第79話「ブラック・パウダー」

 夕暮れ時。


 夜闇に乗じた街への潜入はまず街の周囲を巡回する兵士の拉致から始まった。


 兵隊の交代時間とルートの割り出し。


 此処で本来なら一晩は時間を掛けたいところだったが、拉致ってきた兵二人が吐いた情報によれば、明日の朝にはクランを移送するとの事。


 交代時間は街をゆっくりと二周で1時間。


 他のチームが三つ存在し、其々が東西南北を代わる代わる一晩中見張るらしかった。


 クランのいる宿の周囲には常時歩哨が三十人態勢で固めており、それ程大きくない街中は一時間置きに兵隊が街のすぐ横に陣を構えた大隊からやってきて十五人ずつ入れ替わる。


 もしもの時の為、150人規模の部隊が展開されており、襲撃時には半数が駆出されて、半数が宿の警護に入るとの事。


 クランの護送部隊の人数は昼時の事前調査で割れていたが、予想よりも人数が多かった為、リスクはかなり高くなったと言うべきだろう。


(一時間以内に三十人の兵を突破して宿からクランを救出。その後に三十六人の侍従と病み上がりの傭兵を連れて此処から脱出……無理難題だな)


 何よりもマズイのは相手が銃剣付きのライフルと信号弾用の拳銃型の発射機で武装しているところだ。


 手榴弾は何かの拍子に爆発して護送対象を巻き込んでは事だと支給されていないらしい。


 弾丸は其々兵士に50発ずつ支給されており、鹵獲したのでライフル二挺に装弾されている以外の銃弾が百発、後は信号弾が数発という状態。


 剣やら鉈のようなもので良ければ、現地調達出来るとの話だったが、ライフル相手では分が悪い。


 一応、世闇に乗じて奇襲を掛ければ、数人くらいは薙ぎ倒せるだろうが、後はライフルで追い立てられて終わりだろう。


「という事で此処は少数精鋭で行かないか?」


 その言葉にファーンが裸にされて猿轡を噛まされ、縄で巻かれた兵隊に腰掛けながら、微妙な表情をした。


「どれ程減らしますか?」


「最初の手筈通りオレとジンジャーは行くが、残る人材は退路組に組み入れてくれ」


「さすがに最初数人だったのを更に減らすとなれば、クラン様の救出には不安しかないのですが」


「だが、三十人の兵隊とまともに遣り合ってる暇は無いし、半端な人数は相手に弾丸の的をくれてやるようなもんだ。せめて、同数か。十人程度の差ならまだ何とかなったかもしれないが、それ以上となるとな……一応策もある」


「策? ちなみに変更したい事はまだありますか?」


「ほぼ無い。当初の予定通り。十人、十人で反対方向の森林地帯から信号弾で奇襲を演出して逃げるのも変わらない。渓谷側への退路確保もだ。陽動組は逃げる以上、ライフルは渡せないし、クランの救出組も基本は隠密行動な以上はライフルが使えない。よって、ライフルは全部渓谷の退路確保組に預けるべきだと思う。ここまではいいな?」


