君を欲しがっていましたからね。それと、自分の欲しいものが手に入った瞬間、いつも警戒を怠らないスピリアさんでもさすがに油断するでしょう。その一瞬の精神集中の隙を狙えば術が失敗する危険は少なくなる――と、私は考えました」
「はぁ、なるほどね。――で、スピリアはどうした?」
昨夜、プリムは部屋に戻るなり眠ってしまったのでリーフには何も話していなかった。入院していることを知ったのはミールから手紙を受け取ってからだ。
「仕切りなおすって言って、飛行用魔導人形に乗ってどこかに行っちゃったわ」
わざとらしくプリムは肩をすくめる。あんなに感情的で自分勝手な行動をするスピリアを見たのは初めてだった。いろいろと吹っ切れるものがあったのかもしれない。
「彼女らしい」
リーフはぷっと吹き出して笑う。プリムは首を傾げる。
「お姉ちゃんらしい? 行動力はある人だけど、もっと思慮深い人だと思っていたんだけど」
「うーん……それはそれで正しいと思うが、スピリアって結構わがままで自分勝手で、思うようにやりたいことができないと気が済まない人だと思うぞ。お前より手がかかるし」
言って、リーフはプリムの頭をなでる。
「スピリアは自尊心の塊みたいな奴だから、まわりの期待に応えようって思ってずっと演じてきたんじゃないかな? 俺の前ではそうでもなかったみたいだが」
(ああ、だからお姉ちゃんはリーフ君が好きなんだ……)
プリムは頭をなでられながら納得する。
(――そうだよね。彼を道具にしたくて求めていたわけじゃないよね)
あのような態度を取られても、プリムはスピリアを信じたかった。人間と人形は同じ、その意味が自分の思うものと同じだと信じたかった。スピリアがリーフを求めた理由に自分なりの答えを得られて安心し、プリムはほっとする。
「どうした?」
いつものように嫌がらないプリムにリーフは声を掛ける。
「ううん。なんでもない。ただ、お姉ちゃんにとっての理解者はリーフ君だけだったのかなって思って」
にっこりとプリムは微笑んで、持ってきたかごを近くにあった小さな机の上に載せる。
「それは?」
今度はリーフが首を傾げる。プリムはてきぱきと持ってきたお弁当を広げる。
「お昼にはちょっと早いかもしれないんだけど、お弁当を作ってきたの。ほら、今までにも工房に運んでいたでしょう? 久しぶりにどうかなって」
朝一番に町の市場まで出かけて買い出してきた物だ。野菜や肉をたっぷり挟み込んだパンと果物の盛り合わせだけだが、とても華やかである。
「うわあ。嬉しいよ。本当に久しぶりだ」
「ちゃんと味見をしてきたから、味は保証するわよ」
自信ありげにプリムが説明すると、早速リーフは手にとって頬張る。
「うん、美味しい」
「あ……」
もぐもぐと食べる様子に、プリムは思わず両手を口元に当てて顔をそむける。嬉しくて、涙が出そうになってしまったからだ。
「ん? 泣いてるのか?」
軽い口調でリーフが問う。深刻な話にしたくないためのわざとらしい喋り方。
「泣いてなんかないもん! ばかっ」
顔を向けることはできないが、それでも声で泣いていることがばれてしまう。嬉しくても泣けることをこのときプリムは知った。
「あ、泣かせましたね?」
ミールが二人のやり取りに茶々を入れる。
「…………」
俺にどうしろと言うのだとでも文句を言いたげにプリムの小さな背中を見つめる。まだ少し頼りないが、たくましくなったなとリーフは思う。
「そろそろお暇しましょうか」
「え? もう行っちゃうんですか?」
プリムが涙をぬぐってミールに声を掛ける。
「私には協会の仕事がありますからね。今は休暇中で勝手な行動をしていましたが、そろそろ戻らないと下の連中が騒ぎ出しましょう。あなたのお父さんに怒られるのも面倒ですし」
さらりとミールは答えると立ち上がる。
「あの……今回の件は……」
恐る恐るプリムが訊ねると、ミールはにっこりとリーフに微笑む。
「リーフ君がもっと私に協力してくれたら不問にしますよ」
「な……」
「まぁ、それは冗談として」
(いや、かなり本気だっただろう、今!)
冷や汗をかきながらリーフはミールの台詞の続きを待つ。
「今回の事件は事例として保管しようと思っております。プリムさんもリーフ君も今回の旅について報告書をまとめ、二人そろって魔導人形協会本部まで届けてください。それで今回の件はお咎めなしとしましょう。私は家出をしたというスピリアさんを探しにいきます。彼女にはそれ相当の処罰を受けてもらいませんとね」
(処罰……)
ミールのその台詞を聞いてプリムは身体を強張らせる。どんな罰が与えられるのか、たとえその対象が自分でなくても想像するだけで恐ろしかった。
「あの……ミールさん、お姉ちゃんの処罰、あんまり厳しくしないでください」
「おや、あんな目に遭っていながらかばうのですか?」
意外そうに片目を細めてミールが問う。
「お姉ちゃん、どうも研究詰めで疲れていたみたいで……それで冷静な判断ができなかったんだと思います。だから」
真剣に願うプリムの姿を見て、ミールは腕を組むとしばし考え込む。
「そうですね……本人から話を聞いて考えましょう」
「お願いします」
プリムが頭を下げると、ミールは片目を細めて笑む。
「――それにしても愛情から憎悪に変わったことがこの魔術を呼んだのだとしたら、それはとても悲しいことです。本当の慈善で技術が進むことは非常に稀だ。残酷な感情ほど、技術を加速させるものはない。そのおこぼれがこの国に恩恵をもたらしているのだとしたら、それは諸刃の剣ですね。しかしあなた方を見ていると、人間も捨てたものではないのだと信じたくなりますよ」
笑顔に隠された冷たい感情がその台詞の中にあるのを感じ、プリムもリーフも固まってしまう。
「ではまたどこかでお会いしましょう。リーフ君、次に会うときは良いお返事を期待していますからね」
それだけを伝えると、先とは打って変わり楽しげな様子でミールは部屋を出て行った。
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