第176話「決戦前夜」

―――現在、月兎国境戦線域東端イナバ大公領外地。


 月兎と月亀の総力戦が行われている最前線。


 その長さは現在東西210km程にも及ぶ長い代物となっていた。


 数千kmしかない恒久界内での縮尺で考えれば、世界の数十分の一にも及ぶ距離が使われているというだけで規模の大きさが分かろうというものだろう。


 西は中央にある“照華の地”の中心たる四カ国の内の一つ。


 月猫げつびょう連合国。


 東は四カ国において最大の大国。


 月蝶げっちょう枢機国。


 これらを挟んでの激突は周辺国からしてみれば、迷惑極まりない話であった。


 丁度四つに区切られた線の中央辺りでの戦いである。


 他の二ヶ国は迂回路を使う事になって輸出で損害を受けていたし、大陸の中心たる交易路が主戦場となれば、他の国の貿易にも間接的な差し障りがあった。


 という事で、現在戦争中の月兎と月亀の後方へと逸れる街道は今が書入れ時とばかりに人混みに埋まっている。


 十数km毎に整備された宿場街は連日のように宿屋が満室。


 商隊やら旅人やら傭兵やら街道を行き交う人を少しも見ないという事は無い。


 この世界における全種族ケモミミ大集合状態+ファンタジーな旅装やら衣装やら鎧やらに目移りするのはヲタクの性か。


 まぁ、それでもさすがにパステルカラーな者はいなかったし、普段使いの衣服はかなり色褪せ、擦り切れているというのは現実ならではだろう。


 それでも魔術が掛かっているせいか。

 妙に新品みたいな装束を身に付ける者達もそれなりにいる。

 普通なら染める以外では出ず。


 現代ならば、まったく表現出来ないだろう自然な色合いで豊かな色彩の髪。


 目に耳に肉球に鱗に翅に人間では有り得ないだろう造詣が多数。


 亜種と呼べる人型はこの世界のスタンダードとして君臨して我が物顔で闊歩しており、逆に“耳無し”と呼ばれる何一つ特徴の無い純人間タイプの方が少ないという有様。


 そんな街道沿いの戦線に最も近い宿場の外。


 難民キャンプが傍に点在する山際の草原でようやく先行させていた相手と合流出来ていた。


「うわ……本当に連れてきたニャ。間違いないと思うニャ。前、首都で見た皇女殿下そっくりニャ」


 猫娘。


 クルネがこちらを確認するなり、驚くというよりは呆れた様子で瞳を細め、すぐに後方から来る仲間の方へと戻っていく。


「本当に皇女殿下のようですね……貴方相手に驚くというのも、もうアレな気がしますが」


 エオナの言葉に後の仲間達がウンウンと頷く。


「スゴイ。本当に連れてきちゃった……」

「こ、こここ、皇女殿下?!! 本物デス!?」


「また軍を一瞬でやっつけたって事かな。そうじゃなきゃ、此処にこの短時間で彼女達を連れて来るなんて不可能だと思う……」


「……まさか、本当に連れて来るとは。オイ、その男に何かされなかったか。皇女殿下とお付きの人」


「リ、リヤ?! さすがに言葉遣いには気を付けるのニャ?! 一応、まだ皇女殿下ニャ!?」


 その少年の奔放な意見を止めようとしたクルネの言葉にムッとした顔となったのはフラウの侍従騎士。


 犬耳のシィラ・ライムだった。


「月兎は―――」


 思わず、まだ滅んでないと声を上げようとしたお付きの肩に手を置いて、振り返った年上の彼女にフルフルとフラウが首を横に振った。


「何て失礼な人達にゃ!? 月兎皇国はまだ滅んだりしてないにゃ!!?」


 しかし、もう一人の猫耳少女ヤクシャが思わず。

 空気も読まずに反論した。


「良いのだ。ヤクシャ……事実、此処に我がいる時点でそれは半ば真実であろう」


「殿下……う、お労しや。何も出来ず申し訳ありません」


 ソィラが肩を落とす。


「それから、そちらの少年もありがとう。セニカ閣下には何もされていないから安心して欲しい」


 その何処か儚げな笑みに自分の言った事が引き金となった何とも言えない空気の重さを反省してか。


 リヤが何処か済まなそうな顔となる。


「悪かったな。見れば分かる通り、学が無いから皇女殿下に相応しい言葉遣いってのは持ち合わせてないんだ」


「いいや、今の我は皇女殿下等と尊崇を集めるべき位ではない。敗軍の将は勝者に従うだけだ」


 その謙虚で優しげな眼差しに六人の探訪者達がジロリとこちらを半眼で見やる。


「そんな顔されても何もしてないものはしてない。此処までは殆ど魔術も使わず。陸路を来たからな」


「え、陸路?」


 エオナが驚いた顔をする。


「皇女殿下の軍と反乱軍の激突地点辺りから此処までだと魔術を使わなければどう考えてもこの短い日数で辿り着くのは不可能だと思うのですが……」


「単純にこいつらをオレの背中と腕に魔術でくっ付けて来た。ちなみに途中までは散らばってた部隊の集結がてら川下りと山登り。日数の八割以上はそっちのせいだ。此処までは然して時間自体掛かってない」


