第二部 彼女と幼馴染と野球と

第6話「三角関係は友情の証」

「ほらよ、ブレンド二つと紅茶だ」


 マスターは僕と彼女、そして、浩介が座っているテーブルに僕達が注文した飲み物を置いていく。

 マスターがテーブル席まで注文した物を持ってくるなんて珍しいこともあるもんだ。

 そんな事を思いながら、テーブルに置かれたカップにすぐさま口をつけていると、マスターの溜息が聞えてきた。


「どうしたの? マスター」


 尋ねてみると、マスターは呆れたような顔をした。


「いんや。ただ、お前らいつも一緒だなって思ってな」


「……それがどうしたのさ?」


「ん……まあ、余計なお世話だろうが、お前や浩介的にそれでいいのかって思っただけだ。まあ、見ているこっちとしては微笑ましい光景だから、別に構わねぇがよ」


 そう言われて、僕達三人は顔を見合わせて、笑った。彼女だけはちょっとだけ恥ずかしそうだった。


 あの告白から、月日は流れ、12月。

 僕と彼女、そして、浩介は三人で過ごす日々が多くなった。

 お馴染みのこの『喫茶カープ』に行くのも、休みの日に出掛けるのも、常に三人だった。


 別に約束したわけではなかったけれど、暗黙の了解というやつで、僕も浩介も彼女と二人っきりという状況をなるべく作り出さないようにしていた。

 その理由は、お互いに牽制しあっていたというのもあるのだけれど、一番は彼女に迷惑を掛けたくないという思いからだった。

 以前、僕が彼女とデートした翌日に彼女のファンである先輩達から因縁をつけられた事件があった。それと同じようなことがまた起きるのではと、彼女は心配していた。

 だから、そうならないように、僕と浩介はお互い抜け駆けをしないようにしたのだ。

 常に三人でいれば、そんな心配はいらないだろうというのが、僕と浩介の考えだった。

 始めの頃は、校内で色々な噂が飛び交っていたが、今ではそれもなくなった。

 皆慣れたもので、気づけば、僕達三人の仲は校内では公認されていた。

 彼女のファンからすれば、面白くない状況なのだろうが、彼女自身が僕達と一緒にいることを望んでいると分かれば、もはや何も言う人間はいなかった。


 この間の三ヶ月、僕にとっては目まぐるしくも、楽しくて、幸福な日々だった。

 どんなことがあったかと言えば、三人で休みの日に近場のアミューズメントパークに行って遊んだり、マスターが応援しているプロ野球球団が二十数年ぶりに日本シリーズ出場が決まり、その試合を『喫茶カープ』でマスターと一緒になってテレビ観戦したり、高校の文化祭を三人で見て回ったりとか、そんな事だ。

