第248話「お嫁様ブレイズアップ」


 高度1000からのパラシュート無しな空挺降下。


 飛行船からタンクに入って落下した事もある自分にはもはや何をいわんや。


 膨大な風に煽られながら、確かにヒルコの言っていた通りの光景が自分の目でも視認出来た。


 着地寸前20m地点で魔術による運動エネルギーを足元から逆噴射。


 ついでに外套の下からも複数地点から噴出。


 魔術コードも大半が思考するだけで使えるようになった現在、カンペ替わりの手帳も必要ない。


 アレは謹んで本人へ返したので今頃、また新しい記述が増えている事だろう。


「さて、気を引き締めないとな」


 着地と同時にガラス質の煌く埃を軽く舞い上げて、首都の破壊痕が最も激しい場所を軽く見回す。


 数歩進むと靴底がゾリゾリと砕けたガラスの破片や粒子によって嫌な音を立てた。


(普通の靴だと足を怪我するな。倒れ込んだらそれこそ常人なら大怪我ってところか)


 事前情報では首都には巨大建築群が多数あるという話で画像や映像も有ったのだが、どうやら大半が消え去ってしまったらしい。


 無人化した理由を探らねばならないのは変わらず。


 同時に現在の状況を、まずは元々王城があった場所を確認すべく向かう。


「………」


 まるで何もかもが風化してしまうかのようなまだ熱量が残るというのに聊か侘びしい風の吹く首都は廃墟マニアが喜びそうな詫び寂びの世界となっている。


 薄暗さを緩和する目的で光源を魔術で適当に作ってもいいのだが、生憎と目立つのは現金のお忍び道中だ。


 巨大なクレーター内部から歩き出してガラス質の地面だけが延々と広がる一角へと到達するが、何処を見ても破壊され尽している。


 地下が無いかとちょっと魔術で地面に付いた脚の下からエコー検査よろしく音波で確認を取ってみたが、何も無し。


(何一つ無いな。まぁ、此処で大規模地下空洞があります。とか、やられても調べるのが面倒なわけだが……何だこの違和感……)


 不意に覚えた名状し難き解けない謎でも覗き込んでいるような心地。


 それに何が問題なのかを検証材料を積んで思考作業に入ろうという時。


 カツンカツンと足音が一つ。


 刹那前まで確実にその位置には存在しなかった誰かが突如として現れた事に驚きは無かったが、それにしても魔術的な反応も赤外線や音響探査にも引っかからない相手というだけで溜息が零れそうになる。


 振り向くと。

 其処にはフラウがいた。


 それも浚われた時に着ていた服は半分以上破れて消し炭になっている。


 上半身は半分以上、全裸に近く。

 下半身も半ば見えてしまっていた。


「魔王……閣下……」


 ウルッとした瞳で駆け寄って来る少女を取り敢えず抱き止める。


「大丈夫だったのか?」

「はいッ、はぃ……」


 今にも泣き出しそうな声。

 しかし、何よりも溜息しか出ない。


 ドスリと。


 脇腹に今までその手に存在しなかったはずの刃が、何やら柄がメタリックな機械式にも見えるソレが押し込まれ―――衣服と外套を貫通して、脇腹に突き刺さる。


 超振動の類だろうか。

 適当に考えれば、それなりに痛い一撃。

 フッと少女がこちらから離れるようにして笑みを浮かべる。


「どうした? もっと痛がってもいいんだぞ」


 その声音は僅かに低い。

 話し方の問題だろう。


「宿主を変えたってわけか。芋虫野郎」


「そう睨まないで欲しいな。こうなる事くらい予想の範疇だろう。だが、君は躊躇った……そう、この身体は中々だ……ふふ」


 薄らと唇の端を吊り上げ、芋虫の中身が自分で自分の身体を抱き締める。


「そのブレードの味はどうだい? ドロップするモノの中でもそれなりの品だ。如何なる物理強度も意味を為さない……ほら、一張羅が切れていくぞ」


 出会った時より何やら余裕が無さそうな邪悪さで呟くそいつの言う通り、刃は低重力とはいえ、それでも地面に向けてズルズルと肉を引き裂いて、外套を引き裂いて、衣服を引き裂いて落ちていき。


