第102話「猫の手は揚がる」

―――ごはん公国首都地下城砦、主上の間。


『おお、稀代の狂人殿。参られたか』


 クッションの山に被さるようにしてダラーンと身体を伸ばし寛いでいた黒猫が悪意があるとしか思えない呼び方で僅かに片手を上げた。


 これで喋らなければ、今にも吸引してしまいそうな可愛い様子なのだろうが、中身的にそれは遠慮するしかないだろう。


 シュタッと床に降り立った身体が伸びをしてから既に用意されていたテーブルの上に乗る。


『こちらへ来るとよいぞよ』


 現在、百合音は囚われていた仲間達の護衛と聖上への報告で忙しく。


 主上への連絡だけを承って、城の内部で別れたので姿はない。


 城下の旅籠に再び戻った全員に諸々の話を今後する事になっているが、それより先に聞いておきたい事があったので、こうしてこのごはん公国の首魁へ会いに来たわけである。


「いきなり狂人呼ばわりですか?」


 テーブルの前に座ると。

 黒猫がケタケタと笑い始めた。


『それはそうであろうよ。ワシもどんな顔していいのか分からん成果ではな』


「?」


『お主……自分が遣り果せた事の大きさがまるで分かっとらんようじゃのう』


「運良く初手で行動不能に出来ただけですが」


『言うておくが、羅丈総出でも黒鳩をああまで出来るか怪しいものがある』


「ソレ程に強いと?」


『百合音の報告書は読んでおるが、相手が舐めていた最上の機に最高の不意打ちを喰らわせた。という事でワシは一応納得しとる』


「………」


『本来、あの男はただの刃で傷付くような身体ではない。また、お主のような戦闘の気配もさせないド素人相手に油断したのもあろう。それにしてもアッサリ片付き過ぎて、羅丈内でお主の評価が危険人物待った無しの階梯まで上がったのじゃ』


「まったく、嬉しくない……」


『そうじゃろう。そうじゃろう。まぁ、今はまだ気にせんでいい。この大事が片付いてからになろう』


「……三つ訊きたい事があって来ました」


『では、答えよう。一つ、羅丈が今回の一件に関わったかどうかは秘密じゃ。二つ、麺類教団の事は殆ど知らん。三つ、襲撃者に付いては少しだけ情報がある』


 黒猫が先回りして、こちらの欲しい情報を提示したので更に深く突っ込んでみる事とする。


「二つ目と三つ目を出来れば、詳しく教えて貰いたい」


『麺類教団はNINJIN城砦の一件で何かを調べていた。そして、共和国から何かしらの遺跡の品を受け取っていたようじゃ。それが何なのかまでは分からんが、彼らにとっては余程に重要なものだったのか。それの護衛戦力が超過剰だった事を掴んでおる』


「三つ目は?」


『共和国首都の襲撃者共は旧世界者プリカッサーの一団。南部に居を置くとされる者達じゃ。名を【統合バレル】と言う』


「バレル?」


『ワシも詳しくは知らんが、他の連中と同程度には旧い時代から活動しとるらしい。我ら公国の古文書にも書かれておるくらいには……』


「……それが此処を守ってるのと同じようなロボに乗ってる理由は?」


『ロボ? ああ、春守ハルモリの事かえ』


「ハルモリ?」


 猫がチラリと横に目を向けて、ヒョイと飛び上がると何かの上にシタッと止まった。


 だが、その何かがまるで見えない。


「?!」


『ワシが知る限り、こいつらは歴代の主上と聖上に仕えるよう命令されておる人形じゃよ。まぁ、大きさも違うようだし、同系統の技術で造られた遺物というところか。ちなみに“めんてなんす”とかは要らんのじゃ。こいつら自分で自分を直すからのう』


(メンテナンスフリーの陸戦人型兵器? それもAI搭載型の無人とか……もう何でもアリだな。いや、本当に今更な感想かもしれないが……)


