左手の薬指に契約の指輪を

「!」


 何が起こったのか瞬時に理解したプリムはリーフを突き放す。


「な……」


 左手に違和感。顔を真っ赤にしたまま、自分の薬指に輝くそれを見て愕然とする。人差し指にはめられた指輪とよく似たものが薬指にもあったのだ。


(なんてこと……っ!)


 頭の中が真っ白になりかけたが、まずは冷静になろうと現状を整理してゆく。自分の身に、何が起こったのか。そして、この指輪が傀儡師にとって何を意味するのか。


「いっててて……」


 突き飛ばされて強かに打ちつけられた頭をなでながら、リーフはゆっくりと上体を起こす。状況を理解し、プリムを見ると苦笑する。


「よおっ」


 それに対しプリムは右手で作った拳をわなわなと震わせながら、怒りを込めた声で答える。


「なんてことを!」


「いやぁ、助かったよ。あやうく肉体が死体になるところだった」


 胡坐をかきつつ努めて軽い口調で言う。冗談を言うかのような明るい表情が全く台詞とかみ合わない。


「あなたなんか、死体になってしまえばよかったのよ!」


 リーフをにらみつけ、きつい口調で言い放つ。冷静になどなれない。左手の指輪、その意味がプリムにはわかっていたから。


「そんなひどいことを言うなって――うっかり唇を奪っちまったのは悪いと思っているが……」


 本当に申し訳ない様子で言うリーフの台詞にプリムははっとするが、首を何度も横に振って頭を切り替える。確かにそれも重要なことではあるが、今のこの状況はそれ以上に洒落にならないのである。


「それだけじゃないわ!」


「仕方のないことじゃないか。俺も状況がよくわからないんだ」


 リーフはプリムの言わんとするところをわかっている上で肩をすくめてごまかす。


「この指輪が何を意味しているのか、あなたわかっているんでしょ! ちゃんと説明しなさいよね!」


 左手の薬指にはめられた指輪を見せながらプリムはせまる。


「あれ? プリム、結婚していたっけ? お相手は?」


 おどけて見せたリーフの襟首をプリムはがっしと掴む。


「あくまでもしらばっくれるつもり? この指輪はあたしがリーフ君と契約エンゲージを交わしてしまったことを示す契約指輪よ! 魔導人形じゃなくて、あなたと契約エンゲージをしてしまったことを示す呪われた指輪!」


 リーフの目の前に自身の左手をつきつけて説明してやる。プリムの興奮する声が部屋に響き渡る。


 左手の人差し指にはめられているのは、プリムと魔導人形のディルが契約エンゲージをしていることを示す指輪である。傀儡師は自分が操作する魔導人形との契約エンゲージを示す指輪をはめることで、その操作を行っているのだ。


「まぁまぁ、落ち着けって」


「まずは説明してもらおうじゃないの! 人間と契約エンゲージしただなんて知れたら、町に住んでいられないどころか国からも追い出されるわよ! いえ、国に捕まって極刑になるかもしれないわね。その意味、わかっている?」


「確かにそうなんだが、ちょっと待て」


 人間と契約エンゲージすることは法律で禁じられている。正確には人間と契約エンゲージを交わす研究をすることすら禁止されていた。


(プリムが言っていることが正しいとして、果たしてそんなことが可能なのだろうか?)


 リーフが知っている限りでは、その術は未完成のはずである。公式に発表できないのだとしても、今ある技術では限りなく不可能な領域であり、それを可能にするだけの基礎研究もほとんどされていないのが現状なのだ。それは国の定めた法律による規制はもちろんであったが、人形職人と傀儡師という二つの資格に分けて管理されているこの状況では、そう簡単にいかないということをリーフは知っていた。


(しかし、左手の薬指にとは笑えるな)


「笑えない!」


「え? 俺、喋ってないはずだが?」


 口に出してもいないし、顔に出さないようにしようと努めていたのにプリムが頬を膨らましたのを見て、いよいよリーフは事態に焦った。


「え? だってはっきりと……や、やだ!」


 プリムは慌ててリーフから離れると指輪を見つめる。


(まさか本当に――リーフ君と感覚を共有している?)


