調味料大戦~闢夜の馨~

第72話「邪香」

 鋭い鋼の切っ先が鼻先を掠める。

 塗られているのは椰子油らしい。

 当たれば、重症は必至。

 歓声の中。


 ニヤリと擬音が聞こえてきそうな観覧席を見る。


 コロッセオ。

 つまりは円形闘技場。

 たぶんはそう呼ぶべきだろう。

 襲われている場所はその中心部。


 人々曰く。


 これこそ帝国第一の娯楽。


 奴隷剣闘儀どれいけんとうぎ


 野蛮極まる何処のローマ人も吃驚の完全無欠の人権無視デスマッチ。


 炎天下。


 諸々の席を埋めて立ち見超満員の会場は絶賛発狂の渦中。


 焼けた栗でも拾えば、我に返るのだろうが……少なくとも反乱の兆しも無い平和な普通の帝政国家に無茶振りしても無駄だろう。


 唾を飛ばして、周囲三百六十度の壁際席から浴びせられる噴霧される撒き水だけが身体を冷やしていた。


「でぁああああああああああああああああああああ!!!!」


 カンッと軽い音がして、反射的に翻した剣が巨木の如き男が振り下ろす棍棒を小指の横1cm先へと誘導し、一瞬の負荷の後に軽くなった切っ先が相手の手の甲から肩の先までを薄く裂いた。



「あがぁぁぁああああああぁあぁぁああああ?!!!?」


 武器を取り落として転げ回るウドの大木の背中を蹴って、僅かに高く跳ぶ。


 周囲では殆どの相手が決着を付けていた。

 脱落者は多数。

 重傷者と軽症者が一杯。

 無傷は一握り。

 誰も彼も自分の手に見合った近接戦闘用の得物。

 つまりは刀剣類を片手、あるいは両手に持っている。


 鎧は鎖帷子と篭手が用意されていたが、体格差で叩き潰される可能性しか無いのでまったく付けていない。


 麻布で作られた粗末な上着と下穿き一枚。


 剣を納める鞘は重さが邪魔だと早々に捨ててしまったので抜き身の剣一つが今は我が身を守る術だ。


 同じような恰好をした男達の中。


 たぶんは最年少の部類だろう自分がどうして世紀末待った無しな剣闘士紛いな興行に出されているのかと内心で愚痴る。


 ああ、まったく、どうして、こう、夢世界というヤツは人間に優しくないのか。


「キェエエエエエエエエエエエエエエエ!!!」


 奇声を上げて左側の背後から細身の男がレイピアらしきものを突き出してくる。


 振り返り様。

 刃の鎬で受けて、勢いを付けて後ろへと跳ぶ。


 反動で折れた細い剣身とこちらを交互に見比べるという酷いタイムロス。


 さすがに折れるとは思っていなかったか。

 その合間にまた瓦礫の街並み。

 本来存在したらしい都市の一区画の残骸の一つに走り込む。

 土埃の立つ地面は現在、絶賛血の雨が降り注ぐ最中。


 戦闘不能になった重傷者とまだ戦えるが勝負に敗北した軽症者達がライフルを肩に掛け、ゆったりとした赤褐色の制服に身を包む正規兵の手でドナドナ担架まで運ばれ、退場していく。


「終に最終局面!! 現在、無傷二人!! 果たして勝敗の行方はどっちだ!!?」


 世の中には五万と理不尽の種はあるだろう。


 例えば、戦略シミュレーションやFPS漬けのヲタクが夕飯を抜いて寝たら、ナッチー美少女に野蛮人呼ばわりされながら、飽きられつつある異世界転生ラノベ張りに大冒険してしまうとか。


