第52話「鉄板上の拷問」

 突然だが、縁日の屋台というものに一種の憧れを抱いていたのは子供の時から祖国の盆というものをあまり知らなかったからだ。


 テレビなどではよくよく宵宮というものを羨ましく思った。

 両親共に田舎の出。

 しかし、外国暮らしで帰る事が出来る日付けが縁日の時とは限らない。


 だから、初めて屋台の列の先までお参りに言った時はウキウキしていたのだが、その屋台で出回るものの味を確かめて、ガッカリした事は今も鮮烈に覚えている。


 あの小麦粉とキャベツとソースだけの粉物。

 綿飴のドギツイ甘さ。

 たこ焼きと称しながらタコが見えぬ丸い物体。


 辛うじて口にして良かったと思えるのは見るのも珍しい瓶入りサイダーと焼き鳥くらいのものだった。


 つまり、何が言いたいのかと言えば。


「さぁ、お吐きなさい!! この際、公国の間者でも構いません!! 有益な情報は洗いざらい吐いて、楽になるのですわ!! おーっほっほっほっ!!」


 人の前で何やらたこ焼きらしきものやお好み焼きらしきものを邪悪な顔で近付けてこられても、何とも食欲をそそられない。


 かなりゲッソリしそうなくらい不味そうこの上無いという事だ。


(作り方雑過ぎだろう……沿岸国式の拷問が何故か目の前で料理なのは驚いたが、リュティさんレベルを期待するのは間違ってるんだろうな……)


 あの勝手に人の罪状を増やしてくれた一件から二時間程が経過している。

 馬車が到着したのは大きな白い寮の裏。

 林と井戸がすぐ近くにある場所だった。

 服はあまり汚れていなかった為、不自然に着替えさせられる事は無かった。


 しかし、井戸水で体毎これでもかと洗い流され、びしょ濡れのままにゴミ焼却用の炉の傍で乾かされ、全身を紐でグルグル巻きにされた挙句。


 何故、目の前で如何にも不味そうな作り方をされた粉物を食べさせられなければならないのか。


 これが現代ならば、確実に苛めの類だろう。

 粉の混ぜ方。

 野菜の切り方。

 ついでのように出されたコンロでの火の起し方。

 鉄板の温度の確認もせず。

 油すら引かず。


 残飯を製造しているのではないかと言う疑いすらあるグチャグチャな何かを拷問に使われる身にもなって欲しい。


「ねーさん。西部式のゴウモンてホントにそれでいいの? 何だか、スパイが微妙な様子になってるけど」


「料理とは拷問であるとは彼の有名な南方のソイソース伯爵の言葉ですわぁ!! これで口を割らない人間などいるはずがありません。おーほっほっほっ!!」


 先程まで半ばやけっぱち気味に洗っていた時とは打って変わって、この調子の乗りよう。


 やっぱり、哄笑系お嬢様にロクな待遇を期待した方が間違っているのかもしれない。


 それと拷問は西部式だったのかとか、ソイソースって醤油だろとか、そういうツッコミはもう心の底に仕舞い込んでおく。


 誰だって間違いを指摘するのは疲れるのだ。


 かなり無駄となりそうなコミュニケーションは体力的にも精神的にもやっている暇が無い。


「あぁ?! こいつ、今スゴイかわいそうなものを見るような目をしてたよ!!? ねーさん!!」


「せめて、この指の錠前っぽいのや縄を解いてくれないと食べられもしないんだが」


「このまま食べさせても良いですけれど、わたくしも知らない男に食べさせるのはゾッとしますし。あなたは今、あの粉地獄で弱り切っているのですから、それくらいならいいでしょう!! あ、勿論ですが、逃げようとしたら撃ちますわよ?」


