第74話「皇樹の水」

 その最後の半開きの扉を蹴破るようにして内部へ踏み込んだ時。


 其処にいた人物は四人。

 一人はいつもの姿のファーン。

 一人は少し蒼い薄着のクラン。


 一人は黒尽くめの皮肉げな顔をした日本人にも見えるアジア系の男。


 だが、最もその場で驚かざるを得なかったのは……見覚えのある金色の稲穂の刺繍が施された黒い外套姿の美幼女。


「おお、エニシ殿。久方ぶりでござるな」


 背後から来たこちらに僅か黒尽くめの男が振り返る。

 その奇妙なくらいに野暮ったい……何と言えばいいのか。

 明治や大正の学生みたいな姿。

 粗末な布地の服。


 黒い帽子の下から飛んでくる鋭い眼光には確かな殺意が宿っていた。


 カレー帝国は基本的に帝政国家らしく。


 本当にファンタジーにならありがちな貴族と平民と奴隷という階層性社会だ。


 中東っぽい民族衣装や準日本風っぽい作務衣や洋服がごっちゃに着られていたが、それでも理解しやすくはある。


 だが、襲撃者なのだろう男の恰好は昔の大正日本から飛び出てきたようなソレっぽさと雰囲気があり、明らかに浮いている。


 それも持っている得物が日本刀なのだ。

 明らかに異質なのは一目で分かった。


「チッ」


 舌打ち。


 視界から一瞬も百合音を外さない辺り、相手の強さは分かっているらしい。


「死ね」


 軽く。

 本当に軽く。

 男が腰元にやった手をこちらに素早く向ける。

 瞬間、目の前に迫るのは寸鉄のような掌サイズの鉄杭。

 早業だったが、剣先が即座に弾いた。


「?!」


 こちらが片付いたと思ったのか。

 百合音に視線が向いた刹那を見逃さず。

 弾いた剣で外套を袈裟切りにする。

 避けられてはいなかった。


 だが、その黒い布地の下からギィンと硬い音がして、何か装甲のようなものに弾かれたのだと悟る。


 このような隙を見逃す百合音ではない。


 小さな手から片手持ちのクナイらしき刃が男の顎下に吸い込まれるようにして叩き込まれ―――男が背後にあった木製の窓を背中で割るようにして跳んだ。


 それだけに留まらず。

 室内の明かりに照らされた鋼の塊が内部へと落ちてくる。

 手榴弾。

 咄嗟、ソレを剣で開いたままの扉の先の階段へと叩いて弾き。

 ドアを背中で閉めた途端。

 ドガンッと木製の扉ごと身体が吹き飛んだ。

 宙を舞う感覚。

 そして、間延びしながらも襲ってくる背後からの激痛。

 クローゼットに突っ込んで頭部を激しく殴打。

 その後、壁に打ち付けられて肺の空気を吐き出させられた。


「ガッッ?!!?」


 込み上げてくる血に肺が何かで貫通したのだと知る。


「エニシ殿!?」


 床に倒れ込んだとほぼ同時に百合音の声が傍で聞こえた。

 あまりの激痛と肺の損傷に喋るのも儘為らない。


 しかし、このままではマズイと何とか手で後ろの貫通した何かを取ろうという仕草をする。


 それに気付いて、すぐに百合音が何かを引き抜いた。

 同時にまた口から喀血。


 いい加減、気を失いたいところだったが、それよりも悲鳴のようなものが先に聞こえる。


「殿下!?」


 初めて聞くファーンの狼狽した声。


「―――ッ」


 よく見れば、力なくクランがファーンの腕の中でグッタリと蒼い顔で気を失っていた。


 その鎖骨辺りを見ると。

 寸鉄らしきものが突き刺さっている。

 たぶんは太い動脈が逝ってしまったのだと分かった。


「ゆり、ね……くら、んの……ところまで」

「エニシ殿!? その身体では!?」

「いい、から」

「わ、分かり申した!!」


 小さな身体がグッと下からこちらを持ち上げて、クランの場所まで運ぶ。


 喀血した血を手で拭って、そのまま半狂乱で声を掛けているファーンの腕の中で今にも命を終えようとしている皇女殿下の口元にソレを流し込んだ。


「寸鉄、抜いてくれ……」

「うむ!!」


 クランの肌から杭が引き抜かれて数秒後。

 スゥッと傷の内部から肉が盛り上がり、肌で覆われていく。


「こ、これは?!!」

「ッ……っく……それで大丈夫だ。たぶん、な……」


 喉の奥にへばりついた血に咽ながらも、何とかそう言う。

 背中の痛みはもう引き始めている。

 後、数十秒もせずに傷は治るだろう。

 クランの血の気が引いた顔も今は安定しているように思えた。


「………久しぶりだな。百合音」


「まったくでござるよ。エニシ殿はいつの間にか逞しくなったようでござるな」


「遺跡の力らしいから、逞しくなったのとは違うだろ」

「そうでござるか。でも、それでも……良かったでござるよ。無事で」

「無事か?」

「それは勿論。何せもう傷もあるまい?」

「……ああ、たぶんもう背中は完治したっぽい」


「でも、これはこれで某の心にグッと来るものがあるので、しばらくこうしていても良いでござるよ♪」


 今も百合音に抱き抱えられるような恰好で床に座り込んでいるのだ。


 血と扉の木片と爆破の粉塵で内部はエライ事になっているが、それでも身体は安心していた。


「悪いが水貰えるか?」

「うむうむ。では、水筒を……んくんく」

「何、してるんだ?」


 コクコクと竹筒から何かを口に含んで頬をプクッと膨らませた美幼女がニマリとした後。


 強制的にチューッと水分。

 いや、カレー味の水。

 何時ぞや話題になったカレー水とやらを口内に流し込んでくる。

 それも熱烈な舌の動き付きで。


