第52話「南北海戦Ⅰ」


 夢を見ていた気がした。


 時間を懐の懐中時計で確認する。


 生憎と電池式ではない。


 クジラのバネを用いるゼンマイ式である。


 手工業は侮れないもので、時刻を正確に割り出しさえすれば、時間の同期を取る事は部隊間でも可能になるだろう。


 まぁ、帝国の手工業の最優層に10本限定で造らせて時間合わせした代物なので限りなく現在のライン制作には向かないが。


(時間だ……)


 現在高度は凡そ1000m。


 寝台から起きようとして、身体が動かない事に気付く。


「ん?」


「すぅすぅ……」


「―――」


 思わず固まる。


 猫でも乗っているかと思ったら、猫より明らかに大きなものが足元のブランケットの中にいた。


 こんもりしている上に聞き覚えのある少女の声。


「何処から密航したんだか。はぁぁ……(;´Д`)」


「マーヲ?」


 時間か?


 的な事を言ったのだろう黒猫がついでのようにニュッと毛布の中から顔を出していた。


「お前もか」


「くぁ……まぅ……くぅ………」


 欠伸をした黒猫がまだ朝日も出てないじゃねぇかと船室から窓を見て、再びモソモソと毛布の中に消えていく。


 ゆっくりと脚を引き抜いて、足元で猫みたいに丸まって双子かと見紛うくらいに黒猫と同期したポーズで寝入るフェグをそのままに起き上がり、すぐに着替えて操舵室へと向かった。


 明け方である。


 この数日、休みなく飛んだ飛行船は最初の目的地に到着する。


 石と兵士が名物と言わんばかりの都市国家。


 ヴァドカであった。


 夜明け時の空から降りて来る黒い何か。


 それを総毛足った様子で出迎えるのはヴァドカで練成していた竜騎兵達だ。


 事前に工事させていた空港はヴァドカの王城の裏庭に造らせて貰った。


 今後、各地の拠点及び郊外には空路用の専用基地が新設される。


 というか、今その真っ最中だ。


 まだ、数が少ない竜騎兵達の為の設備だと各国の領土の重要拠点として開発が進んでいるが、殆どの王達はまだ空路を使うのにこれほどに長い道が必要なのかという感じで半信半疑だろう。


 だが、空を制するのが如何に重要な事かを理解しているだろうヴァドカだけは最速最短で飛行船受け入れが可能な場所だけは整備してくれたので、かなり助かったというのが現実だろう。


 すぐに予め送っていたモールス信号の符丁で誘導を求め、騎士達がその任務に当たる。


 中庭は練兵用で広い敷地が取られていたが、その施設を全て別の場所に分散させて出来ただだっ広い場所に飛行船が着陸。


 と言っても、完全に降りるのではなく。


 1mだけ浮かんだ状態で四方から樹脂を沁み込ませた縄と碇を降ろす。


 括り付け固定化後、地表に向けて縄梯子を落とせば、上陸準備は完了。


 必要物資は積み込んであるので緊急時に素早く飛び立てるようにとの配慮だ。


「ははは、これはこれは……何ともまた……我らの大悪女殿は船すら飛ばせるか!! これはもう吟遊詩人共の次の唄は決まりだな」


 ライナズ・アスト・ヴァドカ。


 縄梯子を使わずに飛び降りたこちらの前に外套を靡かせやって来たヴァドカの新王は嗤いを噛み殺しながら、ニヤニヤと悪い顔で飛行船を見ていた。


「お久しぶりです。ライナズ閣下」


「そう言う程でもあるまい。それにしても竜騎兵の次は竜を使わずに飛ぶとは……これがそなたの切り札か?」


「いえ、そういうのは最後まで秘しておくものですよ。閣下」


「くくく、まだまだ切り札はありそうだ。そのデカブツを飛ばす為の力を水車から引き出すという機材。もう既に付近の河川から伸ばして王城に通しておいたぞ。壁に穴を開けずに地下を掘る事になったがな」