「―――また、何と言うか常識外れな事を仰ってますね」


「うぅ、卑劣にゃ……思い出したら、また気持ち悪く……ぅぷ……」


「ヤ、ヤクシャ?! だ、大丈夫か!? ほら、背中を摩ってやるから。クッ?! 殿下にもしもの事があったら、刺し違えているところだ!!? 魔王め!!?」


 シィラが吐き気と戦う相棒の背中に手をやりながら、こちらを睨んだ。


「さすがに我もああして運ばれるとは思わなんだ」


 思い出してか。


 ちょっと、青い顔になった皇女様が少しだけ額に汗を浮かべる。


「「「「「「………」」」」」」


「とりあえず、宿場まで案内してくれ。明日の朝には戦線の中央まで行くからな。ここらでこいつらを休ませておきたい」


「分かりました。宿は確保してあります。付いて来て下さい」


 皇女を気遣いながら宿場へと向かえば、三十分程で街道が見えてくる。


 少し離れた街道沿いの小道から迂回して人の流れに合流し、自然に防御用の外壁に開いた大門を潜る。


 検問は無し。


 元々はあったらしいが、もはや兵隊という兵隊は前線なので体制が維持出来なくなっているらしい。


 街中は40m程のストリートの両側に幾つも宿や武具や消耗品を扱う店が軒を連ね。


 街の住民達の大半はそろそろ収穫の時期という事で人手不足を補う為、老人から女子供まで近くの畑に雑穀の刈り入れに向かっているようだ。


 店舗の従業員達以外は見掛けなかった。


 よくよく観察すれば、店舗を取り仕切る者も十代前半や老人しかいない。


 それでも必死に働いている様子を見れば、まだ戦地に近いだけ配給も滞ってはいない事が肌や身体の栄養状態から推測出来る。


「此処です。皇女殿下に泊まって頂くには不自由かもしれませんが」


 エオナが案内したのは街の中心付近の少し瀟洒な宿屋だった。


 酒場が隣接していない為、夜も静かだろう。


 街でギルドの末端に当たる酒場で幾らかの依頼をこなした六人はこちらの指示通り、ちゃんとした宿泊場所を代価にして数人分の部屋を確保してくれたようだ。


 そのまま宿屋の中に入る。


 さすがに街中ではローブを頭から被せたので誰もフラウに気付く者はいなかった。


 そのまま台帳に記入してから部屋の内部に入る。


 総勢で10人。


 商隊の雑魚寝用の部屋ではあったが、室内はどうやら先に六人が整えていたらしく。


 掃除は行き届いており、寝台も含めて十人は狭いにしても何とか寝れる程度の広さはあった。


 お付き二人に支えられて部屋の中央付近の寝台に腰を下ろしたフラウが少し緊張した面持ちでフードを取って、息を吐く。


「少し緊張したが、どうやら大丈夫のようだ」

「皇女様も大変だニャー」

「にゃ?! 馴れ馴れしいにゃ!!」


 同じ過猫種ビーストという種族であるクルネとヤクシャが同時に「こいつは敵」という顔になり、バチバチと視線で火花を散らす。


 その横では今までの旅中、気を張っていたせいか。


 何とか起きていようとしたシィラがフラウの横でコテンと寝台に横となってしまっていた。


「どうやら限界だったみたいだな」


「それは我とて同じ。さすがに少し……しばらく、この寝台で休ませてもらっても?」


 こちらを振り返ったフラウに頷く。


「お食事はどうしますか?」


 エオナの問いにフラウが首を横に振った。


「起きたら、摂らせて貰いたい」


「分かりました。それまでに用意しておきます。護衛にリヤとアステ、クルネとフローネルが残ります。後は宿屋の周辺の情報収集と見回りですので、何かあったら二人に申し付けて下さい。皇女殿下」


