訳あって幼馴染の主人になりましたが、あたしはそんなの認めませんわ‼︎

一花カナウ・ただふみ

訳あって幼馴染の主人になりました

ミストレスとは呼ばせない

嵐の日の口づけは絶望を呼ぶ

 年に一度やってくる嵐が過ぎ去るのを、ウィルドラドの町はただじっと待っていた。嵐が近付いてきているという情報を仕入れた住人たちはおのおの準備を終えて、今は家の中でおとなしくしているはずだ。


 しかし、閑散とした大通りを駆けてゆく小柄な影がある。降り出した雨に外套を羽織った全身を晒し、一心不乱に何かを追っている。濡れてまとわりつく外套の下に柔らかな肉体があるのがわかる。十代半ばの少女、プリム=ローズだ。


(あたしが主人である以上、簡単に逃げ切れるわけがないでしょう?)


 彼女は今、突然部屋を飛び出してしまった『あるもの』を追っていた。


 『あるもの』――それは彼女が主従の誓いをさせた魔導人形と呼ばれる人形だ。プリムは魔導人形を使役する傀儡師と呼ばれる職業に就いたばかり。行方不明になった人形は今のところ彼女が使役する唯一のもので、なくすわけにはいかない大切なものであった。


(この方向はリーフ君の工房アトリエ……?)


 プリムは起伏のある石畳の通りを駆けてゆく。風はどんどん強さを増すばかりで、雨は容赦なく彼女に体当たりを繰り返す。おかげで外に出ている波打つ長い髪はすでに絞れそうなくらいに水を含んで重くなり、無地の外套には街路樹から千切れ飛んだ木の葉が付着し模様のようになってしまった。プリムはそんなことには構わずに急ぐ。


 町の中心から遠い場所にある丘。その頂上付近にそれほど大きくはない小屋が建っている。その建物は傀儡師には欠かせない魔導人形を生み出す職業、人形職人の資格を持つリーフ=バズの所有物だ。彼が主にここを仕事場所としていることから町の人々はそこを『リーフの工房アトリエ』と親しみを込めて呼んでいる。リーフとは物心がついた頃からの付き合いであるプリムにとって、そこは普段から頻繁に出入している行き慣れた場所だ。


 丘を登りきったところで息を切らす。プリムは走るのをやめてゆっくりと小屋に向かって歩き出す。


(どうしてここに……)


 入口の扉が開き、風でばたばたとしていることに気付く。


(開いている?)


 訝しげに感じながら、警戒しつつ扉に近付く。取っ手に手をかけ、頭だけを中にそっと入れて様子を窺う。


「……? リーフ君、いるの?」


 中の様子ははっきりとは見えない。しかし雨戸が閉められていないので、薄暗いながらも外の明かりが中の様子を知らせる。


 入口の脇にある小さな棚には人形作りに欠かせない道具や材料、書物の一部が置いてある。一部屋のみの室内は入口からわずかに下がった場所にあり、リーフがそこでほとんどの作業をしているのをプリムはよく知っていた。


 光源となっている扉から見て左右にある窓は、そのどちらの雨戸も閉められていない。嵐が町に来ているときはたいてい閉めるというのに、このように開けたままにしているということは、嵐が来てからここを訪れた人間がいないだろうということを予想させる。


(さすがにいるわけないか。無用心ね……)


 作業場に続く階段を慎重に下りる。ここにプリムが探している魔導人形がいるのは確かなのだ。


「ディル! 隠れていないで出ていらっしゃい! 帰るわよ!」


 怒ったような声で周りを見ながら叫ぶ。雨と風の音が大きくて、それ以外の物音はほとんどかき消されてしまう。魔導人形と傀儡師の間では感覚を共有することができるので、それを利用してここまで追ってきたのだ。しかし近くに来たらしいということはわかっても、未熟なプリムには具体的な位置はわからなかった。


(もうっ!)


 作業場に下りたところで立ち止まると小さく膨れる。


「ディル! いいかげんにしなさいっ! 契約エンゲージを切るわよ!」


 その瞬間に室内が明るく照らされる。直後に雷鳴。その大きな音は大地を揺らし、空気を震わす。


「!」


 プリムの目に何かが映った。心に衝撃が走る。


「みーっ!」


 部屋の中央、何かの塊の上をせわしく飛んでいる翼の生えた卵形の物体がまず目に入った。それはプリムが探していた魔導人形のディル。しかしプリムはほっとするよりも前に、その下にある影に視線を向ける。彼女には稲光に照らされていたそれが、見慣れた闇色の髪を持つ人物に見えた。


「ちょっ……!」


 慌ててその人物を確かめにプリムは駆け寄る。比較的がっしりとした体格の少年を、プリムはやっとの思いで抱き起こす。その少年は人形職人が好む作業着を身につけていた。それもまたプリムがよく知っているものだ。鼓動が早まる。


 再び稲光。直後に雷鳴。


 光に照らされた顔を見て、その人物が誰なのかを確信する。一瞬にしてプリムの顔から血の気が引いた。


「リーフ君! どうしたの? 大丈夫?」


 その身体から伝わってくる体温が普段よりもずっと低いことに不安と恐怖を感じる。呼吸をしている様子もない。


(一体どうして? 何が……)


 リーフの頬を軽く叩く。自分が導いた答えを必死に否定しながら。


「ちょっと! 目を開けなさいよ! 目を開けてよっ!」


 すると意識を取り戻したのかリーフの両手が震えながらも動き出す。やがてその手はプリムの頬を捕らえる。


「リーフ君?」


 プリムは戸惑いと安堵の入り混じった感情でどうしたらよいのかわからずにいる。リーフは力のないその手でプリムの顔を引き寄せ――口づけをした。

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