第330話「神と人と幸せと」


 先端が開かれたのは92時間前の事。


 ほぼ一斉に進軍を開始して、大陸中央より湧き出す無限にも思える機甲戦力を前にして……勝負など一斉射撃の一撃で片が付く。


 かに思われていたが、それはまるで杞憂であったのだろう。


 100万と言わず。


 300万でも1000万でも足りなさそうなガソリンも電力も用いない不可思議にも動力を何処からか汲み上げて動き続ける戦車と重砲の群れ。


 それらは正しく今現在、蹂躙されていた。


 ―――即ち、対応が遅過ぎるが故に。


 1秒前に照準していたはずの敵が砲撃した地点にいない。


 2秒前に照準していたはずの敵が砲撃地点にいない。


 それが凡そ300秒の間隙となって巨大な砲爆撃の雨を無意味たらしめていた。


 だが、それでも確かに世界に南北東から集った多くの戦力は撃破されている。


 簡単な話だ。


 全ての領域に面制圧を絶え間なく続ければいいという話。


 砲弾は何処から?

 何て事を思う輩はその場にはいなかった。


 だが、兵隊達は撃破されて尚、未だに負傷者は在れど、死傷者は一人も出ていなかった事が奇跡染みて誰もに教えていた。


 今、自分達を救う者があるのだと。

 彼らは思い出す。

 そう、そうだ。

 彼らは思い出す。

 世界にはためく外套の刻印を。

 撃破される寸前。

 機甲戦力同士の激突の最中。

 彼らを救い出した者がいる事を。


 逃げ出して、面制圧の砲爆撃に巻き込まれて消し飛ぶはずだった彼らを誰かが抱えて攻撃圏外までも抱えて逃げてくれていた。


 例え、300秒あろうとも逃げられるわけではない。


 例え、300秒あろうとも人間の仕業では不可能だ。


 だが、それなのに現実は全ての言葉を覆す。


 あの紋章は何処の国だ。


 そう思った彼らの前で車両や戦車から兵を救い出しているのは紛れもなく。


 いや、止そう。

 詮索など止めよう。


 救われた人々は何も言わずに自分と同じように軽傷を負っている者を背負っては後方に搬送し、また自分達の最先端となった部隊の安否を気にしつつも、己の役目を果たしたと後ろへと下がっていく。


 最初から、そう最初から……彼らは暗い噴煙の下。

 真っ当に敵を撃破する為に戦ってなどいない。

 必要なのは中央までの突破口を開く事。


 そう言われているが、実際には一部の指揮官達も分かっていた。


 彼らが作った道は、作ろうとしていた血路は、誰かが乗り込む為の道ではなく。


『負傷者を運べぇえ!!』

『第三機甲大隊沈黙!! 右翼43km地点に全員生存を確認との事です!!』

『すぐに回収して後方へ!!』

『3分後に第二輸送大隊が現着!! 8分後に移動を開始すると!!』

『HQからの信号弾は!!』

『全ては万事、滞りなく。命令に変更無し、と』

『次々来るぞ!! 北部と東部の兵も分け隔てなく回収しろ!!』

『一体、彼らは本当に何処の……』


 兵達に前に次々に味方が送り届けられている。

 その度に虚空には僅かな残像が残っていた。

 誰かの背中の残像が―――。


『救世主の遣わした使徒とでも言うのならば、驚かんがね。空飛ぶ麺類教団の聖典にもある。御子、戦なれば、新たなる使徒を遣わし、多くを身元に導かず、世に還すであろうってな』