「そうですか。有難い限りです。ヴァドカで周辺の情報の再確認後、ユラウシャまで飛びます。まだ皇国は来ていないようですが、間者の炙り出しは順調ですか?」


「ああ、そちらは送られて来た捕まえ方を徹底させたら、面白いように引っ掛かったぞ。それと相手を殺さず、殺されずに捕獲する事も送られて来た薬剤でかなり簡単に運んだ」


「それで生きていますか? まだ、その連中は」


「ああ、それに付いてなのだが、そちらは残念ながら……詳しい事は個室で話そう。付いて来てくれ」


「解りました。他の搭乗者は組んだ班毎に交代制で操舵室を開けないように」


 言うと横合いの気密扉からメイド達がヒラヒラとハンカチを振って見送っていた。


 ライナズに連れられて内部に入ると次々に王城の家臣達が頭を下げてから裏庭の方へと向かっていく。


「竜騎兵達の訓練はどうでしょうか?」


「そちらから送られて来た教本を当事者に最適化させる仕組みや互いに競わせつつ、評価を下す仕組みを導入したら、物の数か月だと言うのにすっかりそれらしくなったぞ」


「そうですか。現在の実働可能数は手紙通りですか?」


「ああ、それは増えていない。北部中から掻き集めた竜が現在使えそうなので200匹……それ以外の地表を駆けるものが300匹。だが、実働に耐える竜騎兵の部隊としては100騎が限度だろう」


「そうですか。ならば、上々と言ったところでしょうね。事実上、竜の飼育の為にあちらにも半数以上の卵を持ち出していますし」


「着いたぞ」


 ライナズの私室らしい場所に通された。


 内部は質実剛健で豪華なのは祭典用らしい衣装が仕舞われたクローゼットと天蓋付きの寝台くらいだ。


 小さなテーブルと椅子が二脚。


 対面に座るとライナズが紅茶の入ったらしい魔法瓶でお茶を入れてくれた。


「普段使いしてくれているようで。どうですか?」


「不思議な瓶だが、重宝している。一々入れ直させるのも億劫な時は特にな」


「左様で。それでどうして完全に拘束した相手が残っていないのですか?」


「手紙に書こうと思ったところだったのだ。1日前の事だ」


 ライナズが語り始める。


 どうやら、完全拘束したスパイさん達にいよいよ本格的な尋問をする準備をしようと言って見たら、全ての独房で全員が黒い生き物になって死亡していた云々。


「黒い生き物?」


「ブヨブヨとした黒い肉塊になっていてな。我も見た。内部を油で燃やしてからアルジーナで量産している硫酸を注ぎ込んでようやく鎮圧したのが昨日の夜中だ」


「具体的に被害は?」


「傷一つ兵が負わなかった事は不幸中の幸いだった。そちらの寄生型バルバロスへの備えに関する知見が役立った形だ」


「攻撃してきましたか?」


「ああ、してきたが、夜中に検証した限りだとあの化け物は人間を材料にしていたらしい。残っていたのは連中の皮と骨だけだった。


「バルバロスによる内部からの破壊工作ですか……」


「事態が発覚してからすぐに油で焼いたから被害は出なかったが、もしもそなたが言ったような昼夜無く3人での見張りと交代制を導入していなければ、今頃は場内があの化け物に占拠されていたかもしれんな」


「処分方法はお教えしてる通り。念入りにお願いします」


「ああ、それでどうするのだ? 南部皇国の艦隊の動向は解ったとの事だったが」


「恐らく、現行で2か月以内に来るかと思います」


「もう少し掛かるとの話だったのでは?」


「どうやら水生系バルバロスを手に入れたらしいとの報告がありました。船を加速させる方法がもしも存在していれば、艦隊が思わぬ速さで来る事も視野に入れておかないと痛い目に合いますよ」