 ちなみにこの間、春の選抜高校野球に向けた地方大会があり、僕も応援に行ったのだが、我ら青蘭高校はベスト8止まりだった。

 地方大会に優勝したからと言って、春の選抜に必ずしも選ばれるわけではないが、ベスト8では、おそらく選抜校となるのは絶望的だ。

 それでも、進学校の青蘭がベスト8まで行くこと自体、奇跡にも近い所業ではある。


 そんなこんなで、結局のところ、彼女との仲が進展するとかそういった特別な事はなかった。

 けれど、それでも、以前までの僕からすれば、それは青春を謳歌している気分だった。

 そんな僕等も、あの日から習慣化していることがあった。


「さて、そろそろ行くとするか」


 三人での楽しいお喋りもそこそこに、飲み物がなくなった頃、浩介がそんな提案をしてきた。


「ああ、行くか」


「うん、そうだね!」


 僕も彼女もそれに同意して、立ち上がる。

 そして、二人から集めた飲み物代をマスターに手渡す。


「マスター、ご馳走様。また来るよ」


「おう、まあ、頑張れや」


 マスターが僕の左肩と浩介の右肩に手を置いて、そんな意味深な言葉を言うもんだから、また三人で顔を見合わせて笑い合った。


         ○


「しっかし、最近のマスター、なんか変じゃねぇか?」


 浩介はボールをこちらに向けて投げながら、そんな事を言い出した。


「そうか? あの人、いつもあんな感じだろ?」


 僕はボールをキャッチして、浩介のそんな疑問に答えつつ、ボールを投げ返す。


「いやいや、ぜってー変だって。妙に優しいつーか、なんか親切すぎるんだよな」


 浩介は返ってきたボールをキャッチしつつ、自身がマスターから感じている違和感を口にした。


「馬鹿言え。マスターは元から親切だろうが」


「そうだよ、コウちゃん。マスターはいつも優しいよ? 悪く言っちゃあ、マスターが可哀想だよ」


 僕の意見に同意する形で彼女がマスターを擁護した。

 正直言うと、浩介の言いたい事も分かる。

 確かに最近のマスターは機嫌がいい。

 理由は分からないが、昔と比べると機嫌のいい時が増えている。

 けれども、僕は知っている。

 マスターは元から親切な人だ。

 粗野な接客態度とか荒々しい言葉遣いとかのせいで分かりづらいが、あの人はなんだかんで大人として僕らを見守ってくれている良い人だと思う。


「くそう、二対一かよ。さてはお前ら、俺の知らないところでマスターと何かあったな?」


 浩介はボールを投げながら、恨めしそうにそんな疑惑を向けてくる。

 僕はボールをキャッチして答える。


「あるかよ、そんなの」


「そうだよ、コウちゃん」


 またも彼女から援護射撃をもらった。

 そのせいか、浩介はつまらげな表情に変わったが、分が悪いと悟ったのか、諦めたように溜息を吐いた。

 本当のところを言うと、マスターには彼女の事で悩んでいた時に色々と相談に乗ってもらったりしたので、何かあると言われればあったりするのだが、浩介に言わないでおく。

 言うと、後でマスターに「オレのイメージを壊すような事を言うな」って怒られそうだし。

 それに、この場は彼女と意見が一致している方が僕としても気分がいい。

 僕はそんなちょっとした優越感に浸りながら、キャッチボールを続けた。

 そんなキャッチボールを彼女は僕らの脇で楽しそうに眺めている。


 あの日から、僕達三人は、休日や部活がない日によく集まって、あの日と同じ公園で野球をするのが習慣化した。

 野球と言っても、キャッチボールをしたり、浩介のピッチングを僕が受けたり、バッティングスイングのチェックをし合ったりと、その程度だ。

 けれども、昔、この公園で浩介と練習していた頃のようで、僕は楽しかった。

 きっと浩介も同じ思いだったと思う。

 浩介は面倒くさがるどころか、休みになると、率先して招集を掛けるぐらいだから。

 そして、僕や浩介にとって、この公園で野球をすることは、それを楽しむ以外にも意義があった。

 それは、いつも僕達がやる野球を楽しげに見ている彼女の笑顔だった。

 もしかすると、その笑顔を見たくて、僕も浩介も野球とは言い難い野球をやっているのではないかとさえ思えた。