『信心深いなんて知りませんでしたよ。上官殿』


『あの神託の後だ。信じてみたくもあるだろう』


『そう、ですね……』


『今、あの炎獄に誰かがいる。そう……我々はただ中央への道を。を作っているに過ぎんのだ……もしもの時の為にな』


 世界が鳴動している。

 深度3の揺れは頻発している。


 大陸中央から溢れ出したマグマは今や中央の大部分を呑み込む勢いで大地を侵食している。


 なのに、それなのに彼らの進軍は止まらない。

 撃破された車両はそろそろ半数。


 だが、その数百倍、数千倍の戦果が戦場では無数に機甲戦力を鉄底のように溶岩の大地に敷いていた。


 それを通り越してキュラキュラと湧き出す終焉の戦車の群れに果ては見えない。


 だが、それすらも実は極めて彼らにとっては有利なのかもしれず。


 多過ぎる戦力の移動が滞る限り、彼らの攻撃で破壊される台数は記録的な数字を更新し続ける。


 後方から運ばれてくる武器弾薬地雷。


 大陸にあるあらゆる火力が投入された一戦を前にして、旧ポ連領からの支援までもが空輸され始めていた。


 *


 その世界には泰然と黒い鋼と灼熱と庭園と座る者が在った。


 巨大なマグマ溜りの最中。


 広大な空間が球体状に開いていて、その上に巨だな黒い円盤が庭園を載せて載っているというだけだ。


 お茶をしに来たわけでもないのだが、一応は紳士な対応するらしい破壊セヨおじさん……副総帥、仮面の男は超人然として椅子に座って脚などを組み、待っていた。


「ようこそ!! 神為らぬ男よ!! さぁ、掛けろッ」


 その巨大な演算の暴力が脳裏に雪崩れ込むようにしてコードを強制する。


 一応、こちらはこちらで抗っているので完全掌握される事は無いが、それにしても場からの干渉が酷く、頭がズキズキと痛んだ。


 溜息を吐いて、相手の対面に座る。

 男はすっかり人間を止めているようだった。

 それもそのはずだ。


 見る限り、あちらを構成しているのは通常の人体とは違い。


 生身の細胞には程遠い何かである。


 確かなのは男の肉体は不滅に近い機能を外部からの干渉。


 量子転写技術で常に保たれているという事か。


「随分な歓待だな。副総帥」


「閣下を付けろッ。貴様のようなものに謁見を許そうという我が慈悲に跪き涙せよ。おお、我が神と信徒の如く崇めるのなら、貴様を使ってやってもいいぞ?」


 傲慢、天を衝く。

 というのは言い過ぎだろう。

 自分も然して変わりはしない。

 ちゃんと言葉にするかしないか。

 オブラートに包むか包まないか。

 それくらいの違いなのだから。


「何を笑う。貴様は分かっているのか? もはや全てが我が手中だという事を!!」


「ちなみにどんなものがお前の思う通りになるって言うんだ? 副総帥」


「ッ、その余裕を今消し飛ばしてやろうか? 貴様が幾ら再構築しようとッ、この程度の星、我が力の前ならば、再び灰にする事など容易いッ!!」


 男が片手を目の前に付き出せば、その先に映像が映る。

 ごパン大連邦首都上空の映像だった。


「今から此処に十発も核を撃ち込んでやろうか?」

「………なぁ、アンタは一体、何がしたいんだ?」


「何だと?! 見て分からんか!? 衆愚め!!? この不滅の肉体!!? 不滅の魂!! ああ、私こそが神だッ!! 神となったのだッ!! あの魔女の力とて何れ、我が力の前に屈服しよう!! 月の神など、我が腕で粉砕してみせようとも!!」


 言葉は猛々しい。

 今にも唾が飛んできそうな程に。


「神になったから、自分の他の権力者を滅ぼそうって?」


「独裁などと言うつもりか? 貴様が言えた事か。蒼き瞳の英雄ッ。いや、全てをただ母に貰っただけの男がッ!!」


 激昂するように男がこちらを睨む。

 いや、仮面姿なのだが。


「お前は違うって? その力だって、総帥のもんだろ。元々」


「私は違うッ!! 私はこの力を自力で手にしたッ!! ああ、それこそ、あの魔女の姦計を切り抜けッ!! 最後の勝利者となったッ!!」


「勝利者、ね……確かにお前の言う通り、オレは母さんに貰ってばっかだろうよ。それは否定出来ない事実だ。だが、お前程に支配したり、自分だけが、なんて言うつもりはサラサラないし、それこそもっと他人の言葉を聞かなきゃと思うんだがな……」


「何を言うッ!? 貴様が他人の言葉を聞くだと!? 自分の行いが分からない程に愚かだったか!? 貴様が今までしてきた事は全て貴様の独断ではないか!? そして、それが貴様を今の地位に押し上げたッ!! 我が神の力に比べれば塵以下の貴様の微々たる権力とて、貴様の傲慢の末のものだろうッ!!」


「御尤も。指摘、痛み入るよ。副総帥……でも、お前本当に神様気取りなんだな」


「貴様が神だと言うつもりかッ!? あの黒き球体に呑み込まれ、何をやったか知らないが、厳然たる我が力と貴様から今感じる弱々しい演算力ッ、どちらが神に相応しいか分かろうというものだろうッ!!」


