第39話「陰謀屋と戦争屋」
「アルローゼン姫殿下!! 新しい侍女を御雇になったんですの?!」
「ええ、南部の出の子を1人」
「姫殿下に拾われるなんて、幸運な子ですわね!!」
「いえ、優秀な方は社会に出れば、何処でも必要とされますよ」
近頃、英雄譚的な噂が独り歩きして、更に現実的な噂で上書きされたからか。
同じ講義を受ける首都勤めの上級貴族の子女達からはよく話し掛けられるようになっていた。
「ずっと、お休みしている間、し、心配だったんです!! わ、渡しそびれてしまったお見舞いとお祝い……い、一緒に受け取って頂けませんでしょうか!?」
「あ、ずるいですわ!? わ、わたくしも!? ちゃんと持って来ております!!」
ガヤガヤとお見舞いとお祝いを渡そうとする行列が出来てしまい。
後で館に届けて欲しいと頼もうとした時だった。
「皆さん。フィティシラ姫殿下も困っているよ。自分の手で渡そうという気持ちも分かるけれど、か細い腕に倒れてしまいそうなくらい持たせるのは頂けないな。後で使用人達に届けるように言って、お祝いと見舞いの言葉だけにしておくのはどうだろう?」
「あ、クレオル様!!」
振り向けば、いつも花壇の手入れをしている顔とは違う学生服姿が1人。
「ユイヌ様。今日はこの講義に?」
「いや、僕も君に何かお祝いをと思ってね」
「先日、お祝いはして頂いたのですが……パーティーも開かれましたよね?」
「はは、あんなのパーティーの内に入らないさ。本当なら屋敷一つ貸し切ってやろうって話もあったけれど、僕が止めたんだよ?」
やってきたのはユイヌだった。
学院の制服は夏服もあるので本日は生地も薄く他の少女達と同じく涼やかだ。
スカートも長けはあるものの重いものではなく。
膝丈までで、後は素足を出さないようにとシルク製の靴下というよりは巻き付けるバンテージ染みたものを使っている。
足で出ているのはサンダルになった指先だけだ。
「何か新しい侍女の話で盛り上がっていたようだけれど、新しい子を?」
「ええ、アテオラに今は付けています」
「あの子が来た時もアルローゼン家の北部からの食客という話で驚いたけれど、一部の講師の方々が褒めていたよ」
「そうなのですか?」
「地質学や歴史、天候に詳しいというのは北部の軍人の家系では本当に重宝されているだろうと」
「そうですか……」
ホントは測量士兼陰謀屋兼国の重要な超知識階層の狂人染みた賢人の家とか。
さすがにそういう話は無くてもアテオラの能力は理解されているようだ。
「現在は北部諸国との交易や様々な計画に協力して頂いているので、わたくしよりも余程に働き者ですよ」
「ははは、上手い冗談過ぎて笑えないよ。たった三ヶ月で事実上、北部諸国を統一して帝国との友好条約、軍事条約を締結したのは何処の誰だい?」
「そのお話はまだ一般には出回っていないと思っていましたが?」
「ああ、祖父に聞いたんだ。帝国議会での議決は今日もう可決したって、来る前に馬車で乗り合わせたら苦笑していなさったよ」
「そうですか。上手く行っているようで何よりです」
こうしてユイヌと話していると周囲では何やら入って来れない空気を感じた子女達がヒソヒソと会話していた。
『む、難しいお話をしていらっしゃいますわ!! さ、さすが【華】同士!!』
『いえ、まだ姫殿下は華の称号は……ですが、今年の祝祭にはきっと学院が発表するでしょうとも!! ええ!! 間違いありませんわ!!?』
『皆さん。失礼ですよ。今でもあの方達はわたくし達の心の【華】でしてよ?』
『そ、そうですわね。ええ、ええ、間違いありません!!』
どうやら学院の品行方正な人間に送られる称号は年末の祝祭に合わせて学院から個人に贈られるものらしい。
「ちょっと騒がしくなっちゃったね。君は次も此処かい?」
「いえ、今日はもう館の方へ向かう予定で」
「そうか。後で行っていいかな?」
「ええ、お茶は用意しておきます」
