第78話「プリクォール」

 夢を見ている。

 それは鋼の山が動く姿だ。

 溶かし削られる大地。

 飲み込まれていく世界。

 蠢く鉄に夕闇が照り返す。

 荘厳な程に世を覆う破砕と焼結の音。

 幾億、幾乂の歯車が回っている。

 人の叫び。

 海峡の砕ける轟音。

 巨大な軍艦の群れ。

 地図が塗り替えられていく世界に誰かが呟く。

 聞き取れない言葉。

 地平を多い尽くす土埃。

 スラリと刀が抜かれ。

 世界が終わった日。

 立ち向かう者は一人。

 ただ、一人。

 黄色い複葉機で破滅に突撃した。

 日を遮る程に高い何かが腕を振り回して。

 確かにその何者かは粉々に砕け散って。

 沈みゆく夜空に紅蓮を一筋、描き付ける。

 その日もまた確かに月は耀き。

 煌く銀のベルトが中央を覆い尽くしていた。


――――――?


 薄っすらと目を開ける。

 どうやらそろそろ昼時。

 中天に掛かった日差しの下。

 水音を聞いて、起き上がると。

 其処は小川のすぐ近くだった。

 生い茂る緑と雑木林のような木々に囲われた水辺。

 魚は泳いでいないが、それにしても澄み渡ったせせらぎ。

 周囲を見渡せば、数台の馬車が既に固まって停車しており。


 その横では宮殿で立ち働いていた侍従達が平然とした顔で食事の支度をしていた。


 立ち上がろうとしてふら付く。


「起きましたか。しばらくは横になっていた方がよいでしょう」

「ファーン、か?」


 横を見れば、煙管を咥えて数枚の紙束を見ていた美女が一人。

 簡易の床几しょうぎに腰掛け。

 何やらペンで書き込んでいる。


「現在位置は渓谷手前の地帯。食事の用意をさせています。何か腹に入れるまで大人しくしている事を勧めます。血が足りないでしょうから」


「予定通りになったか?」


「ええ、君の血で指も顔も元通り。廃兵院の彼らにも投与しましたが、事前の実験通りに回復。周辺を隠密偵察してもらっています。食料は先にありったけ商人達に此処へ投棄させましたから、回復後に栄養不良を申し出る者もあまりいませんでした。さすがに足などの大きい部分を失っていた者は血肉がまだ足りない様子で休んでいますが」


「そうか……」


 僅かに安堵の息を吐くと。

 褐色美女の瞳が意外そうな顔をしていた。


「カシゲェニシ君。いえ、もうカシゲェニシと呼ぶべきですか。貴方にも怖いものがありましたか……」


「女の顔に傷付けて、指を弾いて突破するなんて普通怖くなるだろ。人の人生を天秤に掛けたんだ……こうもなる」


「クラン様が仰っていた通りですね……」

「どういう事だ?」


「宮殿に迎え入れてから、よく観察されたのでしょう。貴方の事を父親のようにいつも冷静で……それでいて優しいと言っておられました」


「冷静だと思うか? 本当に優しい人ってのにオレは謝らなけりゃならないな。買い被り過ぎだ……」


 溜息を吐くと苦笑するファーンが僅か唇の端を歪めた。


「蒼い瞳の君……そんな容姿の貴方がそこまで卑屈になれる……まったく、面白い人生を歩んできたようで」


「……此処でも瞳の色ってのは特別なのか?」


「ええ、大陸の常識でしょう。御伽噺にある通り。その瞳の色をした英雄達は数多い。民間信仰として蒼い瞳の子は常にどの時代も重用されてきました。彼らの大半は高耐性者であり、どの国でも上層部に必ずいる」


 そう言えばと思い出す。


 確かにオルガン・ビーンズの一件でも元皇帝の老人も蒼い瞳をしていたと。


「じゃあ、この国にもそういうのがいるのか?」


 頷いた美女がこちらにやってくると煙管を傍の石の上に置いて、横に成っている皮製のシートの上に胡坐で座り込み、瞳をよく見えるようにしたかったのか……こちらの前髪を片手で上げる。


「初代皇帝陛下はそうでした。その直系の血筋は多くが蒼い瞳をしています。クラン様と同じように」


「だが、完全耐性は無いんだろ?」


 その言葉にファーンが微かに視線を俯ける。


「……クラン様のお母上は……陛下との間にクラン様を儲けられた時。まだ十代後半でしたが、既にかなり衰弱が進んでおり、出産と同時に落命されました。クラン様はお母上よりも身体は丈夫ですが、たぶんは三十を過ぎれば、いつ命を落としてもおかしくない状態となるでしょう。普通、このような場合は早めに婚姻させて子を産ませるのが皇族間では通例ですが……」


「そうはならなかった?」


「はい……クラン様のお母上は若いながらも陛下の寵愛を一身に受けていた方でしたから。その生き写したるクラン様の自由を奪う事を陛下は嫌い……配慮された」


「カルダモン家が後見人になったのはそういう理由か?」


「そうです。陛下はあの謀略渦巻く国家の中枢からクラン様を引き離され、その上で守ろうとした。だから、証としてカレーリーフの管理を任せ、特別な扱いとなるよう処置された。ですが……」