「ええ」


 周囲は街の外延部に程近い雑木林の中。


 未だ静かに話を聞く大人達を前に昼間侍従達に用意してもらった袋を持ち上げる。


「策って言ったが、大そうなもんじゃない。クラン以外には有害な香料の細粉を使う」


「?!」


 思わずファーンが横で少し小さくなっている侍従達に目を向けるも、すぐにこちらを半眼で見た。


「確かにそういった手は一時考えましたが……それを使えば、そもそも我々が救出不可能にな―――」


 言おうとして気付いたらしい。

 真面目な瞳がこちらの瞳を覗き込む。

 月明かりに照り返す眼光は至極怖ろしい鋭さを持っていた。


「……貴方は耐性があるのですね?」


「ああ、まぁな。昼間メイドさんからクランの耐性の詳しいところを聞いた」


「その香辛料に対する耐性を持っているのは我が国では皇族の方々くらいなのですが……」


「今更過ぎる発言だろ……宮殿で人の身体に散々、香辛料と食材を試してた人間の言う事じゃないな」


 肩が竦められた。


「周囲にばら撒いた後、逃げられたとして退路組のいる場所まで戻ってこられますか?」


「ありったけの細粉を用意してもらったからな。服のあちこちに袋を縫い付けてもらったおかげで身体が微妙に重いくらいだ」


「食工兵の真似事を生身で行うと?」


「捕まえた連中が自白してただろ。宿の中は兵隊しかいない。周囲の家々だって、夜の出入りは禁止されてる。これなら少し派手にばら撒いても街の人間を傷付ける可能性は少ないはずだ。数で負けてる以上、何処かで奇策を使わないと押し潰されるぞ」


 周囲の兵達がざわつくものの、すぐにジンジャーが手を制止するように手を上げると静まった。


「……自信は?」


「そんなのがあったら、最終手段にしようと思ってた事を此処で言ったりしないな」


 こちらの言葉にファーンがまた肩を竦めた。


「いいでしょう。どの道、時間もありません。もう立ち止まれない所にいる以上、賭けてみましょうか。どちらも奴隷剣闘で優秀な成績を叩き出した猛者。下手な人数を割くよりはいいと信じます」