「うん」
こうしてその場で貰った幾つかの贈り物は外で待たせていたデュガに1人で持って貰い。
そのまま館へと歩き出す。
「う~~重くないけど、嵩張るぞ!? 何入ってるんだコレ?」
廊下でえっちらおっちらしているデュガが歩き難そうに山盛りの箱を積んだ状態で愚痴る。
「小物だ。あのお嬢様達に鞄以上に重いものは持たせないだろ」
「こんなに使い切れるのか?」
「使う時が来なくてもちゃんと保存はしておく。中身も確認してな」
「ぅ~~毎日働く侍女にも何かくれーって感じだな」
「毎日、仕事を与えているオレは良い雇い主じゃないか?」
「おお、確かに仕事が無いと喰いっぱぐれるって、家族は言ってたから、それは大事だな!! ………あれ?」
「ちゃんと、今日はお前の好きなザクザクな小さいパイを作るよう厨房に注文付けて来たから、夕食が終わったら期待していい」
「が、頑張るぞ~~!!?」
極めて扱い易くて助かるメイドを連れて館に戻る。
すると、もうアテオラは返って来て、仕事に取り掛かっているらしく。
御仕事を始めた軍人少女はジト目で言われた通りに床を新商品のワックスを付けてモップで磨いていた。
勿論、研究所で研究させている資金集めの生活用品の一つだ。
「侍女の仕事はどうだ?」
イメリがこちらを見て、視線を逸らし、真面目にモップを掛け始めた。
「軍務に比べれば、こんな事はどうという事もないです」
「そうか。ちゃんと給金も出るから頑張ってくれ」
「……幾つか聞かせなさい」
「何だ?」
デュガはえっちらおっちら館の奥の贈り物を所定の部屋へと持って行く。
「祖国にいつ行くつもりですか?」
「来年の春を予定してる」
「どうやって皇国を落とすつもりですか?」
「今日の夜には説明してやろう。部屋に来い」
「……どうして、貴女のような人間があんなに健気な子に好かれているのか分かりません」
「何?」
「アテオラ……彼女のように祖国の事を大切に想っている子がどうして貴女を良い人だ等と言うのか。何か彼女を支配するような事を……」
ジロリと睨まれた。
「まったく冤罪過ぎるだろうに。単純に北部の件でちゃんと信頼を勝ち得たというだけなんだがな」
「ッ、軍務前に聞かされました。貴女のような人間は絶対に上に立つべきではないです!?」
「何聞かされたんだよ……」
かなり、偏った事を言われている気がする。
「何って!? 貴女は北部諸国で多くの貧しい山岳国家の人間を奴隷にしようと国毎買い付け!! 豊かな国を脅して戦争に介入させ!! その上、皇国の人間を恐ろしい地獄のような戦場で虐げ!! 皇国の船に乗った英雄の方々を!!? 全員殺したのでしょう!?」
今までの善行だの作戦だの戦術だのが脳裏を通過する。
山岳国家はあくまで長期的な金策目的で買い付けたり、合理的に食えるようにしただけだし、アルジーナは自分から釣られた魚だったし、皇国軍は地獄染みた臭いで相手を降伏させる極めて人権に配慮した戦術だったし、海戦で死んだのは殆ど自分達の内紛で同士討ちした連中なのだ。
何か尾ひれが付いたような付いていないような気もする。
「はぁぁ……あのなぁ?」
「な、何ですか!? 残念な人を見るような目で!? 失礼ですよ!?」
「そうなのか。お前、そういう鵜呑み系人間だったのか。どうしたもんかな……ええと、ノイテは今仕事か。アテオラも仕事。デュガは……無理か」
一々、長話をして納得させてやる前に贈り物への対応だの書類仕事があるので、夜に回そうかと思った時だった。
『お、お頼み申します!!』
「?」
館の扉が叩かれたので自分で出てみる。
「は?」
「くく、中々に良い驚き様だ」
「………これは頭が痛くなった顔ですよ。ライナズ閣下」
「フン。それでこそお忍びで来た甲斐があるというもの」
「とにかく入って下さい。それとメイヤ姫殿下まで……お忍びですか?」
