第341話「その主神、危険につき……」


 海洋系大邪神(大マジ)との世界を賭けた茶番から明けて一日。


 今日もまた朝から恐ろしい程に姦しい嫁達の濁流の如き言葉を一身に受けた後、ようやく一息吐いて風呂で目の下まで沈んでいた。


『うぅ、聞いているだけで恥ずかしかったでござるよ!? 某の時とはまったく違う口説き文句を連ねながら、ねちっこく……耳が悶死するところであった!? まさか、アレは某の聞き耳を塞がせる為の術?! それと何で始めてなのに全員の弱点を正確無比で的確に突いてくる上、あんなに激しいのに優しい手付きとか反則でござ―――』


 聞くに堪えない言葉に耳を塞いでイソイソと風呂に入ったのは正解だったに違いない。


 真面目に魔王の夜の防諜対策を考えさせられる。


 というか、その防諜対策の責任者と責任者の娘が揃ってアレなので困ったという感想しか出ない。


 風呂で昨日か今日か先程かも分からない汗を流しつつ、眠たくなる程にお湯に浸っているとカラカラというドアを開ける音がした。


 一瞬、また嫁達の襲撃かと身構えたのだが。

 入って来たのは男連中だった。

 ウィンズ・オニオンとか。

 ジン・サカマツとか。

 アウル・フォウンタイン・フィッシュとか。

 いや、待て?!

 1人、男だったが女が混ざってる!?


 という、セルフツッコミに忙しいのを良い事に男性陣(横の二人はちょっと恥ずかしそうに顔を横に背けていた)を置いて真っ先にこちらの横にアウルがザプリと入って来る。


 入る寸前に手拭は頭の上だ。

 というか、ちゃんと全裸だ。


 罰が悪そうな顔で他のオジサンズがアウルとは反対側に入って来る。


 ちゃんと掛け湯してから入って来る様子は大人な対応というよりは自分よりも若い女性の存在に挙動不審になる風呂場のオッサン(そのまんま)であった。


「で、何で入って来るんだ? 魔王一番槍的な事になってるアウルさんは」


「……戻ったからだ」

「何が?」

「……記憶が」


 手拭で静かに額が拭われる。


「………まさか、自力でそこまでとは凄いな。直に感心する。というか、ソレどうやった?」


「彼。いや、彼女と触れ合った時にな」

「?」

「ネロト。そうお前が名付けた子だ」


「上書きが消された? いや、上書き自体は……オイ。その時、どういう状況だった?」


「単純にお前を探していたあの子の手を繋いで連れていこうとした時だ。ちなみに記憶はどちらもあるが、どちらも本物のように感じられるおかげで混乱している……」


「上書きは消されてないのか。て事は……PCのゴミ箱を復帰させた感じか。何も無いを消して、どちらもあったにするわけだな。容量はいいとして、問題は精神的な混乱か。後で色々対策しないと」


「何をブツブツ言っている。で、訊ねたい事があって来た」


「何だ?」


「お前に関する記憶は何処まで偽物。いや、与えられたものだ?」


「オレが知ってる記録や記憶以外は検証のしようがないな。後で擦り合わせよう。ちなみにソレがお前に書き込まれたのは月猫に向かってる途中のはずだ」


「了解した。これで色々と納得は出来た。殆ど何も変わらんという事がな」


「いや、オレがハーレムの連中全員に手を出してるという記憶は後から付け加えられたヤツだからな? 今、手を出してる最中だけど」


 ジト目のアウルがフゥと息を吐いた。


「つまり、あちらのお前の方が前向きで誠実で魅力に溢れていた、と」


「ちょっと待て!? どうしてそうなった?!」


「……女のオレを口説いて手を出した事がある。と言えば、分かるか?」


「あ、ハイ……いや、やっぱ待て!? 逆じゃないか!? 手が早い不誠実な男の間違いだろ!! その記憶の方のオレは!!」


「こちらは腑抜けで腰抜けで釣った魚にようやく餌を与え始める悪い男だとこの身体が言っている」


「体かよ?! いや、後で治すけど」


「こちらの身体は体力こそ劣るが柔軟性や粘り強さがある。防御の質も増した。どうせ大事になるのならば、攻撃はそちらで。防御はこちらで受け持つ事になるだろう? なら、しばらくはこれでいい」


「……お前タフになったな」

「誰かのせいでな。魔王閣下」


「はぁ……好きにするといい。オレが生きて帰れる内は治してやる」


 片手で顔を拭う。


「そちらの話は終わったようだな」


 今まで離れていたサカマツがやってくる。


「で、何でそっちはこんな朝っぱらから一緒に風呂に来たんだ?」


「主神ギュレン・ユークリッドとの決戦が控えているというのは分かる。だが、それにしても魔王軍をどうするつもりだ? 今は三国の連合という形で運営しているが……政経軍を今や全て握る魔王軍に魔王神殿だ。お前が帰って来た時点でそちらに主導権はある」


