第21話「疑惑とスープ」

 教会の中は夜という事もあって、もっとひんやりと冷えているものと思ったが、どうやら杞憂らしい。


 その理由は入ってすぐに理解出来るだろう。


 教会の中は白いタペストリーがズラリと壁際に掛けられ、靴を脱ぐ玄関スペースから先には白い絨毯が一面敷き詰められていた。


「靴は脱いで下さい。それと最初歩く時は十秒程、片手を胸に当てて下さい」

「分かりました……」

「?」


 何故か。

 変な顔。


 つまりは怪訝そうな顔をされて、何か今のやり取りに問題があったのだろうかと考えたが、分からないものは分からない。


 履かされていた粗末な木と荒縄製のサンダルを脱いで言われた通りの作法で上がる。

 周囲を見れば、内部は教会でありながら天井は高くなかった。

 二階建てなのだ。

 周囲の窓は木製で今は閉められている。


 夜は暗い事この上ないが、絨毯だのタペストリーだのがあっては火を灯すのも無理だろう。


 電気類のインフラは首都にしか未だ無いとフラムが自慢していた為、此処に無いのは分かっている。


 だが、それならば、日当たりの悪そうな建物に囲まれた教会でどうやって文書を読み、説法をするのかと首を傾げたくなるのは当然だ。


 その謎は解けないが、少女は奥へと進み。

 壁際の右の扉へと入っていく。

 後に続いていくとそちらは明るかった。

 どうやら灯りが灯されているらしい。

 最初、目に入ったのは一番奥にある大きな木戸だ。

 背後で少女が扉を閉めると同時に背筋が僅かにひやりとする。

 長椅子と長いテーブル、大きなランプしかない室内には誰もいない。

 だが、植物性の油が焚かれた匂いは充満していて、その香りが妙に甘ったるかった。

 これから何をされるのかと振り向くと。

 少女がジッとこちらを見ていた。


「何もしないのですか?」

「何かしたら殺されるんじゃないかと思って」


 軽く答えると静かな瞳がこちらを覗き込む。

 やはり、表情は薄く。

 何を考えているのか読み辛い。


「……どうぞ、お座り下さい」

「じゃあ、失礼して」


 長椅子に座ると対面に少女が腰掛ける。

 その表情は不審者でも見るような、そんな妙に胡散臭いものに対する瞳にも見えた。


 僅かな表情は少女が無感情ではない事を教えてくれるが、それにしてもまた何か場にそぐわない事をしたのかと気になる。


 宗教が怖いのは信仰が厚い人間が異端を排斥するのに躊躇無い場合が多いという事だ。


 何か一つ間違いを起こしてザックリ隠されていたナイフで……なんて事が無いとも言い切れない。


「あなたは随分と理性がお強いのですね」

「理性?」

「……それに【正道純塩会せいどう・じゅんえんかい】の戒律を淡々とこなした」

「何か問題でも?」

「問題無いのが問題……いえ、問題を自覚していない。あなたは一体どういう宗派ですか」

「宗派?」

「……余程に田舎からいらしたのでしょうか」

「たぶん、この国の事なんて全然知らない場所から来たのは確かだと思いますけど」


「……それ程に田舎な場所があるのか。それともまた演技なのか。分かりませんが、あなたがおかしいという事は分かりました……では、教えましょう」


「教える? 何を?」

「此処が何処なのかを」

「あの看板に書いてあった名前の通りの場所じゃないって事ですか?」


「いいえ、此処は……聖なる塩の街。塩砂騎士団領KAIENの中心。【正道純塩会せいどう・じゅんえんかい】の本拠地。つまり」


「つまり?」


「ペロリスト発祥の地であり、反パン共和国のレジスタンスが集う総本山。いえ、集会所です」


「……ああ、そういう」

「それ以外に何かあるのか。こちらが聞きたいですが」