「は、はい。申し訳ありません。一応、帝国議会から直に寄らせて頂いたので女性騎士の方々にはライナズ閣下も通して頂けたのですが……」
ライナズとメイヤ。
今は身形の良さそうな旅装姿で外套姿だった。
並んでいると絵になるが、2人の間にある王や指導者としての格差のようなものは如何せんどうにもならないだろう。
片やライオン。
片や小動物である。
其々が北部諸国を代表する国の代表者。
それがいきなり現れたら、さすがにこちらも驚かざるを得ない。
「つまり、友好条約の証書を交換しに来た帰りですか?」
「ああ、当人達全員で押し掛ける事も出来ない以上、最も新参の我が来る事になったという事だ」
「入って下さい。応接室で対応致します」
「では、遠慮なく」
一応、まだ空いている応接室に2人を通してイメリにお茶と言って台所へと向かわせる事にした。
「ほう? これが音に聞く館持つ乙女の学び舎か」
「国外でそんなに言われる程、此処は有名なのですか?」
対面のソファーに座るとカバンを降ろした男が肩を竦める。
「主にそちら自身のせいだと思うが?」
「どういう事ですか?」
「あ、そ、それは……先日、北部諸国で移動の際に泊まった宿屋で姫殿下の事を話さぬ吟遊詩人がいなかったもので」
「なるほど。ですが、帝国内の事をよく北部の吟遊詩人達が謡えましたね」
「い、いえ、話しを膨らませた物語が多かったかと」
「つまり、創作され放題?」
「はい。あまり、公言は憚られるような物語が多く……」
メイヤが本人を前にしては少し言い難そうに呟く。
「それくらいは有名税というものでしょう」
「ほう? 有名だと帝国では税が掛かるか」
「ええ、主に勝手に戯曲の主人公にされて勝手な姿を想像されるのは何処の国でも多少はある事でしょう」
「はははは♪ 学院ではおなごを千切っては褥に投げ入れ。北部では竜をその腕力で口を裂いて、毒の息で殺し尽し、遂には見えざる師団で南部皇国の大艦隊を打倒した!! まぁ、本当にまったく最初の以外は嘘偽りが何処にあるのやら」
「で、殿下。さすがに下品ですよ……」
メイヤが女性として一応、窘めてくれる。
「そう言うな。これを戯曲だと思っている連中こそ哀れではないか。本物がどれだけのものか。知らぬという事は実は幸せな事なのかもしれん」
「それは……まぁ、そうでしょうが……」
メイヤのライナズへの援護射撃が地味に痛い。
「言われるような怪物のような事をした覚えはありません。誰にでも出来る事ですよ。わたくしくらいに努力する普通の多少の才に恵まれた小娘ならば」
「くく、諸国の王達。いや、これからは議員か? 奴らが聞いたら嘆くだろうな。あの大化物を口の中から倒して見せた女の言う事とは思えんと!!」
ライナズがクツクツと機嫌良さそうに嗤う。
「それで北部諸国はどうですか?」
「毎日のように文を送って送り返させる女の言う事か?」
「人の口が一番確実です」
2人がその言葉で現状を幾つか教えてくれた。
「なるほど。こちらが用意した基金でまずは諸国の飢餓の緩和。それから人出があるところには生活用の大規模建築で景気は良いと」
「ああ、技術者の支援でまずはアルジーナの治水を始めた。出稼ぎに来た山岳国家の連中もこれで今年の冬は大丈夫だろう。働いた分の日銭も随分と好評だ」
「アルジーナには今年の冬を越す分と来年度の飢餓に備えた国富以外は放出して頂いていますから、聊か負担が重いとは思っています。大丈夫ですか?」
「はい。父王は国倉の半分くらい事業が軌道に乗るまで出すのは構わないと」
「ですか。ならば、今後ともよろしくと。聞いた話、各国の状況と状態の整理も進んでいるようですね」
「ああ、各地で国を蝕んでいた悪漢共が次々に国を離れて宿無しになっているようだぞ? 一番最初に頭を叩かれて、もうまともに組織的な抵抗が出来ない状態で国の膿として整理されてはな。殆どは仕事に従事中だとも」
「驚きました。罪人にも仕事を与えるというのは……しかも、労役ではない事の方が多いのも……」