 黒猫がヒョイヒョイと見えない何かの上を飛び上がりながら天井付近まで昇り、再びダラーンと身体を弛緩させてベッタリ顎を見えない何かに乗せた。


『ちなみにこいつらの弱点は無いと言っておこう』


「いや、訊いてないですけど」


『あの老人の求めに応じるのじゃろう?』


 どうせ筒抜けだと思っていたが、総統閣下のいた倉庫は普通に盗聴されていたらしい。


「そもそも自分から弱点が無いとか言うとソレはあるって自白してるみたいに聞こえますけど」


『言いよるのう。だが、EE共が苦戦していた様子はあの傷から分かっておろう?』


「まぁ、何となく」


『連中のアレが春守と同等の技術で作られた代物だとするなら、じゃが……人が乗っておる事以外では現代の力ではどうしようもなかろう』


「本当に?」


『お主。高速で超重量の物体が見えないまま襲ってきて、戦えると思うかえ?』


「戦い用によっては。それと周辺状況次第では」


『あはははは。ああ、まったく……面白い御仁じゃな。今、此処で戦えば、死ぬのは確定的だろうに』


「勿論、此処で戦えば、そうでしょう。でも、この世に完全なものなんて無い。その兵器の設計思想が時代と比して進んでいても遅れていても、完全な力を発揮する事は無い……少なくとも、其処には漬け込むだけの理屈がまだ介在する余地がある……かもしれないと、そう思います」


 初めて、黒猫が瞳を細めた。


「例えば、その春守の動力源が何なのか。その供給部位が特定出来れば、破壊が可能かもしれない。また、どんな足場なら体勢を崩し、どんな場所ならば身動きが取れなくなるのか測定や推測が可能なら、動きを封じられるかもしれない。人間が乗っているなら、人間を守る為に沢山の機構が必要だ。本来以上に機体のバランスが悪いかもしれない。何処かに開発者が機能を詰め込めず、妥協した部分があるかもしれない。自動で動いているなら、その動かす命令の優先順位や自動化されている部分には人間の細かい操作が通わないかもしれない。もしかしたら、人間が動かすのにとても苦労するだけの制御を要求されているかもしれない。可能性は幾らでもある……それが可能かどうかは調べてみるしかない……それがもしも死なない人間なら……被害と人的資源への損害は最小限……これでも弱点は無いと?」


『その屁理屈で言うとお主何回死ぬか分からんぞよ?』


「今回の一件で共和国は公国に大きな貸しを作った。でも、そちらもこの状態をいつまでも続けておくわけには行かないはずだ」


『何故だ? 我々は此処で共和国が滅びるのを見守っておれば良いだけではないか? あの老人が手中にある今、何を我々が待っていられないと言うのじゃ?』


「………一体、今この国で何をしているのか。訊ねたら答えてくれますか?」


『はて?』


 黒猫は小首を傾げて愛らしい仕草でこちらを見つめる。


「最初の疑問は……羅丈が人的資源不足になる程、諸々何をしているのかという事だった。本当に対共和国の工作をしているだけなのかと」


『お主の考えではどうなのじゃ?』


「次の疑問は黒鳩の確保が重要な任務でありながら、どうして外部の人間であるオレに与えられたのか、というものだった。少なくとも、オレを使わずに諦めるという選択肢は無かったのかと」


『………』


「あの黒鳩が其処のハルモリとか言うのと基本的には一緒の存在だとすれば……何か羅丈が隠していると見るのが妥当だ」


『如かして、その心は?』


「予想される幾つかの事実や推測を積み上げてみればいい。羅丈は黒鳩を必要としている。だが、必要としているのは情報部門の重要人物だから、ではない可能性がある。本当は持っている情報よりもその存在自体が必要だったのでは? だから、現在、何かをしていて手の離せない羅丈達と同様に捕まえられる可能性の高いオレに依頼した……違いますか?」


『共和国はそんな片手間でどうにか出来る相手だと思うのかえ?』


「時間稼ぎしてる相手が何も手を打たないと考える方が不自然でしょう。前は時間稼ぎで別の戦争が起るのを待っているのかとも思いましたが、周辺国は共和国の言いなりや属国に近しい立場になってもう長い。その相手がいない」


『………』


「そもそも羅丈の情報収集能力を持ってすれば、共和国の講和条件は随分と前から……戦争当初、もしくは戦争が始まる前から丸裸だったんじゃないかとも思えた。そうならば……彼我の戦力差の計算から敗北の予想は出来る。何らかの次善策を講じている可能性は高い。それがどれくらいの規模でどのくらいの数なのかは分からなくても、羅丈の優秀さなら何だってやってやれない事はない」


『面白い推測じゃのう』


「また、教団から提供された情報を元に共和国と公国が今後……確実にどちらかの絶滅まで戦争になるという推論も近頃は思考していた。これを前提にすれば、“オレと同じ結論”を分かっている公国には共和国の人口を極端に減らすだけの理由がある」


