第51話「帝都の落日Ⅶ」


 悪の帝国の朝は早い。


 実際には自分の朝が早いだけだが、やっぱり早い。


 11時には寝て6時には起きて七時間睡眠は絶対に確保しているのだ。


 近頃は特に激務なので眠るまでの時間まで計算に入れて、とにかく時間が足りないのを睡眠以外の時間を削って、どうにかしている。


 トイレの中の数分ですら手紙を書かねばやっていられない忙しさである。


 移動中もずっとインクが手放せないし、静穏系な馬車を最初に開発した事は正しく個人的に一番の投資に見合う利益であった。


 食事はさすがに30分も掛けていられないので15分で済ませ、紅茶の時間は誰かと交渉する時くらいだ。


 本当に精神が擦り減って来たなと感じたら、ゆっくり二時間くらいは休憩しているが、無我の境地で猫を撫でたり、仮眠したりしている。


 その為、近頃はデュガにさえ、猫が剥げるぞ?と言われるくらいに撫でた結果、猫が近付いて来なくなった。


 一心不乱に撫でていたら、いつの間にか猫のいた空間だけを撫でていたらしい。


「という事で北部行くぞ」


「研究所に来てる知らない連中一杯だなー」


「デュガ。これから一緒になるようですし、失礼の無いように」


「へーい」


「返事ははいですよ」


「はーい」


「はい。です」


「はいはい」


 メイド達の漫才を見つつ、研究所に集まった人員を見ていた。


 イゼリアとエーゼル。


 エーゼルの方が研究所の電気設備をやってくれたおかげで内部は明るい。


 要は配電盤の設備が超簡易ながらもしっかりと出来上がった。


 こちらから出した電気抵抗だの色々な電子系の基礎知識の情報を元にして電気のオンオフが出来るAND回路が存外早く出来たのだ。


 その後はこちらで色々と基礎知識在りで作っていたものを途中から任せた。


 そのおかげで現地までエーゼルを連れて行くという事になったのだが、姉妹のもう片方は渋った。


 危険なところに連れて行く気?


 契約と違う!!


 的な事を言われたが、ちゃんと書類には帝国内や同盟国内に一時的に出張する事はあると書かれていた為、沈黙したのである。


 エーゼルの姉妹兄弟達は本日からアルローゼン家で見る事になっており、イゼリア以外はスヤスヤ今頃は寝ている事だろう。


「大丈夫なの? アンタ、帝都出た事無いのよ? 今からでも遅くないわ!! アタシがちゃんと断っ―――」


「姉さん。大丈夫ですよ。心配性過ぎです」


「でも……」


「他にも大勢の方が北部に向かうんです。私の技術や知識がどれくらい必要になるのかは分かりませんが、ちゃんとお仕事を果たして戻ってきます。そもそも今の帝都だって安全じゃない……ですよね?」