メイヤの言葉に肩を竦める。
「ちゃんと釘は差しましたから。これから真っ当に働いて食べていくのと犯罪を犯す度に命の危険に晒されるのはどちらがいいかと」
「はは、確かに効いているようだ。連中の間では子供に言い聞かせるように大公姫殿下が来るぞと言った方が怠けぬとな」
「で、殿下。さすがにそれは……」
メイヤが少し視線を逸らしつつ、弱々しく呟く。
「それで真面目に働く方が多くなるなら、何とでも……それにしてもお二人ともすぐに国へ戻らねばならないでしょう。幾ら竜での移動経路とはいえ、天候での危険もある以上はあまり悠長にしていられないのでは?」
「危険というのは襲われた者の言う事ではないだろう」
「ああ、だからですか」
ライナズの言葉で合点がいく。
メイヤもコクリと頷いた。
「議会の方で大公閣下ともお会いして来たのですが、どうやら南部皇国の手の者だとか?」
「ええ、どうやら皇国が超人を用いているというのは本当のようです。それと」
ゴトリと先日の襲撃者達が持っていた火縄銃やマスケット染みたソレをテーブルの下から引き出して上に置く。
「ッ、これはあの時の兵器にも似て……そうか。よく撃ち抜かれなかったな」
「どうやら命中精度は左程無いようです。壊す暇が無かったようで完品が手に入ったのも大きい。あちらは随分と進んだ技術を持っているようで」
「く、くくく、さぞかし次に来る艦隊は驚くだろうなぁ。自分達のご自慢の船や兵器がどれほどに時代遅れなのか知って……」
「さて、どうでしょうか……」
メイヤは目の前の銃をマジマジと見てから、こちらを見て、何やら想像した後、何も考えていないと自分に言い聞かせるように虚無った瞳になる。
「北部から短時間で情報が漏れたとなると。空飛ぶバルバロスを用いた偵察者でもいたのかもしれんな」
「ええ、それが一番妥当な線でしょう。単純な人の移動距離では不可能ですし、こういう情報を伝書鳩でやり取りするのは聊か。帝国領を通り過ぎるか迂回する点でかなり問題もあります」
「となれば、急がねばならんか」
「はい。帝国陸軍から試験部隊の設立は取り付けました。現在、編成中です。そちらは?」
「ああ、こちらも受け入れ準備と騎士階級の子息やバルバロスと触れ合う少年隊は集めてある」
「彼らが出るのは最後の最後ですが、現行の北部諸国の大人で大隊を組める程に人数がいない以上は次の皇国の上陸作戦では厳しい戦いを強いられる事になるでしょう」
「それまでに例の計画と造船は必須か」
「海軍工廠造成計画は全ての国でビダル様が滞りなく。となれば、後は中身ですが、そちらは?」
メイヤに確認を取る。
「は、はい。父王からは金属資材の加工施設と共に研究機関の設立はもう既に……ただ、人材はやはり既存の方だけでは足りないと学のある貴族や商家の子らを取り立て、学んで頂いております」
「基本的には最低限の知力と努力型。後は人格です」
「はい。それもそちらから送られて来た情報を元に……ですが、そのせいで現地で幾らか有名な学者の方々が憤慨しておりまして」
「人格に難ありの人間が幾ら優れていても必要ありません。少なからず、裏切る可能性や情報流出の可能性は減らしておきたいですから」
肩を竦める。
「技術の高さよりも先行の有無が重要という事か」
「ええ、幾ら優れた技術を持っていても、先行出来ない技術では優位が取れない」
「それもそちらの技術提供次第か」
「そういう事です。北部に大量の戦力を送り込めない以上、上陸を阻止して船や輸送されるバルバロスを海の藻屑にしてしまえば、後の揚陸戦力がやって来ても既存の計画の修正だけで対応は可能。問題は多くない」
「でなければ、地上戦力を集めても現状の北部諸国では維持も高が知れていると?」
ライナズに頷いておく。
「バルバロスを集めているという事はそれなりの戦力を輸送してくるという事。これを海で迎撃出来なければ、兵器の質で勝っていても犠牲は多くなるでしょう」