「何分、田舎者なもので」

「色々教える必要があると見ました。では、自己紹介を」

「【佳重縁かしげ・えにし】」

「カシゲェニシさんですか」

「まぁ、そんな感じで」

「先程も言いましたが、サナリ……サナリ・ロックソルトと申します」

「よろしく」

「……ペロリストにわざわざ挨拶する人間がいるとは驚きなのですが」

「挨拶は大事って何かの本に載ってました」

「そうですか。では、こちらからも」


 軽く頭が下げられた。

 どうやら、話は通じるようだ。

 狂信者的な相手でなければ、まぁ殺される事は無いだろう。


「このの歴史はご存知ですか?」

「二十年前に併合された。くらいしか」


「では、簡単に説明しましょう。我々【正道純塩会せいどう・じゅんえんかい】は数ある調味料各宗派の中でも塩のみを認める真正宗派。つまり、原初の時代から続く大陸最古の共同体です」


(調味料に宗派って……ああ、そう言えば、何か前にフラムが話してたような。パンとごはんが争ってるんだから、調味料でも争いくらいするのか。いや、食するものが制限される此処じゃ、塩は最大の宗派になるんじゃないか? それならかなりの勢力、のはずだが……)


「じゃあ、大陸中に信徒がいるって事ですか?」


「いいえ、塩は此処だけではなく沿岸国ではよく作られるものですから。その地域の特性に合わせた宗派が生まれる以上、此処が最古とはいえ……逆に塩のみである我々は数が少ない存在。無論、他の塩派の人々からの支援は今も受けていますが」


「なる程」


「二十年前、塩砂騎士団が敗れ去り、共和国は空飛ぶ麺類教団を布教し、調味料宗派は過激派を一掃しました。ですが、我々は此処にまだ存在している」


「逃げ延びた? それとも逃げ延びられるよう手心を加えられた、とか?」


「―――随分と賢しらな事を言いますね。此処の内情を知らないのにどうしてそんな風に言えるのかお訊ねしても?」


「此処が併合される時、戦争の早期終結と戦後を見据えての早期講和が実現したって話を聞いたので。もしそうなら地域の不満の受け皿が無いと戦後の統治は覚束ない。逆に受け皿さえあれば、大規模な騒乱や暴動を未然に防いで、一気に不穏分子を一網打尽にも出来る。戦争するよりも戦後の統治は難しいものじゃないですか?」


「………本当にこの地域の事を知らないと申されるのですか?」

「殆ど何も」


「分かりました。こういう事を知らない一般人も多いですが、あなたはどうやら違う。その通り、我々は故意に見逃されてきた存在。共和国にしてみれば、都合の良い敵と言える相手なのです」


「なのにどうしてあんな事を?」

「あんな事とは?」

「地域の人達を巻き込んで死なせるかもしれないのに大量のKOMEの細粉を撒いた……」


「あの周囲の人々からもうお前達とはやっていけなくなったと。そう、告げられました。共和国から齎される見返りに目が眩んだ人々は年々多くなっています。それに比例して我々の同志達は少しずつ減ってきている」


「敵になるなら殺してもいいと?」


「敵になるから、見せしめが必要だった……もし、行動せねば、あの周囲の人々と同じように離反が相次ぐかもしれない。そうなれば、我々の祖国を取り戻すという悲願も潰える」


「それって本末転倒なんじゃ……」


 今までの説明を総合すると味方が平穏な生活や利益の為に自分達との交流を絶とうとしたので見せしめに殺そうとした、という事になる。


 それでは見かけ上の味方はそのままでもいつか裏切りに会うのは目に見えているはずだ。


「我々には時間が無い。公国との戦争でこの地域の男達は三分の一以上前線へ。公国が落ちれば、共和国は併合した国々の支配と統治を更に強固としていく。そうなれば、もう我々に勝ち目は無い……」