「ぅ……」


 イゼリアが半泣き染みて妹を離したくない姉全開で聞いていたが、その言葉に少し先のウィシャスが一番ダメージを喰らってズーンと暗くなっていた。


 帝都を護るのは兵士の役目。


 貴族ならば、尚更だが……当人は何か起こっていても帝国議会の区画に入れず。


 結局、当時は何も出来ずに家を護っていただけだったのだ。


「それにしてもねぇ。何でこんな夜中にふぁぁ……眠いですよぉ。姫殿下……言いたくはないのですが、今日もお偉方の愚痴を聞く事になってるんですが」


 グラナンが横で欠伸を噛み殺す。


「今後の事を考えて、見て貰う必要があったんです」


「見て貰う?」


「ええ。見れば解ります。これから、また時代が変わるのだと」


 肩を竦めつつ、ゾムニスとフォーエがいる方へと向かう。


 すると、どちらも完全に旅装姿で装具を確認している最中だった。


「2人とも大丈夫そうだな」


「ああ、君に全装備をいつでも付けて動けるように訓練しろと言われたからな」


「これ、僕にもちょっと重いくらいでスゴイと思う……うん」


 ゾムニスが軽いとはいえ、それでも12kgはあるだろう心臓や内臓、主要器官を護り、各関節までもカバーする可動部以外を中抜きした鎧に目を細めている。


 フォーエもまた鎧の重さは知っていたらしく。


 それを超絶軽くして軽装とはいえ、まだ子供の自分が胸や関節を護るだけの装備でも付けられているというのは驚きなようだ。


 基本的にはフレーム単位で職人芸。


 単離済みのチタンを合金化後に用いた軽くて硬い代物だ。


 靭性もバッチリ底上げしてあるが、鎧内部にバルバロスの精革を用い、薄くゴムによる皮膜処理、保温処理を施しているので重さは4割減が限界だった。


 ついでに行く人間分の装備しか作れなかったので工業製品には程遠い工芸品であるのは間違いない。


 ノイテとデュガも専用のメイド服の上に同じ鎧を身に着けており、微妙にそれっぽいアニメのキャラみたいである。


「アテオラ」


「は、はい!!」


「準備は万全には程遠いが、出来る限りはやった。後はお前の地図とオレの知恵と北部同盟の頑張り次第だ」


「ッ―――はい!!」


「良い返事だ。一番しっかりしたのはお前かもな」


「え、えへへ~~そ、そんな事ないですよ~~!?」


 滅茶苦茶嬉しそうにされた。


 それをジト目で見ているのはデュガと同じ格好をしたイメリだ。


「そっちは装具に慣れておけ。基本、野外じゃ付けっ放しで寝るからな」


「了解しました……」


 イメリが頷きつつ、アテオラの傍に付く。


「じゃあ、さっそく」


 扉を開ける。


 倉庫内の明かりは十分だ。


 研究室以外では廊下もオンオフ出来るので小まめに節電するよう言ってある為、今のところは電力不足には為っていない。


 原始的な硫酸を用いた電池でも十分に電源を賄う事が出来ている。


 現在は殆ど落差の無い水車で小型のタービンを回して充電は行っている。


 少なからず時間の掛かるダム建設はまだ先だとしても……水力発電を電気量で賄う事は決して難しくはない。


 問題はその大量の発電設備を日産出来るようなインフラとラインを手に入れられるかどうかだ。


 その計画は大いに前進している。


「え……何これ?」


 一緒に入って来た全員がポカンとする中。


 イゼリアが呟いた。


「ああ、空飛ぶ船。正確には飛行船と気球を足して二で割ったみたいな感じか?」


「ちゅ、中規模の帆船くらいはありますよ。コレ……」


 エーゼルが目を見開いて驚きのあまりに固まっていた。


 目の前にあるのは中型の文字通りの飛行船であった。


 摩擦による帯電と放電、静電気関連の対策を十二分に施し、現在最も高い資材である南部からの輸出品、ゴムの殆どを次ぎ込んだ力作だ。


 浮力を得る為の上部構造の全長は凡そ74m


 船型の下部構造は56m。


 外装とガスを入れ込む複数のキノウという袋は全て臭気放つ者の毛皮とプラスチックとゴムを加工した代物。


 外側からして真っ黒な膨らんだ上部と船部分の下部はバルバロスの骨材と木材で造った。


 とにかく軽く。


 強度を保つ為の合金は幾年にも及び金属単離実験を行っていた例の帝国のマッドから調達、複数の希少金属も買い込んだ。


 どうやら家の地下や近くの倉庫に投げっ放しで放り込んでいたらしく。


 埃を被っていたものの、ちゃんと錆びないように処理されていたおかげでかなり楽が出来た事は間違いない。


 特に精錬済みのチタンを大量に余らせていたのは僥倖だったと言える。


 骨組みは正しく出来立てホヤホヤ。


 他の部品単位では全て事前に組み立てていたが、肝心の部分の強度がどうしても木材では厳しいという事で間に合うか不安だったのだ。


 製造はそれこそ最初期からやっていた代物だ。


 研究所のライン研究のリソースはラインを造るラインを作っていたわけだが、その初めてのライン資材が作り出す代物がコレだったのだ。


(正直、間に合わないかもと思ってたが……)


