第235話「真説~潜入~」

「大尉。全機、施設内から退去しました。これで我々は孤立無援……無線封鎖を解かない限りは敵側にも早々見付かりはしないでしょう」


 中尉の声が大尉のメット内に響く。

 周囲の人間は4人だけだ。


「これで後戻りは不可能になったな。全員、配置に付け……この昇降機が到達した時点で再度の戦闘が予想される」


「ひゅー……こいつぁ……大尉、さっき最後にドローンで送られてきた情報、通信兵とちょっとだけ確認してたんですけど、あっちは相当ヤバい事になってますよ。こりゃ」


「何?」


 軍曹の声に僅か上官の目が細められた。

 大尉、中尉、軍曹、通信兵。


 四人の男達がエレベーターの終端が近付いてくるのをメット越しに天井付近の階層表示で確認しながら、しばしの休憩と洒落込んでいた。


「大尉……本隊からの情報のデコードが終了しました。現在の状況も含めてご報告致します」


「ああ、やってくれ。通信兵」


 四人全員のメット内で情報が共有されて映し出される。


 通信方法はレーザーと極短波による半径2m圏内のみに絞った超短距離通信だ。


 殆どの通信傍受に掛からない上、狭いスペース内での情報共有ならソレだけで十分とシステムの本体は通信兵の背負うバックパック内に内蔵されている。


「36分前の情報です。まずAをご覧下さい」


 通信兵は同時に情報処理のエキスパートであり、同時に戦術を即応させる為に参謀役もこなす部隊の中核だ。


 全員のメット内に展開された映像はまるで今そこに存在しているような臨場感を伴って、ある光景を人を不安にさせながらも少しずつ勇ましくなっていく音楽込みで体感させる。


『USA宇宙軍諸君。君達に朗報だ。オレはせっかく飽和核のプレゼントを持って来てくれた君達に何のお返しも出来ないのは心苦しいと思っていたところだったんだ。だが、どうやら準備は整ったらしい』


 其処は……ミサイルサイロだった。

 サイロと言っても一つではない。


 それそのものが無限のように横並びになっている光景が多角的な視点の映像で映し出されており、次々にサイロの奥底からミサイルがせり上がり、隔壁で閉ざされ、装填されていくような様子は男達の顔を引き攣らせるに十分なものだった。


『見てくれ。急な事でこれくらいしか用意出来なかったが、全部核ミサイルだ。ただ……普通のミサイルじゃない。超長距離航行可能な上に指定した宙域をゆっくり更地にしていく代物だ。大当たりは一発半径500kmを灰にする程度だが、他のは空だったり、あるいは戦術核くらいの威力しかない事もある。大きさは全長で20m弱……だが、だからこそコレを30万本用意出来た。ああ、発射を一度になんて言わないから安心して欲しい。精々があらゆる方位に300本ずつ、時間差とランダム性を付与して撃つ程度だ。まぁ、“適当な宙域”に撃つとだけ言っておこうか』


 まるで悪魔の声。


 それと同時に発射された核が“彼らの後方”や“彼ら以外の軌道艦隊”や“彼らの祖国”にも近しい場所へと次々飛び出していくのが示された映像内のマップでは軌道予測で見て取れた。


『嘘ではない事を知らせるべく、初弾は全て弾頭を装填済みだ。起爆』


 その言葉と同時に確かに核の炎が宇宙に大量の火の球を生じさせた。


『これにはしっかりとマーカーも付けておいた。存分に破壊してくれ……無論、何もしないのも手だ。ただ、それで君達の後方や連絡線、兵站が脅かされる可能性もある。祖国になんか当たったら大惨事だろう。オレはまだ大量虐殺なんてしたくない。オレを助ける為にも是非、悪逆非道なミサイル群を破壊し、君達の同胞や君達の祖国にいる無辜の民を救って欲しい』


