第73話「鉄錆びの塔」

―――カレー帝国第四都市ブラック・ペッパー宮殿域。


 傷が勝手に治るからと人体実験紛いに仮初の戦場にぶち込むというのは酷い話である。


 が、それに文句を言おうにも相手は国家の実力者。

 煙管で煙を嗜む美女。

 皇女殿下付きの女官兼後見人にして都市運営者。

 皇帝を選ぶ家々の一つ。

 その当主にして陸軍にも顔が利く軍籍保有者。


 ファーン・カルダモンを端的に表現すれば、表に出て来ない権力者というやつであり、常識的に個人でどうにかなるレベルの相手ではない。


 軟禁生活一週間目にして、この仕打ち。

 いつか仕返ししようと心に誓って周囲を見やる。


 初めて宮殿から外の都市部に出た本日、自分の軟禁場所が逃げ出すには骨が折れ過ぎる事実上脱出不能の監獄である事が明白となった。


 帰りの馬車の内側から覗ける白壁の周囲には20m感覚で兵士が置かれており、まったく蟻の這い出る隙間も無い厳重な警備が敷かれていた。


「今日は凄かったぞ!? カシゲェニシ殿!! そなたはその歳で武芸も嗜んでいるのだな!! いや、嗜んでいるという手並みではないか!! 最後の奴隷以外には負けなかったのだからな!!」