 現行ではコレの製造の為に全てのリソースが使われていたと言っても過言ではないだろう。


 複数のラインで必要なパーツをミリ単位で加工して釘を使わずに日本伝統の木組み工法を情報だけで再現してみせた研究所の建造建築部門。


 大工の棟梁連中には当分頭が上がらないだろう。


「後部には居住空間と貨物倉庫と背後に続く跳ね上げ式の扉。前部には操舵用の施設。水と食料は積み込みで10人が1か月くらいは生活出来る分を確保してる。浮く原理は単純に空気よりも軽いガスを入れた袋を大量にあの膨らんだ上部構造内部に入れ込んである。バルバロスの外皮をあの上の部分に使って多少重くなったが、剣で斬っても傷一つ付かない。だが、一番の重要な点はあの毛皮が浮力を持つ事だ」


「ふりょく?」


 首を傾げる少女達が多数。


 だが、エーゼルとイゼリアだけが何かヤバイ事になっている船がある事は理解したらしい。


「これを見ろ」


 研究所で試作していた代物を倉庫内の端に立て掛けた機材から引き抜いた。


「白い棒?」


「バルバロスの骨の加工品だ。凡そ人間一人分くらいの重量がある。だが、コレを生身で人間が使おうとしても、浮くわけがない。今までは……」


「今まではって……」


 イゼリアがまさかという顔になった。


「バルバロスの飛行原理や跳躍、着地時の事から肉体そのものが重力の作用から解き放たれてると考えた」


「そもそもジュウリョクって何?」


 イゼリアにしても未だこの時代では学問の最先端である万有引力の法則は知らないらしいので無視して続ける。


「空を飛ぶバルバロスを観察して、空を飛びながら実験しつつ、生きた竜の肉体から色々と情報を取ってたんだが……」


 骨に付けられたラジコン操作用の丸型の回すタイプのスイッチ染みたソレの電源を入れてみる。


 骨髄内部を刳り貫いて内部に細工した代物だ。


 カチカチという音と同時に骨がこちらを引き上げるようにして浮いて行く。


 誰もが唖然としていた。


「どうやら空飛ぶバルバロスの遺骸の一部は電気で浮くらしい。恐らくは生態内部の微弱な電流で操作してる、みたいだ。まぁ、限界はあるようだが、限界時間は理解出来てる。それまでこの電気……つまり、雷の小さい力を流し続ければ、船はガスの浮力のみならず。バルバロスの遺骸の作用でも浮く」


 スイッチを切って、1mくらいの高さから落下して着地する。


「骨髄内部の電源は左程大きくないが、電流電圧が僅かでも浮くのはかなり助かるな。そうでなきゃ体内で使えないんだろうが……」


 基本的に硫酸を用いた電池を用いる関係上、衝撃で破損なんてのも困る。


 電源はかなり厳重に金属、硝子、ゴムなどで積層構造にしてある。


 ついでに構造を繋ぐ為の部位には基本的にバルバロスの素材とチタン合金をフルで用いているので恐らく生活ブロックの方が脆いくらいだ。


 木造部分が伸び縮みする事を前提に外装は温度調節と摩擦による静電気を出さないように樹脂などでコーティングしており、高速で空を飛んでも容易には劣化しないようになっている。


 金属粉も混ぜているので強度も問題無いだろう。


 問題は電源からの回路の設計だったが、エーゼルの仕事の一つであった回路の設計は早めに出来たのでもう存在する材料と工作するだけで飛行船の浮力の7割を賄う電気式の浮遊システムは完成を見た。


 事実上、建材の5割を超える部位がそのまま重量に関係なく浮くのだ。


 現実の飛行船などよりも余程に大きな重量を載せる事が出来る。


 ここに電源と新式のモーターを使えば、どうなるか?


 X状のスクリューと舵が生み出す空の移動手段の出来上がりだ。


(一番のセールスポイントは全力の馬車よりは遅いが、地形を無視して休みなく飛ぶ事ってのは十分だよなぁ……浮力に使う部分を階層制にする事で長時間連続して浮力を発生、滞空する事も出来るし)


 船体下部には着地用の装具も付けられており、常時僅かに浮きながら着地時の負荷も軽減する仕様なので平な場所ならば、何処にでも降りられるし、傾斜がある場所には20mまでならば、ロープの長さと専用の機器で降りる事も可能だ。