『物騒な話よな。さて、その公国と共和国は何処の事であろうかや?』


 黒猫の笑みは崩れない。


「この大陸の水資源は人口増加に付いていけてない。また、食糧事情は逼迫する一方。だが、共和国は拡大を志向し続けている。国土の肥大、MUGI耐性者の増大は国力の増大であると同時に穀物供給の限界へと突き進む。この大陸でMUGIが植えられるのは共和国と公国のみ。KOMEとMUGIは同時に完全耐性を享受出来ない」


 初めて黒猫の瞳の奥に光のようなものが揺らめく。


「此処から来る結論はこうだ。共和国は自国の肥大と同時にKOMEの産出地帯を水資源と共に押さえなければ、自らの人口で破綻する。これをどうにかするには公国の完全併合。そして、KOME耐性の完全抹消でMUGIのみを栽培し、限界が来るのを引き伸ばすしかない」


『それが先程の話とどう関わってくるのじゃ?』


「公国は共和国に勝てない。共和国は周辺にもう戦争をする国が無い。ならば、共和国に勝てるかもしれない相手をぶつけて、その合間に共和国を確実に上回る戦力を作り、一気呵成に攻める。もしくは遺跡の力で相手の人口を確実に戦争が起らないレベルまで削減する」


『それが出来れば、苦労はすまい?』


「それが出来るかもしれないから、黒鳩に使われている機能や情報が必要だったんじゃないのか? そして、其処にいるんだろうハルモリとやらが【統合バレル】の使うロボと同系統の技術かもしれないと言ったのはアンタだ。主上」


『さて、それがどうかしたのかや?』


旧世界者プリカッサーが国を攻める理由はない。だが、旧世界者プリカッサー同士が潰し合うゴタゴタで国が混乱するなら、自分達に疑いは掛からない。事前に事態をお膳立てし、共和国の象徴をその手中にして軍には動かせず。この好機に新造した中核戦力となるだろう春守を基礎とした何かしらの兵器を羅丈に集中運用させ、前線を突破。戦力集中を基本として山岳部周辺に貼り付けている共和国の軍主力を包囲殲滅した後、その足で混乱する首都近郊の大穀倉地帯、軍民のMUGI在庫を一掃、後は飢餓で人口があんたらの決めた適正な値になるまで待って、有利な条件で講和。見えない敵が相手じゃアンタらが敵だった事すら共和国には分からない。これも襲撃者のせいだと言い張られたら、それが真実になるだろう。これがA案だ」


『えーあん?』


「B案はもっと短絡的なんじゃないか? 何せ“神のししむら”は人類規模の事象を引き起こして、死傷者が出せるって話なんだからな。それを共和国に対して使用すればいいだけだ。だが、この場合は疑われるし、事実が公になれば、憎まれるし、そもそも共和国だけで事態が収束するのかどうかも妖しい……聖上と話していてアンタとは違う感じを受けた。あっちは現実主義者リアリスト……A案がダメそうならB案を推進するのは当然て感じだ。だから、アンタはB案だけは回避したいと関係者もしくはB案に重要な役割を果たすかもしれない百合音をオレに付けた。態々、明かさなくてもいい秘密を明かさせて……こっちに守らせながら、時間を稼いだ。オレが黒鳩を確保出来なかった場合でも、オレと百合音さえ一緒で無事ならB案の進捗を遅らせられると考えたんじゃないか? まぁ、全部妄想の域を出ないが」


 黒猫はこちらの話を聞き終えると。


 そのまま虚空からダイブしてボフリとクッションの山に潜り込み。


 器用にパタパタと……用意していたのだろう白旗を中から振った。


『百合音よ。何故、こういう男を10年前に連れて来なかった……と、叱るべきか。それともワシも老いたな、と自嘲するべきか。悩むのじゃ……ああ、カシゲ・エニシ。そなたは知ってはならぬ事を知った……とりあえず、命を掛けて脱出してみるか? この“ワシの中”から』


