第236話「魔王様、大いなるCと会談す」

 月兎大使館の中庭。


 現在、間の悪い事に呼び出されていた月猫の面々が顔を引き攣らせている。


 というのも、それはそうだろうとしか言いようがない。


 ワインのボトルがダクダクと流されたような涙が中庭の芝生に染み込み。


 潮のような匂いを漂わせていた。


「う、うぅううぉおおおおぉぉおぉぉ!!? 苦節、10万5562年!!! あの頃のような食事が出来るなんて、ああ……神よ。感謝します!!」


 いや、お前が邪神だろ。


 という野暮なツッコミは無しで現在持て成され中の蛸っぽい邪神がその3m以上あるだろう身体を震わせながら、用意された大皿(食べる当人を前にすると小皿にしか見えない)の上から上品にナイフとフォークを使ってムニエルだのローストだのを口に運んでいた。


「ぁあ、感動のあまりはしたないところを……」


 何やらようやく我に返った様子で涙を拭った巨大蛸の頭部が恐らく……晴れやかな笑顔のつもりなのだろう禍々しい歪みを浮かべる。


 この珍客を持て成すに当たり、とりあえず人間に食えるものをコース料理にして現場の料理人達に出させたのはどうやら間違っていなかったらしい。


 いや、本当何を食って生きているのか。


 まるで分からない生物なので実際に食う事が必要なのかどうかも知れたものではないのだが。


「いや~それにしても懐かしい。君と食卓を囲むなんて何年ぶりだろう」


 ようやく無心で大皿を平らげていた紳士がそう嬉し気な声を出した。


「……オレに出会った事があるんだったな。その時もオレはオレだったか?」


「哲学的な問いだね。君は君だよ。カシゲ・エニシ……少なくとも彼もまた君と同じく他の誰かの為に戦っていたさ」


「何とも自分の事ながら皮肉を聞かされてる気分だな。そっちのオレは英雄でもやってたのか?」


「いいや、君と同じ魔王だ。そして、この世界に一石を投じた。あの唯一神を名乗る彼すらも知らぬ事実というやつだね」


「あのギュレギュレ野郎が知らない? 魔王、なんだよな? そのオレは……」


「ああ、だが、幾ら万能に見えても彼とて神ではない」

「……アンタは邪神だったな」


 ニコリと邪悪に微笑んだ彼が懐かしそうに生物を射殺せそうな瞳を細めた。


「長い事、この星に留まっているんだ。でも、家が海中に沈んだり、奉仕種族の住んでた大陸が海中に沈んだり、君達人類が発生してからも色々災難だったよ。人の文化的な文明が最高潮を迎えつつあった時代。僕は君達の文明を程々に楽しみつつ、慣れ親しんでたんだけどね。人類が爆発的に増えた頃から困った事になっちゃって。彼ら財団に庇護を求めたんだ。いや、彼らはとても紳士的に対応してくれたよ。見ず知らずの僕を匿ってくれたと言ってもいい。僕も彼らと親しい付き合いをさせてもらってたんだが……どうにも種の黄昏が迫っていた」


「種の黄昏って何だ?」


 とりあえず、人類史前から生きてるだろう神様か高次な宇宙人的な相手の昔話はスルーしておく。


「文明の衰退の兆し。崩壊の序曲。あるいは淘汰への道行きだ」


 優し気な声で大げさな表現を使う邪神にしかしそうとは言えなかった。


 それは事実となって、現在の地球上の状況を物語っている。


「アンタはどうして月にいる?」


「彼らは戦争が始まって幾らかして月に自分達の運営する全サイトから最も管理しなくてはならないものを全て移した。まだ、委員会が制宙権を完全にはしていなかった頃の事さ」


「で、月にこの世界が出来るまでは眠らされてたりしたと?」


「ああ、生憎とあの施設を今所有している蜥蜴達は僕と相性が悪かったようだ。それから人型だったのもマズイらしい」


「そうして自分を崇める連中と一緒に小規模な共同体を作って過ごしてた、と」


「うんうん。僕が君と初めて出会ったのもその頃だ」


「大体の事情は分かった。それでちょっと質問なんだが、そのオレはどうしてる?」


「ああ、つい先日死んだよ。君から花嫁達を強奪してからそう経たない日に」


 サラッと言われて、相手が仮にも“邪神”と自称していた事をようやく実感する。


「―――どうやら、こっちの事は何でもお見通しみたいだな。それより、死んだって本当か?」


「彼とは一応、契約をしてたんだけどね。それも消えたから」

「………強奪された連中はどうなった?」


「え? ええと……今、彼の家とこの世界の影域をウロウロしてるみたいだね」


 安堵が内心に押し寄せて来るのも束の間。

 大きな溜息が出る。


「そうか……」


「ああ、居場所なら紙とペンを持ってきてくれれば、大まかに教えてあげられるけど」


「それを頼んだら、オレはお前に何を返せばいい?」


 顔を上げて、蛸顔を見ると。

 邪神は肩を竦めていた。


「こんな事で友達に何かを要求したりはしないさ。さっきも無礼を働いたからね。これはお詫びって事で構わない。それに久方ぶりに料理らしい料理を食べられた。本当に人類は文明と文化だけは素晴らしいものを創り出し、手にしている。それを少しでもまた満喫させてもらった。それだけで十分だよ」