「いえ、逃げてばかりでお恥ずかしいです」


「そんなに謙遜する事は無いぞ。帰ったら、今日は労いに何か好きなものを褒美に取らそう!! 何でも言ってくれ。ファーンが許可するものならば、全部取り揃えよう」


「ありがとうございます。疲れたので自室で夕食時まで考えさせて頂ければ」


「うむ!! 分かった。では、後で侍従達を行かせる。それまでゆっくり休んでくれ」


 対面に座って興奮冷めやらぬ様子の皇女殿下に頭を下げる。


 宮殿の前で馬車の扉が開き。


 こちらの様子を無言で笑みながら見つめていたファーンが皇女殿下。


 クランに付き添って出て行った。

 一緒に降り立つと。

 左右に控えていた家令達が二人に付き従って消え。


 残った数人の侍女達が寄ってきて、羽織っていた上着を預かってくれた。


 ジッとこちらを上目遣いに見つめる表情は笑顔だ。

 誰も彼も器量良し。

 ついでのように従順。


 褐色の二十代から十代までの幅広いラインナップに顔が引き攣りそうになった。


 初めて宮殿で目覚めた時、ファーンはこちらの激的な治癒能力を知っており、血筋を引き入れる為に女に手を出せと冗談めかして唆してくれたが、それは冗談等ではなかった。


 目の前の彼女達は確実にそういう役目を負っていると一週間で確信出来ている。


 それがアリアリと理解出来たのは彼女達の誰もが妙に艶かしいからだ。


 何と言うか。

 乙女全開。

 あざといくらいに愛らしい笑みなのだ。


 ファーンと初めて出会った日に公国のペロリスト美幼女にドギツイ裏方の家の人間だと相手の事を聞いていなければ、何処かでサクッと篭絡されていたかもしれない。


 ついでにこの夢世界の生々しい常識。


 食料の制限から来る寿命の短さを補う為の早婚や風俗、風習に付いてある程度の知識が無かったら、どうなっていた事か。


 たぶん、相手側からすれば、何と理性の強い殿方なのでしょうかという話なのだろうが、こっちは生憎と女性関係に困っている最中だ。


 これ以上、親密な女性が出来てはいい加減刺されそうという現実を鑑み。


 親密になりたそうな器量良し揃いの侍従達との接触を少なくする事でファーンの企みは今現在何とか回避していた。


「ふぅ……」


 付き添われるままに宮殿に入れば、一週間で見慣れた巨大な通路が遠くまで続いている様子に溜息が零れる。


 宮殿はコの字型でその奥には元々後宮であった場所があり、巨大な庭園とゲストルームが軒を連ねていた。


 その設えは高級ホテルのようだ。

 高校生の貧弱なボキャブラリーであるが、そうとしか言い様が無い。


 庭の中に幾つも棟呼べる豪勢な建築物が個人の部屋として設置されている。


 彫像から池から芝生から噴水から植物園からプールから……とにかく何でも揃っている。


 そこに美しい侍女が侍って、頼めば大概のものを持ってきてくれるのだから、元々インドア派なヲタクにはゲームが無い事を除き生活的に不満のあろうはずもない。


 しかし、外部との接触は持たせてもらえず。

 自分が助かった事を知らせようにもその手段すら無いとなると。

 これからどれだけ軟禁されるのか。

 そうゲッソリするのはしょうがない。

 精神的には少し追い詰められつつ、肉体的には快適な生活。

 その均衡が破れる日はそう遠くないだろう。


(………今日の試合が人伝に誰かの耳にでも入ってくれればな……さすがにあの邪悪な美幼女にこんな時だけ期待するのもアレだし……)


 与えられた部屋まで移動するのに約4分。


 プールと池のある庭園が見える大きな石製のベッドハウスは現在黄昏時の色に染まっていて、薄っすらと温かみのある色彩に変化していた。


 寝台のある部屋は吹き抜けで入ってくる風が火照った身体には心地いい。


 一人で寝かせてくれと寝室まで来れば、一週間目にしてようやく慣れた肌触りが良過ぎるシルクの寝床が待っていた。


 靴は既に庭先で脱いでいる。


 そのままボフリと何処までも沈んでいく柔らかな床に埋もれて、溜息を一つ。


 しばらく、そのままで疲れを癒す

 鍵とドアが付いていない寝室は外から見ようと思えば、丸見えだ。

 元々は後宮だっただけあって、寝室横の浴室はガラス張り。


 侍従達には恥ずかしいからと下がらせて外から見えない位置に待機してくれるよう言い聞かせているが、それでもやはり落ち着かない。


(実際、監視の為でもあるんだろうしな……)


 侍従達が実は保安要員である事は身のこなしやら仕草やらから何となく分かっている。


 たぶんはファーン・カルダモンの家に仕える“そういう仕事”も可能な人員なのだろう。


 その目はとりあえず外にも内にも向けられていて、本当に何か頼もうとすると。


 察したように数分もせずやってくるのだから、見られているのは間違いないだろう。


「喉が渇いたな……」


 そう小さく呟いて一分後。

 寝台から横に視線を向けると。

 いつの間にか自分よりも六歳くらいは年下だろう侍従の一人。

 おさげ髪の少女が盆を両手で持ってニッコリと立っていた。


 硝子製のタンブラーには薄い紅の色をした液体と氷が入っており、カランと涼しげな音を立てる。


「ありがとう……」

「いえいえ、どういたしまして」


 寝台に座ったまま。

 そのタンブラーを手にして煽る。

 香辛料の中でも甘い系統の香り。

 そして、果実の芳香と爽やかな酸味と甘みが口内に広がる。

 果汁に香辛料をプラスして水と氷で割ったものだろう。

 ジュースというにはそう甘くなく。


 フレーバーの入ったミネラル・ウォーターのような口触りで一気に飲み干す。


「っ、ふぅ……美味かった」


「それはようございました。カシゲェニシ様。では、これで下がらせて頂きます」


「ああ、また疲れたら同じものをお願いしようか」

「はい」


 ペコリと頭を下げた少女が盆を両手にイソイソと下がっていった。


 寝台に仰向けになって瞳を閉じる。

 このまま寝入ってしまいたいところだったが、汗を掻いている。


 ムックリと起き上がって、麻布の服のまま傍の浴室まで行くと、その服を入れるべき籠にはもう洋服の着替えが入っており、下着まであった。


 事前に指定されていた籠に汗だくだった襤褸を入れ、そのまま硝子製の扉を潜ると温めの温水が白亜の浴槽に張ってあった。


 誰も来ない内に入ろうと何度か横に置いてある桶で身体を流して、そのまま浴槽に全身を沈める。


 すると、また仄かに甘い香りがした。

 あの闘技場の芳香剤みたいな匂いとは違う。

 少し甘ったるい果実を思わせる香り。


 疲れた身体を癒すには丁度良いソレに浸りながら、僅かにウツラウツラとする。


(無理やり突破出来ても、途中で捕縛されるのは目に見えてるんだよな……機が来るのを待つか。誰か協力者を見つけないと無理かもしれない……)