「陽動組と退路組の指揮は任せて大丈夫だな?」

「誰にものを言っているのですか? これでも軍学校主席ですよ。当方は」


「ならいい。こっちは隠密で出来る限り進む。バレたら、先行してジンジャーに救出してもらって、こっちは足止めと霍乱だ」


 そうして己の仕事を果たす為、予め割り振られていた班に三々五々全員が散っていく。


 最後にファーンが侍従達を連れて歩き去る時。


 武運を、と呟いたのが印象的だったが、そういう感情に浸っていられる時間は夕闇が完全な宵を迎えて途切れる。


 林の先にある街の入り口からは奥まった場所にある宿はまだ見えない。

 しかし、ストリートの遠方には兵がちらほらと見えていた。

 そろそろ外出禁止の時間なのか。

 人が捌け始めた。


「行くぞ」


「それは兵隊。いや、今は傭兵のこちらの台詞だと思うのだがな」


 ジンジャーが苦笑しつつも、背中に積荷を背負った商人姿で肩を竦めた。


「分かったよ。お父さん」


 一応、家族という体で入り込む事が決まっていたので軽く返す。


「こんな息子がいたら、まず間違いなく禿るな」


 そのまま二人で歩き出し、街の近くから街道沿いの道へと移って、そのまま大通りへと向かう。


 ストリートの中央まで来た頃にはもう一般人は数人程度となっていた。


 決して走らず。

 歩きながら建物と建物の間へと身を滑り込ませ。

 小道を行く。


 この街の出身者という侍従がいた為、地図は書いて貰えたのが大きい。


 人目に付き難い最短ルートで宿屋の直近まで来られた。


 角から僅かに手鏡で覘けば、表側には十人程が左右に詰めており、後は内部らしい。


 洋光ランプの光が零れ始めた屋内は木戸の為、中を垣間見る事も出来ない。


「裏手に回るぞ」

「ああ」


 建物を迂回しながらならば、勝手口のある方から攻められる。


 少し緊張しながらも足音を立てずに建物の影から影へ移動し、宿の裏側へと向かう。


 古びれた煉瓦と煉瓦の合間。


 途中には空の瓶や木箱が詰まれた場所もあったが、手間取る程でも無かった。


 数分も掛からずに宿の裏手が見える位置まで来たが、其処でジンジャーが片手でこちらを制止する。


 その理由はこちらにもすぐ見えた。

 兵士が一人。

 勝手口横の木箱に腰を下ろして煙草で一服していたのだ。

 その横にはライフルが置かれている。

 こちらとの距離は十m近い。


 ただ、相手側からすれば、暗闇の中のこちらを見つけるにはまだ至っていない。


 となれば、先手必勝なのは確実だが……一足飛びとはいかない距離だ。


「(どうする?)」


 一応、検問を突破する際に使った麻酔薬の原液が余っていたので小瓶で貰ってきていたが、投げ付けるような代物ではない。


 耳元で呟くと任せろとの回答。


 ジンジャーが背中に背負った商人用のリュックのような鞄の横手から何かを取り出して、腕を撓らせ投げた。


 男が瞬間僅かな呻きを零して木箱から崩れ落ちようとして―――音も無く疾走したジンジャーの手で下から抱き止められる。


 数秒の後。


 まだ気付かれていない事を確認してホッとしつつ勝手口の横まで行くと。


 廃兵院の隊長は男の腕から何かを引き抜いていた。


「(何だソレ?)」

「(投擲用の鉄杭だ。麻酔を塗っておいた)」


 そのすぐに服の袖に回収された凶器というよりは暗器を何処かで見た事があるような気がして、あの奇妙な大正っぽい襲撃者の使っていたものだと気付く。


「(それ何処で売ってるんだ?)」


「(官給品だ。ずっと前から、それこそ投石部隊があった頃から支給されているらしいが、ライフルが普及してからは申請しないと出てこなくなった旧い品だ)」


「(どうして、そんなの持ってるんだ?)」


「(廃兵院に入れられる前はまだ足がまともに動いた時期があってな。人数分のライフルを頼んだら、一人分足りないからコレで我慢しろと言われた……まぁ、手で扱える護衛用の武器でお守りみたいなものだ……)」


 話すのはこれくらいにしようと勝手口内部を手鏡で覗き見たジンジャーがそっと男を横に置いて、そのまま内部へと入り込む。


 それに続けば、勝手口の先は数m程の通路となっていて、突き当たりには二つの扉があった。


 壁際にはトイレと分かるような便器のマークが付けられた扉。


 別の部屋に続いていると思われる扉は半開きで灯かりが隙間から零れている。


 その上、会話する声が少なくとも二人分。


『それにしてもこんな大げさな護衛いるのか?』

『何だよ。不満か?』


『カルダモン家の連中は逃げ出したらしいが、あの検問の数だぞ? 近付けもしねぇだろ』


『まぁ、それはそうだが、気を抜くなよ。此処にいるのは仮にも皇族様だ。どんな手を使っても取り返そうとしてくるはずだ』


『だが、それも数日後までの話だろ?』


『カルダモン家の当主が国家反逆罪で投獄となれば、管理不行き届きで事実上は継承権の剥奪。悪くすれば、皇籍からの離脱……つってもフルマニ殿下がそこまでするかは分からないな』