 ゾワッと一瞬産毛が逆立った。

 咄嗟に横へ跳んだ瞬間。

 地面が何か重いものに潰されて破砕される。


『戦えると言ったな? だが、この状況で死なずにいられると思うのかや? 遺跡の御子よ』


 ブゥンと何か高速振動している物体が振動数を落としたような。


 そんな音と共に部屋の置くに爪先立ちで二足歩行しているようなロボロボしいものが現れる。


 基本的にはあの老人と一緒に見たモノに似ているが、違うのはあちこちに薄い硝子のような装甲が備え付けられ、二回り以上小さい事か。


「こんな狭いところでロボと戦えって無理ゲーだろ!! 後、百合音はその頃生まれてるのか?」


『ははは、まだ要らぬ口を叩けるようじゃのう。では、久方ぶりに運動と往こうか。なぁ、春守スプリング・ディフェンサー


 ロボが、跳躍した。

 それを跳ぶと表現していいのか分からないが。

 軽やかに虚空へと舞ったのだ。

 まるでバレエダンサーがそうするかのように。

 なのに、まるで跳躍時の床は圧力に砕けなかった。

 それだけバランサーやプログラムが優秀なのか。

 それとも下半身の機構そのものが特異なのか。

 分からずとも、全速力で前に出た。


『ほう?』


 機会は一瞬。


 頭部の長方形型のセンサーユニットらしきものを跳躍時に袖から取り出したブレードで真っ二つに割る。


 幾らバランサーが優秀でもメインセンサー類がやられた状況ではAIがコントロールしていたところで状況判断は遅れ、完全な体勢での着地は見込めないはずだとの推測からだ。


『ほほほ、それで目を封じたと思っておるなら、片腹痛い』


「ッ?!」


 センサーは破損しているはずだが、サブが残っているのか。

 それとも室内に同様のものが仕込んであるのか。


 両腕がグルリと回って背後のこちらを狙って指先の黒い部分を射出した。


 何とか振り返って外套を盾にするも、胴体に一発、指の一つがぶち当たり。


「―――ッ」


 胃液が食い縛った口元から僅かに滴る。


 幸いにして肋骨は無事だが、内蔵がちょっと激烈に痛い……一瞬後には治っているとしても、確実に何処かが破裂したのが分かった。


『まだまだ♪』


 ロボの急旋回。

 片腕がこちらを薙ぎ払おうとする。

 それを何とか体勢を崩して仰け反り回避。

 が、相手はすぐ両腕をこちらに向けて突撃して来た。

 鈍重さと掛け離れた機動性は常識的な範疇ではない。

 何処かのアニメ張りだ。

 内臓の再生で僅かに動きが鈍る中。

 避けられないし、避けるだけの余裕も無かった。

 が、ブレードは未だ無事。

 また、武装もある程度保持していたのが救いか。


 袖内部のボタンを押し込むと同時に首輪から集中力を高める薬剤が血管に直接注入された。


 ロボの両腕をギリギリで深く前傾姿勢になる事で避け。

 前方に跳躍した瞬間にブレードで足を薙ぎ払う。


『ほいっと♪』


 しかし、ロボが一瞬で跳躍し、避けた。

 また、互いに背後を晒す事になったのも束の間。

 勢いのままに転がって背後を確認すれば、相手はもう見えない。

 いや、頭部ユニットだけが切り離されてガコンと床に落ち。

 そのまま何かが風を切る音がした。


「―――ッッ!!!」


 瞳の奥が熱い。

 まるで頭部が沸騰したかのような。

 それでいて痛みもない熱量は身体を巡っていく。

 反射的に左へ半身で相手の腕をかわしていた。

 同時にブレードを膝で上に叩き上げ、勢いのままに切り裂く。


 鉄製の門扉が見えるようになった腕の一部を受けて轟音を上げて拉げた。


 見えている。

 そう、見えていた。


 眼球を振動を捕らえる観測機器だと表現するなら、少なくとも今の自分の瞳は高周波から電磁波から本来視覚化する機材でも無ければ感じられないだろうソレを全て見て取る万能の機械だろう。


 電磁波の視覚化が相手を丸見えにし、微細な空気の振動、音すらも様々な色の濃淡で判別可能。


 遺跡の力は偉大か。


 見えないと踏んで攻撃態勢を取っていた相手のがら空きの胴を一本目のブレードの投擲で貫き。


 動きを一瞬鈍らせ。

 袖から出した二本目のブレードで真っ二つにした。


 横に抜けた刹那、振り返り様の一撃で斜めに切り上げ、相手の背骨を両断すると。


 機能停止したのか。

 すぐに躯体が姿を現し、音を立てて崩れ落ちた。

 パタパタを音がするので後ろを振り返ると。


 クッションの中から尻尾で器用に白旗の付いた小さな棒を振る黒猫が出てくる。


『嘘吐きめ。死ぬどころか。貴重な春守を壊してしまいよった。まったく……しばし、肉塊にして行動不能にしておこうかというワシの優しい気遣いが無碍にされたのじゃあ(泣)』