「クランは誰もが認める程、皇帝になれる資質を備えていた、か?」


 ファーンがよく分かってたなという顔で頷く。


「……調香師や料理人としての技能が他の皇族の方々を軽く上回ってしまったクラン様は無邪気に皆の為の仕事がしたいと仰られますが……他の勢力にしてみれば、陛下が最も愛した女の忘れ形見が特別扱いされ、それに見合うだけの資質を持っていた事になる」


「アンタも大変なんだな……」


 こちらの言葉に首が横へ振られた。


「カルダモン家は当方の代で廃れるはずでした。この数十年、戦争が控えられてきたせいで裏方の仕事は基本的に減っていた。帝国内にはもう軍に諜報部門が存在します。我々の技術と知識はしっかりと伝えられた。つまり、もうお払い箱に近かったのですよ。ですが、クラン様がいたから、我々は今も永らえている」


「じゃあ、家や命の恩人てところか」


「ええ……知られてはまずい秘密を握るカルダモンを処分したいと思う家は多かった。名前だけ残して実質的な解体を受ける寸前であった当方達は……クラン様がいなければ、何処かの派閥に消されていたでしょう」


『ファーン様。仕度が整いました』


 小川の横で炊事をしていた侍従達の周囲にはもう料理の皿が並んでいた。


 皮製のシートの上。


 湯気を立てる寸胴からはスパイシーに過ぎる香りが立ち上っている。


「食事にしましょう」

「ああ、そうしよう。っ」


 力の入らない身体を何とか立たせて、近くまで寄る。


 シートに腰を下ろすとすぐ目の前に香辛料で煮込まれた肉が骨付きで出てくる。


「……やっぱ、日本人としてこういうのはごはんが欲しくなるな……まぁ、パンでもナンでもいいが」


 思わず呟いてから、骨付き肉を頂こうと手を伸ばすと。


 ふと横合いのファーンがこちらを怪訝そうに見つめているのに気付く。


「ごはんとはKOMEを炊いたものの事ですか?」

「ああ、そうだ」


「……随分と特殊な食癖をお持ちのようで。普通、カレーはカレーのみで頂くものですよ」


「そう言えば、前にそんな遣り取りしたな。百合音と」


 ファーンは胡乱な様子になった後。

 近くにいた侍従に何か耳打ちした。


 すると、すぐさま前に炊き立てではないにしても、少し冷めた様子の白米の盛られた器とフランスパンらしき長いソレが出される。


「コレ、どうしたんだ?」


「百合音。彼女の為に用意したものです。公国の人間と言えば、主食はコレですから」


「パンもあるみたいだが?」


「コレは貴方用に後で出そうと思って商人に用意させていたものの一つです」


「そうか。じゃあ、ありがたく頂こう」

「食べられるので?」

「普通に」


 とろりとしたルーと肉と溶け掛けた果実の入った深皿にまずパンを浸して齧る。


『?!!』


「硬いがいけるな」


 かなり血を抜かれたらしく。

 とにかく腹が空いていた。


 浸して齧る。

 浸して齧る。


 それを繰り返しながら、水を煽り。

 喉の奥に流し込んでいくと。

 三分もせずにパンが腹の中に納まる。


「ふぅ……後はカレーライスにするか」

「カレー、ライス?」


 まだ上手く頭が働いていないのか。

 殆ど周囲の声は入ってこなかった。


 ご飯を入れて、肉の身を解し、骨を抜いてスプーンで口に入れると何とも幸せな気分になる。


(やっぱり、日本人はカレーライス……パンだのナンだのよりも美味く感じるんだから、DNAに本能として刻まれてるレベルだよな……)


 ルーがスープカレーのような汁気の多いものである事。

 また、香辛料の数が圧倒的に少なく。


 スパイシーではあるが、コクや香りの複雑さが無いシャープな代物である事。


 これらに目を瞑れば、今最高の昼飯であろう事は疑いようも無かった。


「……ごちそうさま」


 五分弱で全て食べ切ったところでふと気付く。

 周囲からの視線が何やら物凄い様子になっていた。

 劇画チックに固まる侍従達。

 その中央で引き気味に固まるファーン。


 馬車から顔を出した兵隊の居残り組も表情を強張らせて、口を手で覆っていた。


(そう言えば、カレーとライスを一緒に食べたら、ドン引きな行為だったっけ?)