 魔王と名乗った黒き人型が道化のように厭味ったらしくペコリと頭を下げて消え。


 次々に艦隊が、無線封鎖の上に現在は他艦隊との間に情報をやり取りしていない彼ら以外の艦隊が同じ情報を受け取ったらしく。


 後方や連絡線、祖国のある宙域へ向かうミサイルを次々に打ち落としていく。


 だが、問題なのは重要ではない場所へ放たれたミサイルもまた迎撃しなければならない事だというのはその場の誰にも分かった。


 祖国の位置、戦略的要所の秘匿は宇宙戦において絶対だ。


 戦略兵器の的になりたくなければ、部隊は決して敵へその位置を教えてはならない。


「―――」


 さすがの大尉も絶句していた。

 艦隊が持つ核を超える総量。


 それが既に月面から周辺宙域に撃たれているというだけでも血の気が引くには十分だ。


 これが自分達のやってきた艦隊への攻撃ならば、まさしく奮い立つだけの理由になろう。


 しかし、相手の思惑が核の消費と敵重要拠点の絞り込みにあると分かっている以上、重要な地点に届き得るミサイル以外も迎撃しなければならない。


 核を破壊するのに最適なのは核なのだ。


 これがステルスの類ならば、彼らとて迎撃に漏れが出るのは避けられまい。


 しかし、相手は全ての核弾頭の位置をわざわざ教えてくれるという。


 このジレンマを前にして艦隊に出来るのは出来る限り、月面付近で核ミサイルを破壊する事だが、現在艦隊の突入部隊は撤退中。


 その上、月面近辺で謎の通信遮断現象が断続的に起こっているらしく。

 情報そのものをドローンに載せて飛ばす事でしか対処出来ていない。


 こんな状況下である以上、月面攻略作戦に投入された艦隊だけで全てを迎撃するのは不可能。


 結果、温存されていた他艦隊が敵を前にしてわざわざ姿を現したのも同然で出て行かざるを得なくなったのである。


 さすがに大尉を筆頭に全員が僅かな沈黙に支配されるのも無理からぬ話だった。


「こいつ……やべーですよ。大尉……」


 軍曹が思わず渋い顔で全うな感想を呟く。


「大尉。我々は……」


 中尉の僅か逡巡が混じる声にしかし声を掛けられた上官は動じない己という仮面を付けるしかなかった。


「中尉。軍曹。我々の目的はあくまで敵後方への突入ルートの確保。そして、突入方法の確立だ。艦隊側はしっかりとした働きをしてくれるだろう。悩む程の事でもない……我々には我々にしか出来ない事がある。それをしっかりと遂行すればよい。いいな?」


「はい。大尉」

「了解です。大尉」

「途中なのに済まなかった。続けてくれ」

「はい」


 映像を止めていた通信兵がその言葉に頷いて、情報の続きを流し始める。


「現在も艦隊は恐らく迎撃を続けています。ですが、30万本という単位が真実かどうかはともかく。情報がインプットされた時点では500発近くのミサイルが撃たれ、その内の32発が迎撃時に爆散、核である事が確認されています。その発射速度は時間経過と共に緩くなっていたようですが、映像事態には編集した跡を見付けられなかった事もあり、確実に千本単位では存在すると艦隊参謀方は判断しました。我々の最優先目標は引き続き敵施設内への突入ルートと突入方法の確立ですが、それに加えて第二次目標に繰り上げで敵ミサイル施設中枢の把握と出来るならば、詳細情報の奪取と輸送、可能なら破壊というものが加わりました」


 通信兵の言葉に軍曹が肩を竦める。


「お偉いさんはオレ達を便利屋か、さもなくば魔法使いか何かと勘違いしてるんじゃないですかねぇ?」


「軍曹」


「ちょっとくらい愚痴らせて下さいよ大尉……無茶言われてるんですから」


「それが軍人というものだ」


「こんなヤバげなところに生身で潜入してる時点で十分に上層部へ貢献してると思いますがね」


 その言葉に中尉が僅かに目を細める。


「軍曹……我々がやり遂げねば他の誰にもやり遂げられない事だ……きっと……」


「通信兵。艦隊司令部からの伝令はそれだけか?」

「はい。ですが、まだこちらから伝達したい事が」

「何だ?」


 大尉の訊ねに応じて、メットに更なる情報。

 先程戦った黒き魔王。


 カシゲ・エニシと名乗る相手の解析結果が映像を編集したものを軸に全員へ共有される。


「手持ちの機材の処理能力ではコレが限界でしたが、幾らか相手側の能力が分かってきました。コレをご覧下さい」


「何だコレ……一定領域内部に侵入する外部からの物質を蒸発させて、他のエネルギーは逸らせてるってのか? 磁場の制御やガスの生成……これらを全部、この剣一本でやってるって? どういう理屈だよオイオイ……こいつは本当に魔法使いみたいじゃねぇか」