 力を誇る男は正しく声を張り上げて、相手を威嚇する小動物のようにも見えた。


「副総帥。お前、一体何がしたいんだ? 神様になったからってお前が変わるわけじゃないんだぞ? もう一度、鳴かぬ鳩会でも作るか? 国家でもやるか? それともこの大陸を統一して世界政府でも作るか?」


「ハッ?! その考えが矮小だと言うのだッ!! 我が力の階梯に近付きながらもそのような発想しか出て来ないのか!? 哀れを通り越して滑稽ではないか!!」


「なら、お前が神様とやらになってしたい事はそれ以上だとでも?」


「ああ、そうだとも!! 我が力によって宇宙を遍く統べるのだ!! あらゆる世界をッ!! あらゆる事象をッ!! あらゆる生命をッ!!」


 まるで夢見ているような声だった。


「………それの何処が楽しいんだよ」


「楽しい? 楽しいだと!! そのような次元で語ってなど―――」


「―――なぁ、副総帥……お前、?」


 まるで時が止まったような刹那だったような気もする。


 その瞬間、男の片手がこちらの胸倉を掴もうとして自重する。


 いや、敗北を嫌ったのだろう。

 何せ、彼は完璧な神とやら、らしいのだから。


 他者の意見を圧殺する暴力を振るうだけの神など、単なる暴力装置に過ぎない。


 そう、男が名乗る神は少なくとも理性的な……いや、理想像に反しないもの……少なくともそうは考えているらしい。


「貴様の話術になど掛からんよ」


 手を出し掛けたという事は無かった事になっているようだ。


「なら、ちょっとオレの持論を聞いていけ。これでも神の座を降りて来たからな」


「何だと!?」


「まぁ、そう激昂するなよ。副総帥……お前は少なくとも神なんだろ?」


「少なくともだと。やはり、貴様には思い知らせる必要があるようだな。神とは全てを支配するモノだ!!」


 男が愉悦したかのように指を弾く。


 瞬間、幾つか映し出された重砲が高く高く砲身を上げて何かを撃った。


「今、あの国の首都に核砲弾を20発撃った。貴様がもしも私を―――」


「神と認めるよ。お前の事を……」


 それに満足したかのように砲弾が砕け散る様子がスローモーションで浮かぶ。


「で、だ。その上でアドバイス。いや、一つ助言をしよう。新しき神よ」


「助言だと? 不遜だぞ……」


「神の怒りとやらは矮小な人間の嘆願一つに下るもんなのか?」


「嘆願? その太々しい口と顔で良く言うッ」


「生憎とオレのデフォだ。で、あの領域に行ったから、言わせて貰うが、神ってのはぶっちゃけ、お前が欲しい権力とか名誉とか支配とか、そういうもんとはかけ離れたもんなんだがな」


「何を言っている……」


「お前はこの時代。いや、どれくらい前の人間かは知らないが、少なくともオレよりは後に生まれただろ? だから、知らないんだろうがな」


「我がアーカイヴは全知全能を可能にッ!?」


 両手で何とか相手に向けて宥める。


「分かってる分かってる。言いたい事はな。だが、それは知識ではあっても時代時代の人間が考えていた事そのものじゃぁないんじゃないのか?」


「人間を当に私は超越しているッ!!」


「だが、認識は少なくとも人間だった時に依存する」


「―――」


「そうだよ。お前だって分かってる。真実は変わらん、だろ?」


 相手の表情は読めない。

 だが、事実であるはずだ。

 神を名乗ろうと。


 結局、今の自分を構成するモノが神の一部だと認めなければ、完璧ではない何かに成り下がると男も分かっているのだ。


 だって、そうだろう。


 完璧な神こそが自分であると嘯く以上、自分は元々神になれるほどに完璧であった存在であると言えなければ、完璧な神の力とやらにただ不完全な人格がくっ付いただけの何かになってしまうのだ。


「なぁ、神よ。お前は支配を口にした。だが、神とは本来支配するものなのか? それとも何かを与えるものなのか? 自分の思い通りにするだけのものなのか? そもそもだよ。お前が成りたかった神とやらは一体、いつ形作られた概念なんだ?」