「そういう事か。北部同盟内部の現状を纏めた書類は詰めて置いた。後でゆっくり読めばいい」


 テーブルの上に革製の鞄が置かれる。


「どうやら、書類仕事に目覚めたようで」


「そのせいで寝不足だがな」


「心中お察しします」


「ちなみにだが……」


 ライナズが悪い顔になる。


「あの船。もう一隻造れるか?」


「新しい大型のバルバロスの遺骸さえあれば、というところですが……北部で有害な大型は臭気放つもの以上の存在はいないとの事ですし、手土産のこちらで我慢して下されば」


 資料を渡す。


「これは……」


 相手が資料に目を通してから顔を実に面白そうに歪める。


「まだ一着分しかありませんが、先日、ヴァドカで撃破した一軍の骨を用いれば、アルジーナでの加工次第では……」


「ふ、ふふ……面白い。是非、ウチで始めさせて貰おうか」


「荷を降ろし、動力の充填が済んだらユラウシャに直行します。事前計画通り、竜騎兵100騎お預かりしますよ。閣下」


「了解した。ふ……楽しくなりそうだ」


「アルジーナで造れない素材はこちらからお送ります。現行で量産している兵器類に加えて部隊の練兵方法や戦術戦略に関しては対戦方式で各部隊に一任して競わせれば、新たな境地も見えて来るでしょう」


「覚えておこう。今回の戦に間に合わないのは致し方ないが、次の機会があれば、必ず間に合わせてみせよう」


 紅茶がいつの間にか無くなっていた。


 違いに握手をしてから、ニヤリとする。


 こうして明け方に来たばかりの船はその日の夜にはまだバッテリーの残量も有った事から20時間もせずに再び空へと飛び立つ事になるのだった。


 *


「見えて来ましたね」


 ノイテが操舵輪の前に起ちながら窓の外を見ていた。


 冬に入り掛けた北部は今や曇り空だが、未だ雨や雪は降っていない。


「ん~~~?」


「どうした? デュガ」


「壁の外にあんな街みたいに沢山の家ってあったか?」


「ああ、皇国軍連中の寝床だ。周辺には広い畑が大量に見えるだろ?」


「そう言えば……案外全然自由だな。壁も無いみたいだし」


「収容施設じゃないんだ。連中には一冬越す食料を自給自足させて、ついでに農家が合わない連中には独自にこちらの法律に従って商売もさせてる」


「自分で食ってけるようにしたのか……ふぃーは賢いな」


「まぁ、匂いが取れるまで3か月以上掛かったらしいが、今は悪臭も地面に消えたし、森も雨で流されて普通になった」


「そう言えば、道も普通に馬車が通ってるぞ……」


「ちなみにあくまで傭兵稼業がしたいって連中は全体の一割にも満たないみたいだが、そいつらには軍の下で同じ南部人の間諜の駆り出しを専門に行う部隊として給金を出してる」


「ほうほう?」


「高い給金は使う場所が限られてるし、飯屋はともかく娼館には南部人は人員が怖がってるから割高料金だと徹底させた。だから、上手い飯を食って、良い女が抱ければ、裏切る要素が殆ど無い事は間違いないな」


「そいつら自体が南部に情報を流してたら?」


「構わない。下に知らせてる情報から作戦の内容が解るような計画は一切立ててない。そもそも周辺国へわざと同じような噂を流してるから、どこから情報を集めても同じ事しか分からない」


「……それは相手も大変だろうなぁ」


 デュガが敵間諜の事情を予測し、苦笑していた。


「そもそも傭兵なんぞをやってる連中だ。事前に色々と情報を解析してみたが、こらえ性が無い。高い給金も湯水のように使ってくれる上客だ。幾ら高級な食事をしたって、量は高が知れてる。今殆ど民間人がいないユラウシャで経営してる店は軍経営ばかりだ。つまり、連中は軍から給金を貰って軍に返してるだけだな」