 それが数瞬の事か。

 数十秒の事か。

 分からない程に疲れていたのか。

 午睡みからチャポンという音で目が覚めた。


 上げた顔の先にはほんのりと桜色に染まった褐色の肌が薄っすらと立ち上る湯気の水滴を受けて艶やかに黄昏色で照り映え―――。


「?!」


 バシャッと思わず大きく身動ぎして後ろに引く。

 何一つ纏わず。

 何一つ隠さず。

 全裸の器量良しな侍従が三人。


 大きな浴槽の淵で手拭やら桶やらを持って足を湯船に浸していた。


 全員見た事がある。

 金髪を長髪にした相手とショートにした同年代の相手。

 それからさっきタンブラーを持ってきたお下げ髪の少女だ。

 目を擦ろうかとも思ったが、何度見ても丸見えだ。


 その優美な曲線と自分と同年や年下の裸体を前にして顔を横に背ける事しか出来なかった。


 出口は彼女達に塞がれている。

 此処で咎めるような事を言っても、相手を失業させてしまうかもしれない。


 それと“実力行使”に出てきた理由が背後にあるならば、それを聞き出しておきたいというのもあった。


 ファーンが急かしているのか。

 それとも彼女達の独断か。


 どうだろうと一週間の安息が破られたのには理由があるはずだ。


 視線を横に反らしたまま。

 とりあえず訊ねようとするものの。

 機先を制されたか。


 先程のおさげ髪の少女が柔らかな笑みで少し気恥ずかしそうに口を開いた。


「その……お見苦しいとは思いますが、どうか視線を逸らさずにお話頂ければ……」


「え、いや、その……」


 ニコリとした笑み。


 そして、少し恥ずかしげに太ももを擦り合わせて、そわそわした様子。


 名前も知らないとはいえ。

 それでも人間は生理現象に基本的に勝てない。


 僅かに腰を引け気味にすると少女達は少しだけ、その恥ずかしげな笑みを深くした。


「わたくし共は現在カシゲェニシ様のお世話をするのが仕事。ですが、その……お手を出しにならないのは……想い人がいるか。ご結婚されているからでございますよね?」


「ま、まぁ、そういう感じではあるが……」


「ですが、その、私達のような……に遠慮なさる事はありません。此処は現の夢とお思い下さい。もし良ければ、お相手させて頂けないでしょうか?」


 直球過ぎる。


 基本的に現実で好きな女とやらはいなかったし、そういうのと出会う機会を作ろうとも思わなかった自分は確実に魔法使いになるだろうと思っていたのだ。


 別に面子の為ならば、風俗というのも考えられる手段であり、そういう事が気になったら、そういう専門職な人々に任せようという場合もあろう。


 が、ザックリと相手の背景が透けて見えるのに抱けと言われて抱ける男ではないところのヲタク男子である自分の答えは決まっている。


「悪いとは思うが気持ちだけ貰っておこう。もしファーンに怒られるなら、こっちから交渉してもいい。だから、出来ればそういうのは自分の好きな奴としろ。こっちもその方が心情的に気楽だ」