 軍曹がさすがに解析結果を信じられないような口ぶりで呟く。


「恐らく、この剣はオブジェクトの類ではないかと。閣下との戦闘では傷付いていた事から限界はあるのでしょうが、一方向から小さな領域を狙い撃っても相手のカバー範囲だと思われます。戦うならば、近接戦闘……それも相手の速度を上回る立ち回りを要求されると思って下さい。これが可能なのはNVの中でも小型の機動性に優れたものだけだと思われます。また、対磁コーティングにガスの影響を受けないように対処する事も必要でしょう。最後に重要なのは火力の集中が全方位から行えなければならない、という事です。この映像を見て下さい」


 通信兵が並べたのは黒い少年が持つ黒き剣が突き出されてから何もない領域をCGで色を付けて加工した代物だった。


 そこに入ったあらゆる攻撃が昇華されて、後方へと受け流されていく様子が見て取れる。


 その刹那刹那に見える領域の外郭は傘のようにも見えたし、少し広がれば半円のドーム状とも捉えられた。


「こいつは……防御能力にも限界があるって言いたいのか?」


 通信兵が頷く。


「はい。この領域が粒子線を弾き流している状態の映像を幾つか処理して計算したところ、同時に逆方向にこの領域は発現させられないようだとの結論に至りました。戦うならば、剣先から真逆の位置に陣取って攻撃する必要がある」


「通信兵。だが、奴は勘が異様に良いように見受けられたが?」


 中尉の言葉に軍曹もそういやという顔で顎に手を当てる。


「そういやトラップが全部無駄になったのも有り得ねぇ。攻撃の瞬間にはもうこっちの射線があの剣の領域で遮られてた……予測されてるって考えるのが妥当か?」


「バックアップに余程高度なAIを使っているものと思われます。無敵のように見えますが、実際にはこちらの行動に先んじて対処され、NVの標準火器をものともしない防御手段を持っているからこそ、そう錯覚しているに過ぎません。然るべき手順と然るべき装備があれば、対処は可能だと判断します……」


「解析ご苦労……これで我々にも聊かなりとも希望が見えて来たな」


「いえ、そんな……」


 大尉の言葉に恐縮ですと肩が縮められる。


「はは、小さなデブリにも満たない希望かもしれねぇが、まぁ……不死身と考えるよりゃマシか」


「………」


 通信兵はわざと大尉以外に開示しなかった情報。

 月面で突入部隊と戦った相手の負傷報告についてを己の胃に呑み込んだ。


 相手は重症を負ってもすぐに回復する、なんて今の段階では言ったところで詮無い事なのだ。


 無敵ではないと言っても、今の自分達がまともにやり合えば、負けるのはほぼ確定しているに等しい。


「さて、そろそろだな。用意しろ」


 これ以上、隊員の士気を削ぐ事をしなかった部下に僅か肩を叩くという感謝方法を示した大尉が全員に通達する。


 そして、全員が昇降機の脇へとよって、小型のアサルトライフルを構えながら、扉が開くのを今か今かと待つ。


 そうして、その時がやってきた。

 チーンという音と共に扉が左右へと開き。


 ジャガッと前方に向けられた銃口はしかし―――すぐに後ろへ引き気味に下がる事となった。


 何故か?

 部隊の誰もが後ろへと退いていたからだ。

 其処は……一室だった。


 木製の壁に手編みと思われる大きな微細な柄が入ったタペストリーが掛かり、木戸である窓際には白い花が一輪活けられた花瓶。


 寝台の横にはサイドテーブルが一つ有り。

 椅子が二つ。


 しかし、その一つには人影が座っており、ドレスタイプで色褪せた元の色も分からない灰色のパッチワークだらけな衣装から半分肩を脱いで出し、そのまろび出た乳を赤子に吸わせていた。