 ノイテがこちらをジト目で見ていた。


「相変わらず悪辣な手法を取りますね。外に資金が出て行かず。実質的にユラウシャに展開する軍から失われているのは割高な食糧品くらいだと」


「そういう事だ。この情勢下で娼婦に従事中な人材には高給が支払われてるが、その支払いの三割近くが傭兵からの上がりだったりもするな」


 言っている間に曇り空の下。


 ようやく明け方になりそうな白み始めた街の上空にカチカチと送っていた電球を集めて用いた会話用のライトが付けたり消えたりし始めた。


「【無事のご来訪、心より嬉しく思う】だそうです」


「【竜による誘導を求む】と返信してくれ」


 数分後には慌てて竜が高度を上げて近付いて来て、すぐ誘導してくれた。


 ユラウシャの市街地から西に数百m離れた岸壁地帯。


 例の真っ赤な嘘である神様の像を安置していたような大規模な帆船が入れる岩窟のある入り江が一つ。


 現在は内部を資材で補修されて、大規模な造船所として使用されている。


「おお~~ここで船造ってるのか~でっかいなー」


 内陸部に侵食する形の地形は職人の技や爆破によって削られ、現在外側からは単なる植物が生い茂る洞窟に見えているが、内部は機材と作り方を並行して送っていた事で急ピッチで進められた改造により、電球も並行して製造する造船ドックに早変わりしている。


「上からも外からもそうは見えないがな」


 岩窟の背後にはアスファルト製の道路を造る為の手本として北部で最初に試作された道……原始的なコンクリートとアスファルトで覆われた滑走路と基地がある。


 竜騎兵を運用する為の竜舎と竜騎士達の装備を運用する為の施設だ。


 コンクリートもアスファルトも中身さえ知っていれば、現在の状況でも造れる代物なのは間違いない。


 寒冷地仕様として温度変化に強そうな素材を入れて罅割れないようにブロック単位で固めて隙間を比較的柔らかく作ったアスファルトで固めた代物だ。


 セメントさえ作れれば、後はどうにでもなるものである。


 ローマのセメントの話はそれなりに有名だ。


「着陸します」


 ノイテが高度をゆっくりと電源のボタンを押しながら段階を踏んで降ろしていく。


 そのまま外に出ようと通路に出ると。


 寒い北部でも行動出来るようにと作った特製の断熱外套を着込んだ少女が待っている……フェグがプクッと頬を膨らませていた。


「ぃーく!!」


「解った。あんまり、離れるなよ?」


 フンフンと両手で興奮気味に頷く少女に溜息一つ。


 背後にピタリと付いた。


 ゾムニスがノイテとデュガの代わりに操舵室へと向かうのに手を上げてから、待っていたウィシャスと共に地表へと飛び降りる。


「ようやく戻って来たか……」


「待たせたか?」


「早く着くとは聞いていたが、コレが迅速に北部を行き来する為の船か」


「ああ」


 待っていたのは眠たそうな眼を擦りながらも、馬車からやってきたビダルだ。


 北部の寒さを凌ぐ為の毛皮製のコートに身を包んでおり、全身茶褐色。


 原始的な撥水性の塗料の製法を送り付けて北部での海戦用に新式の兵士に支給する防寒具一式の発注で得た技術で作ったのだろう。


 全身の手袋や長靴の類は何処もガッチリと固められていた。


「この歳だと寒さが堪える。中で話そう」


 言われるがまま馬車に搭乗すると。


 フォーエが哨戒任務から戻って来て、竜舎へと向かう姿が見えた。


「それで竜騎兵連中は?」


「2日遅れで来る」


「解った。受け入れ準備をもう終わっている。問題無い。だが、それにしても空飛ぶ船と来たか。御伽噺にしては現実味があり過ぎる」


「そっちの現実味がもっとあり過ぎる艦隊の整備状況は?」


 ビダルが肩を竦めた。


「数か月で新型船を造れ。というのも難題だし、そもそもの話として新式の設計図をちゃんと読み解いて大工連中に言い聞かせるのにも時間が掛かった。高炉がようやく稼働したばかりで各地で同じ部品を名工連中に造らせてるが、稼働効率は左程上がってない。時間が必要だ」