「此処で無理をしてでも人を繋ぎ止めれば、一発逆転を狙える勝ち目があると?」


 ようやく少女が表情らしい表情を浮かべる。

 それは喋り過ぎたという後悔にも似た表情と視線を逸らすというあからさまな仕草だった。


「あなたは知り過ぎました。しばらくは此処にいて頂きます」


 そうして、無表情を取り戻した少女が席を立つ。


「何処に?」

「食事を持ってきます。MUGIもKOMEもあります。どちらか以外で完全耐性がある食物はありますか」

「……とりあえず、食べられるものなら何でも」


 此処に来て少女の目が完全に不審者でも見るような目付きになる。


「自殺願望がお有りですか」

「別に。基本的に流儀なので。何を出されようとちゃんとした料理なら問題なく頂きます」

「………分かりました。では、そのふざけた流儀に合わせて何か作ってきましょう」


 少女が室内の奥。

 木戸を開けて、どうやら二階へ続く階段を昇っていく。

 その様子にホッとしてから、今までの話を総合して溜息を吐きたくなる。

 廃屋での男達の話と今の話を総合すると。

 何か近い内にとんでもない事が起こる。


 それは共和国に激震を与えるだけのインパクトを備え、再び塩の国を独立させるだけの衝撃を持っている、という事になる。


 それがどんな切り札なのか。

 想像するしかないものの。

 その前哨戦で共和国の要人を暗殺ともなれば、事態は潰すか潰されるかの二択。

 確実に死人が量産されるのは目に見えていた。


(やれやれ。テロリストがテロリストの要らなくなる世界を許容出来ないって言うのが何とも……普通に考えれば、みんなを幸せにしたいからテロをするって構図だったはずだ。手段が状況に合わなくなったが、自分達にはその大国を相手に出来る新たな状況に即応する手段が無い。ならば、状況が変わる前に強引な暴力に訴える。そして、状況は逆にテロリストを追い詰めていくわけか)


 国を再び取り戻す戦いをしている者が過去の英雄だとしても、人々を犠牲にした時点で犯罪者として没落していくのはよくある事に思えた。


(賛同者は減り、仲間は減り、活動資金は底を尽き……武器が無くなり、精神も身体もボロボロ、後は自爆か自殺か……知らないフリを決め込んで怯えながら過ごすか。分かり安過ぎて逆にマズイな……フラムじゃないが、総統閣下とやらが本当に優秀なら……この案件を逆手に取らないわけがない)


 少なくとも今まで耳に胼胝たこが出来そうなくらい美少女からその手の話は聞かされている。


(後顧の憂いを絶つなら、過激な主義者に事件を起こさせた直後一掃。公国との戦争が終盤に差し掛かってるからこそ、内部統制を進めるには格好のネタだ。本当の意味で都合の良い敵は殺して民衆に喜ばれる敵って相場は決まってるんだがなぁ)


