第53話「暗闇の中で」

 暗い地下壕の中からでも分かる振動。

 それは寄宿舎に備えられているらしい倉庫との兼用の避難場所だった。


 少しずつ押し寄せてくる音が何かを揺さぶり、拉げさせ、破壊していく音色は分厚い鉄板の扉越しであるというのに不穏過ぎる想像を掻き立てる。


 室内を照らしている明かりは今のところ無い。

 密閉空間である為、空気の節約が必要らしい。


 寄宿舎自体は少し高い場所にある為、津波が引いていけば問題なく出られるだろうとの事。


 だが、それは裏を返せば、そんなところにまで波が押し寄せてきたという事に他ならない。


 懐中電灯の類は使用時間が短いという話だったので緊急時と外に出る時、時間を確認する場合だけ点けるとの事で暗闇にはしばらく自分を含めた四人の息遣いだけがあった。


「………あ!! あった!!」

「ベルグ?」

「ねーさん。ハムだと思うから灯かり点けてよ。食事にしよう」

「あなた、こんな時に何を……」


 弟の声に呆れた姉の溜息が返る。


「いや、ベルグの言う通り。安全が確保されている内に食事としましょう。何があって食べられなくなるか分かりません」


「分かりましたわ」


 パチリと小さな灯かりがぼんやりと地下室内の折り畳み式テーブルを照らし出した。


 ベルグが何やら山と詰まれた袋や缶詰が入った棚の一角からドンと吊り下げられていた大きな袋を持ってきて下ろす。


「あ、そう言えば、スパイの人はハムって食べられる?」

「問題なく」

「甲殻類と米、それから肉類か。羨ましい耐性だ」


 椅子に腰を下ろした男がこちらを静かに観察している気がした。

 なので、咄嗟にパンは無いのかという言葉は呑み込んでおく。


 耐性次第では貴重な血統扱いしてくれるかもしれないが、そうすると逆に存在の重要度がバレて、逃げ出すのが困難になるかもしれない。


 地下壕に避難してからというもの。

 男は幾らかベラリオーネから事情を詳しく聞いていたのだ。

 これ以上は情報をやる事も無いだろうと黙ってハムの袋を見つめる。


「じゃ、切るよ~」


 腰からスラッと大振りのナイフを抜き出して、袋を外し、灯かりの中取り出された豚の太ももがそっと薄く引かれて、花弁のように滑らかな断面を晒していく。


 皿は既に各自の前へ出されており、取り分けられた。

 一人六枚。


 生ハムの香りは倉庫の中に置かれていたが、黴臭さと埃っぽさとは無縁だった。


「えっと……あ、あった」


 今度は何を見付けてきたのか。

 ベルグが次に棚から取り出した缶詰のラベルには豆とある。


「豆類は食べられる? スパイの人」

「………一応」

「じゃあ、ねーさんと僕と。あ、将冶さんはMUGI耐性だから乾パンの缶詰を」


「要らん。今は水も貴重だ。水分が欲しくなる食料は最後に回しておけ。これから何日、此処にいなければならないのか分からないからな。とりあえず、扉の標識は赤く替えておいた。早ければ、明日までには救出が来る。まぁ、地下壕には電信の受信設備だけはあるから、初期活動が終わる頃になったら、一度聞いてみよう」


「そう言えば、漕ぐヤツだっけ?」

「ああ、そうだ。お前も教練で習っただろう」

「うぇ~アレ、キッツイんだけど~あ、スパイの人にやってもらえばいいか!!」


 何やら電信設備を使う為に自転車的なものでも焦がされるのだろうか。


 電力を得る為の機関が容易に置かれているとすれば、それはやはり海軍関係の寄宿舎だからなのかもしれない。


 それから静かに食事が始まった。


 生ハムは塩がキツイかと思ったのだが、水煮の豆と合わせて食べればちょうど良い加減で然程気になるような事は無かった。


 そそくさ食事をしたつもりなのだが、どうやら視線を集めている。


 視線を感じてそちらを見れば、ベラリオーネが何故かジトッとした目でこちらを見ていた。


「シーレーン家と同等の高耐性……あなた、本当に間諜なの? いえ、羅丈ならば、それは在り得るのでしょうが……豆類にだって耐性の種類は複数ある……つまり、あなたはオルガンビーンズの貴族階級者達にも等しい高耐性をも持っている……」


「ある程度な」

「なら、寿命や健康を害してもいいと覚悟して食べていると言うのかしら?」

「そうなるな」


「……自分の命の事ですわよ。どうして、そんなに冷静でいられるの? わたくしにはあなたが安全だから食べているようにしか見えませんわ」


 どうやら疑われまくりらしい。


「その辺にしておきましょう。シーレーン女史。彼は口を割らないでしょう。スパイにとって口を割るのは死を天秤に掛けた状況のみ。今現在、此処で追い詰めても、我々には対処出来ない可能性もあります」