 最後には脚を半分程割って、地面に突き刺さる。


「その痩せ我慢に何の意味があるのか知らないが、脚を傷付けてまで立ち尽くすとは……よっぽどにショックだったかな?」


 どうやら完全に乗っ取られているらしい。

 戦闘中にそうなったのか。

 あるいは単純に最初からその用途として傷付けられたのか。

 分からずとも、現在はそういう状態なのだと納得するしかない。


「なぁ、一つ訊いていいか?」

「何かな?」


 余裕綽々の表情は自分の絶対優位を確信しているようだ。


「乗っ取り能力はまぁいい。問題はその後だ。乗っ取られた人間が死んでた場合、乗っ取りが完了してお前が抜けたらどうなる?」


「勿論、死ぬ。ああ、だが、安心して欲しい。君に対しての切り札だ。半分焼けた時点で復元させてもらった。だから、この子は僕が消えれば、絶対助からない傷で生きながら絶望して死んでいく」


「そうか……オレに治せるかな?」


 僅かに考える。


 すると、相手の表情が今までのような楽し気なものから不愉快げなものに変化した。


「何故だ……君の事を好いた女が仮にも死ぬと知って、何故そんな事を訊ねる必要がある。君が望む通りの状態になるとでも? 残念だが、頭部が半分無いんじゃ復元しても元には戻らないさ」


「……そうか……ソレを誰がやったのかは興味が無いし、お前がどうしてそんな事をしたのかも訊ねる気は無い。ただ……一つだけ感謝してやる。お前は少なくともフラウを生かして此処まで連れて来た……お前に与える手加減はその分だけだ」


「手加減? この身体の持ち主を殺すとでも?」


 脳裏で組み上げた手順を全て“天海の階箸”で再計算、再推論。


「……お前がどうしてオレを煽るのか。そして、どうしてそんなにのか。至高天とやらがそんなにまでしても欲しいものなのか。オレには理解しようもないが―――」


 こちらの声へ割り込むように声が重なる。


「君は今から僕に従うべき立ち位置にいる!! この恒久界中に僕が存在する以上、僕である者が多数混じっている以上、君が今創ろうとしている軍すらも僕の手中だ!! 無用な死を避け?! 無用な殺しを控えて来た随分と道徳的な魔王様!! 君は最初から敗北していると何故気付かない!!」


 途中から怒気を孕むような気配。


 その声は限りなく死から遠いオブジェクトが出すには感情的に違いなかった。


「今から君の嫁とやらを皆殺しにしてみようか? 本当にアレだけで騒動が終わったとでも? 今も君の大切な人とやらは僕の掌の上だよッ。君にはまずあのクソ蜥蜴共と一緒にあの男と戦ってもら―――」


「オイ。そろそろいい加減にしておけ。その声はお前のものじゃないだろ」


「な、なに? 言っていた事が聞こえなかったのか!? 君に出来る事なんて無い!! ああ、そうだとも!! それとも軍と国家の内紛で君の手にある全てを地獄に突き落としたって構わないんだぞッ!!」


 深く溜息を吐く。


「態度が悪いなッ、そんなに僕に従いたくないと言うなら、まずは見せしめに何に―――」


 相手が言うより早く。

 ポトリと首が落ちた。


「ぁ―――がッッッ?!!?」


 歩いて行って、その首を倒れ込む寸前の身体に再び接合する。


 同時に魔術コードが発動。


 大量に吹き上がる事もなかった血が再び脳に血液を送り始める。


 ほんの数秒程度の話だ。

 人間は……首を切られても数秒なら意識がある。


 そして、脳もまた大量の出血さえ無ければ、常人が思うよりは長く生存する。


「なぁ、クソ野郎……オレの身の上話を聞いてくれないか?」

「な、ナニ、を―――」


 首を元に戻した手で相手の腕を捩じ切る。


「あ―――がッ、ぁあ゛ァ゛アアあああ゛アア゛ア゛ぁ゛ああァあぁアあぁあ゛―――」


 魔術コードは万能の域にある……そして、それを唯一神側のシステムを介さずに使える神剣は実際、恒久界内部でならば、殆ど距離を無視して、対象の座標へ現象そのものを出現させられる。