「つまり、海軍の質で勝たなければ、相手を撃退出来ないわけか」
「犠牲を払っていいなら、押し込めておく事は可能でしょう。ですが、押し込めておくだけで犠牲が出続けては意味が無い」
「理解した。つまり、我々の出番は正しく竜騎士の育成とその兵装の確保の一点に絞られ、それ以外は内政で国土を豊にしておけという事だな」
「ええ、そういう事です」
「何ともつまらん話だ」
「戦争が主食なのは構いませんが、人の命と敵国人の戦力。天秤に掛けるなら、前者でしょう。無論、要点を抑えて戦えば、勝てなくても負けません」
「勝てずに対峙し続けても困るのでは?」
「それはあちらとて同じです。そもそも負けた国を立て直しもせずに酷使し続ければ、どうなるか……お解りでしょう?」
「まぁ、ロクなことにはならないか」
ライナズが今まで己の愚かな北部諸国で滅んで来た国家を思い浮かべたかのように目を細めた。
「冬までには恐らく来るでしょうから、秋の終わりまでには伺います」
「冬よりも秋が北部では寒いというのも実際のところだが、天候次第ではかなり拘束されるぞ?」
「ご心配なく。近頃はバルバロスの研究も進みました。しばらくしたら、天候にあまり左右されずに航続距離も伸びるでしょう」
「また、北部に悪夢が降るのも遠い先の話では無さそうだ」
「ええ、次の本命の艦隊が来るまでには色々と準備も終わっているでしょう。南部皇国周辺に遠出させている密偵からの情報も、もうすぐ到着します」
「艦隊は最短で4か月という話しだったが……」
「恐らくですが、最短で8か月に伸びると思います」
「どういう事だ?」
「今回、襲われたので。恐らく、襲って来た賊を監視して、相手に情報を届ける者がいるはずです」
「南部皇国が畏れて準備に時間を掛けると?」
「ええ、その上で北部へ仕掛けて来るまでにまた帝国領内でこちらの暗殺に動くでしょう」
「それを知っていて、その態度とは恐れ入る」
「いえいえ、重要な情報源ですから、自殺しない限りはちゃんとおもてなしするつもりです」
「それはそれは我が身の事ならば遠慮したい話だな」
「閣下も遠慮なく参加したい時は仰って下さい」
「予想が外れる事を祈っておこう。そうすれば、無用に自らの愚かさで泣く人間も減るだろう」
「はは、ご自分が最前線に出たいだけでは?」
「さて、どうかな」
「くく」
「ふふ」
こうして互いに笑い合って、何だか置き去りにされたメイヤが空虚な目でこの戦争狂共めという陰謀論者を見るような顔で黙って溜息を零したのだった。
*
2人の驚きの人物達が数十分程で帰って行った日の夜。
イメリには北部諸国での南部皇国軍の武装解除の進捗と犠牲者の数。
捕虜として現地で農作業に従事させている状況を聞かせる事になっていた。
私室でこちらの話を聞いていたイメリは次々に話される現状に懐疑的ではあったものの、具体的な情報を教えられて少しは安心したようだ。
「つ、つまり……犠牲者の大半は船舶で自分達の部下を切り捨てた時の内乱や見せ掛けの傭兵を殺そうとした時のものだけだと?」
「ああ、そうだ。傭兵を部隊の隊長格に据えるのは構わないが、船を使わせるにはちょっと規律と知能が足りなかったな。それと上からの命令も極めて間抜け過ぎる」
「ま、間抜け……」
「人に出来ない仕事を押し付けるのは上司として失格だ」
「それは……」
「ついでに正規兵とはいえ、海兵を育成したわけでもなく。単純に知識を与えて船に載せるのは部隊編成とは言わない」
「ぅ……」
「お前みたいな子供を使ってる時点で皇国は沈む寸前の泥船だ」
「………」
「まぁ、捕虜連中は今、周辺国で身体を洗いながら毎日農作業中だ。冬に食べる自分達の食い扶持を稼いで貰ってる」
「越冬させるつもりですか?」
「ああ、その為の隊舎も支援しつつ立てさせてる。後は暇な時に現地の公共工事もさせてるな。ちゃんと1日8時間労働朝食昼食夕食付きだ」