「―――な、に?」


「今からはオレは事実しか言わんから、良く聞いておけ。いや、聞いて下さい神様……貴方がもしも本当に神ならば、貴方にはオレが言う事の成否が分かるはずだ」


「なん、だと……」


「神なんだろ? ならば、判断を下せよ。オレの言葉が嘘かどうか。黒か白か。お前を構成する下部機構としてのアーカイヴ情報からちゃんと判断出来るだろ?」


 始めて男が僅か一歩。

 いや、半歩すらない。

 ほんの僅かな後退を見せた。


「良く聞け神様。オレが今までのアンタ……貴方の言動から判別するに……」


「やめろ……」

「貴方の考える神とやらは……」

「やめろっ……」

「神という概念そのもの自体が……」

「やめ、ろ……」

「オレの時代にあったものよりも極めて歪んでる」

「やめ……」

「別物と言っていい」

「………」


「まず、この世界に哲学って言葉が滅びてる時点で気付くべきだったよ。それから空飛ぶ麺類教団とか、アレにも惑わされたな。アレは神を祭ってるわけじゃない。救世主を祭ってるだけだ。神様とやらについては殆ど書かれてないなんて、聖典呼んで初めて知ったよ」


「………」


「原始的な祭祀を行う国でおっぱいおっぱいやってたけど、アレも神格化されてるというよりは祭祀の巫女であって、巫女を遣わすモノに付いては極めて曖昧」


「………」


「で、だ。この世界における神に付いて致命的にオレが勘違いしてたことがある。それは神シリーズの遺産、オブジェクトの類だ」


「………」


「知ってるよな? 神と名付けられたモノの力は“神の如き力”として解釈されてるが、オレが知る限り、アレらには神に一番大切なものが抜けていた。それを支配の象徴としてお前は有り難がったようだが、あんなのは神でも何でもない。神の力とすら本来は言うべきじゃない。皮肉なんだよ。全部」


「何をッ、言っている?!」


 狼狽する気配。

 いや、それすらも通り越しているのか。

 呆然とも言えるだろう様子が露呈する。


「そして、最後にお前の言葉で確信した。この世界は荒ぶる神そのものだ。そして、それ故に善神だとか寛容の神みたいなものが欠けてる。それをちゃんと知ってたのはそれこそ月のギュレ野郎と世俗化を果たして尚、信仰を護ろうとしたバレルくらいだったんだろうな」


 そう言えば、出ていたな、と。

 紅茶を一口する。


「オレの勘違いを教えておこう。簡単だ。オレはアレらがきっとと。だから、そういう意味ならば、お前らが有難がってるのも納得だ、と思ってたんだ」


「納得……」


「ああ、そうだよ。オレの時代には沢山の神の概念があった。そして、それに触れる環境がそれなりの規模であった。だから、人々は神は良きものだと捉えていた。悪きものは逆に神ではなく、鬼とも捉えていたな」


「鬼……」


「悪魔、悪鬼羅刹、化け物。神ってのは力の表裏であって、具体的なのから概念的なのまで一律に大雑把に言えば、人間には成し得ない“凄いもの”で括れた」


「凄い……もの……」


「いいか? お前は神を支配するものだと言ったな? それは大まかには合ってる。だが、本質じゃない。神様とやらは純粋にそれをだ」


「ツカサドル……」


「この時代に生きてる大半の連中。月やバレルの連中以外の大半の神様像とやらはちゃんと情報に残ってない限りはつまり―――」


 今度こそ男の腕が首元を掴んで持ち上げる。


「単なる、支配者の言い訳だ。時代背景から察するにお前が言う神とやらは強者の戯言を押し通す為の建前となって久しかった何かであって、過去……オレの時代にあった概念とは恐らく掛け離れてる」


「―――」


「その点でお前は正しく神様だとも。神様には神話が付き物だ。そして、神話ってのは生臭い人間みたいな連中の悲恋、悲嘆、英雄譚、終末と再生、そんな胡散臭い話ばっかりの“メロドラマ”だ。知ってたか?」


 ベキリッと首を折られるのかと思ったが、ドサリと首が放された。


「わたしはぁ……ッ……ッ……」


 まるでギリギリと拳が握られ、振り上げられている。


 こちらにではなく。

 この世界全体へ。


「お前がどんな理由で神様とやらに憧れて、どんな理由で支配者になりたかったのか知らないが、お前が見せた自制、礼節、傲慢、それらは全てどっかの神話で見たようなだ。もっと、オレはお前を倒すのに手古摺るかと思ってたんだがな……立派に神様を“させられてる”ようじゃないか」


