人間に戻ることができれば

 昼過ぎ、宿屋。


 プリムたちは一昨日の夜から使用している部屋に戻ってきている。ベッドの上で、プリムは買ってきた串焼きをほおばった。昼食を終えてから宿屋に向かったのだが、どうしても食べたいと言うプリムの要求でリーフが買ってやったものだ。


「……よく食うな」


 リーフはその様子に唖然としている。昼食で選んだ牛肉煮込みだってかなりの量があったというのに、それでも食べ続けているこの状況がリーフには信じられないことだった。


「人間だって、ほかの生物の生命を食事として摂取することで、肉体を維持しているのよ。食べたいときには食べなくちゃ」


 言いながらももぐもぐさせている。


「太るぞ」


「うるさい! 一体誰の所為で大食いになったと思っている台詞?」


 むっとしてリーフに言い放つと、彼は納得顔になる。


「あんまり食事に付き合わなかったからわからなかったが、あれからそんなに食べていたのか?」


「えぇ、そうよ。食事代も馬鹿にならないんだから!」


 串焼きを食べ切り、カスをまとめる。


「ふうん……いいなぁ、俺なんて旅していても、そこの土地の料理は食べられないし」


 リーフはプリムに聞こえないように呟いたつもりだったらしいが、彼女にははっきりとその台詞が聞き取れていた。思わず気まずい表情になる。


「……ご、ごめん」


 うつむいて、プリムは呟く。プリムのその様子を見て、自分の何気ない独り言が聞こえてしまったことに気づき首を横に振る。


「あ、聞こえていたのか? 気にするなって。ちょっと思っただけだし。人間に戻ることができればそんなの気にしなくていいだろう?」


 慌てて取り繕う。ここまで落ち込ませるとは全く考えてもいなかっただけに、リーフはかなり焦った。


「人間に戻ることができれば……」


 プリムはリーフの台詞を繰り返す。


「余計な突っ込みをして悪かったよ。話を戻そうぜ」


 リーフは本を手に取る。


「うん……」


 頭を小さく振って気持ちを切り替える。けんかしたり落ちこんだりするためにここにいるわけではない。


「とりあえず、『魔導人形理論』は序論と魔導人形についてのくだりを大まかに写してきたわ。さすがに全部写すことはできなかったんだけど」


 座り直しながらプリムは話を切り出す。ベッドの上には写本を写し取った雑記帳が置かれている。


「そりゃ一日で全部写すのは無理だろうな。このままここに滞在して、写本を写すか?」


「それも考えてはみたんだけど、滞在し続けるにもお金がかかるわ。昨日も言ったけど、所持金がもう残りわずかで。仕事をして収入を得ないと、魂のかけらを回収するために追いかけることもできないの。残念だけど、今は一旦ひいて収入を得ることを考えなきゃ」


 プリムは苦笑して説明する。


「そうだな。仕方がない」


「うまくいけば、一挙両得になるかもしれないし」


「何か当てがあるのか?」


 プリムの呟きにも取れる台詞にリーフが首を傾げる。


「うん。これはちょっとした仮説なんだけど」


 リーフの目をしっかりと見つめる。プリムはこの仮説に自信があったのだ。


「今回のこととかラドマンでのこととかから考えて、魂のかけらが入り込んだ人形は何かしらの活性化状態になって異変が生じるんだと思うの。この考え方が正しいなら、あの日の前後で異変が生じた人形に関する事件を追えばいいってことになる。ある程度の情報が集まっているのなら、協会で人形の名前を教えてもらうことができるでしょう。――そうそう簡単にいくとは思えないけど、可能性はあるんじゃないかしら?」


「ほう。ないとは言えないだろうな」


 リーフは目を丸くしてうなずく。


「あれから一週間は経ったから、本部にも情報が集まってきている頃だと思うし。それでリーフ君が作った人形の情報がほしいんだけど、名前とか人形の型だとか教えてくれないかしら?」


「それなら、魔導人形協会に情報が残っているぜ。名前、型、どこの店で売っているのかといったところまで載っているはず。俺が作った人形で流通に乗っているものは全部協会に登録しているから。ディルみたいに個人に作ったものは情報がないだろうけど」


「なるほどね。聞いてみるわ」


「悪いな、任せっぱなしで」


 リーフは苦笑する。この状況だから避けたいというのはもちろんあったが、もともとリーフは協会に対してあまり良い思い出がなかったために避けがちであった。そのことをプリムは知らない。


「ううん。気にしないで」


 プリムはにっこりと笑って答える。


「で、そちらは何か進展はあった? あたしのほうは今説明したのが全部。イールを倒すのにきっかけとなった人形と術者の関係の項は理解できたけど、『魔導人形理論』のほかの部分は何を言っているのかさっぱり理解できなくって。解析はあなたに任せるわ」


