間章「第三の尾」
全てが悪夢に染まっている。
あるいは単なる薄ら哀しい人の情がそう見せているのか。
月は緑に青々しく。
吠え猛る風は騒々しいのに生温く。
人の死体とすら言えない背景と化した無数の遺骸達。
それらは立ち昇る匂いに湯気を混ぜては青白く。
褐色に繁茂する苔が粘体のように、腐肉の臙脂色のまま、共に有る。
もはや、それを在ると表現する者は無い。
尖塔が高く聳える都市の最中。
歩く者は人間に在らず。
しかし、歩く者達の形は人に似通る。
喰らい合う者もあれば、共棲し合う者もいるが、そこに他者が割り込めば、容赦なく生存環境の適応を受ける。
蛙、蛞蝓、いもり、蟲、人を模倣した屍の如き怪物が織り成す百鬼夜行。
混じり合うものもいれば、互いに喰らい合いながら一つの身体を持つものもいる。
そんな中を行き交う豚と牛は臓器と骨と瞳の入り混じる何かとなって。
世界はやはり文明たる都市とは思えない程に腐り墜ち、乾燥して舞い上がり、煙る粉塵に覆われて、神秘の闇か、麗しい香りの悪夢に明かりが灯す。
「楢薪君。後悔しているかね?」
「いえ、別に……寝るならせめて白い清潔な寝台が良いというだけです」
「はははは、そういうものか。君も懐が深いな」
それを見下ろす男が2人。
今日の環境評価において新たな時代が幕を開ける。
虚空に座る彼らの頭上には赤い月が更に座し、何かの影を夜中の都市に降らせていた……誰も気付かぬ雲のように誰も夜の雲を見上げない。
「分析結果が出たよ。判決は一つだ」
「そうですか……」
「始めよう」
「ええ」
月を隠した雲だったはずのソレが無限のように続く都市に何か細かな粒子のようなものを降り注がせていく。
それはまるで赤い霧のようにも見えて、都市の頭上から下へ。
そして、その範囲を地表から猛烈な速度で広げて、都市から先の先。
果てまでも覆い尽していく。
「悪夢は燃えよ。それは灰より再び若芽が出でる日まで沈黙する」
都市が燃え上がる。
悪夢が燃え上がる。
紅い霧が燃え上がり、熱を持って静かに輪の如く広がっていく。
全てが酸化していた。
「これがこの世界において見付けた超重元素の威力だよ。我々は火の神の力の一部を解明したに等しい。これを持ってインド神話から頂いて、この元素を【アグニウム】と呼称する事にした」
「既存元素の120万倍以上の酸化力ですか……」
「恐らく、これに酸化出来ない物質は同じ超重元素の更に重い物質か。もしくは宇宙空間で特殊な環境で発生し得る物質だけだ」
全てが焼き払われていく世界の果てよりも先。
幾つかの天空から赤い光が何本も何本も降り注ぎ、果ての先においてもまた地表ガボウッと紅蓮に染まって、暗黒を夕暮れ時にしていく。
「どうやら、あちらも始まったようだ」
「あちらも新しい知見で出来た代物だとか」
「ああ、あっちは超重元素を用いた新型のレーザー触媒によって誘導放射の効率が300万倍弱まで上がった代物だ」
「今は生細胞で構造を作っているんでしたか?」
「ああ、この世界の生物の遺伝解析結果として色々と面白い話があってね。採取して培養した細胞で鳥型を作ってみたそうだ」
「鳥型?」
「レーザーの温度が高過ぎて既存の構造だと一射毎に機構が融解する。その為、それに耐えて再生する事で何度でも放てるようにと今は鳥さんの形をしている」
「……こんなにも環境が似通っているのに……この元素が有り触れていると人型を模しても、オカシな感じに進化が捻じ曲がっているように思います」
「多分だが……この超重元素そのものが空間や量子的な捻じれを引き起こすからではないかな」
「捻じれ?」
「色々と調べているが、一定量が領域内部に充満すると空間の歪みが大きいのだ。地殻の質量で重力が変動し、時間が歪むようなものだ。量子的にはテレポーテーション実験の一部が破綻したり、重力異常による空間の捻じれで従来の既存の結果が覆されてしまっている」
「……因果律的な歪みというような事でしょうか?」