「こんなものが……本当に人工物、なのか?」


 さすがのウィシャスも驚きに口が塞がらないようだ。


 研究所の人間には今まで小型模型を作らせてやらせていたが、実験は最初に北部へ向かう前には成功。


 1か月半前にようやく骨格以外の全てのパーツが揃い。


 20日前に組み上がり、10日前までに事前に夜間飛行訓練を繰り返し、5日前にフル艤装+全ての荷物を積み込んでの飛行。


 そして、最後に必要な人材も揃った。


「ゾムニス、フォーエ、ウィシャス、ノイテ……お前らがこの船の操舵役だ」


「「「「(;´Д`)え?」」」」


「近頃、何でお前らに仕事の合間に船の操舵用の資料の暗記とか。実務や船体の基礎的な情報、その他運航に関するものを覚えさせてたと思う?」


 全員がきっと北部同盟で海戦を想定していたからだと思っていただろうが、実際には違う。


「研究者連中から取った記録情報と操舵の詳しいやり方や空の状況を見極める気象学の知識……全部、この時の為にお前らに覚えさせたし、試験もしたわけだ。アテオラが捕捉はしてくれる。北部到着まで気長に頑張ってくれ。具体的には操縦室に詰めてこれからの運用に付いてお前らが新しい知識や情報を造れ」


「「「「………」」」」


 どうやら言葉も無いらしい。


「乗船開始!! 貨物倉庫扉降ろせ!!」


 機影の背後で待っていたエンジニア達が次々に出て来て、こちらに頭を下げると灰色のつなぎに手袋姿で船底にある金属版の一部のグリップを引く。


 すると、下部後方。


 船底後ろの倉庫がゆっくりと鎖をジャラ付かせながら開いた。


 数本の鎖で造られる開閉機構が開いて床に緩やかに設置すると男達が一列でその横に並び、頭を下げる。


「……皆さん。本当にありがとうございました。これからもよろしくお願い致します……」


 深く頭を下げた後。


 替えの効かない技術者達の全員の手と握手しつつ、その手袋に口付けしていく。


『?!!』


 驚いた者達に人差し指を立ててお静かにのポーズを取った後、一番に入り込むと背後から何かまた騒めきながらも次々に唖然と驚愕に塗れた仕事仲間達が入って来るのだった。


「うわ……こんなの初めて見たぞ」


「ええ、もはや驚かなくなった自分が驚くという事実に驚くばかりなのですが」


「コレ、スゴイですね!! 姫殿下!!」


「まさか、コレが飛ぶ? こんな巨大なものが?」


 3人のメイド達の横ではアテオラが笑顔一杯でスゴイスゴイを連呼中。


「ああ、あの設計はこの部分の……」


 エーゼルが自分の仕事が結実した姿を見て、何だか感慨深げになっていた。


「それにしても、こんなものが空を飛ぶ時代ですか……いやはや、例の国も持っているそうですが、我が国も相当ですねぇ……いや、姫殿下が、かもしれませんが」


 グラナンがもはや驚きを通り越して呆れた様子になっている。


「本当は不動将閣下もお呼びするつもりでしたが、質問攻めとお仕事で死ぬ程忙しいそうなので資料だけ送っておきました」


「あははは、いやいや……きっと閣下が血の涙を流して初飛行を見られないのを悔しがりますねぇ。案外、閣下はこういう男の浪漫がお好きですから」


 グラナンが大笑いする横でウィシャスが倉庫内の積み荷の一部。


 武装が入っているものを確認して、これからの状況がどうなるのか理解した様子になっていた。


「これは……」


「大口径の重火器だ。ついでに重過ぎない現地生産出来ない分の薬品類の調合前の現物や弾丸の素材も載せてる。この状態じゃ爆発しないが、可燃物だから気を使って倉庫内では動いてくれ」


「解りました」


 ウィシャスが更に複数の詰められた装備を覗き始めた。


「フォーエ」


「う、うん……」


「ゼンドは貨物室に載せられる。竜騎兵を数機運用前提で広く作ったからな。ゼンド用の食事は入ってるが、基本的に固形食で排泄する場所は指定だ。出来るな?」


「もしかして、今までの訓練て?」


「ああ、これの為だ。一応、他の竜で試してみたが、暴れはしないが自分で飛べないのがお気に召さないから不機嫌になるらしい。基本は数日で地表に降りるのが日常になる。勿論、その際には低空でお前らが先に着陸場所周辺の哨戒活動も行って貰う。もしもの時のマニュアルは簡単なのがある。これを……」