 ピキッと仮面に罅が入る。


「お前が掌握したシステムの一部はな。そいつの願いを“正しく叶える”ものだ。いいか? 正しく、だ。間違えるなよ? この世界基準じゃない。だ」


「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」


 雄叫びを上げた男がこちらに“攻撃すら出来ない自分”に苛立ちを募らせていた。


「神様。この世界の新しい神よ。お前は人間だった時の自分の間違いを知らず、神に。また、己の理解の稚拙さを知ってしまった。そして、正しく神であるお前は“人間の言葉”を訊かねばならない。何故なら、お前は支配の神の概念に根差してからだ」


「私は支配者だぞ!! 私は神なんだ!! 誰の言う事も訊く必要も―――」


 声が途切れる。

 いや、途切れさせられた、と言うべきだろうか。

 システムは決して神とやらの道を違えさせない。

 何故ならば、男が願って己を改造した時。


 恐らく、本当ににしてしまったからだ。


「お前は支配の神であると同時に悪神だ。鬼だ。悪魔だ。しょうがないよなぁ? だって、自分で選択した事だもんなぁ? 今も大勢の人間を殺戮する為の戦力が動いている以上、お前は正しくであらねばならない」


 ペキペキと男の仮面が罅割れていく。


「いいか? 神ってのはなぁ。全能、万能、なんてのは殆どいないんだよ。それこそ悪い神における全能、なんてのは殆ど聞かない。基準的に人類は良い神が好きでな。だから、悪い神がどうなるか教えてやろう」


「な、何をするつもりだッ!?」


「どうして、お前はこんなものを造った? どうして、こんな場所にオレを招いた? オレはお前の神云々の話は聞いてなかったが、ちょっと笑いそうになったんだぞ? だって、まるで此処……お前のみたいじゃねぇか?」


「な、な―――ッ?!!」


「心底、ガッカリだよ。神様……お前は悪い神様として永劫に封印させてもらう。いや? この場合は封印されなきゃならないってのが正しいか」


「封印だと!? わ、私の能力を見ろッ!! 見ろッ!! 世界を滅ぼしてやるぞ!?」


 思わず、その強がりではないにしても、明らかに子供じみた突き出される拳に苦笑が零れた。


「お前がもしも、もっと狡猾でもっと理性的な人間でついでに歴史にも詳しかったなら、オレは勝算なんてさほど、高くなかったんだぞ? だって、そうだろ? お前が単なる全能になりたいと願っただけなら、そもそも戦わなくて良かったし、万能に為りたいと思ったなら、オレは純粋に処理能力差で負けてた公算が高い。もっと陰湿に社会を操る力でも良かったな。オレは泣いて縋ってお前の靴を舐めてたかもしれんし、舐めても良かった」


「な、何を……く、来るな!? 来るなぁ?!」


 一歩。

 たった一歩、脚を出しただけだ。

 男は狼狽中。

 その腕が当たれば。

 いや、当たる必要も無く。


 本来なら、男の能力ならば、こんなちっぽけな演算能力で抗っているだけの小僧一人、消し飛ばすなんて簡単だっただろう。


 だが、そうはならない。

 そうは出来ない。


「そもそもの話をしよう。お前はこのシステムを……深雲を使っていて、何故オレがこのシステムのハブである天海の階箸以外のシステムでもを有して無いと思ってたんだ?」


「な、なにぃ……ッ」


 震えるような声だった。

 崩れ落ちるような声だった。

 情けない声だった。

 だが、一つは真実だ。

 それは男が確かに汗を掻いて発した声だった。

 パリパリと仮面が剥がれていく。


「お前の最適解な? ちょっと考えてみたが、どう考えてもあの時しかないんだよ」


「あ、あの時だと!?」


「オレを捕まえた時に何とか完全に殺しときゃ良かった。それで万事丸くお前のものだったはずだ。何故かって? あの総帥閣下がオレの消滅した瞬間に自殺してた可能性が高いからだ」


「ッッ!!!!?」


「後、その力を手に入れても、神になろうなんざ思わなかったら、オレはお前に手と足は出たかもしれないが、此処まで追い詰められずに困ってたと思うぞ」


「な―――」


「お前の敗因を告げてやろう。神様……お前は油断した。総帥閣下とやらに盾突いてでも機会をモノに出来なかった。最初から……己を強がって見せなければ、冷静に合理的に考えれば、その力を独占する前に良く調べておけば……そういう事だ」


