第249話「信仰でおかずが食える男女の三分クッキング」

 よく坊主も人の子、とか。

 霞みを食っては生きられない、とか。


 神様を信じてますという宗教者や信仰者の類が俗世において商売をする事を皮肉られて開き直る事がある。


 生臭坊主に破戒僧。

 彼らだって食事もすれば、排泄だってする。


 エロ本だって読みたい煩悩に駆られるだろうし、お嫁さんだって欲しい。


 まぁ、つまりは人間だものと胸を張って信仰と飯の種は別、節制は程々に、と彼らは言う。


 だが、しかし、現在進行形で激変する昇華の地の宗教界はもはや争乱のどん底である。


 何故かと言えば、魔王が『節制? 何それ美味しいの?』的な新宗教を開始したからだ。


 それが猛烈な速度で浸透しているというのは取りも直さず今までの神々がやってきた宗教の歪みであり、それそのものへの不審に違いなかった。


『さぁさ、お立会い』


 月猫首都。


 現在、ようやく月竜襲撃からの復興で経済がフル回転中の商業中心地と金融街の境目において、そんな出来立てホヤホヤ新興宗教が注目を集めている。


『此処にしますは魔王神殿-業魔神セニカ-の信徒達』


 路地から一歩出た大通り。


 角のあちこちで神官達が商人達とタッグを組んで熱心なを掛けていた。


『その中でも選ばれし、主神に付き従いし、四臣の神官達!!』


 元々、タミエル達は生活に根差した行為の加護神であったり、技術なんかの守護神であった関係で一芸特化の職人や芸事の嗜みに覚えがある連中がかなり信徒に多い。


 その中でも旅をしても集まった熱心な層を数万人。

 恒久界中に派遣している為、外見はかなり抜群だ。

 知的そうな連中から見芽麗しい狩人まで人材は多彩。


 その連中がアウトロー社会から一般社会まで、何処でも月猫の商人達と共にタッグを組んでの信徒獲得へと乗り出している。


 彼らに与えた仕事は複数あるが、その内で最も重要なのは国を問わず人類認定されてる連中のところに行って、だ。


 これから来る破滅。


 というか、現在進行形のUSAとの戦争で家々から男が大多数消えている。


 現在、その合間を縫うようにして人々に今日の糧を与える人々として神官達は歴史に登場したわけだ。


 とにかく恒久界中で人がいないのだ。


 その不足分の労働力を全ての制限を取っ払った極限効率の魔術コードで高めた食料生産術で打破し、少人数でも大量生産が可能なように労働力の集約を可能とする民間での互助組織の開発へリソースを注ぎ込んでいるのである。


 江戸時代で言う五人組みたいなものだ。


 国家規模での人員不足に笑顔で無限の富を齎す聖者がやってきて、問題を片っ端から魔術で平らげ、同時に人々が団結して何かに当たれとその方法論を教え導く。


 このぶっちゃけ、マッチポンプこの上無い出来事、が無数に貧しい国家や主要国の大通りで繰り広げられているのである。


 此処に月猫、月亀、月兎の三カ国の行政組織の一部を再編してと称し、金オンリーな格安の人材育成出来る人員をリースする。


 こんな契約を次々に迫るセールスマンもしくはセールスレディーがやってくるとなれば、どんな国とて歓迎するしかない。


―――いやぁ、お宅の国も人がいなくて大変でしょう。

―――ウチの人員お貸しますよ?


―――何、金でのお支払いさえあれば、何処にでも人員を派遣するのがウチのモットーでして。


―――ええ、ええ、他国に各分野で負ける心配があるなら、こちらの長期人材派遣プランなどはどうでしょうか?


 このような具合に人材が大量に各国へ再供給される。


 今まで奴隷だ何だと虐げられてきた大半の連中が身綺麗で上等な服を着て、大抵真摯に仕事をしながら、自分達がいなくなった後でも食えて色々な事が出来るようにしてくれる、というのだから……喰い付かない方がどうかしている。


 勿論、こっちの意図を見抜く常識人とか常識的な国家運営をする連中というのが国家上層部にそれなりの数いるのだが、無言の脅迫である“人材の長期リース契約数は有限です”との謳い文句に飛び付かざるを得ない。