 命を掛けて、ちょっとバカンス中に国家を一つ救おうとしたら、いつの間にか別の国に運ばれて軟禁生活だとか。


 よくある事だ……たぶん。

 人間、住めば都とは言うものの。


 いきなり命を掛けて戦ってね、とか笑顔で送り出されたりするべきではない。


 闘技場の特等席。


 ガラス張りの観覧席で目をキラキラさせている皇女殿下。


 その横で煙管を吹かす女官ファーン・カルダモンの顔はとても嬉しそうだ。


 実験しているつもりなのか。


 あるいは単純に実力が見れて、こっちを推し量れたと感じているのか。


 分かりはしないが、腹が立つのは致し方ないだろう。


「貴公が最後の相手か……」


 後ろを振り返ると髭面でこそあるが、妙に風格があると言うか。


 何処かの兵隊の隊長でもやっていそうな……二枚目の四十代の男が無手で廃墟の入り口に立っていた。


 この国では珍しくない褐色の肌。


 精悍な顔付きではあったが、その瞳は理性で鎧われている気配があり、手の内部には軽く石が握り込まれているのが分かる。


 どうやら右足が不自由な様子で僅かに足の太さが左右で違う事から、廃兵院辺りに居そうな現場を知る有能人材……みたいな感想を内心抱いた。


「アンタ、何だか兵隊っぽいが、どうしてこんな奴隷が戦う場所に居るんだ?」


「……掛け金が高額だったからな」

「ああ、そういう……」


「近頃は平民上がりや兵隊上がりが金目当てに出場する事もある。オレもその一人という訳だ」


「金とか要らないから、とりあえずオレの負けでいいか? いい加減、疲れてたんだ。アンタの勝ちで終わらせて、こっちは無傷で帰りたい。どうだ?」


「……それもまた一つの方法だろうが、外の観衆が暴動を起こすぞ?」


「じゃあ、軽くやって参ったと無様に負けよう」

「では、往こうか」


 男が外に出て行く。


 それを追って行けば、闘技場の何処からでも見える何も無い中央地点。


 何やら解説の男の声が観客を煽っている。

 片や兵隊崩れの死に損ない。

 片や最年少の奴隷。


 この戦いを誰が予想しただろうか~という声が人々をヒートアップさせていた。


 醜い。

 限りなく醜い。

 別に賭け事するなとか。

 人の生死で遊ぶなとか。


 そういうご立派な人権を語る義理は無いが、素直に現実の人が死なないゲームで満足出来ないのかと思うのはリアルな夢世界没入者だからか。


「往くぞ。若人!!」


 男が前に出た。

 石かと思っていたら、砂だ。

 不意打ちに目暗まし。

 だが、それが目に入るより先に飛び退いている。


 ただ、それでも構わずに突っ込んでくる辺り、間合いに入られたらヤバそうだと感じた。


 相手は何一つこちらの提案を了承なんてしていないのだ。


 案の定か。

 あるいは単純にこちらが気に入らないのか。

 伸びた腕が僅かに服の端を掴んで千切り取った。

 麻布とはいえ。

 引っ張るではなく。

 千切るというのが怖過ぎだろう。

 身を低くした体勢から上に向けて石礫が飛んでくる。


 直撃弾だ。


 剣で弾けばいいのだろうが、相手が突っ込んでくる為、間合いの内側で一手遅れる。


 勘弁してくれと思いながら、身体が動くままに任せて、後ろへと倒れ込むと観客にどよめきが走った。


 そのまま覆い被さってくるかと思えば、そうでもなく。

 男は足を掴もうとしてきた。

 咄嗟に左に転がって、立ち上がる。

 そして、ほぼ同時に剣を振り上げるがどちらも至近で動きが止まった。

 拳が額を打つ寸前。


 剣先が胸元を裂けば、それで決着は付くだろうが、拳で頭部を強打されて致命傷という事も十分予想の範疇だ。


 一瞬の攻防の後。

 剣を落として両手を挙げた。


 その瞬間、ワッと歓声が上がって、勝者を呼ぶ解説の声が世界に響く。


「……はぁ」


 脱力して地面にそのまま転がって空を見る。


 すると観客席から大量の粉塵が周囲に撒かれて、香りが近くまで漂ってきた。


 どうやら儀式というか。

 勝者を讃える伝統のようなものらしい。

 人々が撒いたソレは薫り高く。

 しかし、クシャミをしてしまうくらいには強く鼻を擽り。


「貴公の名前を聞きたい……」

「っくしゅ。カシゲェニシだ」


「そうか……では、この頭で覚えておこう。本当の勝者が誰だったのか……」


 白髪の混じり始めた頭から埃を払って。

 男が唇の端を微かに歪める。


「本当の勝者なんて何処にもいないだろ。誰も彼も他人の負けっぱなしな姿の上に自分がいると気付いてもいないんじゃあな」


「―――まったく、面白い事を言う」


 男が僅かに瞠目した後。

 可笑しそうに苦笑していた。


「本当、オレの何処に面白要素があるんだか……早く帰りたい……」


 クシャミが出そうになる鼻を擦りながら、風に舞う香りに息を浅くする。


 どんな匂いも大抵は強弱で良さというのが決まる。


 強過ぎる芳香は言い方こそ妙かもしれないが、まるでトイレを占領する芳香剤のように邪悪な、思わず顔を顰めてしまいそうなものに感じられた。


 例え、それが祖国でなら嗅ぎ慣れた国民食カレーに近い代物であったとしても………過ぎたるは及ばざるが如しというのが日本人というやつなのかもしれない。


 観覧席を遠目に見上げれば、パチパチとファーンがよく頑張りましたと言わんばかりに両手で拍手しており、げっそりしたのは言うまでも無かった。

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