 腰からサバイバルナイフを引き抜く。

 単なる鉄製の普通の凶器である。


「ちゃんと玩具を貰ったら取り扱い説明書は見ろよ? その玩具はお前には過ぎた代物だ。返してもらうぞ」


「私は神D―――」


 例え、単なる生身に過ぎずとも。

 魔王として戦ってきた経験と記憶は失われない。

 たった一振り。

 指輪の嵌った指を根本から斬り落とす。


「グオオオオオオオオオオオオオオオ?!!? 馬鹿なッ!? 不滅のッ!? 私の不滅の肉体がァアァアァ!!?! 何故だッ!? 何故っ、傷付くッッ!? 何故ッ、再生しないッ!!?」


「人の話をちゃんと聞いてたのか? 神様ってのは人間との関係性で成り立つんだよ。神の司るモノと人との関係を顕された代物が神話なんだ。人類は少なくとも善がお好きで悪は嫌いだ。悪が善の前にどうなるか? その優秀なお頭で考えてみろ」


「私は神なんだぞおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 相手の身体能力は圧倒的だ。

 圧倒的で生身には反応など出来ない。

 そう、出来るはずはない。

 もしも、自分が此処にいるでなければ。

 バキリと拳が頬を撃ち抜いた。

 そして、下から相手を見上げる。


「ヒッ?!! どうして死なんッ!? どうしてッッ!!?」


「神様は基本的に圧倒的だが、一つだけ死亡フラグがある。そう……フラグを立てただけだ。神が死ぬ時……それは新たな神が生まれるか。あるいは新たな英雄が生まれるか。又は……」


 血だらけの指輪を神様とやらの指から引き抜いて、薬指に嵌める。


「人が神を討ち、人の世の理を人に還す時だ」


 あの日、あの時、少女が死ぬ前に渡そうと思っていた指輪。


 あの自分が死んだ時、握っていたのだろう指輪。


 もう形だけしか残っていないソレは確かに過去の残差。


 しかし、誰かの思いの形。


 あの黒く陰った鳴かぬ鳩会の主が……幾ら陰り続けようと残したかったモノ。


「嘗て、人は神を殺した。様々な神を。神は殺される。人へ徒名す神に人の世を統べる資格はない。もっと、他人を敬い、優しくて、虐げるのではなく、愛するべきだったな。神様」


「ひ、来るなッ!? 来るなぁッ!!? 貴様の世界も滅ぶぞ!? 我が量子転写技術は例えハブを失おうとも健ざ―――」


 男が未だ残る能力によって、自らの支配下であった全ての機甲戦力を核爆弾にして起爆、なんて陳腐な事をしようとしていた、らしいのだが……何も起こらない。


「場に干渉する能力に特化しても、システムの支援を受けなきゃ、お前が幾ら超絶生物だろうが、意味なんか無い。システムってのは力が無い奴の為に在るんだぜ?」


「ぁ゛あ゛ぁぁ゛あぁあ゛―――」


「安心しろ。お前は支配の神だ。悪神だ。この終末世界に初めて生まれる本当の偶像アイコンだ」


「何を……なにをぉ……いって……ッ」


 怯えた声。

 剥がれた仮面。


 だが、覗き込んだ瞳は生憎ともう人間らしい光沢も無い真っ黒な何かであって、自分の顔も覗き込めない。


「オレはお前を許さない。だから、お前を殺さない。いや、愛してすらやろう。そして、一番残酷な方法と取る事にした。さて、お前の過去を見せて貰おうか」


「な―――」


「ディープ・クラウド。我が名において告げる。目の前の男の記録を」


 スッと片手に黒い本が虚空に現れ、降りて来る。


「そ、そんな!? それは―――」


「ああ、お前が覗こうとして覗けなかった記録だ。この世界のシステムが記憶し続けた、な。“神の屍”どころじゃない。深雲が場に、世界に、書き記し続けた全記録……最上位顕現で覗ける上位アーカイヴ……陳腐な言い方でいいなら、模造品のアカシック・レコードなんて言えるか」


「や、止めろッ!?」

「第一章。へぇ……お前―――」

「止めてくれッ!?」

「お前、そもそも……」


「止めろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!?」


「―――人間ですら無かったのか?」


 絶叫が響く。


「ほうほう? 生まれは今から3文明期前。2万年前くらいか? 生まれはユーラシア・ビジョン内に増設された人DNA由来の遺伝構造を持つ性欲処理用の人型玩具、自然出産系の第三世代? 倫理が飛んだ世界ならではの御出自だな」