「残念だが、今のオレは道徳的って程でもないな」


 千切れた腕はやはり血飛沫を上げない。


 しかし、引き抜かれた骨と神経が剥き出しのソレを再び同じ場所にくっ付けた途端、やはり魔術コードが発動。


 元通りに傷一つ無く復元した。


「オレは誰かから言われる程、自分が強くないと知ってる。昔からそれは分かってたし、痛けりゃ涙だって流す。でも、誰かの為に泣いてやれるくらいにはまだ普通なんだ。勿論、こんな身体になってから、そういうのは控えてたが、何も本質なんて変わっちゃいない。人を殺しても無感動ってのは……もう脳器質に組み込まれた感情制御用のプロトコルみたいなもんだってのも解明してある。それが無けりゃ、オレは一々自分の為に人殺しなんて恐ろしい事出来やしないだろう。そう……」


「ァ、ぐ、ぅ……っ……ッ」


「でも、そうだな。オレはどうやら自分で想ってたよりは薄情だし、自分が理解していたよりは短気だし、ついでに痛みよりも怒りを優先する傾向にあるらしい」


「ひッ、ぐ、ぎ?!」


「なぁ、クズ野郎。今、お前が今宿ってるその子はな。オレの事が、オレなんかの事が好きだなんて言ってくれる子なんだ」


「な、ぃを―――」

「喋っていいとは言ってない」


 グチャリと顎を引き千切る。


 まるでゼリーのように喉元から肉が掴み取られ……しかし、血管も肉も骨すら見せても……やはり、一滴とて血は流れず、そっと元に戻せば、復元されていく。


「なぁ、蛆虫野郎。オレはその子に誓ってる。その子の願いを叶える為なら、大抵何だってやるだろうさ。出来る限り、人を傷付けないよう。出来る限り、あの子が望むような結果を願って……だが、な……お前はその中に入ると思うか?」


「ッ―――?!!?」


「オレはその子の笑顔が素敵だと思ってたし、これからも出来れば見ていられたらいいと思った。でも、結果はこうだ……お前がそうした。そして、お前はまだ生きてる」


 ゆっくりと首を持ち上げる。


「オレは大抵、言葉で会話出来る相手を人間として定義してきたが、世の中はそう上手くイカナイ事ばっかりだ。だから、今のオレにとっての人間の定義はな?」


 ゆっくりと相手の瞳を覗き込む。


「オレの傍にいる連中を傷付けない奴、だ」


「――――――」


「そして、卑近な例えで悪いんだが、オレは自分の血を吸う蠅や台所に出る黒いヤツは良心の呵責なく叩き潰せる人種だ」


 ゆっくりと空いている方の片手でぶら下がっている膝関節を掴み、潰し千切る。


 これまでと同様、血は出ず。

 しかし、虚空に浮いたソレはまたゆっくりと元に戻っていく。


「それに幾ら人間だとしても、オレの傍にいる連中を精神的に追い詰めたり、壊したり、殺したりするような連中を人間の内に含める気は無い……まぁ、そうだな。つまりだ。あいつらを害した連中を


 そっと首を下ろして立たせ、下からその瞳を覗き込む。


「お前がそうしたいなら、そうすればいい。オレはそれに対してオレの全力を以て答えよう。一つだけ言っておく事があるとすれば」


 “こちらの監視下にある不穏な動きをした全ての人類”の首がゆっくりと斜めにズレて、ポトリと落ち……やはり、死を経験する前に寸分の狂い無く虚空を巻き戻り、首に結合した。