 邪神がグッと親指を立てた。


「………お前、良い奴だな」


「おっと、悪いがもう信者はお断りなんだ。ああ、本当にもう一人も要らない」


 両手で全力制止の意を示す邪神は何やらコミカルだが、物凄く嫌そうな顔(常人が見たら、今にも心臓発作で狂死しそうな)を見れば、本心からの事らしいと分かった。


「普通、神ってのは信者が欲しいもんなんじゃないのか?」

「ははは、僕に限ってはとんでもないジョークの類だよ」

「ジョーク?」


「ああ、これ程に生まれを呪った事も無いような迷惑を被っ―――」


 ドガンッと大使館から30m程離れた通りから何やら猛烈な爆発音がした。


「オイ。テロはお断りだ!! どうなってる!! 今、会談中だぞ!!?」


 慌てた様子でタミエルが頭を下げつつ、報告してくる。


『す、すみません!! 御子様!! どうやら危険物を持たない生身の人間が周辺の一室を爆発させたようで……現在、周辺に怪しい者がいないかスキャニングを―――』


 そう言っている合間にもパリンと軽い音と共に魔術で周辺に施していた結界。


 主に突然の砲撃や魔術を防ぐ標準的な対物恒常魔術、衝撃拡散用窒素凝集壁……俗に防御障壁と呼ばれるソレが割れた。


 ダダダッと何故か深く黒い青に染めたローブの集団が中庭に突入してくる。


 勿論のようにタミエルが吹き飛ばそうとしたが、本当に危険物は一切持っていないようなので手で制止しておく。


 もし何も言わなければ、恐らくローブの10人前後の集団は一瞬の内にクォークへ分解されていただろう。


『おお!!? おおおおぉおおおお!!?』


『あああああああああああああ!!!? わ、我らの主がが、眼前にぃひぃいぃぃぃぃいいぃ!!?』


『主よおおおおおおおお!! 我らの主よおおおおおおお!!?』


『く、供物を持って参りました!! どうぞお受け取りくださりませぇえええええええええ!!!』


 ローブの者達が一斉に平伏す勢いで平伏しつつ、連れて来たらしい牛を一頭手前に押し出すと誰かが止める間も無く脅威的に錆び付いていそうな禍々しい刃でその首を掻っ切った。


 ズビュシャアアアアアアアアアアア!!!!


 という血の噴出音と牛の断末魔。


 ついでに呆然としている合間にも倒れた牛へローブの集団が次々に刃を振り下ろし、心臓を綺麗に抉り出すと血塗れで何やら邪神様に集団で供物を恭しい手つきで捧げた。


「ちょ、それ無理だってぇッ、その手は洗った方がいいよッ。ホント!! 君達には君達の言い分があるのかもしれないけど、ほら衛生的にまだ脈打ってる心臓とかさ。生き血とか内蔵は危ないって。うん、気分が悪くなる前に身を清めた方が―――」


 何やら早口でダラダラと大粒の汗を皮膚上に浮かべた邪神が気分悪そうに口元を抑えつつ、自分への邪悪な儀式と供物を捧げる集団にげんなりした様子で促す。


「は、はははぁああああああああ!!!」


 平伏した集団が一斉に牛から内蔵を引きずり出すとすぐに切り刻んで自分達の頭の上から大量の血肉を浴び始める。


「す、すぐに一人一人身を清めて参ります!!」


 ズダダダダアッと駆け込んで来た警備の面々が狂気の沙汰を絶賛実演中な狂信者達の様子にドン引きしつつ、その親玉っぽい邪神の姿に『やはりこれは邪悪なものなのか?!!』という戦慄をしつつ、次々外に出て再び生贄の血液で身を清めようとするヤバい人々を捕縛して中庭の外へと引っ立てていく。


「あぁぁぁ……何て僕は酷い事を……ごめんよ。いつもは彼らみたいに成り立ての信者達が出ないよう昔ながらの人達を連れて来るんだけど、今日は急いでいたから……」


「ぁあ、うん……その、お前も色々と大変なんだな……」


「そうなんだよ。僕って崇められ過ぎたりするのは好きじゃないのに人類の5%くらいはああいう風に信仰へ突然目覚めちゃう人達がいるんだ。昔もああいう人達がいて困ってたんだけど……彼らに保護されてから多少マシになってね。それでも数週間に1回くらいはああいう人達が来て……僕は生き血とか生肉の生贄とか淫猥な儀式とか、衛生的に止めた方がいいよって言うんだけど、目覚めちゃったばかりの人は何故かアレで僕が喜ぶと思ってるんだよ……うぅ、せっかくの料理が血の池風味に……」