「止めろおぉッッッ!? やめろぉおぉッッッッ!!?」


 男が這うようにして足元に縋るのを蹴り付けて弾き飛ばす。


「ハードコア・エロSFにありがちな設定どうもありがとう。さて、君の本当のお名前は何なんだ? 副総帥君?」


「や、止めぇ―――」


「―――君か? ああ、可愛い名前だなぁ? で、お前のご主人様の名前は?」


「言うなぁあ゛あ゛ぁ゛!!?」

「ミスター・―――か」

「あぁ゛あ゛ぁ゛あぁ!?!!?」


「とある日の記憶―――『ああ、御主人様。僕の〇〇〇〇〇を××して下さい!! 僕はあなたの永遠の××××××です♪』」


「あああgw34gffjぴ4わ3jぎあvwhg!!?!」


「『僕は卑猥で劣等の×××××みたいな×××××なんです!!』」


「じ4ふぁんkl4なljrずtれらjklずてらrがlhrねあlkずでgjなえ4jfgまいぇ45fgんぇんg5fl!!?!!」


「だが、こんなに可愛らしい子がどうしてこんな醜い神様になってしまったのでしょう? ええと、ああ、つまり飽きて捨てられたと。ありきたりだなぁ」


「捨゛て゛ら゛れて゛ないッ、ナイッ!! ナイッ!!? ナイッ!?! わ゛た゛じはぁあぁ゛ああ゛!!?」


「捨てられたんだなぁコレが……それも可哀そうに……その頃にはお前の身体はボロボロ……単なるゴミのように捨てられたのか? 改造されまくり、人間の形すらしてない。それで? それであいつに拾われたのか? 単なる考えるだけの生体ユニットとして」


「あぁあずてrぎあえgなずでlgない4gなえjrgなぃgなぇbねlb!!!?!」


「なのに勘違いしちゃったのか? 自分は優秀だと。自分はきっとあの人を見返せるくらいに優秀なモノに違いないと? 今度は自分が支配するって? いやぁ、見事なサクセス・ストーリーだな。ええ? なのに、お前はその頃でもまだ新しい身体で幹部連中に―――」


「じがwgはいうはえいぁhぃえはじがぃうぇんぇtghjがぅぇう5gへういtgほtgbhのいrh!!!?」


「お前、支配の神には向いてないな」


 スッと顎を持ち上げてやる。


「神なんて止めろ。そんなの辛いだけだぞ? 支配よりもお前は支配される方が本当は心地良かったんだろう?」


「――――!!!?」


 仮面は半分以上剥がれていた。

 長いブラウンの髪が全てを蔽い隠していた。


「どうして数万年もあいつに仕えてた? どうして、幾らでも反逆するだけの手札があったのにそのままにしていた? 答えは簡単だ……お前は」


「や……め……ッ」


「お前は新しいご主人様が欲しかっただけだ。自分を大切にしてくれる。褒めてくれる。貶しながらも自分を必要としてくれる。そんな優しいご主人様がな」


 仮面が外れる。

 男の顔すらもはや外れる。

 いや、神の力とやらなのだろう。


 ガラガラと精神の崩壊と同時にに戻っているのかもしれない。

 強靭な肉体は決して神を滅ぼさない。


 そう、誰かが、権利と義務と状況にある誰かが何かをしない限り。


 それが正しい在り方だから。

 ゆっくりと耳元に唇を寄せる。


「オレがお前のご主人様になってやろう」


「ッ―――」


「オレは優しいぞ? お前を捨てもしない。それにあいつは褒めてくれなかったんだろう? ずっとずっと……ただ、力を与えるばかりで……ただ、モノを与えるばかりで……」


 よしよしヾ(・ω・`)と頭を撫でてやる。


「――――――」


「頑張ったなぁ。偉い偉い。お前がもしも支配の神を止めて、オレへ永遠に仕えるなら、今までの事こそ許さないが、これからの事は考えてやってもいいぞ?」


「――――――ッ」


「お前の中の仮面プライドを捨てろ。昔、お前がご主人様にしてたみたいに媚び諂ってもいいんだぞ? オレはそんなお前でも優しく愛してやろう」


「――――――ッッ」


「全部、終わったら……お前が好きな事もしてやるぞ? どうして欲しいんだ? 言ってみろ? 何処を撫でて欲しい? 何処を優しく触れて欲しい? どうやって詰って欲しい? どうやって蔑んで欲しい? どうやって甘やかして欲しい? どうやってオレに虐めて欲しい? さぁ、勇気を出して言ってみろ」