「す、すみませんでした……将冶さん」


 ベラリオーネがスゴスゴと引き下がった。

 そのまま食事を終えて。

 灯かりが消され、暗闇に戻って数時間過ぎる。


 何もせずにジッと外に聞き耳を立てていたが、ようやく水音が聞こえなくなった。


 そこでようやく電信設備とやらがある地下壕の奥へと向った。


 灯かりを頼りにして行けば、小部屋の中に大型の無線機のようなものが置かれていた。


 その横には想像していた通り。

 自転車のようなものが二台置かれている。

 発電装置なのだろう。

 車輪は無く。

 将冶から促されて、それに座り、言われるがまま漕ぐ事とした。


 それから数分の充電の後、設備の電源が入れられ、何やらモールス信号らしきツーツーという音が流れ始める。


「ブ・タ・イ・カ・イ・メ・ツ・シ・キ・ュ・ウ・キ・ュ・ウ・エ・ンって?! まさか?!」


「こんな事が!? 嘘ですわ!!? この大事な時に!!? く!? 今すぐ救援活動に出発しましょう!!」


 姉弟が喚き始めるのも無視して、将冶が静かに目を細めて電信を注意深く聴いていた。


「沿岸部のウオガシ地区、サンマ地区、煮貝地区は津波に呑まれて大規模な被害を確認。港湾設備が全部持っていかれたか。沿岸警備隊は壊滅。漁船を含めて百八十隻が沈没。内陸部からの救援は数時間後。海軍局は半壊しているが、人員は殆どが無事。民間人の被害は現在確認されている限り数十人を超えない、か」


 どうやら怖ろしく規模の大きい津波だったらしい。


 だが、それでも被害が数千人単位でないという事は津波への対策は地下壕のようなものを筆頭にして数多く為されていたのかもしれない。


「まさか、こんな事になるなんて……艦隊の動向が気になりますわ。あちらにも大規模な津波被害が出ていたら……いえ、よしましょう。此処で考えていても、全て憶測になりますわ」


 ベラリオーネに将冶が頷いた。


「それがいいでしょう。ですが、困った事になりました。他の地域の事までは分かりませんが、艦隊への補給が極めて困難になった事は確実です。このままでは補給も無しに艦隊が孤立する事にもなりかねない」


 これでパン共和国は救われただろうかと考えてみたものの。

 以前として状況が不確か過ぎて、何を言えるものでもなかった。


「そろそろ、疲れてきた、ん、だが……」

「ベルグ」


 将冶の声に嫌そうな顔をしたものの。

 少年が肩を竦めて二台目に乗って漕ぎ出した。

 それを見て、ようやく発電機から降りる。

 疲れていたのか。

 僅かによろめいた。

 銃弾に撃たれた後なのだ。


 さすがに傷は治っても出ていった血や体力は早々すぐ回復はしない。


 オールイースト邸と首都巡りで行ったり来たりしている間、基本的に移動が馬車で邸内にいる時も力仕事なんてまったくしていない為、運動不足甚だしいのは自覚がある。


 その上、近頃はリュティさんの料理やらサナリの料理やら毎日のように公務を抜け出してやってくるパシフィカの料理やらを食べていたせいか。


 結構、体重が増えた。


 見た目的にはまったく変わりないし、太った感覚は無いのだが、内臓脂肪が自分の中に10kg近く溜まっているらしいのは最近の悩みと言っていい。


 軽く息を整えて何とか平静を取り戻した時にはベルグも滝のような汗を浮かべていた。


「どうやら此処の地区からは水が引いたらしい。ただ、第二波や三波以降は確認されていない。まずは物資を持って海軍局に合流しよう」


 電源を落とした将冶がベルグにもういいと合図して、全員で元いた場所まで戻る。


 すると、すぐに三人が食料や雑貨を手際よく軍用のリュックサックのようなものに詰め込み始めた。


「行くのか?」


「ああ、被害は大きい。これから復旧作業に全力を尽くさねばならないだろう。無論、君の待遇にも色々と従来とは違って変更が出るはずだ。悪いが……もしも、逃亡や抵抗する場合は射殺を覚悟してくれ」