 それとほぼ同時だろうか。


 その驚異体験をしただろう98%近くの身体からボトボトと白い芋虫が落ちていく。


 神剣による情報の確認は脳裏で凡そ一億回近い映像の連鎖となったが、それが処理出来てしまう肉体には一秒弱の出来事に過ぎず。


 どうやら違っていたらしい相手に対しては適当に魔術コード内にある記憶の改竄用術式を複数併用で施しておく。


「お前がこれから何をしようと……オレが見た奴、聞いた奴、存在する物、事、お前が乗っ取ったと思われる全てを絶滅後に復元させる。魔術コード込みなら出来るだろう。それが不可能になったら、別の方法を考えよう。でも、油断するなよ? 生憎とオレには無限の寿命があるそうだ……だから、いつかは終わるだろう。それが早いか遅いかはオレの状況次第だが、お前が宇宙の彼方にでも逃げるなら、少しは遠ざかるかもな」


 一応、微笑んでおく。


「オレはお前を許さない。許せないんじゃない。……」


 両手を伝って魔術コードで地面から引き抜き出した金属元素の流体が両腕を覆っていく。


「か、監視してたって言う、のかッッ?!? あの数をッ!?」


「オレの目が届く範囲でオレが扱う人材だぞ? システムの検索条件くらい改善するさ。生憎と引っかかった奴らが多過ぎて使うタイミングが無かったってだけだ。オレの今の力は少なくとも億人単位を軽く


 外套もまたゆっくりと背後で硬質化。


 数枚に分割されて内部から組み上げられる分子構造被膜をとある機構へと似せていく。


「馬鹿、なッ―――」


 青白く輝ける両腕と外套。


 第一次冷却の開始と同時に胴体へ作るわけにもいかない掌大程もある球形の機関が虚空へと顕出し……両腕の甲を抉り抜くように嵌った。


 シシフォス機関。


 規模も出力も小さいが、まぁ……km範囲内の全てを絶対零度近くまで光波と磁気トラップによって冷却するだろうソレが、作動と同時に両腕から後方に向けて最初期の準備、二次冷却を開始する。


 刹那、後背にある地面の大半が硝子質の地面毎、氷結……空気すら凍り付き、カラカラと水分が失せて、乾いた風が、凍て付いた風が都市中央を渦ように囲んでいく。


「何でオレがこんな身体を維持し続けてると思ってるんだ塵野郎。全部、引っ繰り返す為だろ? それくらいの準備はしてきたんだよ……どれだけオレの情報を抜いてるのか知らないが、オレの頭の中を覗けない限り、お前に最初から勝ち目なんて無い……」


 ゆっくりと目の前の少女の身体を、抱き止めるようにして腕を回す。


「これから冷凍処置を開始する。お前が逃げようと逃げまいと関係ない。原子の運動エネルギーの減速を極限まで行う……お前は逃げてもいいし、逃げなくてもいい。でも、覚悟しておけ」


 相手の表情など見る必要も無く。

 胸に顔を埋める。


「オレはお前を得たなら、お前以外の芋虫が……壊し続け、癒し続けよう。これは最初で最後の手加減だ……良かったじゃないか。オレの人生の時間を少しでも削れて……さぁ、カウントダウンだ。お前にとっての、な?」


「や、やめ、止めろッッッ?!!」


「10、9、8―――」


「この娘も同じようになるぞ!!?」


「7、6、5―――」


「ひ、ぎッ、イッ?!!? 出来るわけがないッ!!? 出来るわけがッッ?!!?」


「4、3、2―――」


「出来るわけがぁあああああああああああああ―――ッッッ!!!?」


「1―――」


 ボジュンッと。


 まるで焼き芋虫になるまいと寄生先から飛び出す白くブヨブヨとした塊が、少女の身体から抜け始め、次々に脱出しようとした先から消える事も許されずに分子運動を停止させられて、地面に落ちては形も残さず砂のように崩れ去っていく。