「ぼうや~~かわいいぼうや~ねんねのじかんにねんねしな~」


「う、動くんじゃねぇ!!?」


 軍曹が動いた。

 しかし、その声が聞こえていないのか。


 その40代くらいだろう女は白い産着に包まれた我が子を何度もあやしてはニコニコしている。


 すぐに大尉が軍曹の前に手を出して制した。


「恐らく幻だ。プロジェクターの類かもしれん。中尉、先行して周囲に触れてみろ」


「了解」


 部屋の中へと素早く出た彼が壁を触って驚く。

 感触がしっかりとあった。

 それに慌てて椅子や寝台なども手でなぞるも感触があるのは変わらず。


「本物としか思えません!! 大尉」


「ホログラムを何かに被せているのかもしれん。その母親の髪や肌は?」


「は、はい……」


 そっと、まるで彼らの事を見ない市井の女の髪が触れられ、うなじが触られた。


 しかし、やはり感触は人間に接触した時と同じ。


「私個人の感触としては本物と見分けが付きません」


「そうか。だが、やはり我々には反応しないな。中尉、ドアを開けてくれ」


「は、はい!!」


 すぐ傍の木製の扉がゆっくりと押戸で開けられる。


 するとその先を覗いた中尉には更に外へと続くものと思われる扉が見える。


「外に続くと思われる扉と玄関があります。大尉」

「分かった。全員、此処から外へ行くぞ。中尉、先行してくれ」

「はい!!」


 外への扉を恐る恐る開きながら、サッと周囲に銃口を巡らせた中尉はしかし、その先に施設内では有り得ないだろう光景を見た。


 其処には空があった。

 土があった。

 水があった。

 街があった。

 人があった。

 いや、人だけは彼らとは少し違うか。


 人間の形をしていても、その頭部には動物のような耳が生えており、そんな生物が街中を闊歩している。


「何だコレは……」

「中尉。外の様子は?」


 背後から掛かる声に詳しく答えた彼は促されるままに外へと出て、部隊に一応は安全なようだと続くように告げる。


 全員が外へと出たところで絶句し、その原始的な衣装を身に纏い、人間では有り得ない耳を持つ人型の生物達の……生活の様子をマジマジと見詰める他無かった。


「大尉……さっきからここら辺は空気がある上に異常が無いと機器に出てるんですが……メット、取っちまっても構いませんかね?」


「勧められないが、止める理由も思い付くが……この状況だ。誰か確認するべきと判断する。我々の装備が電子的に欺瞞されていなければ、大丈夫だろう……」


「じゃあ、お先に……」


 メットが取られた。


 内部から出て来たのは東南アジア系の少し浅黒い肌を持つ30代くらいだろう無精髭の男だ。


「すぅ~~~はぁ~~~ん~~~埃っぽい? いや、臭いっつーか。ぅ~~ん? 標準惑星環境ブロックの空気を10倍濃くした感じと言えばいいのか? まぁ、今のところ問題有りませんね」


「軍曹程の男が大丈夫だとしても、我々にはどうかな? 少々キツイかもしれんな」


「冗談キツイっすよ。大尉……」


「数分観測して大丈夫そうなら、中尉もメットを脱げ。此処で酸素と循環系の節約を行っても良さそうだ。これが幻の類だとしても、触れる幻……そういうものならば、何か手掛かりはあるかもしれない。通信兵、悪いがそちらだけはメット越しで観測を頼む。我々の様子は逐一記録しておいてくれ」


「了解しました」


 大尉の言葉でその異様な現状での行動指針は決まった。


 それから数分、村というのだろう共同体の建造物が密集した地点を中心に全員が歩き回り、付近の探索となった。


 大尉と中尉もまたメットを脱いで周辺を感じ取るようにあちこちへ目を向けていたが、やはり道行く人々は誰一人として彼らを見向きもしなかった。


 不用意な接触は避けながら、歩き回った彼らが辿り着いたのは何やら多数の人々が集まる大きな店舗型の場所。


 壁際には大型のアンプグルが多数置かれており、それからカップに何か色付きの液体が注がれる。


 それを美味そうに呑む男達が顔を赤らめて笑い合う様子は彼らにとって何とも言えない理解に苦しむものだった。


「こいつら、一体何を摂取してるんすかね……一瞬、嗅いでみたらひでぇ匂いがしたんですが」


 軍曹が僅かに指で鼻の下を擦った。


「薬物である事は確実だろうが、共同体に許された代物らしい……通信兵。アーカイヴに何かあるか?」


「はい。調べたところ、このような場所はサカバと呼ばれており、アルコールを摂取しているのではないかと推測されます」


「ア、アルコール? オイオイ、何の冗談だ!? こいつら、自分の脳と身体が壊れるのに喜んでるのか?! 信じられねぇ……集団薬物中毒の現場かよ……おぇ」


 軍曹が顔を顰めて舌を出す。


「……しかし、彼らはコレを呑んで陽気になっているようにも感じられる。通信兵……アルコールにはそのような作用が?」


「はい。アーカイヴの情報ではアルコールには脳の働き、理性を沈める効果があるとの事です。主に前頭葉の動きが鈍くなるとか。神経系にも作用するようで反応は摂取した人物によってまちまちとの記述が……」


