第230話「真説~戦~」


 世界は闇に包まれた。

 今こそ戦士達が立ち上がる。

 おお、見よ。

 あれこそは一騎当千の兵を百万屠りし者。

 神凪ぎの劔に選ばれし、漆黒の破壊者。

 東邦を朱く燃やし、西邦を闇に染めた男。

 ああ、ああ、あれこそは、あのお方こそは―――。


 ジャランと鳴らされた弦楽が、語り部のおどろおどろしい声に比例して高鳴る。


 吟遊詩人は謳う。

 今、破滅を前に戦っているという馬鹿な奴の話を。

 夜の境も消え失せた深夜。


 軍野営地は今も続々と各地から集まり続けている兵を迎い入れている最中。


 馳せ参じた男達が見るのは闇に煌々と瞬く幾多の篝火と巨大な炎を上げて夜を駆逐する魔術の焚火。


 無数のテントが張り巡らされた平原の中央。


 まるで簡易の街のように立つ幕屋の群れの付近は特に騒がしく……なってはいなかった。


 兵としてやってきた者。

 兵として今働く者。

 兵として未だ訓練途上の者。


 誰もが、その耳を傍の幕屋に置かれた通信用の魔術具に向けている。


 男が3人もいれば、喧騒が発生するものだろうが、今そんな雰囲気は無く。


 殆どの者達が無言で響いてくる音声。

 戦況のリアルタイムでの広報に聞き入っていた。

 それもそのはずだ。


 従来、軍上層部にしか報告されない戦況が此処では垂れ流しにされている。


 それも……この世界の趨勢を決める戦いが、世界の果て、天蓋の海の先で起こっていると彼らは知らされている。


 この放送が始まったのは数時間前。

 それを聞く者は増え続けている。


 己の持ち場で己の仕事をしながら、己のいる組織、派閥、国家、社会、それらを超えて、今人々は一つの報告を共有する。


 灰の月。


 彼の世界からやってきた神をも打ち倒す軍団。


 それを前にして戦うと決めた者達の大半は何らその実情に対して詳しい事は一つも聞かされてはいなかった。


 そもそも彼らとて、漠然とこの世界が暗くなったという事実を前に破滅が迫っていると肌身を持って感じ取ったからこそ、その対処療法的に魔王の声へ応えたに過ぎない……無論、それとて魔王からの利益供与があってこそ成り立つ。


 一体、何がどうなったのかなど、聞いたところで殆ど理解の範疇外。


 一つ分かっていたのは何処の国でも無い、世界の外側から全てを滅ぼす敵がやってきたという、魔王軍の広報が真実であろうという事だけだ。


 しかし、そんな状況は変わった。

 変わってしまった。


 これをパラダイムと呼ぶ事を未だ月面地下世界において知る者は少数だろう。


 何一つ包み隠さず。

 今、彼らを率いるはずの男が敵と戦っている。

 それだけの報告が集った者達に広く伝えられた。


 今、何をしている。

 今、戦っている。

 今、どうなっている。

 今、今、魔王は何と戦っている。


 それは学の無い者にすらも分かる淡々としていながらも衝撃的な……そんな単なる報告だった。


 まるでお伽噺を聞いているような気分。

 でも、違う事を彼らは強制的に理解せざるを得ない。

 だって、そうだろう?