「1隻分くらいはもう生産が終了したはずだが?」


「それはあくまで試験用だ。手紙にも書いたが、技術水準が違い過ぎて、学びながら試行錯誤しつつ、あの設計図通りに作ってる。新しいものを造るには時間が掛かるというのは納得出来るだろう?」


「で、実際には?」


「……竜骨用の木材を買い占めて、必要な資材は確保した。生木で造るわけにもいかんからな。だが、実際の制作工程は職人連中次第で差もある」


「ふむふむ」


「3隻はほぼ組み上がった。艤装の製造も済ませた。だが、この数か月の訓練ではウチの海軍でも練度不足だ。試験艦が一隻だからな。とにかく新し過ぎてやれる事が多過ぎる。与えられたものを噛砕く時間が後せめて3か月は必要だな」


「使い物にならなくても船を浮かべて動かす事は出来るはずだな?」


「当然だ。ハクゲキホウ? だったか。アレの訓練もしているが、そもそも砲弾の数が足らん。あまり訓練で使っては貯め込む分も無くなる」


「生産力は順調に伸びてるって書いてたが、それでもか?」


「それでもだ。とにかく北部の資材は掻き集められるだけ集めたが、それで製品を造る設備はまだ半数が造成中だ。生産人員もとにかく集めて急いでいるが、慣れが足らん」


 どうやら、相手が来るまでギリギリの数が出来るか出来ないかくらいの事になるらしいのは解った。


「了解した。各地の航空基地の整備状況は?」


「手紙に書いた通り、最低限度の開発状況で沿岸部に6つ造成が終了した。完全な完成までには……雪が降り積もるまでに1か月、雪解け後に3か月。合計四か月が必要だ」


「十分だ。例の充填設備も終わってるとなれば、移動には困らなそうだ」


「生産設備による北部での大規模な工業製品の生産。そちらの機材の輸出が本格的に始動するまではまだ何とも言えん。今は既存の建物と新規建築を並行して進めて、簡易の製品を少し粗雑に造れるだけだ」