 中尉の訊ねに通信兵がそう返した。


「ふむ。我々には理解しかねるが、これがこの人型生物達の共同体において重要な儀式なのかもしれん……太古、祖国や他の国でもそのようなアルコールの摂取を娯楽にしていたという話を学生スクール時代に古代史の講師に聞いた事がある」


「そういや、大尉って古代史専攻でしたっけ」


「ああ、もう何十年も前の話だがな。先程の母親とその息子と思われる個体がしていた行為に付いても恐らくだが……授乳という行為ではないかと推測出来る」


「ジュニュウ?」


 軍曹が首を傾げる。


「ああ、信じられないかもしれないが、女性は子供を創る時、自分の内臓器官で受精から出生までを行っていたらしい。その時、子供の最初の食事として与えるのは自分の胸部器官で作られる血液から濾した液体……ソレを母乳、と言うそうだ。これを子供に与える事を授乳という」


「血って、そりゃぁ肉は子供ん時でも喰ったりはしますけど、血液って……」


 もう無理と言いたげに辟易した様子で軍曹が首を横に振る。


「どうやら此処に我々の探す脱出手段やミサイルの発射施設に関する情報は無いようだ。次に行こう……」


 大尉が踵を返そうとするも、不意に卓を囲んでいた酔っ払い達の一団が声を大きく話し始める。


「けっ、戦争だとよ。また、かーちゃんを残して出征とかやってられねぇぜ。ぁ~あ~領主様はいいご身分だぜまったく。自分は館ん中に籠って知らんぷりだっつーんだから」


「オイ。ちょっと呑み過ぎだぞ!! 官憲に聞かれてたら事になっちまうって」


「けッ、何が官憲だ!! この○ァッキン官憲が!!」

「ちょ?!」

「お前も一緒にほら、いっせーの、フ○ッキン官け~ん♪」

「……知らねぇぞ、おりゃぁ……」


「戦争なんぞ止めちまえ!! 死んだら、息子にもカーちゃんにも会えなくなっちまうんだぞ!? オレはヤだね。知らん奴の為に死ぬなんぞ!! 連中が攻めて来たら戦うさ!! だが、今回のはちげぇだろ? おりゃぁよう!! そこんとこ―――」


「ファッキンて何だ?」

「何らかの罵倒の言葉ではないかと」


 酔っ払い達のゴタゴタとした会話が理解し切れず。

 軍曹を始めとして部隊の誰もが首を傾げていた。

 国家に従事する事は生きる事。


 宇宙において団結が生存方法であり、その国家方針は常に誰にも理解される常識の範疇だ。


 上官であろう存在の方針に意見ではなく異議を唱えるという時点で彼らには違和感しかなく。


 己の欲望の為に戦うのを忌避するという感覚もまた彼らにおかしなものを見ているような気分を与えていた。


 全員がその場から遠ざかる。

 しかし、一向に現在状況の解決の糸口は見付からない。

 一旦、元来た家に戻ろうとあの母親がいた家を探すものの。


 それすら見失った事を知った時、誰もがようやく自分達の現状を不安要素として認識し始めた。


 どうすればいいのかが分からない。


 探せど、探せど、彼らが触れられる幻影はいても、彼らを認識する者はいない。


 そして、全てが五感に現実であると刷り込んで来る幻を前にして、歩き回り続けた彼らにも村の外へと出て一周した時点でその場へ自分達が閉じ込められたのではないかという疑念が燻り出していた。


「大尉。こりゃぁ、オレ達……」


 軍曹の最もな声。


 通信兵は先程から観測用のセンサーとレーダーをフルレンジで使っていたが、一向に今の状況が現実でしかないという結果を吐き出す機械からの報告を目にするばかり。


 中尉だけが探索を続けて、部隊から少し離れた場所などで人型生物を観察していたが、その手が腰の拳銃へと伸びた。


 しかし、ソレが行われるより先に大尉が後ろから手を重ねる。


「大尉……ですが……」


「我々は偵察部隊だ。そして、不用意な攻撃が何を誘発するか分からない以上、この状況の解析を最後まで行ってから、それは使うべきだろう」


「……分かりました」


 彼らは途中、小休憩時に何度か緊急キッドから取り出していた長期の超高カロリー栄養食であるスティック状の細い棒状のレーションを齧る事で飢えを凌いでいたが、人間には食料よりもまず必要なものがある。