『ファシアテ閣下が許さんだろ』


『ま、そうだろうが、バジル家も一応は殿下の後見人で通ってる。幼い頃は二人とも仲が良かったそうだから、少しは抵抗するかもしれん』


『あの木偶に―――おっと、後見人たる閣下に逆らえない殿下がか?』

『あれでも人間だ。仮にも腹違いとはいえ兄妹きょうだい……分からんさ』


 世間話に華を咲かせている彼らもまた人間。

 しかし、この状況では敵。


 殺してでもという事になれば、色々と後で精神的にゲッソリしそうだなと思いつつも、ジンジャーは押し入るタイミングを計っており、それはすぐにやってきた。


 一人が小便と言って扉に近付いてきたのだ。


 室内の男は先程の武器でやると身振り手振りで示され、こっちはトイレにやってくる兵を制圧しなければならなくなった。


 一瞬後には扉が開かれる。

 緊張した瞬間。

 しかし、その刹那はやってくる事なく。


『うあぁああああああああああぁあああああああ!!!?!』


 玄関先の宿の表側から響いてきた声に男達がすぐ反応し、何事かと椅子を蹴飛ばしていた。


『だ、誰かぁあああぁ!? た、助けてくれぇええぇ!!? て、敵襲ぅううううう!!! て、敵し―――』


 男達が何やら無言で一人別のドアから出て行く音。


 さすがに人を残しておくべきだと最低限の警備人数は各所に置いておくらしいが、それにしても室内の男は気が気ではないだろう。


 何故なら、とにかく絶叫が終わらないのだ。


 色々な怒声が入り混じっており、ライフルの銃声すら聞こえるというのに敵とやらは未だ被害を出し続けているらしく。


 まったく、安心出来るような状態ではないのが、裏手にいるこちらにまで伝わってくる。


 ジンジャーはすぐにこちらへ好機だと指で示し、そのまま内部へとドアを開いて飛び込んでいく。


「おま―――」


 ライフルが構えられた音よりも早くジンジャーの腕が動き。


 内部へと転がり込んでみれば、既に倒れ込んだ男がピクピクと痙攣していた。


 やはり、腕に掌サイズの鉄杭が打ち込まれている。

 それも肩に近い場所だ。

 心臓からすぐに麻酔が回ったらしく。

 痙攣も数秒で止まった。

 辛うじて呼吸はあるようだったが、弱々しい。


「とにかく行くぞ!!」

「ああ」


 誰がこの宿に仕掛けてきたのか知らないが、少なくとも今がチャンスというのは間違いない。


 戸を空けて通路へと二人で向かうと。


 既に殆どの足音が表側に向かっている様子でこちらに走ってくる者はいなかった。


「二階にまだ人数はいると思うが、どうする?」

「防備が固められたなら……そちらの出番だな。たぶん」

「分かった」


 服の袖から香料の入った小さい袋を取り出して、通路の先に見える階段へと向かう。


 どうやら敵はやり手らしく。

 絶叫と銃声と助けを求める声が続け様に響く。


 今ならば、意識は宿の外に向いているはずだと階段を数段飛ばしで駆け上がると。


 昇り切った先の通路でこちらにライフルを向けようとしてくる男が二人。

 だが、それはやはり表側の騒動に気を取られていたせいか鈍い。

 その僅かな合間に袋を一人の顔に投擲する。


 口紐が解かれていたソレが一瞬で内部の細粉をぶちまけて周囲に甘ったるい臭いが広がる。


 スターアニス。


 漢字では八角。

 よく豚肉を煮る時などに使う独特の甘い香りを持つスパイスだ。


 それをまともに顔面付近に喰らった男達がライフルを撃つも、狙いは逸れて左肩に激痛が奔る。


 二発の内の一発は床で弾けていて、危険は無い。


 物凄い形相で口元を押さえて、目を閉じた男達がジタバタと転げ回る通路をそのまま駆け抜ける。


 通過する際に二人の鳩尾に蹴りを叩き込むのも忘れない。


 そして、最奥の花飾りが賭けられたドアを蹴破るようにして内部へと押し入った瞬間。


 背筋に冷たいものが流れた。


 赤い色で彩られた室内でまだ何が起きたのかも分からない呆然とした様子のクランが自分の顔や腕、服に付いた赤いものに瞠目していたのだ。


 だが、それよりもマズイのは……あの塔に押し入った賊。


 大正の学生みたいな日本刀使いが最後の一人を切り殺した刀を手にこちらを振り向いたという事実。


 二階だというのに窓際は完全に破壊されており、男が其処から押し入ったのだと分かれば、後はどうするのか決まっていた。


 もう聞こえない兵隊達の絶叫と咽返る血の臭いの最中、叫ぶ。


「クラン!! 階段下に脱出を手伝ってくれる奴がいる。逃げろ!!」


 躊躇はあっただろう。

 困惑もあっただろう。


 しかし、自分がどういう状況に陥っているのか分かっていたのだろう少女は頷く時間すら惜しんでこちらに駆け出す。


 その背中に吸い込まれるような耀きの、血に濡れてすらいない鋭利な刃先が、食い込みそうになり、寸前でナイフが遮って逸らす。


 大振りの肉切り用だ。


 それでも肉厚の刃物は確かな感触で削られる振動をこちらに伝えてくる。


 鋭さが命の日本刀。


 突きだったから押し斬られる事は無かったが、もしも横振りだったなら、刃を受け止めた瞬間に両断されていたかもしれないと思えた。


 こちらの邪魔にあの帽子の下から鋭い視線が飛ぶ。


「貴様……一体、何なんだ?」


 僅かに警戒したらしく。

 男が身を引いて距離を取ってくれた事に内心で安堵する。


「それはこっちの台詞なんだがな。刀野郎」


「―――ッ、貴様?! 【旧世界者プリカッサー】か!? 教団、いや……西部の手の者か!?」


(またか!?)