 そんな不純な動機があれど、いまは、この瞬間だけが、僕らが野球を楽しめる時間だった。


「にしても、随分とそっちでも投げれるようになったよな?」


 浩介は僕の投げたボールを受けながら、感心したように言い出した。


「そうかな? でも、まだまだだよ。まだ右で投げた方がいいぐらいだ」


「おいおい……ピッチャーにでもなる気かよ?」


「馬鹿言え。野手でも強い肩は必要だろ」


「そりゃあそうだがよ……大会終わったのに入部しねぇのは、それが理由か?」


 浩介は腑に落ちないという表情を浮かべながらも、キャッチボールを続ける。

 あれから僕は右腕でボールを投げるのをやめた。

 元々、怪我で痛めた肩でボールを投げることはあまり出来なくなってしまっていた。

 あの日、浩介とキャッチボールをしていてそれが分かった。

 だから、僕は右肩ではなく、左肩を使うことにした。

 左腕でボールを投げることにしたのだ。

 無論、右利きで子供の頃から右腕でしかボールを投げてこなかった僕が、左腕でボールをまともに投げられるようになることは半端なことではない。

 多少の練習なんかで出来るようになるわけがない。

 ましてや、ピッチャーなんて出来るわけもないのだ。


「ま、春先までには間に合わせるから、そんなに心配しないでよ」


 適当な返答を返しつつ、僕は浩介にボールを投げ返すと、その場にしゃがみ込み、グラブを胸の前に構える。


「ほら、いつもみたく投げてこいよ。受けてやるからさ」


「まったく、仕方ねぇなぁ」


 浩介は悪態をつきつつも、投球フォームに入った。

 浩介の腕が僕に向かって大きく振り下ろされた瞬間、バシンという音と共に僕のグラブにボールが収まる。

 キャッチボールの時とは次元を異にする球速だ。相変わらずいい球を投げる。

 まあ、間違ってもそんな事、悔しいから本人には言わないのだけれど。


「それじゃあ、いってみてようかー!」


 僕が浩介にボールを投げ返すと、快活の良い声を上げて、彼女が僕の斜め左に立つ。

 その手にはバットが握られている。


「ねえ、本当にやる気なの?」


「うん、当たり前だよ。バッターがいた方が練習になるでしょ?」


 彼女は僕の問いかけに平然と答える。


「でも、危ないんじゃない? せめてヘルメットぐらいはした方が……」


「大丈夫だよ。ピッチャーを誰だと思ってるの? あのコウちゃんだよ?」


「だってさ、浩介。信頼されるてるねー。凄いじゃないか」


「感情が籠ってねぇぞ、達也。心にも思ってねぇこと言うんじゃないっての……。けどよ、由香。ぶつけるなんて事は絶対にないが、本当に大丈夫か?」


「だいじょーぶー! 散々、二人の脇で見てきたんだから。もしかしたら、打てちゃうかもよ?」


「いやいや、流石にそれはねぇわ」


 浩介は笑いながら否定したが、僕はといえば、内心では、もしかしたら、なんて事を思っていた。

 なんたって、彼女の幼馴染である坂田君曰く、二物持ちらしいから。

 彼女は頭だけじゃなく、運動神経もいい。

 それは僕も浩介も知っていたけど、僕はそれを実感していたから尚更だ。

 まあ、どんなに運動神経が良くても素人が打てるわけがないのだが。


「ふっふっふっ! 私を甘く見ると、痛い目にあうよ、コウちゃん!」


 彼女もあくまでも打つ気でいるようだ。

 あの不敵で怪しい笑いがその証拠だ。


「ちっ! そこまで言われちゃあ、後にはに退けねぇな……おい、達也! おもっきり行くからな!」


 浩介もよせばいいのにムキになっている。

 勘弁してほしいが、もはや、止める術はない。

 僕は面倒くさいことになったと思いながら、この無意味な対決を容認することにした。

 彼女はバットで地面にホームベースとバッターボックスを描くと、バッターボックスに立ち、構える。


「……へぇ」


 意外だった。

 バッターボックスに立つ彼女の姿は案外と様になっていたのだ。

 僕はそれに感嘆していた。

 浩介もきっと僕と同じように感じているはずだ。

 その証拠に、僕とは違って顔を若干引き攣らせている。