「ッ――――――」


「今までの仮面おまえを捨てるんだ……それで楽になれる。気持ち良くなれる。世界の敵にも為らず済む。色々な人間が優しくて、お前をチヤホヤしてくれるところも教えてやろう……一杯一杯、お前がこれから愛されるのを邪魔するものなんて本来無いんだぞ?」


「ッッッッッッッッッッッ」


「邪魔するものは一つだけ。お前の中にある名前だけ。お前が邪悪な支配の神として名乗った副総帥の名前だけ。その人格だけだ……さぁ、言え……お前は今から幸せになりたいのか? それとも、そのを護って、一緒に永遠の孤独を味わうのか?」


 声が聞こえて来る。

 そう、場を通して聲が。

 それは絶叫だ。


 全てが崩壊していく人格の最中で副総帥と呼ばれた支配の神が叫んでいる。


 止めろ止めろ止めろ。

 だが、それは本当に小さな声になっていく。


 そうだ。


 何故ならば、己すらも裏切るのが人間で、己すらも破壊出来るのが人間で、何よりも幸せになりたいのが人間だからだ。


「迷ってる姿も可愛いぞ。さぁ、早くお前を愛させてくれ。オレの小さな―――?」


 囁くように優しく。


「―――」


 最大の絶叫が場に響き渡る。

 バキリと仮面の超絶生物の姿が罅割れていく。

 粉々に砕けて中身が露わになっていく。

 それはアラブ系の薄い褐色の肌に小さな肢体の人型。


「はい。マスター(ヤメロヤメロヤメロヤメロやめろやめろYAMEROYAMEROYAERO)」


 声はまるで幼くまだ性別も分からないくらいに澄んで高く。


「後一押しだ。邪悪な自分に打克つんだ? なぁ、オレの小さな―――?」


 甘くなるように優しく。


「(や………め………R………)はい。マスター」


「後はどうすればいいか分かるな? 愛しいオレの―――?」


 静かにひそめくように優しく。


「はい。マスター(r………r………rrrr……r……)」


「良い子だ……さぁ、お前はオレの何なんだ? 教えてくれ。愛しい小さな―――」


 死者にお別れを言う時のようにしめやかな声で優しく。


「はい。私はマスターだけの淫らな所有物で♪―――(あ゛ぁあ゛AA゛A゛AAああ゛ぁ)」


 場からの悲鳴が途絶えていく。


「虐めていい奴隷で♪―――(あぁぁaあaあaあああああaあ゛あ゛A゛)」


 ゆっくりゆっくりと消えていく。


「卑猥な事をする為のイケない玩具です♪―――(あ゛あa゛ぁあぁ゛aああ゛あ゛Aああaa―――)」


 そうして、最後に残ったのは残響だけであった。


(さようならだな。副総帥……お前の名前は忘れたが、それでお前もいいだろ? 自分を殺した奴に覚えられてるよりはずっと、な)


 世の中に人を虐げる悪とやらは沢山いるだろう。


 だが、それよりも更に自分が幸せになりたいの方が大量なんて話、そんなのは決して……そう、決して……例え、終末の先でさえ変わらない世の真理に違いなく。


「そんなに卑下しなくてもいいんだぞ? お前の事を蔑むのはお前ですらオレの許しがなけりゃしちゃダメな事なんだからな?」


 優しく頭を撫でる。


「でも、その名前も……もう要らないか。オレがお前に新しい名前をやる」


「ほ、本当ですか!? マスター!?」


 もはや過去の記憶も無く。


 過去のほぼ全てを失った真っ新な人格カンバスへ新たな祝福を込めて名前を贈る。


「これがお前への初めての贈り物になるな。これからお前の名前は―――だ」


 その笑顔は告げた響きで確かに輝いていたのだった。


 殆ど処理能力も必要無かったが、どうやら副総帥退治は上手くいった。


 しかし、これからどうしようかと思ったのも束の間。


「ふぅ………ぁ」

「ぁ………」

「?」


 よく見れば、こっちの事を心底ガチでドン引きした様子で見る女版魔王の騎士……自分の近衛たるアウル・フォウンタイン・フィッシュが何か煤けながらもやって来ており。


「―――ッッッ」


 完全に見てはイケナイものを見てしまった様子で口元に両手を当ててプルプルしつつ、こっちの視線に気付いてビクッとしたかと思うと何か物凄い葛藤をした様子になった後。


「ッ」


 スゴスゴと物凄く名状し難い瞳と覚悟した様子でこちらに近付いてくるのだった。

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