 あれだ。

 TVでこの番組終了後30分後までの特別商品ですとか。

 そういう限定商法の手口である。


 それすら分かっているが、分かっていたところで他国がこのブームに乗って国力を増強しようという時期に自国だけでやっていけると思うような理想論を振り翳す潔癖主義

者は何処の国にも居らず。


 結局、諸手を上げてか、渋々かの違いこそあれ。


 恒久界に存在する人類種と判定される国家の全てがこの新しい魔王閣下の起こした宗教と商売に飛び付いた。


 何せ数億人の内の1500万が軍人になった。


 昇華の地の戦乱が直接的に関係ない国とて、引き抜かれた男性の比率は同じくらい。


 いや、もっと高いところすらあるかもしれない。


 速成教育がファストレッグで終わった人材は月竜の襲撃が終了してから地下都市より順次出発。


 今後数年に渡って、あちこちにこれらの穴を埋める為に派遣されていく事だろう。


 月猫が済し崩し的に魔王を受け入れてからというもの。


 魔王軍とファストレッグを強襲した周辺国は盟主が骨抜きにされてビクビクしていたものの。


 こちらからの主要産業や主要関連企業を共に独立させる時、彼らを一枚噛ませる。


 更には、という名の各種特典。


 つまりは今現在、魔王神殿やファストレッグがやっている商売をで引き受けるというも喜んで受け取ってくれた。


 勿論、占領軍すら残していいという大盤振る舞い……いや、やっぱりトラップにも掛かった。


 彼らは国家としての対面や面子を保った。


 『何でソレが罰ゲームで罠なの?』と小首を傾げたガルンに教えた事実はこうだ。


 国家が保有する金が一切、魔王軍に流れない為、他国より極めて大量に国内でダブつき、暴落こそしないだろうが超安値は必至となる。


 ついでに軍を引き上げなくてもいい、というのはという事実と同義。


 駐留費用をこれからも出さなくてはならないし、それも金では魔王軍しか取引してくれない。


 そもそもその戦力を自国で使えないという事実は安全保障上でも問題しかない。


 恒久界が混乱していなければ、この流動的で物凄く面倒臭い状況判断を少しは理解出来た連中がいたのだろうが、各国に降ろす情報すら規制し、順次開放する側に収まった現状では他国がこちらの策を見抜くのは不可能だろう。


 殆ど完全な情報統制を敷いている以上、そんな全体像を理解している連中はいなかった。


 これは本来ならば、忌避されて然るべき大問題になるはずの出来事に違いない。


 一国三制度と呼べるくらいの多重内政干渉なのだから当然だ。


 まず魔王という個人による法規を無視しての大規模な徴兵。


 これが国家規模を超えて世界規模での軍事と政治に圧力を掛けて変化を誘発する。


 次に魔王神殿という組織による社会の高度組織化と変革。


 これが今まで人々の縋って来た神殿という形でこちらの圧力によって変化した生活と社会の間隙に滑り込む。


 最後に昇華の地の主要三カ国による超国家規模での経済操作。


 これが社会基盤の激変によって右往左往する人々に保守的に見せ掛けられた従来の安心感を演出して提供する。


 劇薬に等しい魔王の政策に緩和作用、プラシーボ効果を齎す……実際ならば、もっと摩擦が大きい政策が大量に投下されているのだが、混乱している各国は藁に縋りたい気持ちなところばかり……効果が少なからず多大に人心へ評価されたのは間違いない。


 これはガルンの報告からも確認された歴とした事実である。


 知らない連中から渡された薬と知ってる知人から渡された薬。


 どちらを取っても同じならば、後は彼らの心だけがソレの効能を判断する。


 金という麻薬。


 世界の敵という団結に必要な外部要因USA


 それを治してあげようと笑顔で近付く個人、神殿、国家の皮を被った魔王三役の一人芝居。


 これは正しく詐欺的な手法であろう。


 ぶっちゃけ、世界の敵になるのは最後に自分自身がしようと思っていた役柄だったのだが、本当の脅威が出て来たので配役の変更も必要無かった。


 シンプル・フィールド・プラン。


 これは月面に降り立ち、恒久界観察中に描いた筋書きの一つだ。


 面倒な手順が必要な社会的プロセスで嫁連中を探すのは極めて難しいと判断した後。


 結局、を模索する事となった。


 “天海の階箸”のメインフレームとの間に協議した結果、その形に落ち着いたのは皮肉だろう。


 今起こっている状況の正体は結局嫁探しに世界を使いたいというこちらの我儘の具現なのだ。


(いや、普通に探してた方が良かったんじゃ、とか。もっと面倒事増えただろ、とか。そういうツッコミは後世の歴史家とかにも無しの方向で願いたいなホント……あらゆる不安要素を潰していったら切りが無いし、リソースも足らない。なら、限られた手札であいつらを安全に保護する方法はコレしか無かったってのも、か。本当は掌の上で遊ばれてるのはオレなのかもな……)