「熟練工の優遇制度と教育はやってるんだ。後は時間が解決する」


「その時間があると?」


「間違いなくない。だが、それを見越して此処に来た。手間は取らせない。今から用意して欲しいものがある」


「はぁぁ……解った。言うだけ言ってみろ。必ず期日までに納品しよう」


「「「……」」」


「?」


 同乗者の大半が何か言いたげだったが無視する。


 基本的に仕事が出来る人間に仕事を押し付けるのが自分の仕事なのだから。


 *


「久しぶりだな。此処にいたのか?」


「ああ、部下はあちらのバーツ移民街にいる」


「移民街? ああ、あの突貫工事の……まだ居留地としか聞いて無かった」


 基地内部に向かうと久しぶりの顔が出迎えてくれた。


「背中は痛むか?」


「今は少し引き攣る事も無くなった。君の送ってくれた薬のおかげで病気にもならなかった。地獄のような痛みの悪夢で時々、起きる時以外は問題無い」


 皮肉げではあったが、苦笑交じりの男。


 イモーラ・バンデシス。


 皇国正規軍の隊長級。


 何処かニヤリとやり返して来た男は前よりも余裕がありそうだ。


 先日、背中に焼印を入れて手打ちにした事は未だ記憶に残っている相手。


 降伏させた南部皇国軍の説得は正しくバンデシスがいなければ、未だに時間が掛かっていただろう。


「それで此処にいるって事は?」


「ああ、全員待ってる。ビダル殿は執務となれば、君も時間があるはずだ」


「解った。ウィシャス。フォーエを会議室の方に連れて来てくれ。背後からそっと聞かせるだけでいい」


「解った。他には?」


「空模様の観察だ。アテオラの話じゃ、そろそろ荒れるはずだからな」


 残ったメイドを連れてバンデシスに連れていかれた先。


 会議室にはズラリと皇国軍の隊長級。


 それも正規軍の将官だけがいた。


 彼らこそは穏健派。


 未だ祖国には報いるが、主戦派は敵という人物達だ。


「初めまして皆さん。書面以外で会うのは初めてとなります。フィティシラ・アルローゼンと申します」


 頭を下げると敬礼で返された。


 バンデシスが自分の後ろへ回り、円卓に着くと『これが例のお姫様か』という胡乱な……もしくは実に真偽を測り兼ねるという気配が周囲には漂う。


「ぁ~~この方が確かに我々を壊滅に追い込んだ犯人だ。悪いが、これを嘘と言うなら、もう自分は軍人を辞めてもいい。というくらいには真実だ」


 その言葉でようやく男達が何とも言えぬ顔になった。


 まぁ、仕方あるまいとも思う。


 だって、悪臭と飢餓で降伏したも同然なのだ。


 元々が傭兵の連中はすぐに寝返ったし、内部のゴタゴタが無ければ、未だに祖国の敵として出会ってもおかしくはないのだから。


「皆さんの臭いが取れたようで何よりです。では、さっそくで悪いですが、本題と参りましょう」


 後ろには未だ素知らぬ顔でフェグがニコニコ顔で自分を見つめている気がする。


「貴人への対応として、このような服装で申し訳ない」


 彼らの衣服は臭いの為に処分したので今は北部らしい冬服が着込まれている。


「いえ、郷に入っては郷に従えということわざもあります。そこに生きる人々に合わせろというのは戦争や変化を望む時以外は無粋でしょう」


「そ、そう言って頂けて何よりだ……」


 男達が僅かにこちらの会話内容に驚いた様子になる。


 まぁ、普通の貴族ではこういう回答をする事はまずないというのは事実だ。


 貴族が傲慢なのは何処の世でも一緒である。


「南部皇国……彼の国の占領時、貴国の穏健派筆頭であるバルグランジ選定公と一族郎党及び穏健派の重鎮の方々を出来る限り、お助けするという事で話は纏まっているとバンデシス隊長から聞いております。これに相違ございませんか?」


 男達が重く頷く。


『そちらの事前の前提条件は一つ以外全て呑もう』


『だが、あの条件の最後の一つだけは呑めぬ』


『それが我らの最大限の譲歩だ』


 男達の率直な言葉に頷く。


「解りました。では、条件の最後……皇帝家の廃滅と選帝公四家に付いては地位はともかく無理やりの廃位などは致しません。ただし、政治に今後口出し無用。わたくしからの要請によってのみ、国内政治に付いての一件に条件付きで関わる。これで同意すると言う事でよろしいですね?」


『それで構わない……今や祖国は地獄の有様だ。全てが破滅するよりは幾分かマシだろう……』


 男達が重々しくも決断するのは此処だろうという顔で妥協案を呑んだのは基本的には北部皇国の指導者と共にもう一度皇国を立て直す為だとの事だ。


『致し方ない。今の皇帝イドロは選帝時のいざこざで正式な帝室典範の手続きを踏んでいない。帝室自体が残るのならば、それが象徴として実質的な執権能力を失う事になったとしても我らはそちらを支持する』


『無論、囚われている穏健派が復権時には全面的な無条件降伏は受け入れる事を方々には納得して頂く……頂けないとしても口出しはさせないと確約する。実働派閥最後の一派である我々が貴君との契約を履行しよう』


「よろしい。では、署名を。無論、これはまだ空手形でしかありませんが、わたくしとの契約は帝国との契約。皆様の名前年齢顔その他の全ての情報は全て帝国内で保持され、裏切りに関しては帝国が確実な報復を皇国内で履行致します」


 男達がこちらを見ながら、拳を握り締めつつも頷く。


「……皆様は苦渋という顔をしていますが、言う程に皇国を好き勝手は致しませんよ。精々が人々が地獄から這い上がり、自分の家族を食わせ、自分が飢えず、真っ当な裁きと真っ当な裁判を受けられ、同時にまた自らの職を全うし、現在の皇国の状況を生み出した者達の多くが地獄よりも随分と生易しい人の残酷さで殺されるだけで済みます」