「あるいはエントロピーそのものが歪んでいる可能性が示唆されていたな。時空間への理解が未だ我々には足りないという事だ。11次元より先を目指すべきだな」
夕暮れ時の世界に2人の男が虚空で座りながら、ぼんやりと薄ら明ける世界に瞳を細めて何事かを思う。
「例の計画の方は?」
「順調に推移している。現在培養中のロットが出来上がれば、この大地に適応した種を蒔く予定だ」
「それにしても……この地の【神命種LUCA】はどうしてああも最初から複雑な多細胞生物群だったのでしょうか。まるで、生命進化の道筋を無視している」
「どうして、か。神の悪戯か。あるいは本当に宇宙から来たのかもしれんな」
彼らが見つめる先。
空の果てから巨大な翼持つものがやってくる。
それは一体ではない。
そして、少なからず世界各地において同じ状況がタイムラインで彼らの下には情報として流れて来ていた。
「ミッシング・リンクの答えなのかもしれんし、もしくは単に我々の知能では理解不能な現象が起きているのか」
「ワクワクしたような顔ですね」
「ああ、そうだとも。未知とは常に我らの糧ではないかね?」
「……行って来ます」
「済まないが、しばらくはよろしく頼む。それにしても文系の君が一番適性が高いというのも因果な話だな」
楢薪君と呼ばれた男が迫りくる巨大なモノに向かって虚空を歩いて行く。
その姿は黒い外套姿であった。
手に持たれているのはやってくる相手に比べれば、ちっぽけな拳銃に短剣が一本。
貧相とも呼べる程に格差は酷い代物だろう。
だが、その拳銃は黒々としていながら、何処か星の煌めきを宿したかのように真空の宇宙を思わせる光沢を持ち。
その短剣は恒星のように不思議な程に闇夜ですら光を煌々と放っている。
「気を付けたまえ。まだ、ソレの原子の特性と分子構造による機能性は【
「理解しているつもりです。原子核魔法数444……AIの解析では最優の特性と出ていましたが……」
「ナノロッド凝集体を遥かに超える剛性と靭性を備えた高次資源ハイ・マテリアルだ。【ストレンジ計画】の要にもなる。原始的な武装に使えば、威力はお察しだしな」
「試し打ちは一応済ませていると聞いていますし、月の制作部門謹製です。信じますよ……」
巨大な翼持つモノが彼らの数km先で止まった。
「物理干渉器【ディメンジョン・シフト】シリーズ……我ら天雨機関の虎の子だ」
「これ一つで最新の核融合炉よりリソースを喰ってると聞きました。粗末にはしません」
巨大な生物が口から何か巨大な熱量の塊らしきものを彼ら2人に放つ。
しかし、その火球は彼らの数十m前で見えない球状の壁のようなものによって弾かれ四散していく。
「一応、男の浪漫だからな。解説しよう」
「好きですね。ご自由に……」
楢薪と呼ばれた男は虚空を走り出した。
真っすぐに。
「元々、我々はブラックホール機関を制作する途中に高次元を通常空間へ展開する方法を模索していた。彼が開発した展開式により、我らは高次元領域を通常空間内に引っ張り出す事で通常の物理学や量子力学でも説明の付かない現象が多数起こる領域の観測に成功」
解説が続く間にも男が生物の至近まで飛び上がり、その片手の刃を振るう。
それと同時に生物の片翼が半ばまで断ち割れ、巨大な絶叫が空に響く。
「高次元領域内の観測結果により、遂に我々は空間制御に一部成功したわけだ」
残された男がいつの間にか紅茶を片手に巨大な怪獣みたいな何かと戦う同志の様子を観戦がてらクッキーなどを齧り始めた。
「未だ時間の方にはあまり手が届いていないが、空間の制御は様々な面においてアニメやSFで語られるような魔法。技術を可能にした」
言っている間にも化け物の腕が小さな点のような楢薪に迫り、その腕が銃が激発したと同時に中央から円形状に捻じれ吹き飛び。
燃え盛る大地へと山の如き質量が落下していく。
「特に我々が空間の作用で着目したのは空間の膨張と収縮だ。これを用いれば、原則的に超えられない光速不変の法則もそのままに超光速移動が可能になるだけではなく。様々な空間、領域に関する問題が解決する」