 相手の驚き様に渋い顔をしそうになった。

 連合で出会った人の記憶に潜り込もうとした老人と同類なのだろう。


 だが、そんな面倒そうな真実っぽい情報を手に入れている場合ではないし。


 実際、戦っても勝ち目が薄そうな相手を前に大立ち回りをして、死ぬわけにもいかない。


 となれば、逃げるが勝ち。

 相手に背を見せる事なく。

 ジリジリと後ろに下がりながら、もう片方の手を腰の後ろにやる。

 それに警戒した男が僅かに瞳を細めて、自分の前に刀を引き寄せた。

 何が来ても防御しようというのだろう。

 相手との距離は5m弱。

 一足跳びの間合い。


 ならば、相手に防御させて、その隙に逃げるが吉だと腰の後ろに下げていた袋を相手の真正面に投げ付ける。


 相手が避けるには日本刀が邪魔で室内の広さも足りない。


 空中で切り捨てられた袋の内部から黒いものが溢れ出して周囲に広がった。


 突っ込んで来ようとする刀使いの刃が真上から降ってくる。


 後ろに跳び退りながら、ナイフが削れるのも構わずに軽く受けて、火花が散った瞬間。


 ゴボンッッッ!!!!


 そんな分厚い肉を叩くような爆発音と共に相手の身体とその背後が暴発した。


 火薬だ。


 調理用の威力の低いソレは本来、火が付き難い場所でも暖を取る為に使われる代物である。


 蝋燭や獣油、マッチ類はあるらしいのだが、生憎と液体燃料や瓦斯ガスが庶民に市販されるような一般的な物では無いらしく。


 火打石の代わりに何故か極々少量の火薬が使い勝手が良いと夢世界では出回っている。


 無論、威力は軍用に劣るし、値段も高いのだが、どんな状況下でも確実に発火してくれて、種火には持ってこい云々という理屈で何処でも売っているようだ。


 本来は街に火を放って混乱に乗じ救出する、という作戦も考えられていた為に商人から買い付けていたという事だが、さすがに極悪非道な行いをしてはクランが悲しむと控えられたのだ。


 そのおかげで余った火薬を幾分か持ってきていたのである。

 相手はこちらを殺す事しか考えずに突撃。

 火薬をモロに被って、火花で着火と相成ったわけだ。


 廊下側に背中を強打され、ついでに僅か身体の前面が火薬の発火と爆発であちこち焦げた。


 しかし、衣服に大量付着した敵は全身を一瞬で焦がされ、強打されたわけで、それに比べれば被害は小さい。


 男は服を半分以上吹き飛ばされ、扉の横に激突してズルリと崩れ落ちる。


 直撃を避けようと咄嗟に左右へ回避しようとしたのかもしれないが、さすがに肉体が火薬の爆発より先に動く事は無かった。


 まだ息はあるものの。


 武器を取り落としており、この重症の状態では追ってくるなんて不可能だろう。


 相手がダメージは受けるし、人間として肉体機能の限界があるという事に安堵しつつ。


 ある意味チートな自分の回復力に感謝して、衝撃の抜け切らない痺れた身体で甘い匂いのする通路を戻る。


(……さすがに追って、来ない、か……っ)


 まだ脳震盪気味な頭部のダメージが残っていた。

 が、それを押してとにかく階段の下まで降りる。

 敵兵の姿は無し。


 しかし、外側からの音には既に足音が混ざっていて、増援は確実だろう。


 逃げなければと裏口へと向かう。


 すると、扉は全て開いており、クランは上手く逃げ果せたようだと分かった。


 このまま渓谷まで誰にも会いませんようにと祈りながら、小道へと回復しつつある身体で走り出す。


 途中途中に食材の細粉をばら撒きながら。


 あの日本刀使いが追ってくる事は終に無かったが、斬られると思った刹那の緊張が今更に襲ってきて、街から出るまでダラダラと冷や汗が全身を伝い続けていた。

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