 チラリと彼女が何故かゴム長姿のまま、弟から受け取った拳銃をこちらに見せ付けた。


 ゲッソリしているのは主に服毎洗って雑に乾かされ、無駄に縛られているからなのだが、その自覚はまるで無いらしい。


 縄が指錠が解かれ、ようやく身動きが出来るようになる。


「さ!! 食べないなら話す!! 食べるなら死ぬ!! どちらかにしてもらいましょうか!!?」


 ズイッと寄って来る哄笑系美女にとりあえず礼儀の話をしてみる事とする。


「名前を教えてくれないか?」

「名前? 間者の癖に変な事を訊きますわね」

「オレはカシゲェニシだ」


「わたくしはベラリオーネ・シーレーンですわ。こっちは弟のベルグ・シーレーン」


「よろしく。スパイのおにーさん」


 軽そうというか。

 何だか何も考えてなさそうな緩い感じの少年が片手を上げて応える。


「じゃあ、さっそくで悪いがソレ作り直してくれるか?」

「は?」


「だから、作り直してくれ。拷問するなら、せめて真面目な料理で頼む」


「ま、真面目な料理?! い、一体何を言ってるんですの?!」

「それを食えと言われるのは味的な意味で遠慮したいって事だ」

「た、食べるつもりだと、そう言うのですか?! し、死にますわよ!?」

「じゃあ、最後の食事としてせめて全うなものを作ってくれ」


「う?!! 何という気迫?!! 何という覚悟?!! こ、これが公国の羅丈だと言うの?!!」


 せめて、拷問されつつ時間を稼ぎ、普通の食事がしたいとの目論見だったのだが……どうやら、ベラリオーネにはこっちが何やら怖ろしい覚悟を持ったスパイに見えているらしい。


 その額には汗が流れ、真面目な表情で劇画チックに固まっていた。


 羅丈の偉い美幼女が聞いたら確実に『縁殿以外そんな劇物食べないでござるよ……』と苦笑して逃げ出しそうだなという感想は呑み込んでおく。


「ねーさん!! じゃあ、作ってあげようよ。この様子じゃ口も割らなそうだし、死んだら逃げ切れずに自殺したって事でごまかせばいいじゃん」


 サラッと怖い事を言う少年はかなりニコニコしている。

 それが試しているのか。

 あるいは素なのか。


 分からなかったが、何やら覚悟を決めた様子でベラリオーネがキッと表情を改めた。


「い、いいでしょう!! ならば、これはわたくしとあなたの勝負ですわ!! カシゲェニシ!! もしも、あなたが言うように作って食べ切れたならば、わたくしはこれ以上あなたに何も訊きませんわ!! いえ、訊ける状態に戻る事は永劫ないでしょうが、せめてもの情け!! もしも、ご家族がいるのならば、シーレーンの名に掛けて立派な最後だった事をご報告すると約束しましょう!!!」


 クワッと鬼気迫る顔でベラリオーネが瞳を燃やしていた。


(どうしてこう気が咎めるんだろうな……物凄く悪い事をしているような気がする。いや、まぁ……某美少女の時も思ったが……夢世界の女子はどうしてこう本気になると何処かの螺旋が抜けたような感じになるんだろうか……ホント真面目に……)