「捕虜としての扱いとしては破格、ですね」
「正規兵連中に関しては地理に詳しくさせないように気を使ってるが、まともで健康的な捕虜生活だと思うぞ」
イメリがそれを聞いて、何か落ち込んだ様子で俯く。
「何だ? 今の祖国に仕えるよりマシかもしれない。くらいには思ったか?」
「!!? そ、そんな事……」
ズボシだったらしく。
一瞬、驚いた様子になった後、自分のリアクションを隠すように俯く。
「この世の地獄みたいな南部皇国の現状は知ってる。だが、連中にはちゃんと自分達の現状は教えてるつもりだぞ」
「それはどういう……」
「お前らは捨て駒だったって事実をお教えして差し上げてるだけだ」
「な……そんなわけ!?」
「あのな? オレから見ても、南部皇国の北部侵攻は不合理の極みだ。先日まで傭兵だった連中を部隊の隊長格に据えたりして船を任せるとか愚行だろ」
「ぅ……」
「だが、それでも作戦があれば、圧倒出来ると思って連中をけしかけたはずだ」
「それは……」
「策が破れたら撤退を指揮する連中が必要だったが、そういう参謀連中もいなかったって事は詳細に練られた侵攻じゃない。恐らくはバルバロスを手に入れるって衝動的、感情的なヤツが作ったお粗末な計画……」
イメリがしょんぼりした様子になる。
「ついでに連中の話を聞くと傭兵が7割に正規兵が3割程みたいだが、正規兵の大半が元々は穏健派の構成員だったみたいだぞ」
「そ、それって……」
「面倒な政敵勢力の処理を他国に押し付けたって事だ。だが、生憎とオレは人死には最小限で傭兵はほぼ取り込んだ」
「ど、どうやって!?」
「北部で南部皇国と戦って自力で開墾するなら、無人地帯の土地への定住権を約束した。無論、軍役に付くならちゃんと福祉政策付きで金も出す」
「そんな……寝返ったの!?」
「傭兵がそんな簡単に正規兵になると思うか?」
「ッッ」
「ちなみに正規兵の皆様には穏健派として傭兵の監督と開墾作業や畑耕してくれるなら、穏健派連中の親玉を今後来る戦争時に本国で救出してもいいと言っておいた」
「な―――」
「今、正規兵の一部を抱き込んで説得工作させてる。南部皇国の皇帝には微塵も人望が無いようだし、案外この提案は好評らしい。皇国と敵対し、穏健派を復権したいなら、支援も惜しまないと言っておいたしな」
「そういう事、ですか」
「そうだ。お前が見た計画書はこういう下準備の上で書かれた代物だ」
イメリが拳を握っていた。
「皇国はこの事を?」
「まぁ、まだ内情までは分からないだろ。だが、恐らくはバイツネード辺りの工作員が幾つか情報を持ち帰って上と相談するだろうな」
「私の襲撃はそういう計画の一貫だったわけですか……」
「だが、襲撃は失敗した。相手を手強いと認識したバイツネードは次々に襲撃者を送って来るはずだ。頭を叩かなければ、戦争に勝利出来ないって考えるのは何処も一緒だからな」
「どうして、そう冷静に……死ぬかもしれないのに」
「ちなみにオレは常に自分がいなくても計画は遂行されるように人材を教育して計画書だけは綿密に幾つも立てるようにしてる」
「つまり、貴女が消えても意味がないと?」
「勿論、進捗には関係する。だが、殆どは名も知れない計画の従事者達が自分の仕事を全て真っ当にやれば、動いて行くようにしてる。オレ以外の指揮者だって幾らでも用意してる。オレという手札が消えても皇国の運命は何も変わらない」
「………皇国は貴女を見縊っていたようです」
「いや、南部皇国の指導者層が愚鈍なだけだろ」
言い返せなかった様子でイメリが俯いた。
「北部に大量の戦力を国境で張り付けてるって噂は知ってる。その上で海上戦力を整備するとか。確実に軍事的な負担は2倍じゃ済まないし、その疲弊は100年国を後退させるだろうしな。これで帝国に……いや、オレ個人にすら勝てるわけないだろ。普通に考えてみろ」
「………」