 身体の端から凍結されていく少女の姿が、火炎で焼け爛れた顔が、存在していない半身が、顕わになった瞬間、最後の芋虫は確かに断末魔を上げるかのように背中から飛び出し。


 左手に握り潰され、粒子の一欠けらとなって風に溶けた。


 遺ったのは少女の肉体と自分のみ。


 全てを覆い尽すように氷床が出来上がり、都市中心部が凍結する寸前。


 世界が、歪んだ。


 巨大な構造物が陽炎のように揺らめきながら、周囲に現れ始め、それに比例して虚空からボトボトと無限のように湧き出した芋虫が蠢きながら一匹残らず氷結し、砂のように砕けていく。


「そうか。違和感の正体はコレか……何でも自分達で復元出来るってのにどうしてこの都市そのものを復元してないのかと思えば……を復元してたわけだ」


 そう、結局はそういう事なのだろう。

 元々、月竜という国は無かったのだ。

 それも昔にこの国の種族は滅ぼされたという。


 ならば、滅んでいた種族というものが存在していた当時の、初期化前の空間を模して復元が働かされている可能性は否定出来ない。


 あらゆるものになるというその力を真に用いるのならば、こちらから容易には攻撃出来ないモノに宿るのが常道となる。


 元々、ギュレン側が作った都市だ。


 それを一々復元するよりもより分かり難いものに取り付いていて操ろうとしていたと考えれば、納得はいった。


「……こいつを初めて使うのが作った当人自身になるとは思ってなかった……ごめんな……間に合わなくて……」


 機関を停止して、左手で懐から白いソレを取り出す。

 傍目にはきっと和食の団子に見えるだろう。


 それを齧り、未だ掛けた唇に……少しだけ埃を拭ってから口付けし、流し込む。


 魔術コードによる生体の一斉解凍―――それが口内に達するとほぼ同時に少女の消え失せた半身の断面から突如、肉の塊が膨張した。


 数秒後、超高濃度の栄養剤によって瞬間的に成長したソレが空気の抜けた風船ように萎んでいく。


 月兎の秘術。


 それは世界の初期化後、新たな器たる肉体の生成用細胞を用いた代物だ。


 全てを魔術コードで補う場合、それなりの質量が恒久界からエネルギーとして失われてしまう。


 このような事態を回避する為に肉体だけは初期化後、最初に月兎の地下施設において生み出されるのだと言う。


 これを用いた巨人タイタンズが強力なのは当たり前だろう。


 それはこの世界の命の法に等しい力なのだ。


(上手く、いけよ……システム上に人格が保存されてるなら、脳器質自体こそがバックアップ……肉体そのものが欠けても、再構成出来れば、これで必ずッ―――)