 10頁程の資料を手渡す。


「これからはお前に全員の安全が掛かってる。普段通り出来る事をしろ」


「必ず!!」


「ああ、それでいい」


 貨物室から前部の操縦室に向かうとゾムニスが簡単な操作方法と機材を眺めて、備え付けのマニュアルをパラパラ捲っていた。


「どうだ? 分かるか?」


「ああ、問題無い。だが、これほどの船な上に空まで飛ぶのに機材が妙に少ないような気がするな」


「理由は単純だ。複雑だと間違える頻度が高くなる」


「ああ、そういう……」


「船の異常がすぐに解るように組んだ回路の信号がこの操縦室内で見えるようになってる」


 金属製の操舵室内のパネルには役20か所程の場所の名前が付けられたランプが付いており、断線や電力が送られて来ない場所が出ると明かりが消える仕様だ。


「つまり、浮力の為に雷を流してる場所が断線したら解る仕様だ」


「浮力が低下した場合は高度を下げて着陸に備えるわけかい?」


「そういう事になる。応急修理が簡単なように工具類も揃えてあるし、エーゼルは工学知識も豊富だし、先日の試験でも直し方は合格した。飛行中に直せない場合は不時着して直す。手の届かない高さのところも空を浮遊しながら整備する事が出来る機材を積んである。飛行船の外側の大半は修理可能だ」


「何と言ったらいいか。バルバロスの遺骸を使っているとはいえ、人が自らの技術で空を飛ぶ、か……もはや、ウチの姫殿下には出来ない事は無いんじゃないかとさえ思えて来る」


「生憎と万能じゃないんでな。これからも頼むぞ?」


「了解した」


 頷いたゾムニスがマニュアルをまた読み始めたので最初の初飛行はそちらに任せるとして、戻って来ると途中の船室部分で誰も彼も部屋を確認していた。


「飛行中は換気が出来ないが、フィルターって言うので空気の正常化をやってる。電気で回るモーターってのが回ってる限りは送風器と空調ダクトで各部屋の空気の入れ替えもしてる」


 誰も彼も話を聞いていない。


「高高度は空気が薄くなるのを防ぐ為、気密性を高める仕様だ。窓は嵌め殺しで私室は中が外から覗けないぶ厚い鏡面硝子と樹脂を交互に重ねた4重構造で結露にも強い」


 幾ら最先端ですと言っても、やはり誰も話を聞いておらず。


 あちこちの部屋を誰が使うかで話合いの最中だ。


「電源の充電は現在北部同盟各地に造らせてる水車式の充電設備で20時間あれば完了して7日飛べる」


 船室は1部屋2人で使う仕様だ。


 ノイテとデュガ。


 アテオラとイメリ。


 ウィシャスとフォーエ。


 六人は各自部屋を決めたようだ。


 だが、既に名前が書かれている者もいる。


 ゾムニスは副長役で1人部屋。


 エーゼルもまた機関師として1人部屋。


 自分も一応は1人部屋である。


 一応、緊急時の寝台が通路や隔壁、部屋に仕込んであり、医務室や貨物倉庫も含めてギリギリ90人乗れるようになっている。


「この飛行船の速度は最大で時速40kmで1日で凡そ1000km近くを飛ぶ。これは帝都から帝国の再果てまで2から3日という事だ」


 もはや誰も聞いていないが、それでも一応教えて置く。


「事実上、3日あれば、北部同盟北端まで到達可能だ。これは現在、竜でも不可能な速度だ。竜は休まなきゃならないからな。竜を乗り継ぐなら、話は別だが……」


 布団がフカフカだの、備え付けの防寒着がモフモフだの、お手洗い内部で水で流すトイレの内部には芳香剤が使われているだの、食事時の流した水はどうしてるんだの、色々と喧しい。


「ちなみにこの飛行船の水は貴重品だ。使った生活排水、お手洗いの排泄物の行先は基本グアグリス……例のクラゲ型のバルバロスのご飯になって濾過後に艦内の蒸気圧の為の水になる。それらは船体バランスを取るバラストや蒸気圧による高速での回頭、転舵時の蒸気圧の噴射に使用され―――」