 きっと、思っていた以上に相手が強敵かもしれないと思っている違いない。

 こうなると、負けず嫌いな浩介はもう後には退かない。

 と言うか、たぶん全力でくるだろう。

 闘争心に火が付いたというやつだ。

 益々、面倒くさいことになったと僕は思ったが、もう何も言わなかった。


「本当に全力で行くからな!」


「うん、いつでもどうぞ!」


 浩介の最終通告も気合満々で彼女は受け流す。

 なんて男前な。

 これぞ、大和撫子というやつか。


 浩介は彼女の返事を聞くや、真面目な顔になって、投球モーションに入る。

 僕も覚悟を決めて、浩介の投げる球に意識を集中する。

 浩介が本気で投げる球なんて、遊び気分では受けられない。

 下手して、受け損なえば、僕が怪我してしまう。

 引き上げられた左足が、大きく踏み込まれると同時に、浩介の右腕が振るわれる。

 その瞬間、目にも止まらなぬ剛速球が迫ってくる。コースはど真ん中のどストレートだ。


 どんなにバッターボックスに立つ姿が様になっていていも、野球経験のない素人ならば、その速さに恐れおののき、バッターボックスから逃げ出す。

 正直言うと、彼女もそうだろうと考えていた。

 だから、何も起こらず、浩介の投げた球は僕のグラブに問題なく収まる。

 そう思っていたんだ。

 銀色に鈍く光るものがタイミングよく視界に入り込むまでは。


「えい!」

「――え」


 彼女の気合いっぱいの声と僕の呆気に取られる声が被る。

 グラブにボールが収まる際の独特な音と感触はない。

 その代わりに、耳をつんざくような快音が響き渡った。


「う、うそぉ!?」


 浩介が背後を振り返って驚愕の声を漏らす。

 僕は思わず立ち上がって、それを見送った。

 青空に弧を描くようにそれが飛んでいた。


「やったー! 打てたー!」


 彼女はその場で飛び跳ねて大喜びしている。

 信じられない。

 信じられないけれど、彼女は浩介の全力投球を打ってしまった。

 そして、さらに信じられないことに、彼女が打った球は、僕らが思っている以上に空を渡っていく。


「あ、あれ……? み、見えなくなっちゃった……」


 彼女もその様に些か困惑ぎみだ。

 飛んでいったボールは、公園の木の陰で隠れて見えなくなってしまっていた。

 見事に、ホームランである。

 僕はボールが見えなくなってもなお、それを探し求めるように目を泳がしていた。

 浩介もきっと同じで、空を見上げたまま、固まっている。


「あ、はははっ……ぼ、ボール、探してくるね!」


 彼女は僕達の様子に気まずさを感じたのか、バットを投げ捨てて、慌ててボールが飛んで行った方に走って行ってしまった。

 僕は彼女の姿を目に追いつつ、浩介に近づいていく。

 その間、浩介は微動だにしてなかった。

 浩介の傍まで寄って、僕は浩介の肩に手を置いた。


「ま、まあ、こういう事もあるさ。偶然って怖いよな」


 慰めのつもりではないが、それでも浩介の心情を慮って、声を掛けた。

 そのつもりだった。


「……なあ、達也」


「な、なんだ?」


「俺、ピッチャー、やめようかな」


 浩介にしては珍しく落ち込んでいた。


 浩介は立ち直りが早い男だ。落ち込んでいるように見えて、すぐにケロッとした顔で何事もなかったように振舞う。

 その精神力はゴキブリ並みのしぶとさだ。

 それが浩介のいいところでもある。

 だから、今回も落ち込んでいるように見えたけど、すぐに立ち直っていた。


 飛んで行ったボールを彼女はまだ探している。

 そんな彼女を離れたところからそんな彼女を眺めつつ、僕らは話し合っていた。


「んで、どうする気だ?」


 浩介が脈絡なく尋ねてきた。


「どうするって、何がだよ?」


 何を指して言っているのか、それは分かっていたけど、敢えて分からない振りをして返した。


「知れたことを……。相変わらず、誤魔化すのが下手だねぇ、お前」


「ほっとけ……」


 やっぱり浩介には見抜かれていた。

 以前、坂田君やマスターにまで考えていることが見抜かれたし、僕ってそんなに顔に出やすい人間なんだろうか?