「ええ、分かりました。ヤクシャ」

「殿下?」

「今日はもう休む事を言い付ける。起きたら皆で食事を」

「は、ハイにゃ!!」


 ササッと主の言い付けを守った猫娘がさっそく傍に寝台に潜り込んで、頭を下げてから枕に頭をダイブさせた。


「じゃあ、起きるまでこいつらに護衛して貰え。オレはこれから行くところがある」


「どちらへ?」


 背を向けようとすると。

 何故か。

 とても透き通った声で問い掛けられた。


「ちょっと野暮用だ」

「分かりました。お待ちしております。セニカ様」


 そのまま部屋を出る。

 エオナとオーレのみが共に付いて来た。


 背後からは何処か純真そうなフローネルが自己紹介してきゃっきゃと愉しげに話している声がしている。


「あの子は……」


 エオナが寝させない気かと溜息一つ。


「眠たくなったら寝るだろう。それよりも現地が見える場所で報告して貰おう」


「分かりました」


 宿屋を出てから二人に先導される形で街の外へと出る。

 そのまま戦線の端の盆地が見える山岳の一部へと昇り。

 登山道を離れた獣道を行って一時間。

 辿り着いたのは一部岩山が突き出る断崖の上だった。

 よく遠方まで見える場所。

 其処からは断続的に上がる炎や何かが焼かれた黒い煙。

 また土煙に紛れた雷や氷雪や雲のようなものまで見えた。


 戦略級と思しき魔術の爪痕だろうクレーターや亀裂も複数確認出来る。


 だが、最も印象的なのはその本来何も無いはずの平地に引かれた一本の線だ。


 赤黒い延々と果てへと続く両国の国境線。


「やっぱり、死体は片付けてないのか?」

「あの中央に続く線は……死国の境と呼ばれてイマス」

「シコク?」


 オーレに訊ねる。


「死の国へと至る境という事デス」


「到達した場所から先は死者の国、か……それで現在の詳しい状況は?」


 それに今度はエオナが答える。


「二日前、月亀の後方陣地から最前線に向けて全軍の移動開始を確認しました。最終攻勢……恐らく月兎側は全戦力を掛けての防衛を余儀なくされる。後方から各地の街の防衛に残されていた最後の兵達が一週間前に前線へ向かったとの報も……どちらも時間までに地域一帯の全兵力を集結させると思われます」


「総数は?」


「恐らく、月亀80万弱に月兎44万弱。師団の定数を満たさない部隊が再編すら行われずに穴だらけの戦線を埋める形で詰め込まれているのを昨日、空から妖精に確認して貰いました」


「月兎の化け物は?」


「前線から少し後方の陣地に超大規模な召喚陣を確認しています。恐らく……現存する皇家34人の内の成人男子21人中15人以上を動員した最大規模の【巨人タイタンズ】が召喚されます。手筈がようやく整ったのでしょう。本来、数ヶ月で出来るものではないと聞きます。前の戦争でも月亀はこれを突破出来ずにいましたから。月兎側は相手の兵力が集中する地域を見極めてぶつけるつもりだと思います」


 エオナから齎される的確な情報に横を見やる。


「随分と戦局の読み方が上手いな」

「……そういう家系ですので」


「エオナ・ピューレ。お前ならこの戦争最後の激突がどうなると予想する?」


「月兎側の最前線は被害を4割6割出して降伏。月亀側は前回の反省から恐らく【巨人】を屠る策もしくは兵器を投入して倒しますが、3割が脱落。満身創痍の月亀軍は首都の防衛を抜けずに膠着。月兎側が領土を大幅に割譲して終結、辺りでしょうか」


「月亀を高く評価してるんだな」


「今回の戦争で月兎は月亀の14倍近く兵を損耗しました。数ヶ月という短期間とはいえ、新兵器の話は手足を失って帰ってきた帰還兵の話からも広がっています。曰く、有り得ない程に早く銃撃を受けた。曰く、恐ろしく遠くから魔術師がいない部隊の攻撃で魔術師のいる部隊が全滅した。戦争の形態が変わったと予測している識者はそれなりにいました」


「じゃあ、更にオレが介入したらどうなると思う?」


「………」

「エ、エオナ?」


 オーレがエルフっぽい長耳をヒコヒコさせながら、心配そうに横のリーダーの顔を覗き込んだ。


「まだ、予想の途中、という事にしておきましょうか」


「そうか。じゃあ、簡単にオレが予想しておこう。どっちの将兵も絶望しながら自分の祖国が失われるのを見る、だ」


「「………」」


「状況は思っていた以上にこっちへ傾いてる。両軍の集結で手間も省けるな。お前らへの依頼はこれでほぼ完了だ。明日、皇女と共に戦線へ向かうまでの護衛が終わった時点で契約は満了。ファストレッグで報酬を受け取ってくれ」