腕を失った生物が残った腕を振り回すよりも先に虚空を駆け抜けた楢薪の刃が相手の顎を下から撃ち貫き。
両断された頭部をそのままに生物が燃え盛る大地の最中へと墜ちていき。
莫大な粉塵を巻き上げながらさながら隕石の落着のように世界に激震を奔らせる。
「空間の制御は実に多岐に渡る使用方法があり、その一つが空間制御による見掛け上の質量を誤魔化し、マクロとミクロの分野において物体の密度を操る事だ。無数の失敗の上の成功例だな」
無限のような粉塵は燃え盛り、世界は炎に包まれる。
しかし、戦いは終わらない。
「原子一つ分の質量が1cm四方を占有するブロックになれば、質量など無きに等しい。逆もまた然り。銃弾一つが人類を滅ぼす隕石より重ければ、その銃弾は高速で近付いて来る隕石すら破壊するかもしれない」
翼持つモノが次々に彼らのいる領域へと高速で近付いて来る。
だが、楢薪の手元にある銃が火を噴く度、それらは次々に胴体に大穴を開けられて、最初の個体と同じように大地へと墜ちていく。
「そもそもの話。空間を制御し得れば、物体の重量などコントロールする事は造作もない。要は別の空間から引力を引っ張って来れば、例え百万トンの質量だろうが、ポケットから取り出して弄ぶ事が可能だ」
「ご高説どうも。文系にはスゴイの一言で足ります」
「ははは、甲斐の無いヤツだな。君も……」
「要は超大質量の超重元素を凝集して空間に押し込め、重量まで誤魔化した武装って事ですよね?」
「身も蓋も無い!! でも、良い出来だろう?」
「ええ、まぁ、この外套まで含めて魔法の類ですね」
「科学だよ。高度な理論もその理論を用いた機械も現物を使う人間には技術の類だ。パソコンの中身の詳しいところやスマホの中身の情報を知らなくても人類は使いこなしていたようにな」
「人間は進化しないと言わんばかりですね」
楢薪が肩を竦める。
「我々が進み過ぎていただけだ。人類の多数が、コレを理解出来るようになるのは高度な教育水準を満たし、遺伝子を自由に操作出来るようになった高々度知能化社会ですら少数だろう」
「でしょうね……」
「ちなみに銃弾1発2兆円くらいだよ。我らが祖国ならね」
「国家予算分使わないように気を付けます。ええ、本当に……」
「気にするな。自前のプラントで造った試作品だ。超純度まで精錬した超重元素に空間圧縮と重量操作で細工しただけの代物だよ」
「ですが、コレが今後は宇宙開発ではスタンダードになると聞きました」
「一応はな。何せ宇宙放射線を遮る為の空間制御のリソースを減らす為に作った技術だからな。中性子すらもこの凝集率の物体をまともに透過は出来ない」
次々に墜ちた生物達の上げる噴煙が世界に幾度も吹き上がり、それを背景に男達は談笑するかのように肩を竦め合う。
「さ、【黒刃シニストラ】と【黒銃デクストラ】は良さげだな」
「……結構、教授も中二病なんですね」
「ははは♪ こういうのを恥ずかし気もなくやってニヤリと出来るのは男の特権だよ君。良い運用データも取れたし、さっそく量産に掛かるとしよう。ま、専ら隕石迎撃用のシステムに転用するだけだがね」
「宇宙からの贈り物……確かにそういう生物が世界を生み出したとしても、まったく問題無さそうな環境なようで……」
こうして男達は虚空を歩いて、自らを運ぶ母船へと戻っていく。
世は赤く燃え上がり、天に昇る土煙は再び、空からの光の筋によって焼き尽くされて、今度は炎が光によって席捲されていく。
「だが、気を付けたまえ。我々が世界を超えるのだ。マンガかアニメみたいに何処からか何かが迷い込む事は決して現実的ではない、という事もないのだから」
世界は火に没して、ラグナロクか終末か。
神話にある終わりの如く。
何もかもが焼き尽くされていくのだった。
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