 一息付こうとした時だった。


「動くな!! 手を頭の後ろで組め!!」

「?!」


 ドキリとしたが、言われるがままに手を上げて、頭の後ろに組む。


「あら、将冶ショウヤさんじゃありませんの」

「まさか、シーレーン女史? どうして、このような所に?」

「あ、いえ、その……」


 サッと前に出て拷問用のコンロと残飯のようなものが乗った皿を後ろに隠そうとするも。

 後ろから掛かった声の主が何やら大きな溜息を吐く。


「まさかとは思いますが、今回の一件も女史の仕業ですか?」


「な?! ち、違いますわよ!? わ、わたくしは手柄を取ってきたのですわ!! そうしたら、ベルグが!?」


「ねーさん。怒られる時は一緒だよ」

「う、こんな時だけ!?」


 弟が何やら笑顔で姉の服の袖を握った。


「……はぁ、分かりました。とりあえず、事情を聞かせて頂きたい。それとこのスパイの拘束は?」


「あ、いえ……このスパイ、実は共和国の連中じゃなかったみたいで」

「聞いた話と違うのですが。憲兵隊には間諜が海軍局から逃げ出したと」

「その……」

「また、訳あり、ですか?」


「ええ、まぁ……それでなんですけれど、もし宜しかったら……ちょっと、連絡入れるのを待って下さいません事」


「事情があるようですから、落ち着けるところに行き、そこで話を伺いましょう」

「お話が早くて助かりますわ♪」


 まだ、手柄は諦めていないらしい。

 キラリと美女の瞳が光った。


 場所を移そうという事になって、すぐ自分を後ろ手にして背後を取った相手の顔を見たのだが。


 どうやら軍人らしい。

 カーキ色の軍服に膝まであるマント。

 同じ色をした帽子はツバが赤い。

 黒髪を少し長めにした男の顔はイケメンの部類だろう。

 腰にはサーベルが下がっており、その眼光は鋭い。

 優男と形容するには線が聊か太く。

 美麗な憲兵というよりは頼れる若き将校と言った風情。


 ただ、日本人的な顔立ちなので戦前の軍人というのがいたら、こんな感じだろうかというのが第一印象だった。


「さ、付いたよ。此処なら誰の目もないから、安心して話してられると思っていい」


 ベルグに案内されたのはどうやら軍学校の寄宿舎。

 その古い建物の奥にある倉庫内だった。

 埃っぽいのかと思いきや。

 用具が詰め込まれてはいるものの。

 それでも十分に人間が数人入っても広い室内は掃き清められている。

 窓は天井近くにあるものが左右に四つ。


 入ってくる陽光を反射して、用意された椅子代わりの机に全員腰掛ける事となった。


「それで? このスパイはどうして此処にいるのですか? シーレーン女史」

「わ、わたくしが捕まえたのですわ!!」


「ほう? 海軍局の警務課は現在、物資の倉庫を守るのが任務だと思っていましたが?」


「ぅ……」


 呆れた白い視線で見つめられて、ベラリオーネが固まる。


「まさかとは思いますが、自分の任務を放り出して、間諜を狩る為に動いていたという事でいいのでしょうか?」


「だ―――」

「だ?」


「だって!!? せっかく、怪しい人間を見付けたのに警務課の誰も人を出してくれなかったんですのよ!? 警務局はこっちの話をまるで聞かないし!! わ、わたくしが一人で怪しい男の隠れ家を発見して、ようやく一人だけ捕まえたのですわ!!」


「それで何故、警務局に引き渡されていないどころか。このような逃亡騒ぎに?」


「ぐ、偶然ですわ!! この間諜がちょっと暴れて、うっかり手当てをしていた医務室の棚を揺らしてしまって!! そ、それで粉が……」


 どうやらギリギリ、全部の罪を被せるのは思い止まったらしい。


「ふむ。では、何故あんなところに? そもそも、再度捕まえたのなら、どうしてすぐに戻らなかったのか伺っても?」


「そ、それは!? こ、この間諜が強情で、ちょっと拷問してただけですわ!?」


「拷問……もし戦時の国際条約に引っ掛かる身分だった場合、彼に対して身柄の安全を保障するのは国家の義務ですが」


「そ、そんなの!? 有名無実の条約なんて誰も守ってませんわよ!?」


「ええ、それはそうですが、もしも……敵がそういった“相手が諸々の条約を破っているのだ”と吹聴する為に敢えて忍び込ませ、捕まえさせた可能性も棄て切れない。彼の仲間を逃したようですが、万が一……敵に一部始終を監視されていたら、あからさまに情報戦の材料にされますよ?」


「うぅ?! で、でも!!? このカシゲェニシという少年は共和国の者ではありませんわ!!?」


「先程も言っていましたが、共和国の者ではない、とは?」


「え、ええ!! そうですわ!! 彼はわたくしの見立てではごはん公国の羅丈ではないかと!!」


「羅丈?! この少年が?」


 ジロリと胡散臭そうな目で凝視されて、視線を逸らす。


「ですわ!! わ、わたくしの拷問を前にしてもしも料理を食べさせる気なら、せめてマシなものを作ってくれと……それを最後の食事にすると……」


「ふむ。少年、君は共和国の人間か?」

「違うな」


 シレッと答える。


 反応を見られていても、この手の質問が有効なのは後ろめたい人間だけだ。


 共和国の人間では実際無いので躊躇なく答えられた。

 じ~~っと凝視されて視線を逸らす。


「まだ、何とも言えませんが、そうですか……料理を……」


 何やら少し考え込んでから、再び男がこちらを向く。


「カシゲェニシ君と言ったか」

「ああ、あんたは?」

「間諜に名乗る名前は持ち合わせが無い」


「あ、この人は亜東将冶アトウ・ショウヤさん。オレ達の顔馴染みで憲兵隊の偉い人なんだ」


 今まで口を挟まずにこちらの様子を眺めていたベルグが紹介した。


「ベルグ。後で寮長に報告するぞ?」

「そ、それは勘弁!?」

「じゃあ、黙っていなさい」

「はぁ~い」


 押し黙った少年が机の上に頭を抱えて寝そべる。


「カシゲェニシ君。君は羅丈の人間なのか?」

「カレー帝国に雇われた単なる一般人だ」

「……シーレーン女史?」


 思わずベラリオーネがこちらをジロッと睨んで慌ててアトウ・ショウヤと言うらしい相手に言い訳し始める。


「そ、それはカシゲェニシが言っているだけで!? わ、わたくしの見立てでは!? 絶対、羅丈ですわ!?」


「そう断定した理由は?」


「こ、この少年は高耐性者です。そもそも医務室のドクターが食工兵しょっこうへいの研究用に使っていた細粉や蟹の汁を浴びても生きているなんて、普通じゃありませんわよ!!!」