「オイ。このワシ猫」


 ムンズと掴み上げた黒猫は可愛子ぶった様子であざとらしく小首を傾げる。


『鷲猫とはどういう生き物じゃ?』


「死んだらどうする!?」


『死なぬのであろう?』


「死ぬ程痛いと精神的に死ぬんだよッ!!?」


『ほうほう? 覚えておくのじゃ♪』


「……はぁぁぁぁ」


 思わず深い溜息が零れた。

 こいつはやっぱり百合音の上司だ、と。


「何考えてるんだ? いきなり襲ってくるとか」


『ワシは主上としての役目を果たしただけじゃもーん(プンプン)』


 あまりにもあまりな言い訳。


 だが、相手が手心を加えながらも本気だった事はロボの一撃が避けなければ普通に即死だった事を考えても事実だろう。


「終いには猫鍋にするぞ?」


『ひぃぃぃ?! ワシにそんな事をすれば、百合音が泣くぞよ(棒)』


 わざとらしく怯えてみせる黒猫がニヤニヤした。

 それと同時くらいだろうか。

 外からガンガンと変形した扉を叩く音がした。


『主上!! どうなされましたか!!? 主上!!』


「オイ。どうやって、この場の説明付けるんだよ?」


『フン。知れておる。貴様がワシを誘拐すればよいのよ』


「はぁぁぁ?!」


『お主の力、お主の強さ、お主の知恵、しかと見せてもらった……百合音は良い伴侶を得た……だが、だからこそ、あの子の未来に禍根は残すまいよ……カシゲ・エニシ殿。この主上がお主へ直々に依頼したい任務がある』


「何だ?」


『この国を、戦争を、止めてくれ……』


 黒猫の顔が初めて何処か申し訳なそうに歪んだ。

 今も外からは声を掛ける者が増えている。


『その為の方法ならば、あるのじゃ。お主の言う“えーあん”でも“びーあん”でもない。第三の選択肢が……』


「それは本当か?」


『うむ。“えーあん”の実行は最低でも1週間後。いや、もしかしたら、それより遅いかもしれぬ。だが、百合音を片方連れて行けば、“びーあん”は一先ず止められる。その隙に霊薬さえ手に入れられれば……芽はある』


「霊薬?」


『詳しい話は後じゃ。片方の百合音にお主のめかけ達は任せてある。共和国の者達がいれば、手出しはされんだろう。共に往こうぞ。全ての始まりたる源の泉へ……』


 プシュンと何か空気を抜くような音がしたかと思うと。


 クッションの山が雪崩れて、その下から地下階段らしきものが覗いた。


「……分かった。話は逃げながら聞こう。後、今回の事は貸しだからな?」


『良い良い。もう敬語も不要じゃ。此処からは“らふ”にゆこう。ふふ』


 階段を下りる途中。

 背後で扉に何かが叩き付けられる音が連続する。


 その合間にも後ろの床が再び閉まり、通路には暖色系の灯かりが灯った。


『さて、まず名前から名乗ろうか』


「主上が名前なんだろ?」


『アレは対外的なものじゃよ。羅丈や国内向けのな』


「じゃあ、普通の名前があるのか?」


「うむ。ワシと兄しか知らん。ワシの名は―――」


 通路の奥から何か重苦しい足音。

 2m近い影が近付いてくる。


「多機能性神経細胞半導体43系搭載型W-3523番―――ヒルコ」


 人の顔、人の形、女の造詣。


 だが、確かにそれは美しいと称して問題ない白と黒で塗り分けられた人形。


 服のような鋼のボディーに能面のように表情の動かないソレは瞳をキロリとこちらに向けた。


「まぁ、単純に言うと。先代の聖上と主上が国内で死んだ造った“えーあい”みたいなもんじゃ。秘密じゃぞ?」


 世界は腐っている。

 嫌な話だ。


「百合音も同じ、なのか?」


 だが、それもまた遺跡の力だと言うのなら、責めるべき輩はもうこの世にはいない。


「百合音はワシなどより、余程に高尚な技術で生まれておる。モノシリック・テンプレート・イグジステンス……人が人を棄て、人を超え、人として、人の営みの中で永遠を得る。その第一号……ワシら歴代の聖上や主上のような“神のししむら”に使われておる技術の一端で造られた安価な“本人の残骸”などではない。本当の……情報化知的生命……脳気質に自己の発生諸因を持たず、物質的な脳機能から解き放たれ、完全に“魂を情報として移行した存在”とはな」


 どうやら……世の中には陰謀と嘘と真実が……それに誰よりも近そうでいて遠い、ちょっと困った性癖な幼女の周囲で渦巻いているらしかった。

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