「浩介こそ、どうするのさ?」


「俺か? うーん……さっきまで何するか悩んでたんだけどな。でも、由香を見てたら思いついたよ」


「奇遇だね。僕もだよ」


「そうか。じゃあ、被ってたら嫌だから、お互いに教え合うってのはどうだ?」


「いいけど……それで一緒だったらどうするのさ?」


「そん時はそん時だ」


「……まさか、ジャンケンで決めようとか言わないよね?」


「馬鹿言ってねぇで、由香が戻ってくる前に済まそうぜ」


「分かったよ」


 腹の探り合いなんて言うと大げさだけど、僕も観念して浩介の提案に乗ることにした。

 確かに、いざ蓋を開けてみると、同じ物でした、なんて事になったら、目も当てられない。


 浩介の「せーの」という掛け声ともに僕達は同時にそれを声にした。


「グローブ」

「グローブ」


「……」

「……」


 お互いに考えていた物を言葉にした後、無言で顔を見合わせる。

 まあ、何となく、そんな気がしてたさ。だけど、ここまで思考が同じだと、ちょっと嫌気がさしてくる。


 三日後の12月24日は、クリスマス・イヴだ。

 けれど、僕達は別にクリスマスプレゼントの話し合いをしているわけではない。

 実は、その日は彼女の誕生日なのだ。

 だから、僕達が彼女に隠れて話し合っているのは、クリスマスプレゼントではなく、誕生日プレゼントについてだ。


 かくして、僕と浩介で彼女にあげようと思っていたものは見事に被っていた。

 誕生日まであと三日しかない。

 早急に話をつけるべきだろう。


「言っとくが、俺は退く気はねぇぞ」


 先手を打たんとばかりに、浩介が口を真一文字にして、頑なな態度を示した。


「ジャンケン」


「嫌だ」


「ジャン、ケン!」


 僕はあくまでもジャンケンで決めようと、手をグーにして上下に揺らす。


「だが断る!」


「……」


 なんて頑なな奴……。

 と言うか、退く気もなければ、ジャンケンも嫌。

 だったらどうしろと言うのだ。


「おい、浩介。被ってたら嫌だから教え合おうと言い出したのはお前だろ。その態度は如何なものかと思うぞ」


「はっはっはっ! 確かに言ったが、被ってたら譲ってやるとか、ジャンケンで決めようなんて約束した覚えはねぇぞ」


 浩介は聞いているこっちが腹立たしくなるような笑いを零しながら、なんとも自分勝手な事を口にする。

 汚いやり口な上に屁理屈で、ムカッと来た。


「この野郎……」


「お、やるか?」


 しばし僕等は睨み合う。

 こんな時、彼女がいたら「喧嘩はダメーッ!」とか言ってきそうなのだが、その仲裁役は、今は何処かにいってしまったボールを探すのに夢中で、こちらで起きている騒動など知る由もない。