 百合音がマジで止めろという顔をしていた事を思い出して、満足に好きな食べ合わせも出来ないのかと溜息が零れる。


「……当方の記憶が正しいなら、KOMEとMUGIの完全耐性は両立出来ないと思っていましたが」


「色々あるんだ。それで納得しておいてくれ。実際、血が足りないのに食べ合わせ悪いとか言ってられないんでな」


「オルガン・ビーンズの聖女と婚姻関係にあり、共和国の人間で羅丈に護衛される意味不明な人物が意味不明な食べ合わせをした、とだけ覚えておきましょう」


 何やら眼鏡の位置を直しつつ。

 ファーンは事実上の棚上げにするらしく。


 周囲の侍従達に耳打ちして事態を逸早く沈静化させていく。


「カレーライスもカレーパンも食えない世界で日本人に生きていけってのも酷い話だ」


 思わず愚痴るとその言葉にまた反応したファーンがこちらを「本当に何なのだろうこの男は……」というジト目で見ていた。


「一つだけ訊ねても?」


「何だ? 答えられる事には限りがあるぞ。前に言ったよな?」


「その……カレーライスとかカレーパンとは……料理、なのですか?」


「そうだ」

「そんなものを食べられる人間が存在すると?」

「ああ、そうだ」


「人生は何があるか分からないと本にはよくありますが、貴方もそういう類の人間なようで」


「ぶっちゃけるが、カレー単体で食事するなんて、この国に来てからだ。世の中は広いな」


 もはや渇いた笑いで呆れた様子になった美女は肩を竦める。


「まったく……貴方は共和国一の夢想家が語る人種のようですね」


「あらゆる食材を食べられる人間、だったか?」


「ええ……実現可能かどうかはともかく。そんな人々が現れれば、世界は幸せになるでしょう。悔しいですが、それにあの国が一番近いところにいるのも事実です」


「何と言うか。切実な問題なのは分かるが……本質ってのがあの老人にもあんたにも見えてないな」


「本質?」


「何でも食べられる事は確かに素晴らしいんだろうさ。でも、別に食べられるものが限られていても、人間は幸せに生きていける。勿論、食えるものが多ければ、色々な味や食べる歓びを得られるし、栄養も取れるだろう。だけど……オレには誰かと一緒に食事する以上に大切な事とは思えないな」


「誰かと一緒に?」


「多くたってせいぜい数十種類食べられれば、一生食ってくには困らない。それくらいなら混血が進めば食える連中も多くなるだろ。だけど、その後に必要なのは食料の量や質じゃない。純粋な行為に対する豊かさじゃないのか?」


「………言っている事は何となく分かりますが、そんな考え方をする人間がいるとは……」


「別に他のものを一緒に食ってたっていいだろ。誰かと食卓を囲むってのは楽しいもんだ。どんな高級な食材が食えたって、一人じゃ味気ない。それに何処かの神様とやらも言ってる。パンは分け合いながら食えってな」


「まるで、空飛ぶ麺類教団のような事を言うのですね」


「そうなのか?」


「ええ、彼らは一つのパンを裂いて分け与えれば、籠に余ると説く」


「じゃあ、追加で教えとくが籠に残るのはパンじゃない。幸せってやつだ……覚えておくといい」


 それ以上ファーンは何も言わなかった。


 何故か。


 ファーン以外の侍従達もこちらを見ていて、慌てて自分達の仕事に戻っていく。


 そうして食事を終えた頃。

 雑木林を越えて男達がちらほらと戻って来る。

 その中にはジンジャーがいた。


「おお、目覚めたか。若人」


 靴を泥に濡らした男がこちらにやってくると目の前に立つ。


 その足取りはしっかりとしており、奴隷剣闘で戦った時のような引き摺る様子はない。


「あんたか」


「世話になったと言うべきか。それとも奇跡の主と呼ぶべきか……貴公には驚かされてばかりだな」


「どっちも不要だ。世話になったんじゃなく、雇っただけで、オレじゃなく遺跡の力とやらだからな。たぶん」


「そうか……」


 頷いた男がファーンの下まで行くと片膝を付いて頭を垂れた。


「只今、戻りました。報告を。ファーン・カルダモン閣下」

「街の様子は?」


「はい。部隊の人間に探らせましたが、街のあちこちを歩哨が巡回しており、更には渓谷の橋に厳重な警備が敷かれています」


「そうですか……」


「詳細は把握しており、部下に地図へ書き込ませていますので、そちらを」


「分かりました。ご苦労様……あなた達も食事にして下さい。それが終わったら、周囲の警戒をお願いします。今後の方針に変わりはありませんが、潜入プランは事前のものに幾つか変更を加える事になるでしょう。指示を終えたら馬車の方へ」


「了解しました」


 ジンジャーが立ち上がるとこちらに頭を下げて、そのまままだ馬車の中で休んでいる男達の方へと向かった。


 よく見れば、痩せこけた者が隊長であるジンジャーに手を上げて応えている。


 どうやら回復に大量の血肉を使ったせいでゲッソリしているようだが、食事をして安静にしていれば、その内、動けるようになるだろう。


 とりあえず食事を終えた事だし、少し身体を落ち着けようかと思ったところで腹から異音が聞こえる。


 グゥ~~~。


『………その、まだお食べになりますか?』


 遠方から音を聞き付けたらしいおさげ髪の少女がパンとカレーの入った皿を持ってやってくる。


「悪いがそうして欲しい……近頃、燃費が悪くて困る」

「ねんぴ?」

「何でもない。こっちの話だ」


 どうやらまだ身体には異変が起きているらしい。


 肉体が変化するに合わせて、もしかしたらカロリーの消費量も上がったのかもしれない。


 二回目の食事は……何故か、先程のものよりも少し美味しく感じられた。

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