 現在、魔王軍の先遣軍数万人が大蒼海の最上部基礎ブロック内で突貫工事中。


 神殿による大規模な社会操作の一環は順調に推移中。


 国家間での取り決めや条約などを魔王の権威を傘に一括で変更する試みも優秀な金貸しである金銀分けなナイスミドルだった女性に一任中。


 重要な後方拠点であるファスト・レッグは他国の制圧下であるが、魔王軍本隊との和解が成立した現在、共同での警備が敷かれ、月竜での一件後は平穏を保っている。


 恐らく芋虫連中はまだまだ社会のあちこちに潜伏しているのだろうが、それが入り込んで来る速度はそう早くないはずだとの予測が天海の階箸からも出ている。


 月蝶と麒麟国の戦争は現在も継続中で不安材料としては一番大きかったが、小康状態を保っているのでまだ手を付けなくてもいいだろう。


 今までやってきた政治工作、経済工作、軍事工作の大半がヒルコによって維持されている限り、大規模な修正指示くらいしかやる事が無い状態だった。


(うん……ようやく、暇になった、か?)


『今、信徒になった方には資質さえあるなら、魔王神殿のエリート養成コースが無料!! 何と無料で受けられちゃうんです!! これはスゴイ!! 実際スゴイ!! 福利厚生はバッチリ!! 清廉潔白に家族を養って、人々から感謝され、その上で給料だっていい!!』


 ズラッと証拠ですとばかりに商人が内容を記したパンフレットをババンと魔術で虚空へ固定する。


 その画像の中では歯を煌かせる美男美女達が暗黒の太陽を背負う顔の見えない男に驚き、平伏していた。


 確実にヤバい新興宗教みたいというか、ディティールはそのものなのだが、生憎とこういう勧誘はこちらで殆ど無い新鮮なものらしい。


『これは誰かを助けたり、救うなんて、そんな傲慢な仕事じゃありません!! 人に救う方法を教え、人に人を助ける方法を教え、隣の誰かがあなたをいつだって助けてくれる!! そんな社会を目指していく人達と共に人へ感謝するお仕事なんです!!』


 物凄く商人はアルカイック・スマイルだ。

 通行人も劇画チックに固まるくらい。


 だが、それでもツラツラと語られる内容に興味を持つ通行人は増えていく。


『今日の糧に飢えた人が、明日にはあなたに糧を与えてくれる人になるかもしれない!! あなたの家族は安心して街を歩けて、あなたの事を尊敬する人達が挨拶をしてくれて、あなたの傍で一生を過ごしたいという人すら出て来るかもしれない!! 見目麗しいご婦人だってあちこちにいます!! 誠実な好青年だってきっとあなたを振り向くでしょう!! 魔王神殿は人々が自分の力で不幸や理不尽からの頚木を解かれ、その上で幸せに暮らせる時間を提供したいのです!!』