 無限のように闇に続く人の群れ。


 軍の集結地点において入口を潜った者は待っていた兵達によって、様々な準備を強いられた。


 全ての装備を一旦保管すると取り上げられ。

 不自然に平原の中央で湧いている泉で身を清められ。

 殆どの者達が新しい衣服と装備を受領した。

 剣と鎧は羽毛よりも軽く。


 魔術具だと渡されたあらゆる装飾品と装備は……理解出来る者には信じられない程の超高額だと分かった。


 その黒で固められた装備を装着した者達が次に通される場所では小瓶を渡され、内部の秘薬を呑まされる。


 これもまた超越者達の一部には驚きだっただろう。


 肉体を強化する為の魔術で製造される秘薬は何処の国でも存在する。


 だが、その中でも大国の軍幹部や軍権を預かる王などにしか投与されないだろうソレが、学も品も無いような一般農民兵に複数使われるというのだから。


 思わず、世界が終わってしまうのだと泣いてしまう者すらいた。


 肉体を賦活し、命を溢れさせ、個人の生存性を高める為に揃えられた“魔王の準備”は彼らに今日この世界が消滅してもおかしくない事を理解させるに十分だったのである。


 軍に参じた吟遊詩人達は一人違わず、一人残らず、こう謳う。


 あれこそは魔王。

 あれこそは超越者を超越する者。

 無限の叡智と無限の軍を束ねるに足る神に仕えられし存在。


 10歩歩けば、その野営地で人は超人となり。

 20歩歩けば、英雄よりも力持つ超越者となり。

 30歩歩けば、神に抗う力を手に入れてつわものとなり。

 40歩歩けば、己が仕えようとする者の偉大さを知り。

 50歩歩けば、その男が真に人の上に立つ存在と心へ刻まれる。


 恒久界250箇所に設けられた魔王軍の徴募兵の野営地に集まるのは凡そ1500万の種族も性別も様々な人々。


 成人男性においては全人口の10%以上、生産人口に至っては3割に近い。


 これほどの数の“民間人”が集まった事は各国政府、各国首脳に驚きを持って迎えられたが、それ以上の驚きはその人々が何ら不自由なく軍として編成されていく様子が……各国の軍事関係者と政府関係者に惜しみなくリアルタイムの映像で送られている事だった。


 魔王軍。

 反乱軍。


 いや、それは何と呼ぶべきか。


 今まで憎しみ合う事も、いがみ合う事も、滅ぼし合う事すらあった各国がしかし一つの事実を前にして何も出来ず……否、ただ見ている事しか出来ない。


 自国内でそんな事をするなとすら言えないどころか協力せざるを得ない。


 影域を含めた2つの例外を除いた全ての国家に降臨した四柱の神々。


 唯一神と袂を別った事を神託し、彼らにこれから来る破滅に対処する為、一切魔王軍からの徴募に関して干渉するなと伝えた彼らの事があったとしても、止めようとする者が一人もいなかったのは……一人の桃色髪の女のせいだ。


 その魔王の使者としてやってきた女は大使、太守、国王、皇帝、邦長、議長、国主、あらゆる主義主張と種族と共同体の上に立つ者達へ、こう魔王からの短い伝言を伝えた。


―――この戦が終わった後、兵に与えた全てを国家に帰属させよう。


 たった、それだけの言葉が持つ威力を彼らは即座に理解した。


 人々が超人に、超越者に、英雄すらも霞む軍団と化していく様子を見ていながら、自分達の国だけが取り残される可能性……これ程に分かり易い未来の不安を座して阻む理由など無かったのだ。


 大国は大国だからこそ、齎された全ての兵への強化、武装の確保に動いた。


 小国は小国だからこそ、大国に更なる差を開けられるわけにはいかないと全ての男子に世界を救う魔王軍へ参加するよう働き掛けた。


 だが、破滅を齎す何かと戦う男の状況を報告される度、その報告を更に魔術で遠方に届ける物達が知るのは……絶望に塗り潰されるような戦いの身の毛も弥立つ現実とそれに立ち向かう男の悲哀すら感じさせる現状。


 ああ、そうだ。

 淡々と女の声は告げるのだ。


 魔王が戦いにおいて何を失い、ジワリジワリと消耗していくのか。


 最初こそ、あまり理解していなかった学の無い者達ですらも聞き入れば、理解するしかないだろう。


 失われていくもの。

 肉体に蓄えられた栄養。

 失われていくもの。

 肉体に蓄えられた筋肉。

 失われていくもの。

 脚。

 失われていくもの。

 腕。

 失われていくもの。

 脇腹。


―――お伝えするのじゃ―――魔王は現在、脚を再生したぞよ。


―――お伝えするのじゃ―――魔王は現在、敵を2機撃墜したぞよ。


―――お伝えするのじゃ―――魔王は現在、失明しておるぞよ。


―――お伝えするのじゃ―――魔王の体重は現在5分の1に減ったぞよ。


―――お伝えするのじゃ―――お伝えするのじゃ―――お伝えするのじゃ―――。


 淡々と淡々と人々は知る。

 最初こそ、その惨さに口元を抑える者がいた。

 最初こそ、その悍ましさに顔を引き攣らせた者がいた。

 だが、どうしてだろう。

 人々は聞いている内に思うのだ。


 どうして、そこまで……。


 普通の人間なら死んでいる。

 普通の人間なら狂っている。

 普通の人間なら逃げ出している。


 そんな現状、失った肉体の一部が元に戻ってすら、どうしてそれ以上に戦おうとするのか。


 魔王が争いを好んでいるからか?

 魔王が戦いを望んでいるからか?