 肩をすくめたあと、プリムは写本の写しをリーフに差し出す。リーフは受け取ると中をぺらぺらとめくる。


「わかった。何かわかったら説明してやるよ。それにしても、よくこれだけの分量を写せたなぁ」


 想像以上に雑記帳が埋まっている。リーフはそれを見ながら素直に感心していた。


「ちょっとした特技よ。母様も写すのは早いから、その血をひいているんじゃないかな?」


「かもな。たいしたもんだよ」


 リーフはプリムの母親のことを思い出し、わずかに笑う。幼い頃とても世話になっていたのでリーフには懐かしく思えた。


「実は俺のほうもあんまり進展はないんだ」


 始めに振られた問いにリーフは答える。プリムの雑記帳を近くに置いて本を見る。


「昨日仕入れてきたのは悪い本ではないんだが、どれもこれも俺が知りたいところについてはほとんど書かれていなくて……」


 リーフはそこまで話してあることに気付いた。検証のため、手をあごに当てて考え込んでしまう。


「どうかしたの?」


 プリムは話が途中で終わってしまったことに首を傾げる。


「……なるほどな」


「自分の中で話を終わらせないでくれる?」


 一人で納得するリーフにプリムはいらついた声で注意する。


「調べ方が間違っていたんだよ。人形のことを調べているだけじゃ意味がないんだ」


 今まで読んだ本とその要旨をまとめた一覧表を見直す。一覧表は先程回収してきた雑記帳に書かれているものだ。どうやら今まで読んだ本のすべてが書き留めてあるらしい。


 プリムはそれを覗き込むが、理解できるのは題名と著者のみで注釈につけてある専門用語などはちんぷんかんぷんだった。


「陣魔術って分かるか?」


 突然リーフが問う。プリムは一生懸命にその言葉を思い出し、答えを言う。


「魔法陣を中心とする魔法体系よね? お姉ちゃんの研究部屋にも陣魔術に関した本があったと思うけど……」


「もっと詳しく言えば、陣魔術というものは人形職人の扱う魔術と傀儡師が扱う魔術の根幹にあたる魔術なんだ。ディルに糸をつけてやるのに魔法陣を使ったのをお前は覚えているか? あれだって元々は陣魔術のものだ。お前が使っている解除呪文でも魔法陣は出ているだろう? ただ、陣魔術自体はほとんど廃れていて扱う人間も少ないようだが」


「それが?」


 プリムは意味が分からずきょとんとしている。


「俺は少しかじったことがある程度なんだが、根幹にあたるだけあって人形職人の魔術や傀儡師の魔術は陣魔術の派生形にすぎない。つまり、大元を調べてみないと魔術の特性が明らかになったとは言えないわけだ」


 まだ彼の言っている主旨を理解できないプリムを置いてリーフは立ち上がる。


「そんなわけだから早速、『魔導人形理論』の解析をしようかな。『魔導人形理論』は陣魔術から今ある魔術に分離する際にまとめられた本なんだ。これを読めばもっとはっきりするだろう。その間、プリムはゆっくり休めよ。あれだけの大技をやった後なんだ、かなりの負担になっているだろう?」


「正直、だるくって」


 プリムは正直に答える。頭をいっぱい使ったのとお腹がいっぱいになった所為もあって眠い。


「やっぱりな」


 リーフは自分のベッドに戻り、雑記帳を手に取る。


「やっぱりって?」


「お前が消耗していると、俺への魔力の供給量が落ちるんだ。だから必然的に俺の動きも鈍くなる」


 ベッドの上に出していた本を片しながらリーフは説明する。買った本のほとんどは目を通し終えていた。使わない本はこの町で売ってから出ないと荷物としては多いように思われた。


「あ、ごめん。維持しなきゃいけないのに」


 心配げにリーフを見つめる。


「俺のことはどうだっていいよ。本来なら、主人の意識がないときってのは人形は動けないはずなんだ。なのに俺は動けるし思考できる。ディルだってそうだ。お前がどういう契約を人形との間に交わしているのかは専門じゃないからわからないが、入出力の制御がきちんとできていないと、お前の身体は持たないだろう?」


「う、うん……ごめんね、心配かけて。あたしは大丈夫。無理はしてないから」


「自分の身体を大事にしろ。それだけ守ってくれりゃいい」


 リーフはベッドに横になって雑記帳を開く。


「はーい」


 あくびの混じった返事。眠気のために頭がぼんやりとしていた。ベッドに横になるなりすぐに眠ってしまったことからも、プリムがひどく疲れているのは明白だった。

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