 いや、口説き文句は色々とマニュアルに書いたけど、嘘ではないが大げさと紛らわしいが二乗されている気がする。


『勿論、ちょっとした愉しみも無くちゃぁイケマセン……夜には魔王軍謹製……禁断の赤本も出るから要集合ですよ♪』


 商人が男達や女達に僅か見えるよう男女へ共に働き掛けるエロ本を幾つか外套の影からチラチラさせた。


 恒久界のエロ事情は極めて劣悪だが、そんな犯罪を誘発するからと神殿関係が規制を敷いた結果、エロ本などはかなり珍しい代物となっていた。


 なので、非合法でアングラな辺りでは高額取引されているソレは俗称で神殿が推奨するのを白本と呼ぶの比して、赤本や黒本と呼ばれる。


 それだって、決して表紙に裸体が描かれる事は無く。

 稀であったとの話。


 そんな代物からすれば、随分と魔王軍謹製のエロ本には男の全裸から女の全裸まで多種多様な体位がバッチリ局部描写アリアリで描かれていた。


 中には思いっ切り見てしまい、フラッと倒れる女性陣や鼻血を流す男性陣も多数。


 魔王、エロ改革に乗り出す、の報はもう全土を駆け巡っている最中。


 ついでに青少年の健全育成に資する性教育の過激な教材が先行販売で各国の貴族連中に馬鹿売れ中だ。


 その噂を聞いていれば、これにも納得と前屈み男子が商人の全面では量産されている。


 一応、純愛ものを中心にしてハード系や凌辱系の厳選エロ本を出しているのだが、効果はそれなりにあるようだ。


 これならば性犯罪を犯そうという人物もを嫌ってくれるはずだ。


 より簡易に手に入って安く本が出回れば、男女問わず。

 そういう相手に出会うリスクも極めて低くなっていくだろう。

 世の中にはエロい美人なんて道端にそうそう落ちていないのだ。


 それよりは手の届くエロ本で我慢する犯罪者予備軍的な成年男子女子、青少年、乙女は多いはずである。


 肉体的な興奮なんて生身を使うまでもなく得られる。


 ソレ用の卑猥でガッチリHENTAIなグッズもひっそり魔王軍、魔王神殿が各国の上流階級へ贈り物として少しずつ流している最中。


 上が染まれば、下なんてあっという間に流行して定着するに違いない。


 まぁ、生身の女性陣からは物凄く白い目で見られそうだが、生憎と此処には権利を主張する団体や面倒な外圧団体も存在しないで我慢してもらおう。


 人が物として扱われるのが当然の世界。


 似非ファンタジーにだって男女のロマンという名の肉欲を昇華してくれる出生率がガッツリ減りそうなビニール入りな本は必要なのだ……たぶん。


『そう、これからは信仰でもごはんが食べられる時代なんですよ!! 祈りは力?! 祈りは届く!! そう、魔王神殿に入ればね!! さぁ、勇気を出して!! 君も君のハートを聖なる力でレッツ、クッキン!!!』


 決め台詞を造るのに適当に中身を抜いた日本語辞典を渡してあるのだが、さっそく使われているらしい。


『……オ、オレ、入ってみようかな!!』

『あ、あたしも少し興味が……と、特に夜の方を……ッ!!』


 胡散臭いドヤ笑顔で布教する商人の唇がニタリと悪魔のように歪む。


 そんな口達者過ぎる地獄への案内人に神官連中が顔を引き攣らせていたが、客寄せパンダ役は続けてくれるらしく。


 加速度的と膨れがる入信希望者に笑顔で対応している。


 三分クッキングされているのが世界そのものであるという事実を彼らが知る事は無い。


 知られたとしてもそれは当分先、相当未来での話だろう。


 勿論、この恒久界がその時代にまで存在していれば、の話であるが……それを真剣に考えればこそ、魔王なんて役柄を今もしているのだ。


『探した。セニカ様』


 薄暗い世界にいつの間にか桜色の髪の毛が揺れる。


 落ち付くまで数万人規模で分裂して仕事と格闘していたガルンがようやく手隙になったと報告があったのは数時間前。


 ちょっと嫁連中と会う前に本当に暇になったかの最終確認をしていたこちらを連れ戻しに来たのだろう少女はジト目であった。


 街角の魔王印の屋台手前。


 出されたカウンターに座っていたこちらの手が横合いからグイッと引かれる。


 お代を置いて、ガルンに引かれるようにして歩き出せば、屋台の狗耳のオヤジが『お幸せになぁ~坊ちゃん』と気さくにウィンクしてくれた。


「生憎とこれから地獄の底まで連行されるんだけどな」

「何か言った? 淫魔王様」


 取り敢えず横に付いて歩くが、やっぱりガルンの瞳はジト目だ。


「いや、その……何か怒ってるか?」


「全然。セニカ様は恋とか愛とか一杯で凄いなって思っただけ……」


「恋とか愛は一杯かもしれないが、少なからず全力でとは思ってるぞ。男として……」


 立ち止まったガルンが上からジロッとこちらの瞳を覗き込んで来る。


「セニカ様。今のお嫁さんの数を言ってみて?」

「え、ええと、その……数人ですが、何か?」


「数人? 後宮ハーレムに入る魔王応援隊の子やエコーズの人達や近衛の子達やユニ様も入れたら、数十人じゃないの?」


「えっとな。実はお前にもその内にお知らせしなきゃと思ってたんだが……世界が大変なんだ、とりあえず」


「世界? いつもセニカ様が大変にしてるような気がするけど」


「ほら、一般人とかお前らとかが知らないところで神様が無茶な事をしてたりしてな? それで……オレの恋愛関係にも色々と手が入っているというか。物凄く複雑にされたというか」