「将冶さんの優しさに感謝しなさい。わたくし達の前を歩けとは言いませんが、ベルグの傍を離れないように。ベルグ、いいわね?」


「りょーかい。ねーさん」


 にこにこした弟がこちらへリュックを渡してくる。


「当然、持つよね? スパイの人」

「限界以上に持たされなければな」

「じゃあ、それで」


 仕方なくリュックを背負う。


 再びリュックへ物資を詰め込み始めて一分もせずに同じものが出来上がり。


 それで四人が同じ荷物を背負う事となった。


 少し階段を昇り、鋼鉄の扉に耳を当てていた将冶が頷くとベラリオーネとベルグが頷き返し、開ける事へ同意した。


 ガダンッ。


 思っていたよりも軽い音と共に扉が上に開かれ、暮れ掛けた日差しが差し込んでくる。


 軍人二人に付いて出て行くと。


「これは……」


 其処には水で浸水して家具やら雑貨やら諸々が流れて押し倒された寄宿舎の室内があった。


 扉は寮の中心である講堂の中にあったのだが、一面が水と泥に蔽われている。


 長靴が必要な程では無かったが、確かに水が来ていたらしい。

 急いで全員で外に出ると。

 海沿いが見える斜面からの景色が広がっていた。


『―――』


 誰もが絶句していた。

 想像していたよりも酷い。


 本来ならば、綺麗な街並みなのだろう南欧風な白煉瓦に褐色の屋根の建物。


 そのあちこちが崩れ、樹木や押し流されてきた船が今も水に流されて海を下っていく。


 ザァザァと聞こえてくる水音。

 黒い濁流には何もかもが一緒くたに混じっていた。

 煙や火の手があちこちから上がっている。

 湊は今も水によって満ちており、波止場は見えない。

 これはしばらく様子見した方がいいのではと言おうとした時。

 ベラリオーネの下にポタリと雫が落ちた。

 それは赤い色をして。

 唇の端から滴っている。


「行きますわよ!!? 二人とも!!!」

「オイ。この状況で行ったら二次被―――」


 ドッと身体を押されて後ろに倒れ込みそうになる。

 すると、涙を堪えた美女が顔を歪めて押した手を拳として握り閉めた。


「間諜が意見する事ではありませんわ!!!」

「………」


「シーレーン女史。最もだが、今はまだ移動ルートが塞がっている。この寄宿舎から海軍局までの道程が水で埋もれている以上、水が引いた地域での救助活動を優先するべきだ。幸いにして津波が到達する前に勧告が出た。電信が本当なら、殆どは家の地下壕か高台に逃げたはずだ。まずは高台の家から回って地下壕の扉が塞がっていないか確認しながら目的地に向おう。海沿いはまだ危険だろう」


「ッッ、分かりました、わ……」


 悔しそうに拳を震わせて頷く美女の横で弟がニコニコしながら「大丈夫だよ。きっと」と慰めていた。


 彼ら三人の様子に不用意な言葉は控えようと決める。


 故郷が被災して気が立っているところに正論をブチ込んでも捕虜待遇ではロクに話を聞いてもらえないのは理解の範疇だ。


 少なからず確実に逃げ出す機会が来るまでは事態を静観するべきだろう。


「さぁ、行こうか」


 そう、将冶が全員に歩き出すのを促そうとした時だった。

 遠方から何やらターンと音が響く。


 数秒してそれが銃声の類だと気付いたが、軍人二人と軍学校の生徒なのだろう少年にはすぐ分かったらしく。


 僅かに彼らが身構える。

 だが、それを嘲笑うように銃声が断続的に連発された。

 何処かで撃ち合いが発生している。

 そうとしか考えられない。

 何が起こっているのか。


 確かめに行く事は出来るだろうが、危険を犯すべきかの判断はこの場合、憲兵の偉い人らしい将冶の判断待ちだろう。


「……あの軽い銃声……」


 目を細めた男が思考している間にも銃声の数が増え出した。


「将冶さん!! 今すぐ確認しに行きましょう!!」

「いや、二人はこちらだ」

「何故ですか!?」


 ベラリオーネがその言葉に目を見開いて反論する。


「こんな時に銃を使う馬鹿はこの首都にいない。ならば、使わざるを得ない状況と言う事だ。もしも、そうならば……このスパイの仲間か。もしくは他国からの干渉くらいしか思い浮かばない。そんな危険地帯に女史とベルグを連れて行くわけにもいかない。此処からは憲兵の仕事だ」


「ですが?!!」


「君はベルグと共に水が引いた場所で安否確認を。こちらはこちらでやる。付いて来てくれるな? カシゲェニシ君」


「分かりました……」


 頷いて男の傍まで行くと前を歩くように促される。

 さすがにこの状況ではそうなるかと溜息を内心で飲み込んだ。


「二人は今言った通りの事をお願いする。私と彼はあの銃声の方だ。誓って、付いてこないよう念押ししておく」


「分かり、ましたわ……」

「ねーさんの事は任せておいて下さい」

「良い子だ。姉を守るのは弟の仕事。しっかりやれよ」

「はい!!」


 将冶がベルグの頭を撫でてから後ろから声を掛けて歩き出すのを促してきた。


 これからどうなるにしても、また銃で撃たれるのは勘弁して欲しいと染み染み思ったが、自分で今どうにか出来るような状況でもないというのもまた確かな話に違いなかった。

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