 食堂は存在しないが、台所は存在しており、内部のコンパクトキッチン的な場所に驚きの声が上がっている。


「今言った蒸気圧を用いる為の炉と蒸気管が艦内を電線みたいに巡ってる。これは高高度飛行中の船体温度意地、人間の暖を取る為に使われる。使用中は船内では火を使わずに温かい食事が食える。それ以外は固形糧食か備え付けの小規模超軽量の鉄釜で何かちょっと作るくらいだ」


 まったく、誰一人聞いていない。


「炉の火はコークス、石炭を蒸し焼きにしたものを使う。炉の燃料で大量に積まれてるが、無駄遣いは出来ないし、船室と操舵室を一定温度にして過剰な低温から船体を護る為の―――」


 どうやら文明人も興奮の前には蛮族並みに人の話を聞かないらしい。


「ちなみに限界高度は空気がこの船体から抜け切るまでだ。高電圧の浮遊状態が続く限りは上昇し続けられる仕様だ。もしもとなれば、死ぬほど寒い高高度に逃れる事も出来るから安全性の面でも―――」


「あのぅ。皆さん聞いてませんよぅ?」


「はぁぁ……後は任せても?」


「え? ええ、取り纏めておきます」


「二時間後に出発です」


 グラナンに後を任せて、外に出れば、研究所の職員達が次々に来訪して、自分達の研究成果がようやく実働する様子を見ようと集まって来ていた。


「皆さん」


「姫殿下!! これがようやく旅立つのですね!!」


「ああ、長かった。こんなものが本当に目の前に……」


 感動している男達やらそれを見る女医やカニカシュやらが実物を初めて見たようで呆然としている。


「これが皆さんの成果です。誇って下さい。皆さんこそが帝国最高の研究者にして技術者です」


 歓声が上がる。


「この機体は未だ改良の余地や技術の発展によって更なる高みを目指せる未完成品ですが、皆さんならば、この先に続く事もきっと出来るでしょう」


 事実を伝えて置く。


「弛まぬ努力と叡智を求める好奇心、自らと共に歩む者達への感謝と労りと理解、そして互いを磨く闘争心……全てが皆さんを高みへと導く導なのです」


 人混みに分け入ってカニカシュの前に出る。


「最大の懸案であった成果をこの短期間で加工し、モノに出来たのは貴方達のおかげです。お父様と御爺様にも感謝を」


「お、畏れ多いです!?」


「この手が出来る事は決して小さいだけではない。それを誰かと共に積み上げれば、あのように大きなものにさえなる。それを忘れずにいて下さい」


「は、はい!! 姫殿下!!?」


 カニカシュに頷いて研究者達に先程の説明をもう一度しつつ、自分の担当部分以外にも興味を持って貰いつつ、その場で改造案や代替案や改良案が煮詰まるようにと話合いをしている間に時間は来た。


「こっちは纏まったぞ」


 ゾムニスが少し疲れた様子のグラナンを伴って出て来た。


「グラナン卿。今後、こういうものを主軸にした戦いが大きく進展します。これらを戦術や戦略に組み込む事は人の穢さを知り、自らもまた汚れ役を買って出た貴方にこそ相応しい。どうか、子供達の命の為によろしくお願い致します」


「お、お顔をお上げになって下さい!? そんなの言われなくてもやりますとも!? ええ、勿論のように!! 最低限の形は出来ましたし、今後は研究所の方の技術も取り入れながらやる事は間違いないですよぉ!!」