「何がどう複雑なの?」


 記憶が戻っていたフラウが輸送機内で目覚めてから、色々と言っていなかった事などを教えたり、今までの話を聞いたりしていたのだが、そのおかげか。


 強いショックなどがあれば、一時的に記憶が解放される可能性があるという事実は確認済み。


 あまりこういう事を身近な人物でしたくは無かったが、いつかはやらねばならない事だ。


 これはお嫁さん達へのけじめでもあるし、微妙に幸せそうな記憶が偽物の記憶というのもこっちとしてはどうにか穏便に伝えて解消しておきたい問題でもある。


「単刀直入に言うが、オレとその……関係とか持ってた記憶はあるか?」


「ンな?!!?」


 思わずガルンが噴き出しそうになってフラッと頭に手を当てた。


 その後、真っ赤になって、今度はジロリと赤い頬でこちらを睨む。


 妙に可愛いのだが、それは横に置いておく。


「あの月猫に向かって入る寸前だった頃。空から落ちてきた事があったよな?」


「う、うん。で、それがナニ?」

「その時、主神ギュレン・ユークリッドと在って来た」

「?!!」


 思わず素でガルンが目を見開いて驚いた様子となる。


「で、だ。そいつがかなりぶっ飛んでる奴でな。オレの周囲を面白可笑しく改造してやると……記憶を操作したらしい」


「―――え?」


「本当は……もっと、静かな場所で伝えたかったんだが、オレがいつヤバい用事に忙殺されて、伝えられなくなるのか分かったもんじゃない……だから、邪魔が入らないと断言出来る今此処で、お前と二人切りの此処で伝えようと思う……オレに対する記憶で……オレと……そういう肉体関係になった、って部分だけは嘘と断言出来る」


「………………フラウ様とは?」


「フラウはその記憶が戻ってた。オレがあいつをそういう風に求めたのはあいつに対するオレの感情とケジメ、どっちの部分でもそうするべきだと思ったから、願った故の決断だ」


「そっか。みんなにいつも何か言いたそうにしてたの……その事だったんだ?」


 ポツリとガルンが呟く。

 どうやらいつも言いかねていた事はバレていたらしい。


「オレは……本当に自分で言うのも何だが誰かに言われるような大きい事が出来るような人間じゃないんだ。いつも誰かに頼ってるし、誰かがいなきゃ此処までの事も出来なかった。考えるだけは考えるが、それを実行に移せたのも結果が付いて来たのもオレ以外の誰かが頑張ったおかげなんだとオレには分かる。オレに出来るのは何かの矢面に立って、自分に与えられた力を振るうだけ……だから、こういう事になると……途端にダメになるのが自分でも分かる……」


「セニカ………」


「オレにとって、その記憶が嘘だったかどうかは関係ない。ただ、嘘の上に築いたものは脆いだろ? だから、お前には伝えておきたかった……あいつらにもちゃんと伝えようと思う……」


 そっと両肩を掴んで相手を見上げる。


「お前の今の感情は嘘の上にある。それを承知で言う……お前の記憶が戻って、オレの事を少なくとも単なる上司と思えるようになるまででいい。オレの嫁になってくれないか。ガルン」


「―――え?」


「お前を此処で遠ざけたところでお前自身の感情は本物だ。オレだって、好いてくれる相手を突放したりしたくない。それに感謝してる……オレがこの恒久界に来て、一番幸運だった事はお前と出会えた事だからだ。お前がいなきゃ、オレは今みたいに魔王なんてふんぞり返っていられなかったし、誰かをもっと犠牲にもしなきゃならなかった。お前がいてくれたから、オレは魔王なんて無駄に重い仮面を被り続けられる……感謝もすれば、恋愛感情だって沸くさ。でも、その記憶はオレと本当に過ごしたものじゃない。だから、それが元に戻ってもオレに同じ気持ちを抱いてくれるなら、その時は……魔王らしく……お前が望むだけの魔王として、お前を……娶りたい―――」