 よく見れば、まだ食べ掛けの皿の周囲に牛の鮮血が大量に飛んでいた。


「信者になってくれたのに邪険には出来なくて……はぁ、とりあえず君に久しぶりに会えた事は嬉しかったよ。紙とペンをお願い出来るかな?」


 気を取り直したらしい邪神が駆け寄って来る給仕役のタミエルからスケール的に針みたいなペンを受け取ると物凄く高速で差し出された羊皮紙に色々と書き込み始めた。


 数秒で終わって、それをタミエルが持って来る。


 中にはどうやら嫁連中がいるらしい影域の詳しい地図と大蒼海のポイントが克明に3D的に描き込まれていた。


「感謝する……」


「いや、最後に迷惑を掛けちゃったからね。そう言ってくれるとこっちの方が申し訳なくなるよ。それと僕の事はBIG.Cって呼んでくれるかな?」


「ビッグ・シーか」

「そうそう。最後に本題だけ話しておこうか」

「本題……オレにとってはどれも本題だったが……何だ?」


「アメリカもまたオブジェクトを複数所持してる。そして、彼らはその特性故に技術を発展させ、この広い太陽系にまた新しい国家を得るまでになった。今の君じゃ、あの“男達”や“蟲”……“彼女”に対しては役不足だろう……全てを見届けるまで君と言う存在は死んじゃいけない。至高天の先へ征かねば、この世界に未来は無いんだ……だから、コレを届けに来た」


 いつの間にか。


 その巨腕からチャラリと小さくも見える人間が使うサイズのペンダントが下がっていた。


 それが差し出され、至高天という言葉にまたかと思いつつも手に取る。


 それは凝った装飾をした銀製らしい代物で中央に球の象形が彫り込まれていて、どうやら内部を開く事が出来そうだった。


「コレは?」


「赤い錠剤を歯車で再構成した47個……この十万年で失われてしまった……全てを治す秘薬の力を秘めたオブジェクト。その最後の一つ」


「有り難く頂くが……恐らく、不死身なんだ。オレ」


「ああ、心配しなくていい。それは君の使っていた腕輪の原型だよ」


「!?」


「あらゆる組織を最適化する。そのペンダントを開いた時、発生する光球の光を浴びれば、あらゆる傷が治癒し、あらゆる病が治るだろう。だが、同時にソレは使い過ぎれば毒ともなる」


「毒……」


「これに合計で1時間以上曝された人間は肉の獣と化して形を失い、人を辞めた。だが、それは人が最適化され続ける進化途上にその姿があったからだ」


「……オレなら?」


「既にその階梯を過ぎた君ならば、人を辞める覚悟があるなら……人を超え、獣を超え、神すら超えて……僕達の階梯に辿り着くかもしれない」


「神って名乗ってるのにアンタは神すら超えてるのか?」

「人類が想定出来た神の定義にも拠るって事さ」


 初めてだろう。

 相手の瞳の奥に何かが宿っているのを確信する。

 それは人類への如何なる感情か。


 分からずとも、否……分からないからこそ、己を引き締めるような心地となった。


 きっと、恐らく、神を名乗っていいだけの相手を前にして自分に出来る事など、己の心を正すくらいだったからだ。


「“僕ら”は“君達”をいつでも見ている……また来るよ……」


 巨体が再び輝く魔法陣。


 やはり、何一つ神剣が異常を検知出来ない“無”の奥へと質量を消していく。


「貰ってばかりだな。ビッグ・シー……今度来る時は前以て教えてくれ。その時はアンタが好きそうな文化とやらを色々用意しておこう」


『愉しみにしていよう。人類史にダ・カーポを打つ男よ。だが、努々忘れるな……君が凡人なのだという事を……』


「そんなの……オレが一番よく分かってる。嫁を頭毎浚われて気付かなかったら、それこそボンクラにも劣るだろ?」


 3mもあった肉体が消え去った後。


 残ったのは牛の死骸とやはり物理法則的に捉えられない相手に渋い顔をしたタミエルと卓上の血塗れ料理のみ。


 騒がしかった狂信者達の喧騒も無くなってみれば、静かなものだと会議へ行こうとしたら、後ろに何故か月猫の連中が全員集合状態で何やら名状し難い光景を見たと言わんばかりの顔で呆れていた。


 その中から唯一まったく場の空気を読んでいそうもない猫耳幼女がテテテッと駆けて来る。


「おかえりー」

「ああ、ただいま」

「たこのかみさまとおはなしー?」

「ああ、随分とフレンドリーな邪神と会食してた」

「おりょうり-みんなのぶんあるー?」


 勿論と頭を撫でて、もはや半笑いな男達に肩を竦めつつ合流する。


 どうやら【魔王様、蛸の邪神と会合する】の報は早々に空の果てまで届くだろう。


 報道機関の記者連中がパシャパシャと魔術具らしい水晶を中庭に向けて現場を撮影していた。

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