「では、行って参ります」


 ゾムニスを伴って降りた扉の前で敬礼すると誰もがすぐに返した。


「誘導をお願いします」


「了解です!!」


 エンジニア達が倉庫を左右に開けながら電源を用いた電球を連ねるライトで誘導を始める。


 誘導用のマニュアルも北部各地の補給地点には送っておいたが、あちらの練度は解らないし、どれくれらいの時間が掛かるかも未知数だ。


 それを思いながら扉が閉まったの確認して、ゾムニスと共に操舵室へ。


 電源を入れて、機体外部に樹脂でカバーされた電灯をオンにしてやり取りを行う。


 明かりの内容はモールス信号だ。


 これも操舵師には覚えさせたので北部でもちゃんとやれていれば、問題無いはずである。


「電源を入れるぞ」


 メインの回路に電流が流され始めると同時にフワリと機体が浮き上がったのが解った。


 鎖で台車に固定化していた部分が浮き上がったのを確認した男達が台車を馬に引かせて、倉庫上の鎖を解除、外に機体を移動。


 外に出て十分な領域を確保出来る場所で伸びた1m程の鎖を外装から外す。


 すると、ゆっくりと上昇して船体が一定高度に達した。


「発進高度に到達。高度計だったか? この見方はこんな感じでいいのか?」


「ああ、m単位だ。山体とか崖には気を付けてくれ」


「ぶっつけでやらせる君の言う事か?」


「最高機密ってのはそういうもんだ。それにそんなに高度な事はさせてない。距離見て、高度見て、この仕掛けのボタンをポチポチ圧して、操舵輪回すだけだ」


「確かに海上の船と取り回しはあまり変わらないんだろうが、高さに関しては本当にこれが初めて扱うんだがな……」


「その為の資料なわけだ」


 総舵輪の横には紐で括り付けたマニュアルがぶら下がっている。


「了解だ。この信号で外と話しをするというのも押す回数と間隔だけでいいのは助かるな……」


「じゃ、地上に送ってくれ。『次の成果に期待する』だ』」


「了解………………あちら側から『旅の無事を祈る』との返答だ」


「行くぞ。発進だ。高度200mまで上昇後、モーターへの電力供給を三単位」


「こうか?」


 回路を切り替える為のボタンの操作は出来る限り簡略化出来るようにしてある。


 ボタンを三度押せば、三度目のボタンで点灯したランプでどれくらいの電気が回されているのか色で確認出来る。


 それと同時にゆっくりと飛行船が背後のモーター駆動による風圧で動き出した。


 何も無い深夜の帝都には今日に限っては空を飛ぶ巨大な影だけは無視しておくようにと帝都守護職から現場に言い渡していたので、誰もが唖然としながら、北部に向かう船体を見やる事だろう。


 だが、幾ら帝都が巨大でも飛行船の高度と速度が上がり切れば、すぐに背後にも見えなくなる。


「北部で少し暴れて来よう。恐らく投入される子供兵連中も出来る限り、生かして回収しないとだしな」


「……そういう君だから、まだまだ裏切れそうにないな」


「死ぬまで裏切らなくていいように努力しよう」


 こうして船体は雲の下で高度を上げ続け、山々を見下ろしながら初航海へと至ったのである。


 *


『は~~こりゃ、けったいなもん見てもうたなぁ~~?』


『そうだね。おねーちゃん。でも、この時代にあんなものを造るなんて、本当に帝国ってヤバイよね』


『せやな。まさか、空飛ぶのりもんを作ってまうなんてな』


『で、どうする? 元々の任務は違うけど、引き返して通信可能領域まで戻る?』


『いや、取り敢えず。例の小竜姫殿下とやらを確認してからやな』


『見切り発車で来ちゃったけど、良かったの? 絶対、教授が呆れてるよ』


『はは、呆れる言うのはなぁ。この三年で各種の工業製品造れるライン作ってドローンやヒコーキ造るような変態に使う言葉や』


『とういか。殆どロボが創ってるもんね』


『つーか。作業用ロボに作業用ロボ造らせて保守点検までさせるのがアカン。しかも、電力だけはウチの施設から無尽蔵に引けるって話やし、資源もあの里からの供給で今のところ問題無い。ついでに工業廃水をガン無視出来るくらいのフィルター造りましたとか』


『まぁ、解るよ。あの教授がデータベースで知財無視で何でも作れば、そりゃそうなるだろうけど……』


『ま、今はとにかくゆっくり探そうやないか。接触出来るかどうかはウチら次第。出来ずとも遠目から確認するくらいはな……』


『ファンタジーなんだかSFなんだか……』


『ま、アバンステアが引き上げてったのもその姫さんのせいらしいし。どうなる事やら……』


『……無理してない? おねーちゃん』


『ウチ、これでも夢も希望もない大学生やねん』


『今は?』


『ま、ガセなら帝国の七割くらい滅ぼしてもいい気分やな』


 2人の人影が夜中の道の奥に溶けていく。


 誰もそれに気付かない。


 殆ど至近にいたはずの警邏の者達でさえも……。


 声の主達はひっそりと帝都の闇に紛れて消えたのだった。

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