 そして、それは確実に3日も取らなければ死に至る可能性がある。


「大尉。もう水の残りが少なくなっています。重量のあるものなので限定的に持って来たもののみでは恐らく3日持たないかと」


 通信兵からの声を村外れにある井戸の近く。


 暮れていく夕景の最中に聞いた全員が……現地調達という言葉を思い浮かべ、通信兵が検査キットで調べている水の試験管に目を向けた。


「どうやら大丈夫なようです。この検査キットが幻でない限りは……」


「オイオイ。こえー事言うなよ……」


 軍曹が顔を引き攣らせる。


「分かった。限界が来たら、水資源だけは現地調達とする……レーションは30日分ある。その合間に住人達が言っていた隣街まで足を延ばしそう。我々が見えていないのに触れられ、進路を妨害しても自然と避けていく……これらの状況を解明し、施設内へ再び戻れるかどうかも確認しなければ……」


 大尉に敬礼で答えた中尉と通信兵。


 そして、水のサンプルを胡散臭そうに睨む軍曹が黄昏時にそれを透かし見た。


 彼らの月面先行偵察はそうして初日を終えていく。

 その日、全員が交代で見張りをしながらの仮眠を取る事となった。


 *


『婿殿。全員が順調に適応しているようじゃ。それに比例して、吐き出す情報の量も増えてきておる。取り敢えずは成功じゃな。幾らかの報告が纏まったらそちらに送るぞよ』


「ああ、了解だ。あっちもどうやら1日くらいは動きも無いみたいだし、一旦分身に現場を預けてから、そっちに戻る」


『あの秘書子殿の魔術はほんに便利じゃなぁ』


「バグだからな。禁止してない開発者がいる以上、裏技扱いなんだろ」


 広大なドック内で動きも素早く高速でウロウロと動き回る男達が、仮眠したりしているのを眺めながら、脳裏で魔術を起動。


 自分の虚像を虚空に出現させた後。


 それを背後に奥にある直通のエレベーターから黒く染まった大蒼海を貫通する経路で空の中央付近へと降りた。


 現在位置は月猫から数十km先。


 相も変わらず薄暗い世界はしかし、現在空に複数の光点が行き交っている。


 それは宇宙船の輝きだ。

 地球から乗って来た代物をモールド・ドローで増やして後。


 適当に魔術で浮かべ使っていたのを自分以外が使えるように魔術具化して、装甲に象形を彫り込んだ代物である。


 恒久界各地で集められた兵隊未満の輩を主要三カ国に集めて敵への備えとする。


 その物流を支える宇宙船は現在、数千隻にも上り、滑走路を無数に作った要塞の滑走路へと次々に降り立っているのである。


 殆どはヒルコによる遠隔操作とオート操縦だが、順調に集まっている兵達の様子を見に一度戻るのも致し方ないだろう。


 敵攻勢が一度目の頓挫を迎え。


 更に二度目の攻勢前に此方側から艦隊の身動きを制限する策を絶賛展開中。


 月面宙域を囲む複数地点から次々に空弾頭も混ぜた核ミサイルの雨が迎撃され、爆光を放ち、敵が何処にいるのかを教えてくれている。


 敵が小型ドローンなどを展開して掃除しているとしても、撃たれる核を正確に追尾して破壊するにも限界がある。


 その限界を見極め、敵の駐留艦隊の規模や敵後方の候補を絞り込む作業は着々とAIの予測サポート込みで“天海の階箸”が行っており、数日も撃ち続ければ、大方の予測は終了するだろう。