 男達の顔に冷や汗らしいものが一筋浮かぶ。


 男達の1人がおずおずと訊ねたい素振りになる。


「その……姫殿下は皇国を取り戻した暁にはどのような政治を為されるつもりで?」


「持ってきました。どうぞ……」


 メイド達から書類を全て男達の机に並べる。


「詳しい統治政策に関してはこれを御一読下さい。更に詳細に関しては嵩張るので各分野毎で今日中にも降ろして参ります」


 男達が次々に渡された資料を捲っていく。


 バンデシスもまた資料を捲りながら、驚きとも冷や汗とも付かない汗を浮かべ。


 薄っすらと顔が引き攣っている。


「これらは全て柔軟な運用をする事を前提として貴国の法規、政治、軍事、経済、宗教の改善点を入れ込んだ代物です。最も重要な点は……」


「議会制民主主義? それも民を纏める者を民が選ぶのか? 4年交代で再選は無し。全ての序列が繰り上がりで一般身分に戻る。貴族が政治家として議員を終える際は個人での貴族の身分を必ず放棄し、3等親以内の親族は以後10年間の議員職への選出を行えない……」


「まぁ、単純に言えば、どんな優秀な者も次の人間を育てなければならなくなる。短い間隔で近親一族での再選は不可能。議員職を終えたら潔く市井になる。二世三世議員は少なくとも親世代が辞めたら、十年くらいは議員職ではなく下積みして下さいという事です」


「これは……かなり揉めそうな……」


 バンデシスがそう零す。


「ええ、揉めるでしょうね。そもそも帝国議会を叩き台にしましたから、民主主義というのが何なのかも分からないという方が多いでしょう」


「帝国議会は大貴族しかいないと伺ったが?」


 バンデシスが民主主義で選ばれたものなのか?という顔になる。


「帝国貴族は戦争時に国民から支持されていた者達が貴族を名乗っているに過ぎません。血筋的には平民からの成り上がりが半数。もう半数はブラスタの血統の長老連などが母体となっています」


「そうだったのか……」


「まぁ、奴隷だった時の取り纏め役達は貴族が何たるかは知っていたという事です。今もそれらしく生きているのはそれが似合っていて、誰も文句が無いからという話です」


 男達が顔を見合わせる。


 奴隷上がりの帝国の事を国外で悪し様に言う者達は多いが、その内実を詳しく知っている者は知識階級層にもそう多くないのだ。


「ですが、この案で議員、政治を務める者達の数が増えます。それが最終的には貴族以外の者達にも政治家としての道を切り開く事にもなりますし、世襲化の弊害もある程度は排除出来ます。派閥政治は禁止してませんしね」


「つまり、もっと貴族以外とも貴族は交わり、派閥の幅を広げろと?」


「どうやらバンデシス隊長のご理解は早いようで」


 男達がざわつきながらも新たな政治制度への改革案に未だよく分からないという顔になった。


「皆様の勉強用に政治制度関連の書籍と基本的な統治計画用の政治家に必要な教養関連の書籍を。実際来年に事態が動くまで予習復習をしてしっかりと学んで下されば幸いです」


 視線で予め言っていたように合図すると書籍をフェグが得意そうに持っていたカバンから取り出して、こちらの前に押し出した。


 その本の分厚さは辞典並みだ。


『………』


 誰もが唖然としつつ、汗を浮かべているのでニコリとしておく。


「まさか、ご自分達は軍属だから、政治の知識など必要ない。等と言う甘えた事を言う方はこの場におられませんよね? ちなみに試験もありますのでお楽しみに」


『………(;´Д`)』


 男達はその辞典並みの厚さのある書籍を食い入るように見つめつつ、とんでもないものと出会ったと言いたげに溜息を呑み込み、覚悟完了した様子になるのだった。


「執筆、か。どうやら我々はあれ程の敗北をしてまだ小竜姫殿下を侮っていたようだ……」


 バンデシスが汗を浮かべて半分呆れた様子で穏健派一同の声を代弁する。


 彼らの半分くらいは軍人だが、彼らの半分は軍人で貴族だった。

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