 踵を返して元来た道を戻ろうとした時。


「教えて下さい」


 そう背後に声が掛かった。


「何だ?」


「どうやって、100万以上の軍を止めるつもりですか?」


「そういうのはその時になってからのお愉しみにとくのがいいんじゃないか?」


「……あの皇女殿下の前でどれだけの血を流すつもりかは知りませんが、彼女を見る限り……そんな血溜りで正気を保っていられる人間には見えません」


「御優しい事だな。だが、それは本質的には部外者なお前らに関係あるのか?」


「―――あの戦場には仲間達の家族がいます」


 振り返れば、拳を握って僅かに俯いたエオナが瞳を伏せていた。

 その横ではオーレが心配そうな視線をリーダーに向けている。


「具体的には?」


「……この事実を仲間達に断りもなくあなたに告げるべきではないのかもしれない。でも、此処で訊かずにあの子達の人生に影を落としたくは無い。だから、お教えします」


 上げられた顔には確固とした決意の色が浮かんでいた。


「アステの父は傭兵として。クルネの母親は娼婦として。フローネルの弟は兵隊として。リヤの姉は野戦病院の看護役として。そして、私の祖父は軍師としてあの戦場の何処かにいるでしょう」


「月亀と月兎。どっちだ?」


「どちらもです。アステの父は月兎に。クルネの母親は月亀に。フローネルの弟は隣国からの義勇軍として月亀に。リヤの姉は月兎に。私の祖父は月亀の恐らくは参謀本部勤めでしょう」


「………軍を止めるのに今のところ暴力は使わずに済むだろう。最前線だろうと後方だろうと関係なく軍の全てを制止する予定だ。無論、機を見計らう関係から、両軍の激突で死者が出るのは避けられないし、そこで死んでもオレにはどうしようもないが……」


「……神官などと同じく昏睡させるつもりですか?」


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。オレの手品の種がバレるのは予定済みだからな。それまで同じ手を使い倒すかもしれないし、あるいはまた別の手があるのかもしれない。これはさすがに明かせないな」


 こちらの答えに瞳を覗き込むように見つめて。

 エオナが目を閉じた。


「答えて下さり、ありがとうございました」

「役に立ったか?」


「ええ、表情一つ視線一つ読めないあなたがこちらに推し量れるような存在ではない、という事は……」


「そうか」


 話が終わったのなら戻ろうかと視線をエオナから逸らそうとした時。


 不意にその身体が微振動しているのを確認する。


 トッとオーレの後に下がった彼女の手が背中を押して、こちらに身体を押した。


「ぁわ?!」


 オーレがこちらに躓きながらつんのめって覆い被さるように倒れ込んでくる。


 それを何とか片手で受け止めて、視界にエオナを入れる。


 すると、その再び俯いた身体がガタガタと震えて、背後の突き出た岩の断崖の切っ先。


 そちらへと下がっていく。


「オイ。どうした? 病気か?」


「―――オーレ。次のリーダーは貴方です。ですから、皆に彼は悪くないと証言を……お願い、します」


「エオナ?!!」


 振り返って思わず動こうとした長耳の少女はリーダーの身体が自分で震えているには不自然な程に振動しているのに気付いて、絶句する。


「今の状況を話せ。その振動は何だ? エオナ・ピューレッ」


 僅かに目を細めて、いつでも構えられるように肉体を意識する。


「実は……秘密だった……んです、けど……私、女系神官の家系なんです」


「?!」


 振動する肉体がブレていく。

 肉眼で捉えている合間にも姿が霞むように。


「声を、抑えている……の……もう無、リり、にニ……」


(声?! 神官に語り掛けるってアレか?!)