 思わず顔から火が出るかと思った。

 外道だなと我ながら思う。

 少なからず。


 何人もの相手に気がある自分は……その全てを幸せにしてやると分不相応な事を思い描く自分は……今まで生きて来た中で最も傲慢な自分だろう。


 普通の女は自分一人を愛してくれる人がいいというのが人社会の常識なのだ。


 その常識が遥か太古、性病が流行った末に行き付いた理だとしても、今やそれは遺伝子に刻まれるような本能に違いなく。


「……ぷ……っ……あはは……ぅん……ぅん……っ、セニカ様はやっぱり……ガルンが思ってた通りの……女性の事なんて何一つ考えてない卑劣で傲慢で本当にどうしようもない女誑しで……弱くて、大きくなろうと必死で……誰も不幸にしたくないって……自分の気の多さを正当化するくらい強引で優しくて……でも、やっぱり……ガルンを……助けてくれた……憧れのままの人で……」


 笑い、罵倒し、最後には仕方なさそうに切なげな笑みを浮かべて。


 自分より大きな少女じょせいはこっちの一番痛いところを抉り切って、こう悪戯っぽく微笑んだ。


「灰の月まで連れて行くって約束……まだ有効?」

「―――ああ、勿論だ」


 ギュっと抱き締められてしまう。


 まるで子供へするような優しい温もりが、今も薄暗く吹く風の中―――何よりも貴く思えた。


「あの時、子供達に何もしなかった事……ガルンに何一つだって背負わせないように気を使ってくれた事……感謝してる……嬉しかった……ずっと、復讐ばかり考えてたガルンが、笑えるようになったのは……貴方のおかげ……」


 微笑みは滴と共に。


「セニカ……セニカ様……魔王様……ガルンの信仰する人……貴方の事が……いつの間にか好きになってた……逢瀬を交わす前からもう此処むねが、焦がれてた……だから、私を……ガルン・アニスを……貴方のお傍に……ずっとずっと置いて下さい……我が主マイ・マジェスティー


「ガルン……」


「そうしたらきっと、どんなに幸せな記憶が消えても……大丈夫、だから……今度は本物の記憶を……ガルンに、下さい……」


「いいんだな?」


 そっと身体が離され、腕を取られた。

 人差し指がそっとその唇へと誘われる。


「だって、セニカは全ての女を侍らせる悪辣で絶倫な魔王で……ガルンはその寵愛を受ける……ずっと魔王を待ち侘びて一人で慰めちゃうような……そんな、淫らで受け入れたがりな……悪兎の女軍師だから……」


 クスリと。


 これこそきっと魔性の笑みだと思える程に濡れた瞳で少女は世間一般で出回る魔王と自分の評判を唇に載せ、微かちろりと嬉しげに舌を出し、貴人の手の甲に口付けする騎士のように……いや、それよりもずっと子供の教育に悪そうなクチャリという音を立てて、未来への誓いを立てた。


「―――ッ」


 思わず汗ばむ自分の顔が分かる。

 月兎の女は獣。

 そうそれは各国の間で伝わる猥談の一つだ。


 でも、自分が経験する限り、これも一面の真実、本当の事なのだろう。


 男が一皮向けるとかよく言うが、女は皮どころか昔の自分を脱ぎ捨てて、別人にだって成れるのかもしれない。


 どうやら料理おとされたのは何も知らぬ女の方ではなく……愚かな男の方らしかった。


『ねぇ、おかあさま。あのひとたちなにしてるの?』

『み、見ちゃいけません!! まだ、あなたには早いわ!!』


「「!?」」


 いつの間にか。


 本当にいつの間にか複数の視線が周囲から突き刺さっていた。


 デジャブどころの話ではない。


 親子連れから老人から若者達が好機の視線でクライマックスですなと言わんばかりにこっちの様子を観察している。


「……逃げるぞ」

「うん!! セニカ様♪」


 魔術で飛べば、下からは『あ、逃げた!?』との声が複数。

 他人ひと恋愛事情おかずでご飯が美味い人々は多いらしい。

 腰を抱いた手に手がそっと重ねられる。


「……一人で……ううん。……セニカ様を一杯満足させちゃうから……」


 反応に困るどころか。


 それはそれで二人で一人の幼女が対抗心を燃やしそうだという未来が見えて、もう覚悟を決めるしかなかった。


『男として、期待しておく……それと出来れば、手加減してくれ。切実に……』


 きっと、馬鹿な男に出来る事はそれくらいしかないのだ。


 エロい美人は自分の傍にだけは何故か片手で足りないくらい。


 空に瞬く幾多の綺羅星のように輝いているらしかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る