「「「………」」」


 三人其々が目をパチクリとさせていた。

 そして、思わずと言った様子で笑みを零す。


「カシゲェニシ様はお優しいのですね」

「優しいんじゃない。我侭でこっちの都合と理由だ」


 おさげ髪の少女がコクリと頷く。


「分かりました。では……」


 他の二人と視線を合わせた後。

 その柔肌がまだ余裕のある浴槽に入ってくる。

 四人を受け入れてまだ余裕のある造り。

 そして、肌をくっ付けるようにして左右と前から胸を押し当てられた。


「……話、聞いてたよな?」


「はい。ですから、今日はこのように……身体をお洗い致します。もし致したくなったら、どうぞ遠慮なさらずお言い付け下さい。カシゲェニシ様」


 生理現象というのは人間にとって無くてはならないものだが、時には困る事もある。


「……ぅ」


 何処から取り出したのか。


 小瓶からとろみの付いた液体が浴槽に入れられると石鹸の類だったらしく。


 三人が手で身体を擦り付けるとアワアワと全てを白いシャボンで覆い隠していく。


 その下で重要なところには何もせず。


 ただ、本当に身体を使って体を洗うという―――とにかく一応、貞操の危機は去った?のだった。


 十分後。


 三人へ先に上がるように言って何とか前後不覚状態から復帰し、身体を拭いてゆったりとした灰褐色の作務衣のような姿に着替える。


 一枚布を仕立てたらしい羽織の袖は広く。

 下着は下穿きのみ。


 ただ、奇妙なくらいに丁寧に縫い込まれたデリケートゾーンがピッタリフィットするのには未だ慣れない。


 オールイースト家の巨乳メイドさんが作るものにも劣らない作り。


 だが、明らかにそれよりもしっくり来るのは下半身のが完璧に測られ、その上で素材が最高級のシルク製だからだろう。


 奴隷剣闘に放り込んだかと思えば、こういうところでは無駄に丁寧なのだ。


 とにかく情報を取ろうと躍起になって測ったのだろうが、それを知っていればこそ、心地よい寝台ですらも本当の安息とは程遠い気分に違いなかった。


 それでも身体を弛緩させながら、庭先を見つめる。

 教えられている限りでは寝台から見える六階立ての尖塔。

 その最上階にファーンの自室はあるはずだった。


 屋根で四階程度までしか見えなかったが、それでも十分に相手の事は想像出来る。


 何故、そんな昇降の大変な場所に自室を構えているのか。

 裏方の家というのが関係しているのだろう。


(さっきの事といい……焦ってるのか? 何も無ければ、長くても数年は安泰かと思ってたが)


 出て行ける日がいつかは分からない以上。


 自分が行動を起こさない限りはゆっくりとこちらにアプローチしてくると思っていたが、それも先程の侍従達の行動で妖しくなってしまった。


 これからどうするべきか。

 考えはまだ纏まらず。


 とりあえずは会って話すべきかと寝台から起きて、上に褐色の皮製の外套を羽織る。


 どうやら牛の皮を使っているらしく。

 少し重いのだが、それでも夜半の夜風を受けるには丁度いいくらいだろう。


 靴……と言っても足にピッタリと革紐で留めるタイプのサンダルを履いて庭先から大回廊へと抜ける。


 幾つも有る棟を渡る石製の通路を歩いて最も大きな本棟。


 クランとファーンのいる建造物に入った。

 歩いて数分。

 宮殿の奥に置かれた尖塔に続く庭に出ると。


 ふと黄昏時も終わる薄暗がりに何かが塔の門の前で蹲っているのを見つける。


「おい。どうし―――」


 目を疑った。


 其処には帯剣を抜いた男とライフルを肩に掛けた男が……身体を斜めにズレさせて、庭に盛大な染みを広げている。


 パチリ、と。


 何処か。

 脳裏の奥でスイッチが入る。

 吐くかと思ったが、そういう気持ち悪さは無く。


 絶命している二人の男の傍らから剣を拾い上げ、血染めのライフルを肩に革紐で背負う。


 そのまま扉を僅かに剣で押して開くも、内部は薄暗く。


 音もしなかった。


(だから、物騒過ぎだろ。夢世界……)


 溜息より先に駆け出す。


 塔内部は殆どが螺旋階段と各階の部屋に分かれており、その部屋には仕切りなど無い。


 行く先々で既に灯されている洋光ランプが床の血と臓物を染め上げていた。


 その臭いはとてもではないが、先程まで嗅いでいた香りで誤魔化せるような代物ではない。


 吐き気を催す光景に唇を噛んで用心深く階段を昇っていく。


(まだ生きてろよ。寝覚めが悪いだけじゃなくて、オレに嫌疑が掛かるのはごめんだからな)


 限りなく状況は悪い。


 それでも戦えるのならば、色々な事が覆しようもある状態に落し込める。


 その現実を喜ぶべきか。

 嘆くべきか。


 それは分からずとも……まだ、知り合いに死人は出したくないと心からそう思った。

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