「わ、ワワわタシがか、ワワ、ルる前にッ!!?」


 ニコリと最後に微笑んだのはきっとオーレを安心させる為だったのだろう。


「みン、な、な、ニ、ああ、りリ゛りりがとぅぅ、ぅう、て―――」


「エオナ!!!?」


 飛び出したオーレがその手を掴むより先に身体が真下へと飛んだ。


 考えるより先に飛び出す。

 真下まで210m。


 6分の1の重力だとしても、落下したら唯では済まない。


 墜ちていく合間にもエオナの肉体のブレは激しさを増していた。


 そして、その決定的な瞬間を見る。


 肉体の端々が衣服も含めて分解されながら、紅の燐光の中で少しずつ別のモノに結実していく。


 同時に中性子線の発生と増大への警告が瞳にアラートされ、それが原子変換レベル。


 しかも、人体一つ分の物体をそのまま組み替える魔術であろうとの推測が成り立った。


 即座に衣服内に仕込んでいた粒子線歪曲用の磁界発生装置を起動。


 触手を高速で生成し、エオナの肉体にアンカーとして射出。


 錨部分を狙った首元に直撃させると同時に液体状に細胞の連結を解き、接着。


 即座に浸透させながら、魔術を―――脳裏で反射的に起動する。


 思考破棄。

 求めていたのは敵対魔術の無力化する術。


【相克の衝角】


 更にその効果を拡大。


 だが、一瞬ブレが収まったかに見えた次の瞬間、心臓付近までも別の肉体へと置換が進行した。


 頭部が持たない可能性を考慮。


 侵食細胞内で動き回る極小工具に血液中に貯蔵させていた各種の金属分子の結合を指示。


 細胞単位でのコイル生成完遂まで0.32秒。


 それらを一斉稼動し、細胞自体に発電させながら磁場を形成。


 更に特殊なヘリウムガスを周囲に発生させて、通過時に荷電粒子に変換する事で磁場の誘導を容易にする。


 粒子線防護壁を展開。

 同時に魔術で今まで透明化していた黒剣。


 あの地獄を名乗る少女から渡された鍵を抜き放ち様に背中に生成した触手の大半を斜め上の断崖上部へと向けて射出して反動で加速を稼ぎ、岩壁に当たった瞬間に硬質化。


 そのまま背中から噴出する固い棒に押されるようにして肉体を真下に押し出し、首元までも進行した置換が頭部を飲み込む前に胸元へとソレを突き立てて、外套内部に仕込んでいたニッケルの一部を細胞膜内に反射材として触手から流し込む。


「―――!!!!」


 光を全て吸収する完全黒体製のソレが胸元を貫いた刹那。


 こちらの思考速度の曖昧なコマンドをシステムが受領したか。


 肉体の変換が止まった。


 剣を握った片腕を半分以上触手へと変換しつつ肉体に大規模な浸透を開始。


 神経系を細胞間の隙間まで微細に張り巡らせながら侵食しつつ、肉体状況を把握。


(何だコレ?! 有機物? いや、無機物と有機を複雑に絡み合わせてる……有機系回路の塊にも―――そうか?! どうやら神様って奴は随分とえげつないようだなッ!!)


 頭部以外の肉体の全て。


 それらがほぼ回路らしきものをプリントされた有機物と無機物の薄いフィルムを積層化した複雑な集合物と化していた。


 人体の形をしているが、本当にそれは形だけだ。


 人工筋肉らしいものから肌、今のところ正体不明の内蔵器官に至るまで。


 全ての要素が3Dプリンターで出力したフィルムを数億枚継ぎ目も無く張り合わせて作ったかの如きマネキンと言うべき状態。


 無論のように肉体と頭部の状態の食い違いをどうにかしようとすれば、新しく肉体を生成した方が早いが……脳裏に浮かぶ頭部を失った幾つもの肉体を幻視して、拳を握る。


(オレはあんな事しない。オレは―――このままだろうと助けてみせるッ!!)


 現在400kgを突破した体重から52kgを抽出。


 フィルム層内部に浸透させた触手をそのまま細胞膜に形成して二層交互の層に三層目を加えた。


 人体の必要な各内蔵器官を生成。


 同時に毛細血管をフィルム層に破壊を齎しながら浸透させ、体表下に真皮層まで生む。


 有機物の回路層型の新規筋肉。


 それを分子レベルで新たな生身の細胞と統合しながらの作業。


 一つある人工の身体にもう一つ身体を同化させたような状態。


 単純な人工筋肉はこれでどうにか動かせるだろうというところまで神経系を各層に繋ぎ合わせる。


 内蔵器官が生んだ血液を頭部まで循環。


 人工物と生身の分子的な融合で最低限の命の保証までを済ませた。


 正体不明の回路まで人の脳が動かせるのかどうかは分からないが、そこらは相棒に調整してもらうしかないだろう。


 何分、知識不足。


 それでなくとも極小スイッチング工具類の完全微細制御の作業量は個人の脳での処理限界を超える。


 疲弊する脳髄は回復するが、精神はその影響を免れ得ない。


 急激に襲ってくる眠気に抗いながら、激突寸前になっていた地面を前に剣を引き抜き、少女の頭部を抱くようにして自分を下にする。


(クソ……勝負が付く前に戦場に間に合うか……後は頼むぞ……)


 袖の中の緊急時用のボタンを押し込む。


 それを最後に意識は衝撃と共に奈落の底へと落ちていった。

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