 力説する声に驚いた様子で青年というには少し歳のいった男がこちらを見つめる。


「君は高耐性者なのか?」

「ああ、一応」

「………料理を食べても生き残れると?」


「最後の晩餐になるかもしれないから、せめて美味いものを所望しただけだ」


「最後の晩餐? どうやら、君は一般人というには少し物を知っているようだ」


 その言葉に慣用句的な言葉が引っ掛かるとは思っていなかった為、少しだけ内心で身構える。


 さすがにポロッと自覚も無しに色々喋るのはマズイだろう。

 この夢世界がどういう常識や知識の上に回っているのか。

 まだ、全体像なんて殆ど把握していないのだ。

 無難にやるのが一番いいのは分かり切っている。


「一般人には見えないが、羅丈というには不用意な知識の披露……その上、高耐性者か……君の生まれを訊きたい」


「………」

「黙秘すれば、痛い目を見てもらう」


 サーベルがスラリと腰から引き抜かれた。

 その鋼色の刃が室内に入ってくる光を反射して眩く照り返す。


「誰も知らないような田舎だ」

「どんな名前なんだ?」

「日本だ」

「ニホン? 弐本? 確かに聞いた事も無い名前だな」

「だから、そもそもカレー帝―――」


 スッとサーベルが頬を僅かに掠めて、背後の箱に突き刺さる。


「魚醤連合の憲兵を舐めるなよ? 小僧」

「………」


 明らかに男の瞳には暗い色が混じっている。


「自分は大陸の地図を眺めるのが趣味なんだが、カレー帝国内にそんな村や街、都市、地域の名前は無い」


「別にカレー帝国に雇われたとは言ったが、カレー帝国の出身だとは言ってないと思うんだが」


「………」


 チラリと男が何やらサーベルを見て、身を竦めていたベラリオーネが慌ててコクコクと頷く。


「じゃあ、何処の国の生まれだ?」

「さぁ?」

「この刃の切れ味を試したくは無い」

「……少なくとも、この周辺の国々とは縁も縁もない場所とだけ言っておこう」


 その鋭い眼光の瞳が細められる。

 チラリと視線が横を向いて、僅かに思考しているのだろう事が分かった。


「嘘は言っていないようだが、これ以上は無駄のようだ」


 サーベルが鞘に戻される。

 その洗練された納刀の手際は男の武人としての強さを表しているようにも思えた。


「とにかく海軍局に連れて行きますので」

「しょ、将冶さん!! こ、この少年はわ、わたくしの!!?」


「分かっています。女史の手柄として報告しておきましょう。ですから、これ以上は……いいですね?」


 さすがに見付かってしまってはもう手柄にするのも難しいと悟ったか。

 男の真面目な瞳にコクリと美女が頷いた。


「う、わ、分かりましたわ……お手間を掛けさせて、すいませんでした……」


 しょぼんと肩を落とす姉に対し、弟が肩を竦めた。

 これで今度は牢屋行きだろうかと。

 溜息を零した時だった。

 何やら外から甲高い響きが聞こえてくる。


「これは!? シーレーン女史!!」


「え、ええ?! こんな戦争中に?! 地震なんて感じませんでしたわよ!?」


「うわ……このタイミングはさすがに……」

「どうして?! まだ、十年も経っていないのに!!?」


 ベラリオーネが何やら顔を強張らせる。


(何だ? 何が今、心に引っ掛かった?)


 全員の様子に説明を求めようとして。

 将冶がこちらに向き直り、難しい顔をした。


「……時間があるか分からない以上、重要な証言が得られるかもしれない人間を危険には晒せない……今、寄宿舎は?」


 訊ねられて、ベルグがサラッと答える。


「あ、それなら戦時中って事でみんな帰ってるよ」

「ならば、此処の地下壕を使わせもらおう」


「何と間の悪い!? 海沿いの倉庫群に被害が出たら、占領中の艦隊への補給が途絶えるかもしれませんわ……」


「一体、何の話をしてるんだ?」


 訊ねるこちらに男が溜息を吐いて、こう呟く。


「津波だ」

「………マジかよ」


 まだまだ、波乱は続くらしかった。

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