 やはり、温存してあった他艦隊が現在少なくとも確定で5宙域に存在するという情報が分かっただけでも十分に相手側の規模を図る事は可能だ。


 取り敢えず、敵方が本格的に施設を陥落させるまでの遅滞プランは順調に固められつつある。


 全てが上手くいくかどうかは相手側の初めての捕虜に等しい先行偵察部隊の人員からどれくらい情報が出るかに掛かっていた。


 となれば、彼らに期待するのも無理からぬ話。


 敵を知り、己を知れば、百選危うからずとは言うが……実際に戦争というのは内政が7割以上、後は敵の研究が2割、最後に欧州情勢複雑怪奇なり的な外交だ。


 敵の研究がどの程度進むかでこれからの対応も幾らか違う。


 戦闘は自分が出ればいいだけだが、逆に言うと最初期の此処で敵の内実を丸裸に出来なければ、戦闘が長引いても恒久界側が戦えるようになるか分からない。


 オブジェクトもあの陸軍大元帥閣下だけかも怪しいのだ。


 実際、此処から先は互いに手探りで相手の腹を摘まむなり、引っ張るなりという段階。


 確実に相手より先に相手を解き明かさねば、待っているのは破滅だけだろう。


「オートで楽々帰れるとはいえ、やっぱりGはあんまり好きじゃないんだよな実際」


 神剣に引っ張られるように超高速でラムジェット推進機関が発動。


 流星よろしく空を断熱圧縮で輝かせる事もなく十数分行けば、すぐにシュレディングの上空へと入った。


 そのまま事前に伝えてあった帰還地点である月兎大使館に戻れば、既に待っていた複数人が出迎える。


「お待ちしておりました。お食事は用意出来ています」


 猫耳とウサ耳のメイドと化した現地大使館の職員と魔王応援隊の面々がこっちの外套を脱がしてくれる。


「ありがとう。メシにしたら、すぐ各地との調整に入りたい。月猫の奴だけ全員呼び出しておいてくれるか?」


「畏まりました」


 それを承ったのはあの月兎で助けた月亀の少女だ。

 頼んだ後。


 そのまま通路の先にある湯気を立てる食事が載ったテーブルのある食堂へ直行。


 席に付いたと同時に時間も惜しいと肉、魚、野菜と色鮮やかなコース料理……連れてきている月兎の料理番部隊の数人の作品を頂く。


 近頃、もう完全にプロと化した彼らは前々のお前の母親にならなきゃならんのか!!と叱った頃とは打って変わって、微妙にリュティさんに味が近付いている。


 恒久界内の食材が豊富な事も相まって、メシまずからは脱却したのだが、今度は料理人の速成などを任せる関係で反乱軍の関係先に出ずっぱり。


 今回は戦争の先端を切る大事な時期という事で呼び戻して、こっちの士気を高めてもらう目的で食事を作ってもらったのだが―――。


(あいつらの腕、上がってるんじゃないか? この雑穀の蒸し方から炊き上げ方から、メインの魚も肉も触感に飽きが来ないように工夫してる。焼き、揚げはいいな。炒めはまだまだ甘いが……ソースも緩急織り交ぜて全部違う味だし……野菜の下拵えも丁寧……火の通し方、歯触り、温度……その内、宮廷料理的なものでも作らせてみるか)


 ふと閃いたので色々とこの戦争を有利にする為の小細工を追加で脳裏に天海した作戦要綱に書き加えていく。


 そんな時だった。

 横に不意に浮遊鎧を纏った女が現れる。


「どうした。何かあったか?」

「御子様。例外……イレギュラーの一部が動き出しました」


 唯一神ユークリッド。


 巨大な光の球と描かれる怪神の下から魔王の元に下ったという談話が周辺国どころか。


 恒久界中に広がった事で信者達が新たな神殿に集いつつあるクソ忙しいはずの四神格。


 その纏め役であるタミエルが片膝を付いてそう報告してくる。


「イレギュラー……オレと同じような連中。主にオブジェクトに対する用語だったよな?」


「い、いえ、御子様をオブジェクトなどとは!!?」


 思わず顔を上げてとんでもないという顔の相手に落ち着けと手で制した。


「ああ、いや、そういう心配はいい。それであの芋虫みたいなのが出て来たと?」


「この恒久界においての最初期。混乱期に当たる時代にあの蜥蜴共が幾つかのオブジェクトを取り逃がして管理下から離脱した者が複数居ります。その中でも人に崇められる事に長けた相手がおりまして……今現在も邪神という扱いで影域内に人類種や他の生物達を配下においているのです。勢力的には凡そ30万近くの小勢力である為、今まで放っておかれていたのですが……こちらに呼び掛けて来ましたもので」


「呼び掛けて来た? そいつは過去の技術に詳しいのか?」


「い、いえ……その、それも含めてイレギュラーの中でも極めて高次の存在である事は確認が取れています。文明の初期化に際しても独自の物理法則を逸脱した術を行使して消滅を免れていた事が確認されており、実際に人類の技術史においては異質。いえ、遺失したと思われる“本当の魔術”とあの男が言っていたものを使う相手です」


「本当の魔術? つまり、そいつは量子転写技術以外の方法で魔術を、物理法則をぶっちぎって使ってるって事か?」


「はい……俄かには信じられませんが……」

「そいつは具体的にどんなのなんだ?」


「オブジェクトの中でも収容可能でありながら、いえ……収容を自ら望んでいたからこそ、人類との間に関係性を保って来た存在であると嘗て神格達に通達された報告書では記されていました……」