 いくらライバルでも喧嘩はしない。

 それは彼女と最初に交わした約束だ。

 沸騰した頭にその約束が冷や水のように浴びせられ、僕の頭は急激に冷えていった。


「仕方ないなぁ」


「……あ?」


 僕の諦めにも取れる言葉に浩介は不思議そうな顔をした。


「譲ってやるよ、今回は」


「なんだよ急に……そんな事されたら調子狂うじゃねぇか……」


「別に。彼女との約束もあるしね」


「だから譲るってのか? そんな事してたら、いつまで経っても俺に譲ることになるぞ?」


「ばーか。今回はって言っただろ? それに、誕生日プレゼントにグローブなんて、女の子っぽくないって思い直しただけだよ」


「む……そこまで言うからには、グローブは俺がプレゼントするからな。後でやっぱなし、なんてこと言うなよ!」


「ばか。言うかよ」


 ちゃんと否定したのに、浩介はそれでも僕に疑いの目を向けてくる。

 よっぽど僕が素直に引き下がったのが信じられないらしい。

 まあ、確かにグローブは今の彼女には最高のプレゼントになるかもしれない。

 けど、それが浩介と被っていたなんて、正直いい気もしてなかったし、女の子っぽくないと思ったのも本当だ。

 だったら、僕は僕で彼女に合うものを見つければいい。

 あと三日しかないけど……。


「おーい、二人ともー!」


 彼女が遠くから手を振って僕達を呼んでいる。


「いま行くよー!」


 僕はこのプレゼント合戦の話し合いを打ち切るべく、彼女に呼び掛けに応えて走り出した。

 浩介も僕に続いて走り出す。


「ちっ! 借りだなんて思わねぇからな!」


 浩介は律儀にそう宣言して、僕を追い抜いていく。

 僕も別に貸しにする気なんてさらさらなかったから、黙って浩介の後追って、浩介に負けまいと走った。

 そして、彼女の傍まで駆け寄ると、彼女は申し訳なさそうな顔をしていた。


「どうしたの?」

「ごめんね、タッちゃん、コウちゃん。ボール、見つからないの」


 彼女はそう言うと、さらにシュンとした表情になった。

 ボールが出てこないことに落ち込んでいるのだろう。

 僕と浩介が話をしていた間ずっとだから、結構長いこと探していたはずだ。

 もしかすると、思っていたより遠くに飛んで行ってしまったのかもしれない。


 それから、僕と浩介も加わって、三人でボール探しをしたが、それでもやっぱりボールは見つからなかった。


「ダメだな……こんだけ探しても見つからないとなると、出て来ないかもな」


「……みたいだね」


 いくら探しても出て来ないので、浩介も僕も既に諦めていた。


「ごめんね、二人とも。……本当にごめんなさい」


 彼女は落ち込んだ様子で僕達に頭を下げてくる。

 きっと、ボールをなくした責任を感じての行動に違いない。


「そんな……ボール一個くらいで、そんなに気にしなくてもいいよ、由香」


「そうだぜ。こんな事で謝ってたら、俺達野球部員は毎日監督に謝らないといけなくなっちまう。気にすんな」


 僕も浩介も彼女に笑い掛けながら、フォローを入れる。

 それに彼女は薄っすらとだったけど、笑顔が戻った。


「うん、ありがとう。タッちゃん、コウちゃん」


 僕達にお礼を言う彼女は、それでも後ろ髪を引かれるように、ボールが消えていった方向を気にしていた。


「んじゃあ、今日はこの辺して帰るか」


 彼女のそんな未練を断ち切るように浩介がお開きを宣言する。


「ま、そうだね。ボールがなきゃ続けられないしね」


「うう……ごめんなさい」


「……」


 僕の余計な一言でさらに彼女を落ち込ませてしまった。馬鹿か僕は。


「ばか」


 浩介も小声で僕を非難してくる。

 もっともな意見だ。

 僕も今回ばかりは反省するしかない。

 なので、僕は罪滅ぼしをする事にした。


「浩介。由香を送っていきなよ」


「あ? お前はどうするんだよ?」


「僕は……まあ、用事を思い出したんだ」


「……そうかい」


「うん。じゃあね、浩介、由香。また明日」


 僕はさっさと浩介と彼女に本日のお別れを口にした。

 浩介はそれに対して「おう、またな」と言って、歩き出す。

 けれど、彼女は何をそんな気にしているのか、その場を動こうとはしない。


「おい、由香。行こうぜ」


「う、うん……そ、それじゃあね、タッちゃん」


 浩介に促される形で、渋々ながら彼女も僕に別れの言葉を告げて歩き出した。


 よかった。

 浩介には気づかれていたようだけど、どうやら彼女には僕の意図は気づかれなかったようだ。


 僕は二人の姿が見えなくなるまで見送った後、ボールが消えていった方へと再び足を踏み入れた。


 それから三十分後、いくら三人で探しても見つからなかったボールが見つかった。


「やれやれ……随分と遠くまで飛ばされてたな……」


 信じられないことに、浩介の全力投球を彼女は本当にホームラン並みに打ち返していた。

 きっと、どこかの強豪校の監督なら、彼女の性別が女性であることに嘆くことだろう。

 天は彼女に二物を与えたけれど、それを役立てる運命までは与えなかったらしい。


「さてと……ボールも見つかったし、やっていくかな」


 僕は左手でボールを握り、毎日欠かさず行っている『日課』を始めた。


 『日課』を終えて、その帰り道。

 すでに薄暗くなり始めた頃、いつも公園に来るために三人で通っていた道で、車がガードレールに突っ込んでいる事故を見かけた。

 見通しの悪いカーブになっている所で、事故の多い場所だと知っていたが、その事故現場を見るのは初めての事だった。


「……本当に危ない場所だったんだな」


 僕はその事故をしたフロント部分がひしゃげた車を見て怖くなり、身震いした。

 もし、あのガードレールと車の間に人がいたりしたら……。

 そんな考えが過ってさらに怖くなって身の毛がよだつ思いがした。

 今度、浩介達にも危ないことを伝えておこう。

 そんな事を思いながら、僕は家路についた。

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