「来年には祖国の土を踏めるように計らうつもりだ。勿論、南部皇国は帝国の飛び地になるが、数年以内に返還するつもりでもある。条件付きでな」
「返還? まさか、北部皇国に?」
「具体的には北部皇国との統合時に軍事同盟と友好条約を結ばせて貰う」
「それが帝国にとって利になると?」
「ああ、それが最終目的だ。勿論、言えない事は色々あるが」
「……分かりました。貴女が本当に1人で皇国を乗っ取る姿が目に浮かぶようです……本当にこんな物語の中にしかいないような人間がいるなんて……」
イメリが立ち上がり、頭を下げて部屋を出て行こうとする。
「で、此処まで聞いてお前はどうするんだ?」
疲れた顔の少女は自分の所属していた組織の現状を聞いて参ってしまったらしい。
「それでもあの国が私の……」
「そうか。なら、その為に戦えばいい。オレがもしもその過程で必要無いと思うなら、刺すなりなんなりすればいいさ。出来るならだが……」
「軽く言うのですね」
「こんな事をしていて、命の心配は毎日してられないんだよ。死ぬ時は死ぬってのはウチのメイドの片方が良く言うが、それが事実だ。誰も死を避けられる程に器用じゃない」
「覚悟していると?」
「普通の人間だって、自分が今日明日死ぬとは思ってない。それは正常な反応だ。そして、それが現実とは異なった時、あっと言う間に人間は死ぬ」
「………そう、ですね」
「お前が祖国に絶望しても別にオレは構わない。人の死をとやかく言う暇もない。だが、お前がまだ自分の死に覚悟を持って戦うと言い張るなら、戦う場所だけは用意してやる。死に様までは保障しかねるが……」
「まるで私が死のうとしているように言うのですね」
「違うのか?」
「………私は誇り高い父に憧れ、母が言うのも構わず剣を振るって来ました。でも、その結果として死に場所と思っていたあの場所ではただの囮だった」
「そうだな。普通の話だ」
「普通?」
「人間は自分が死ぬとは思ってない。満足な死が来るとすら思ってる。何かをやってる途中で突然死、病死、まだ時間があると思ってる老人すらいる。だが、本当の事を知れば、よっぽどに心が強く無きゃ正気すら保てやしない」
「死んだ事があるような口ぶりですね」
「唐突な死が降り掛かっても、誰一人お前を慰める者はない。死の先は何も無い。だから、人其々で足掻くしかない」
「貴女はそうだと?」
「オレはもう死んだ人間だ。だから、開き直って全てやる。自分の幸せを考えてる暇なんぞない。やるべき事をやれる内にやる。その為に全てにおいて自分に限界を課してはいるか」
「限界……」
「自分の実力を出し切って死ねる人間は多くない。だが、自分の実力の全てを捧げても足りないものは足りないし、出来ない事は出来ない。だから、他人にも頼る。無論、お前にもな」
「私が軍事情報を話せば、全てが解決すると?」
「情報なんてのは何処からか簡単に出て来るもんだ。そんなのより人材の方が重要だ。お前は少なくともオレが見て来た中で一番、人材としては使えそうだな」
「……どう使う気ですか?」
「いいか? 凡人が抗う以上にこの世の中で一番厄介な事は無い。そして、天才に追い付けない凡人がこの世のほぼ全てだ。だから、その凡人代表をオレはやってる」
「バイツネードよりも恐ろしいと感じる貴女が凡人だと?」
「頭の出来は天才に劣る。秀才にはたぶんなれるが感性も何かを表現しても凡人並みだ。だから、努力と行動と準備だけで此処まで来たわけだ」
「俄かには信じられない話ですね……そんなの……」
「お前に開き直れとか。もっと肯定的になれなんて言っても意味はないだろ? だが、人生の先達として助言はしてやる」
「はははは……助言なんて……祖国は壊れ、親しい人間もいない私に……」
自嘲とも諦観とも怒りとも付かない表情でイメリがこちらを見やる。