 内部での肉体の形成が終わると同時に未だ萎み掛けの肉風船に囚われたまま、半分の瞳がパチリと瞬きした。


 顔の半分を覆う肉の皮を分け目からゆっくりとゆで卵でも剥くように引き剥がせば、ツルリと赤身を帯びた肌が、唇が、薄らと開く瞳が、こちらを呆然と見やる。


「……お目覚めかな。お姫様」

「セニカ……殿?」


「魔王閣下でも、セニカ様でも、セニカ殿でも構わないが……取り敢えず言わせてくれ」


「は、はぃ……」


「助かった。ありがとう……そして、これは一人の男としての言葉だと思ってくれ……」


「え……?」


 呆然と。

 未だ、何一つとして確かではないのだろう相手に。

 まったく卑怯者だろう魔王は。

 否、カシゲ・エニシは伝える。

 そう、己の、ただの自分の意志で以て。


「心配し過ぎて、胃に穴が開きそうだった……そして、年頃の娘を傷物にした以上……責任を取ろうと思う……」


「あ、え、ちょ、ちょっと待って下さ―――」


 そろそろ乾いたらしい肉の被膜を片手で全て剥ぎ取る。


 思わず、今まで辛うじて原型を留めていた衣服も全て皮に絡め取られ、全て周囲へ落ちてしまう。


 だが、構うものでもない。


「オレが死ぬまででいい。オレの帰る場所で、オレの帰りを待っててくれないか?」


「ぁ―――な、なんて、なんて事を、言うの、ですか……っ」


 いつも気丈に振る舞う少女の顔がクシャリと歪む。


「……私は……貴方に指一本だって触れられてないのですよっ」


「今、触れてる」

「傷物にだって、されてませんッ」

「さっき、お前の身体から敵を追い出すのに色々した……」


「ッ、せっかく……諦めたのに……諦め切れたと思ったのに……っ……魔王は邪悪で狡猾で人の気なんて知りもしないで……本当にどうしようもなく女誑しで……」


「甘んじて全部、受け入れる。ソレでいい」


「自分の事なんて一欠けらも考えてない癖にッ、それなのに高々小娘一人の為に自分の身を危険に晒してッ、貴方の事を思ってくれる人達に迷惑まで掛けてッ」


「オレの人生だ。自分の女くらい、助けさせてくれ」


「―――本当にどうしようもない人……貴方は……本当の大馬鹿者です……」


「オレのいた時代のオレのいた国のオレのいた界隈じゃ、馬鹿ってのは褒め言葉でご褒美なんだ」


 罵倒も罵詈雑言も既に言葉とはならなくなってしまったのか。


 顔が俯けられる。


「……何番目でも構いません……全て私のものではなくても……だから、全て嘘だったとしても……私を……今だけ……今だけは……此処で……貴方の……」


 フラウがこちらを抱き締め、ふら付く。


 押し倒されるより先に背後にある凍った珪素全てを穴開きスポンジ状の化合物へと変換。


「―――貴方のおんなにして下さい」


 慣用句だ。

 それもきっとねやの中で交し合う秘めやかな。


「なら、オレをお前のおとこにしてくれ。フラウ……」


 意味なんて知らずとも。

 全てが未知だろうとも。


「……はいっ」


 それはとても美しく可憐な告白ひびきだった。


「なら、オレの答えは―――」


 しかし、唇が伝えるよりも先には相手の方から返って。


「ん……」


「んっ……ふっ……っく……っ……っ……ん、はぁ、はぁはぁ……月兎の女は……本当はとても激しい方、なのです……外に出せないだけで……本当はとても卑しくて、計算高くて……」