 その事実を実感して、プリムは目を丸くしたまま固まっている。


「まぁ、そういうことみたいだな」


 言葉を続けられないプリムにリーフが代わりに告げる。


「これでプリムと俺が契約エンゲージ状態にあることが確定したわけだ」


 考え込む様子で静かに分析する。傀儡師と魔導人形の関係やそのときの状態については、人形職人であるリーフにもわかっていた。


「……なによ、それ」


 リーフの言っていることは言葉では理解できても、プリムは信じたくなかった。自分でこの指輪は契約指輪だと言い切った彼女ではあったが、どこか他人事のようで実感がなかったのである。それなのに感覚の共有という傀儡師と魔導人形の間では当然に起こることが実際に起きてみて、ようやくこれが危機的状況であると認識し始めていた。


(ど、どうしよう……本当にそんなことがありうるの?)


 魔導人形と契約エンゲージを交わした結果として、魔導人形を自由に操ることができるようになる。自由に操るためには感情を理解し、その感覚を共有しなければならない。いわば身体の拡張として魔導人形を操作するのである。それを可能にするのが契約時に魔術で生成する人工精霊だ。


 また、感情の理解といっても、契約エンゲージした魔導人形に性格のような行動規則が生じたり、感情のようなものを感じ取ったりすることはごく稀なことだ。しかし、果たして生きている人間を魔導人形のように操作することが可能であるのだろうか。


 プリムは今まで学んできたすべての傀儡師に関する知識を引っ張り出して思考する。しかし、解答といえるものも、仮説でさえも浮かばなかった。


「ま、現実を受け入れるしかなさそうだな」


「受け入れられるわけないでしょ! まずはこの忌々しい指輪を抜いて――」


 引き抜こうと手をかけ、指輪を引っ張る。しかし……。


「……あれ?」


 何度も何度も強く引っ張るが、全くびくともしない。まるで指輪が身体の一部になってしまったかのようにしっかりとくっついて離れない。


「冗談でしょ?」


 青い顔をして右手で指輪をしっかりと掴んで外そうと試みるが全く変化はない。


「どうやら抜けないみたいだな」


 ばたばたもがきながら指輪を抜こうとしている姿を滑稽に思いながらリーフは見つめる。


「ならば……」


 プリムは指輪を外すことを諦め、リーフに視線を向けると精神を集中させる。両の目を閉じて言葉を紡ぐ。


「――肉体より放たれし 清き生命の源よ 世界の均衡に基づいて あるべき姿 あるべき形に戻りたまえ!」


 それは魔導人形との契約エンゲージ破棄キャンセルするための解除呪文。滅多に使用することはないが、傀儡師が基礎として学ぶ三つの呪文の一つである。


「おっ?」


 リーフの身体に強い光が宿り、その足元に白い魔法陣が展開する。そののちに強烈な光の柱が彼を貫く。


(これで……)


 リーフを見ることなく、まず指輪を確認する。指輪さえ消えてしまえば、契約エンゲージ破棄キャンセルされたことになるのだ。しかし、目に映った左手には指輪がしっかりとある。プリムは両手を床について大きなため息をつく。


「どうも魂が定着したようだな」


 両手を握ったり開いたりしながら率直な感想を述べる。プリムの唱えた呪文が何の呪文だったのかはリーフにはわかっていたが、それでいて抵抗しなかったのはこうなることが予想できたからであった。


「なるほどね……本人の肉体に本人の正しい魂が宿っているわけだから、人形の身体からあるべき場所に魂を返そうとしても無意味ってことね」


 プリムもその呪文の効果を改めて思い出し苦笑する。これでは契約エンゲージ破棄キャンセルすることは不可能。万が一指輪を外すことができても根本的な解決にはならないことが身にしみてよくわかった。

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