 自分達が本来一生縁がないはずの力を得ていると知って尚、何故戦わせようとしないのか。


 少しでも戦わせる為、連れていくべきではないのか。

 だって、そうだろう。

 聞いている者はもう準備が終わっているのだから。

 兵農混合の時代。

 鍬一つ持って戦いに行く事すらあるのが“普通の戦争”だった。


 なのに、英雄すらも霞むような薬と装備を渡しておきながら、自分の傍に誰一人として付ける事なく戦いに行くなんて、普通では有り得ない。


 魔王は反乱軍を持っているじゃないか。

 どうして、彼らは戦いに出ていない。


 疑問―――人々はしかしソレを説明するに足るお伽噺を知っている。


 吟遊詩人達が今の今まで散々に謳ってきたではないか。


 魔王は行き場の無い難民達の為に昼夜無く働き、人々の為に街を用意したという。


 堕ろすしかないはずの子を前にして霊薬を与え、その生を祝福したという。


 死に付いた野に屍を晒すはずの者達を拾い集め、彼らの墓を造ったという。


 満足に食事も出来なかった者達に食べ物を分け与え、死んだような目で日々を暮らす者達に仕事を与え、それに見合うだけの報酬を授けるという。


 戦乱に無力と嘆く神殿の者達を叱り、人が人らしく生きられる場所を創り、兵と同じ食事を摂り、また先陣に立って兵を導き、死んだ兵を一人も残さず弔ったという。


 馬鹿馬鹿しい話だ。

 全ては吟遊詩人の戯言だ。

 されど、人々は気付く。


 毎日のように彼らが伝えて来た魔王の姿は果たして全て欺瞞であろうかと。


 人の噂は千里を掛け、魔王を信奉する者が一人一人と語り出せば、それは現実味を帯びて多くの耳に届いた。


 街を見回り、人を癒さんと病院を創り、人を励まさんと踊り子達を引き連れ、己の美食を大衆に振る舞って鼓舞し、長旅に疲れた民を楽しませた。


『彼は人を救う者なのかもしれない』


 誰かが言った。


『彼に救われたんです……この子達も……』


 誰かの母が言った。


『彼がいなければ、飢え死にしていましたよ。僕ら』


 誰かの兄弟が言った。


『彼がお墓を……仲間達の安住の地を……』


 誰かの友が言った。


『共に食事をご一緒しました……此処が落ち着くんだと』


 誰かが、誰かが、誰かが、言った。


 魔王は救ってくれたんだと。

 魔王は悪い奴じゃなかったと。

 魔王は全ての敗者と弱者の代弁者。


 世を須らく闇に落とした者達が恐れる唯一の存在。


 彼の名を畏れよ。

 彼の名を崇めよ。

 彼こそは―――。


【魔王軍臨時編成部隊―――第1次より443次まで新編完了。部隊長と兵員は速やかに船へ載られたし】


 その時はやってくる。

 全ての野営地の上空。

 彼らは見る。

 ソレは空飛ぶ鋼の船の群。


 船底や装甲の全てに魔術具に刻まれる象形を刻まれ、紅の燐光を噴き上げている。


 兵達は無言で隊列を組んだ。

 不格好ながらも、人々は兵足らんと己を律した。


 それは本来、半ば国家から強制的に“徴募へ行け”と言われた者には有り得ない行動だろう。


 愛国者ならばともかく。

 彼らは少なからず単なる農民や商人や普通の一般人だった。

 だが、そんな彼らが他の者に倣って、兵の真似事を選んだ。


 これがどういう事か。

 驚いた傭兵は多く。

 これがどんな奇跡か。

 驚いた軍人は多く。


 そうして、また自分もその彼らに倣うよう隊列へと加わった。


 まともな訓練もしていない数のだけの兵。


 しかしながら、彼らは確かに戦いに赴く人の顔をしている。


 暗闇の中。


 浮かぶ紅に染まる船達に決死の覚悟で乗り込み始めた者達。


 ある者は敬礼して見送り。

 ある者はハッチが閉じたと同時に頭を下げ。

 ある者は祈った。


 彼らが集うのは月兎、月亀、月猫の主要先進国の野営地……否、一大拠点。


 軍事的要衝として魔王がその手で築いた場所。

 今、到着する者達はその船窓から見下ろすだろう。

 果てまで続く水平な滑走路。

 それが無数に交差する巨大な、只管に巨大な灰色の砦の群れを。

 その道の横に延々と駐列する船の群れを。

 そうして、その奥底から無限のように湧き出す兵達を。


『隊列を組み、逸れぬよう進めぇぇ!!』


 まるで喧騒すら無いように錯覚する静けさの中。

 要塞は複数の塔を要した都市の如く聳え。


 四方八方の滑走路が兵達の道となり、拠点の奥に軍団は呑み込まれていく。


 戦争が始まる。

 生き残る為の爭いが。


【お伝えするのじゃ―――魔王は一時的に撤退―――魔王は一時的に撤退】


 ゴングが鳴る。


 放送はやはり淡々と一人の男の後退を人々に伝えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る