「お前の考えてる現実とお前が見てる現実は往々にして違うものだ。その失望も怒りも諦観もお前はただ自分の思っていた通りではないから感じてるだけのものだ……でもな。お前が今まで感じて来た。大切にしたかったものは確かに存在するし、存在した。自暴自棄になる前に自分の中の思い出を見直してみろ」
「―――それが死ぬより苦しいとしてもですか!?」
僅かに瞳の端に涙を貯めた少女は叫ぶ。
「馬鹿だな……死ぬより苦しいからこそだろ。お前が大切にしたかった。護りたかったモノはそんな風に思えない程、軽い代物なのか?」
「そんなわけッ、無い……ッッ」
「泣くのもいい。喚くのもいい。八つ当たりしたって構わない。だが、生きている限り、何もしなければ、お前がそうしたかったように現実が変わる事はない。行動しろ。努力しろ。準備も忘れるな。それで大概はどうにかなる」
「そんなのッ……私は、無力で、剣すら握ってもきっと……」
「何の為にその頭が付いてるんだ? 考えろ。考えるだけの知識なら幾らでもオレがやろう。努力の仕方が分からないなら、効率的な努力の方法を教えよう。準備し、自分に出来る限りの事をしろ。オレが見た限り、お前にはソレが出来る」
「ッ―――」
「そうしてからなら幾らでも好きな場所で好きなように死んで構わない。だから、死にたいと願う程に変えたい事が変えられない現実と戦え……」
「………………………」
「以上だ。また、明日」
「………はい」
パタンと扉が閉まる。
そして、今まで気配を消していたのだろう私室横の扉を見やる。
「いつまで聞いてるつもりだ」
ギィィッと扉が開く。
着替えが沢山詰まった女の子の夢を詰め込みました的衣装ルームの中で小さなパイ生地に砂糖を練り込んだ菓子が大量に詰められた袋を持つ少女が1人。
ボリボリと菓子を齧りながら、こちらをジト目で見ていた。
「あーいう繊細なのに劇薬を渡してるご主人様はスゴイやばいぞー(棒)」
「ああ、そう。で?」
「ああいう激烈な事言われるとあーいうのは二択のどっちかだな」
「成程? 同意見だ」
「それを分かってて言うのか……うん。こういう賭けをする辺り、やっぱり、ふぃーは悪魔だな」
肩が竦められる。
「片方が選ばれる事が分かり切ってる事を賭けとは言わない。アイツはオレが傍にいた時ですら、剣を握らなかったろ?」
「どうして、それで言い切れるんだ? 意味が分からないぞ?」
「単純だ。自分の役目に納得して、命を……自分の努力の全てを諦めても、己の国の為に“戦わずに戦った”馬鹿みたいに立派過ぎる人間がどうして自分の国が亡びる危機を前にして、何もせずにいられる?」
「うわぁ……やっぱり、悪魔だぞ?」
「そんなに褒めなくていい。照れるじゃないか」
「う……これはもう決めてる感じだな」
「その通りだ。あいつにはこれから南部皇国担当として立派になって貰う事にしよう。その為にはまず必要な知識と学習教材が必須だ。南部の言語を使えるお前には是非とも……」
「な、何だ? その間はかなり怖いぞ!?」
「いや、どうして北部の言葉なんてお前が覚えてたんだろうかと思ってな」
「ん? ああ、ウチのお母様は帝国周辺の出身だったんだぞ。もう併合された国から嫁いだって言ってた」
「そういう事か。まぁ、とにかく夜だが働いてくれるよな? ウチの侍女は……」
「う、断れない圧力を感じるぞ?! おーぼーはんたーい!!」
「来週のパイは無し、と。厨房に伝えておかないとな」
「ひ、ひきょーだぞー!?」
「卑怯? それは政治家にとって誉め言葉だ。生憎と政治家じゃなくてオレは学生だがな」
「うぅぅ、ふぃーがいじめるぅ……いめじも可哀そうなヤツだな。こんなのに目を付けられるなんて……」
「いい加減覚えてやれよ。そっちの方がよっぽどに可哀そうだろ……」
溜息を吐きつつ、ウチの書庫にある蔵書番号を書いて、デュガに本を持って来させる事にしたのだった。
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