「ふぐ?! んぐく?! んっく、ぷは?! 見ない内に何だか過激になったんじゃないか?!」


 思わずそう言うといつもの邪悪な笑みが零される。


「過激? これはエニシ殿がいない間に某の中で溜まっていた不満分であるからして、此処からが本番なのだが?」


「人前だぞ?!」


「む?! 人前の方が燃えるのではなかったのでござるか!?」


「いつオレがそんな性癖に!?」


「いや、オリーブ教の一件ではあの聖女殿との睦み事を某に見られて興奮していたのではないかと思っていたのだが」


 真面目な顔で言われて、ガックリと肩が落ちる。


「……何だか、ドッと疲れたぞ……ペロリスト的見解はそれくらいにしてくれ……」


「それは大変でござる。血がきっと足りていないのでござろう。では、某がまたこの水筒から……」


 再び口移ししようとし始める美幼女の額を手で押しやり、何とかその状況から脱出する。


 しかし、時既に遅く。


「「………」」


 二人の女性陣に諸々を見られていた。


 こちらの視線にハッとした様子になるクランがオロオロしていたが、赤い顔で笑みを浮かべる。


「ど、どうぞ。つ、続けて構わないぞ。カシゲェニシ殿!! こ、こういうのは気にしないし、我が国は寛容な方だからな!! だ、だから、そ、その……く、口付けも……えと……」


 何やらモゴモゴと最後の方は小さくなって聞き取れなくなる。


 そんな大切な皇女殿下の様子にジト目となったファーンがこちらを見た。


「殿下の前では控えて下さいませんか? これでも殿下はまだ身重になった事が無―――」


「ファーン!?」


 思わずペチリと両手でクランが自分の後見人の口を塞いだ。


「い、いい、今のは、えと!? な、何でもないのだ!! そう!! と、とにかく何が何やら分からないが、あの賊から守ってくれた事、礼を言いたい!! カシゲェニシ殿!!」


「あ、ああ、礼は受け取っておくが、それよりもまずは後始末からだ……おい。ファーン・カルダモン」


「何でしょうか?」

「下の階は見せない方がいい」


「そうですか。賊に此処まで押し入られたのです。それは想定していましたが、まさか此処の防備をああも容易く突破してくる人間がいるとは……不覚でした。貴方にも謝罪しなければなりませんね」


「いいや、それは別に構わない。とりあえずは落ち着ける場所に行かせてくれ。出来れば、安全に眠れるところへ……」


「分かりました。どうやら、警備もようやく来たようですし、そうしましょう」


 外から男達のどよめきと喧騒がし始めた。

 下方からはファーンとクランを呼ぶ声も聞こえる。


「それにしても……やはり……いえ、今はいい。クラン様を避難させるのが先決です」


「それでいい。それとこいつとどういう関係なのか。後で話してもらおう」


「エニシ殿~~会いたかったでござるよ~~某と三日も会っていない内からザックリ行方不明になるとか。本当にエニシ殿は浚われ体質でござるな~」


 もう離さないとでも言いたげ、百合音がフニャ~っとした声を出して擦り寄ってくる。


「……オイ、どうした?」

「~~~♪」


(そう言えば、香辛料ダメだったんじゃなかったか?)


 思わず百合音のおかしな様子に竹筒を見やる。

 其処には香辛料一種との文字が掘り込まれていた。


「カレーなのに一種類? ファーン。ちょっと、これの中身が何なのか分からないか?」


 竹筒をファーンに渡すとその開いた飲み口を嗅いだファーンが驚いた顔をする。


「これは……カレーリーフを使ったカレー水のようですが、何処でこんなものを……」


「どういう事だ?」


「カレーリーフは一種類でカレーの風味を持つ皇家直属の機関でしか栽培していない神聖な皇樹と呼ばれる木からしか取れない代物なのです」


「……何となく想像は付いたが、その一種類が使われてる水なのか?」


「ええ」


 何やらフニャ~と腑抜けている百合音は頼りになりそうもなく。

 そっと、ファーンに視線を向けて呟く。


「見なかった事にしてくれ」

「別に構いませんが」

「今回の一件での働きに報いてくれるなら、それで十分だ」

「………分かりました。では、そろそろ兵隊達も来る頃。身支度を」


 ファーンが溜息の後に立ち上がる。

 襲撃を受けて腰が抜けたらしいクランが抱き抱えられた。


 何やら腑抜けてヘニャヘニャになっている百合音をこちらで抱き抱えると下からドタドタと兵隊達の上がってくる音がする。


 とりあえず、これで帰り支度が出来そうだと安堵したのも束の間。


 ガタッと踏み込んで来た兵隊達が何故か。

 こちらに剣を向けてきた。

 思わずファーンが険しい表情となり、叫ぶ。


「この方を何方だと思っているのですか!!」

「ファーン・カルダモン!! 国家反逆罪の容疑で貴殿を拘束する!!」

「?!」


 身も蓋も無い話。

 逃げ場もない尖塔の最上階で更なる理不尽に溜息を吐く。

 一体、何がどうなっているのか。

 ファーンに視線をやるも、まるで覚えが無いらしく。

 彼女は兵隊達に険しい顔を向けるだけだった。


 その夜、ファーン・カルダモンとその一党が国家反逆罪容疑で憲兵隊によって拘束され。


 何故か、そんな中には奴隷剣闘に出ていた客人と正体不明の美幼女が名前を連ねる事になる。


 まったく笑えない冗談であるが……今度は何故かペロリスト扱いされなければならないらしかった。

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