「その事か。もしもの時には動員するが、それ以外では恒久界統一軍て事でその状態を維持する事がお前らの仕事だぞ」


「維持、だと?」

「一番難しい事を言ってるんだ。十分な仕事だろうよ」


 その言葉に反応してか。

 ウィンズもやってくる。


 その身体は最前線から引いたとは思えない程に未だ隆々として古傷だらけであった。


「そういう事か。責任放棄も良いところだが……一面では賢いとも言える」


「どういう事だ?」


 サカマツにウィンズが向かい合う。


「つまり、だ。そこの男はもしもの時は魔王軍でこの世界の人々を救わせるが、それ以外では権威と象徴にして置物とし、厳然たる組織としての力の維持で物事を動かすつもりなのだ」


「維持で?」


「国家は維持される事で能力を発揮する。魔王軍の規模はもはや国家を超える。つまり、この維持は国家以上の力の維持、恒久界そのものの意見の維持になった事を意味する。どんな外からの敵にも恒久界という枠で動けるのだ。この男はもう世界を征服したに等しい上でその力を世界そのものたる我ら魔王軍に委ねると言っている」


「……権力者が権力の象徴を遊ばせておくとは奇妙な事だ」


 肩を竦める。


「権力なんてのは欲しいヤツが健全に振り翳してればいいんだよ。それが不可能になったらオレが叩いて壊してまた作りゃいい。組織を永続させる為の方策は諸々もう打ってきた。後はお前ら次第だ」


「誰が一番上になっても十全に回るようにしてやったと聞こえるが?」


「オレが魔王軍の上に立っても大丈夫と思える人材はそれなりに揃えた。後は持ち回りでやったって変わりゃしない。組織として取れる方策や方法論や手段の類はいつでも殆ど同じだ。唯一、その力を超越する事が可能なオレ以外は……」


「自分の力が無ければ、凡庸な鈍ら。お前が使えば、名刀というわけか」


「そもそもオレが魔王軍を創った最終目的は2つ。嫁の奪還と世界を維持する為の使い勝手の良い駒の育成機関としてだ。その点で片方は達成した。もう片方は……まぁ、出番がある可能性もある」


「投げる気満々か。全部、自分でやる気とは……傲慢も此処に極まれりだな」


「お前らに死なれても困るし、もしもの時は死んでもらう事にもなりかねない。なら、極力使わないに越した事はない」


「……それをこの軍に参加した者達への冒涜とは思わないのか?」


「これっぽっちも思わないな。オレは信頼だけで相手に仕事を任せられると考えられる程にお人好しじゃない。信頼と実績と能力は全てセットにしてくれ。それが出来なけりゃ黙って幕間の後ろ側でもしもに備える役やってろって事だ」


「魔王軍ですら貴様の戦いには不足か」


「ああ、此処から先に参加可能なのは圧倒的な質を持つヤツだけだ。オレはオレの手が届かない場所に届かせる手として魔王軍を組織した。お前らはそれを動かす頭だ。不用意に死なれても困る。直接戦闘だけが戦いじゃないだろ?」


「……月亀と月猫の一番上の方には伝えておこう」


「ああ、月猫は要らないと思うぞ。そんなのとっくの昔に分かってるだろうからな。ケーマルとチェシャが経済を、月亀の王様と王子様は軍事を、月兎側であるお前らは政治を、ちゃんとやってりゃ何も問題は出ないさ」


「そして、お前は……主神に挑んで世界の破滅を食い止めると」

「分かってるじゃないか。だから、後ろは……任せたぞ」

「……合い分かった」


 ウィンズが頷き。


「また、人形劇の筋書きが変わるな。今度は全能なる神を倒した魔王様とでも言い出されるのか。本物は嫁に手を出すだけで嫁に大騒ぎされる男だと言うのに」


「そ、それは関係ないだろ!? いや、お前らは知らないんだ!! 嫁は万能な唯一神とやらよりよっぽどに手強いんだぞ!?」


「ふ……手強いと感じてるから、まだまだだと言うんだ。女との接し方くらいは我らが教えてやるべきか? 月兎の」


「そうだな。このへたれ。おっと、我らがお優しい魔王閣下には伴侶となる者達への心遣いを教えてやることにしよう」


「いや、そんなの必要な―――」


「「まぁ、そう言わず」」


 ジリッと近付いてきたガチムチなオッサンズの腕に思わずアウルに助けを求めようとしたら、もういつの間にか外に出て扉を閉めるところだった。


「に、逃げたな!?」


「天下の魔王が部下から逃げる等という風聞が広まっては大変だ。さぁ、あちらに蒸し風呂がある。共に熱くなるまで語り合おうか」


「冷や水が必要になったら言え。投げ込んでやる」


 ウィンズもサカマツも目が据わっていた。

 どうやらとんでもないのに目を付けられたらしい。


「オ、オレは朝はサっと出るタイ―――」


 声は最後まで聞こえなかった。


 その日の朝食に少し遅れた魔王閣下がどういう状況だったのかはどのような文書にも載らない事だろう。


 もしまともな職場の気の良い男上司がいたら、あんな感じなのかもしれない。


 それがグッタリする程に女性談義をしてくる迷惑な連中なのだとしても。

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