 艶やかに泣きそうに微笑む乙女。

 その瞳の色は肌に浮いた汗すらも真珠のように輝かせて。


「じゃあ、初めて魔王が敗北したって歴史書に載せておく」


 クスリと年相応に。

 いや、ただ彼女らしく。

 潤む瞳が静かに細められた。


「……はぃ……私の魔王様いとしいかた


 じ~~~~。


 ふと気付くと。

 何故か巨大なものが複数こちらを覗き込んでいた。


『近頃のわがものは進んでるじゃ~』

『んだんだ』


『おーい。こったらどごでさがっでると官憲に連れていがれるべよ』


『そーゆ゛-のだば、家でやれ、家で。あ、おめでどさん』


『こご、どごだど思っでんだぁ、げづりゅうの首都ホォール噴水前だど? 若げぇ衆は帰っだ帰っだ』


「「………」」


 物凄く訛った大音響が周囲に反響すると何だ何だと視線が増えていく。


 それは皆、数十m近くある巨竜兵みたいな図体をしていた。


 まぁ、それでも小さいし、そもそも此処は首都なのだから、大きい人型竜形態の相手が居たっておかしくないのだが……それにしてもいきなりだろう。


 恐らく。


 月竜を乗っ取った際に空間そのものを侵した芋虫達が色々と小細工していたのだろう。


 フラウとていきなり現れたのだ。

 何処かにいなければ、顕れようもない。


 首都そのものを異空間的なもので覆い隠していたという事なのかもしれず。


 理屈はどうあれ。

 此処はもう二人の空気という場でもないだろう。

 フラウに外套を被せて、周囲を見渡すと。


 どうやらこちらが倒れていたのは巨大な建造物内の中央にある噴水の上らしい。


 正しく小人の国に迷い込む的な視野の中。


 次々に大型竜達がこちらを見付けて繁々と瞬きし、虚空を行き交う普通の人型サイズというか。


 人間に様々な角が生えた月竜の住人達が好機の視線を送って来る。


「ぁ……ぅ……ふぐ……うぅぅっ」


 急激に上せたように全身を朱く染めた乙女が一杯一杯になった様子で涙目となり、羞恥のあまり今にも飛び降りかねない様子でこちらを見つめる。


「はぁぁぁ……取り敢えず、帰ろうか。続きはさすがに此処じゃ、な?」


 フシュゥゥッともう限界だったらしいフラウが倒れ込み、目を回した。


 ご婦人と老齢らしい訛りのキツイ老人竜達を背に猛スピードで離脱する事数分。


 騒ぎを聞き付けた首都警邏中の警官をブッチギッて壁の外まで辿り着けば。


 蜂型ドローンが人が数人乗れるだろうカーゴを下げて待っていた。


『婿殿!! さぁ、早く!! そこのを載せて逃げるんじゃ!!』


「ちょっと待て?! 見てたな!? 見てたんだな!!?」


 動揺していたらしく。

 口笛は調子外れの様子で垂れ流される。


「情報統制はしっかり頼むぞ。後でちゃんとあいつらにも説明するから」


『ん、え、ぁ~~そ、そうじゃな!!』


「何だその反応……」


『いや、ほれ、そこは、その~な? ワ、ワシは悪くない!! ワシは悪くないんじゃ!!? 安心するが良いぞよ!! 婿殿の大ぴんちだったらマズイとちょっと流しただけじゃ!! ちょっとだけ!! ちょっとだけ身内に流しただけじゃから!!』


 惨憺たる気分で額を揉み解す。


「ちょっとだけってオイ……何処まで……」


『お目覚めかな。お姫様、の下りからじゃ』


「ほぼ、戦闘以外全部だろソレ!?」


『ひぅ!? や、止めるのじゃ!? こ、これ!? 百合音!!? い、いつの間にそんな電子戦技術を!!? え? 婿殿の為に頑張って? う、うむ!! 良い子じゃな。さすがワシの百合音!! ひきゅ?! あ、アーカイヴは止めるのじゃ!? あひゃひゃひゃひゃ!!? くぅ~~~わ、分かったのじゃ!! む、無線封鎖は解くのじゃ!? キーコードを渡すから、ワ、ワシはもう別の仕事に行くのじゃぁ~~~ッッ!!?』


「オイ?!! 一人で逃げる気か!!?」


 と、言っている合間にもヒルコとの回線が閉じた。


 それと同時に複数の息遣いが、それもかなりの溜息が連続して深く深く耳に響いてくる。


『縁殿……』


「ゆ、百合音か」


『エニシ殿……』


「何だ?」


『帰ったら家族会議でござるよ。某さすがに今回は擁護出来ぬ』


『ちなみに今、後ろにいる悪鬼羅刹とは絶対戦いとうないでござる』


『故に帰って来たら、大使館のエニシ殿の部屋に出頭するようにと後ろからのお達しが』


「ぁ、はい……」


『『それにしてもエニシ殿は本当に女誑しでござるなぁ。某もちょっと下の方がきゅんとしたござるよ?』』


「ゴフッ?!」


『それと取り敢えずの一区切りとなったようなので家族会議後、全員同意の下でエニシ殿にはしっかりとが科される事となったので悪しからず』


「ぅ……拒否権は……」


『さっきの会話が全世界に垂れ流される危機を招きたくないのならば、自重した方が……』


「さいですか……」


『まぁ、良いではないか♪ 此処がエニシ殿の』

『諦め時でござるよ♪』


「―――頑張るから、や、優しくな?」


『それは』

『某達の台詞なのだがなぁ……』


 まったく反論出来ない。

 しかし、脳裏は警鐘を鳴らしていた。


「絶対、今何かしたらロクな事にならないってオレの勘が言ってるんだ……」


『何かしたらではなく』

『ナニをしたら、でござるよ♪』


「不安だ……果てしなく……戦争するよりも……」


 肩を落とすしかない。


 どうやら、魔王の年貢の納め時は刻一刻と迫っているらしかった。

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