「自ら収容を望んでた? 何だか一気に胡散臭いんだが……」


 困惑したこちらの顔を見て慌てた様子で再びタミエルが頭を下げる。


「本来ならば、このような時期に論外であるとは分かっていますッ。ですが、奴は恐らくあの男がどうにも出来ない相手の一人。いえ、一体である事は確実で……その上で過去に貴方と出会った事もあると宣っていて」


「ちょっと待て。オレと会った事がある?」


「は、はい。こちらの通信に物理法則下では如何なる現象も観測出来ない音声通信が……」


「音声通信。物理法則じゃないって……テレパシーとかそういうのか?」


「テレパ? あ、少しお待ちを……アーカイヴ検索……ああ、はい。確かにそのような表現に近い交信を受けました」


 思わず黙り込む。

 これは思ってもいなかった情報源かもしれず。


 だが、同時に本当の意味でのオブジェクトへの自らの接触という点では危険なのは言うに及ばず。


「分かった。すぐに会う。会談場所はもう指定してあるか?」


「い、いえ、あちらから決まったらすぐに行くとの連絡が―――」


 そう言い掛けた時だった。


 ヌゥッと何かの巨大な気配が大使館の天井も高い食堂内に突如として現れた。


 それが僅かに見えた時点でタミエルが咄嗟にこちらの前に出たが、それがどれだけの意味を持っていたものか。


 こちらの視覚。


 更に神剣は何一つ、量子から光子から重力から何一つとして異常を検知していないというのに……相手は食堂の壁からヌゥッと光り輝く魔法陣のようなものを潜って出てきていた。


 その体躯だけでも恐ろしくデカい。

 少なくとも3m以上はあるだろう。

 だが、それよりも何よりも顔が引き攣ったのは相手の容姿だ。

 人型をしていながら、その暗い青の斑色をした肌。

 巨大な胴体と巨大な手足。


 それだけならば、まだいいが……相手の頭部と背部はまるでクリーチャーと言うべきだろう。


 その背後から飛び出た翼はそれだけで巨体を包めそうな程に広いのが折り畳まれた皮膚の量から察せられ、その頭部は正しく蛸とも見えた。


 だが、ただの蛸ではない。

 邪悪なのだ。

 その造形が。

 その黄金で縦に割れた瞳孔の奥に宿る光が。


 そのウネウネと顔の下半分を覆う蛸足のような髭にも見える触手が。


 ヌラヌラと照り輝く燭台の灯りに照らされたソレは正しく邪神と呼べる程に禍々しく。


 同時に何処か神々しい気配を漂わせ。


 全身を窮屈そうに縮めながら、こちらのテーブルの前にズシンズシンと歩いてくる。


 その光景は正しくホラーだ。


 証明するかのように給仕をしていた魔王応援隊の一人は白目を剥いてプクプクと泡を吹いている。


 脳裏でタミエルに給仕を抱えて後ろへ下がるよう言い渡し、立ち上がってテーブル横を前に歩く事にする。


 近付く程に気配は強くなり。


 ダラダラと汗腺が汗を流そうとするのを直接の神経掌握で阻止。


 ほぼ目の前。


 僅かに首を曲げてこちらを見やるソレと視線がバッチリと交錯した。


 人型の蛸の化け物。

 と、呼ぶべきか。


 しかし、その畏れるべきものがそのゾッとする程に黒く光沢のある歯を見せながら口を開く様は今からかぶりつかれるのかと思わされた。


「あ、ごめん。お食事中だったかな。ああ、僕は何て失礼な事を……いや、まさか門が直接この場所に繋がってるとは思ってなかったから。中庭で待たせてもらっても構わないかな? エニシ……って、そうだよ。君は僕の知ってるエニシじゃないんだよ。いやぁ、本当に申し訳ない。後でこの非礼は物で詫びさせてもらうよ」


 世界にはどうやら日本語ペラペラな怪物とか結構いるらしい。


 呆然とする最中。


 やっぱり、神剣には何ら反応の無い“門”とやらを潜って、申し訳なさそうに蛸のばけ――紳士はそう軽く頭を下げてから消えていく。


 それと同時に中庭側が極めて騒がしく……争乱のどん底のような悲鳴に見舞われるのだが、そこでもやはり『ああ、御免なさい。すみません。すみません』という……実に日本人らしい礼儀正しさの……相手に謝る声が響いてくる。


「オレ、疲れてるのかなぁ?」


 世界はまだまだ見知らぬ不思議に満ちていると知らされた夜の一幕だった。

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