 歴史の授業は面白い話に満ちている。

 第二次大戦期。

 彼の国の男は心に余力が無く無防備な民衆を救う事で権力を得た。


 ファシストが国内で知的階級にそこそこ嫌われながらも支持を得ていたのは余力が無い人間が多過ぎた事に起因する。


 第一次大戦期。


 勝利した国々は思ってもいなかっただろう。


 自分達の科した莫大な賠償や過酷な搾取、再建不可能とも思われる無理難題を押し付けた国が自分達へ逆襲してくる事など。


 人はバネ。

 揺り戻しや反動を考えない戦後統治は愚作。


 欧米の植民地主義が崩落した理由の最たるものは現地の人間が自分達と同じ人間であるという事を見逃した点だ。


 理性的に合理的に長期的に判断すれば、武力併合した国や人を粗末に扱う事がどれだけ非論理的な事なのかは押して知るべし。


 その点で言えば、二十年という時間を掛けて人々の心を折る事に成功した総統閣下とやらは政治と軍事の才覚に長けていると証していいだろう。


 急いては事を仕損じる。

 急がば回れ。

 敵の内部に敵を作り出し、味方を増やして地盤を固める。


 長期的な侵略の展望があったとすれば、最初に財政基盤と人的資源の確保を行ったのは極めて正しい。


 そして、仮にもまだ二十年前だと言うのに敵国の人間だった相手に味方を裏切らせるとは……やはりフラムではないが総統閣下とやらは頭の切れる男に違いなかった。


「ふぅ」


 頭を使って疲れたのか。

 眠気がゆっくりと押し寄せてくる。

 それに何とか抗っていると視線を感じた。

 サナリが昇っていった階段の先からヒョッコリと顔を出す者が数名。


「あ、これが今回の人?」

「でも、まだ裸じゃないよ?」

「お香焚いてるのに?」

「写真撮らなくていいの?」

「奥さんにばら撒く用とご近所さんにばら撒く用」

「裸じゃないから撮らなくてもいいんだって」


 擦り切れた洋服を着る子供が数人。

 それもまだ十を超えていないくらいの少年少女ばかりだ。

 汗が額に浮く。


 そして、この甘ったるい匂いのするランプの灯りやら今の言葉から嫌な想像しか出来なかった。


(またかよ。ハニートラップとか……あの子、そういうのしてるようには見えなかったんだけどな)


「どうせ、それっぽい写真撮れば一緒一緒」

「ね~サナリだって少し相手にお触りした後は眠らせちゃうし」

「じゃ、棍棒持ってくる」


 どうやら、少女は荒んでこそいるものの、一線は守っているようだと知って少しホッとする。


 年齢から言っても自分で始めたわけでもない戦いに身を捧げさせられているのではあまりにも悲しい、と思うのが日本人の常識的なメンタリティーだ。


 それがこの場所の現実だろうが事実だろうが、そんなものは知った事じゃないし、博愛主義ではないにしても、自分の日常で語られる偽善くらいは信じていたいのが人間である。


 見知った相手を決め付ける勝手な思い込みだとしても、やはり年頃の少女には普通に恋とかしてもらいたいし、普通に笑えるような状況であって欲しい。


「何かホッとしてるね」

「ね」


 子供達がこちらをじ~っと見つめてくる。


「あなた達……聞こえていましたよ」


『?!?!』


 誰もが背後からの声に蜘蛛の子を散らすように逃げ出して二階へと行ってしまった。


「スープを作ってきました」


 どうやら随分と心の中で考え込んでいたらしい。

 サッと造ったにしては芳しい香りが戻ってきたシスターの手の上の深皿からしていた。

 コトリとソレが置かれる。


「よく此処の人々が食すレンズ豆のスープとパンです」


 中を覗き込むと小さな膨れた豆と小さく角切りにされた根菜が申し訳程度入った琥珀色の液体があった。


「頂きます」

「ッ」


 一緒に添えられたパンを千切って食みながら、渡されたスプーンで掬って一口。

 すると香気が鼻を抜けていく。

 どうやら複数の香味。

 スパイスが効いている。


 フラムの家では此処まで複雑なスパイスが使われた料理は食べた事が無かった為、十分に新鮮で口にしていて楽しいスープだった。


「どうして躊躇無く飲めるの……」


 サナリに凝視されて思わず苦笑が零れる。

 また、食べられるもので驚かれるのか、と。


 フラムも百合音もしばらく傍にいるので今では何かリュティさんの料理を食べていても驚かれる事は殆ど無くなっている。


「あなたオカシイです……こんなに複雑な匂いがするのに躊躇無く食べるなんて……」


 どうやらこの世界での香辛料の扱いも然してパンやごはんと変わらないらしい。

 調味料扱いなのだろう。


「余裕が無いペロリストが人に食べられない食事を出せる余裕ってあるのか?」


「……これはあなたじゃなく、団長の為のスープ……食べられるなんて思っていませんでした……」


「団長?」

「塩砂騎士団の現団長。この国のペロリストの王。いいえ、本当の統治者」

「総統閣下に国王陛下。今度は騎士団長様、か」

「何が言いたいのですかッ」


 たぶん食って掛かったと思われたのだろう。


 少しだけ怒ったような、責めるような表情の相手に余程、その団長とやらは慕われているのだろうと推測出来る。


「もし、このスープを次に飲む人間が来たら、伝えておくといい。無駄死にするくらいなら、恭順でも誓って健全な政治家にでもなった方がよっぽど民衆の支持を得られて、国の独立も近いって。塩だけしか入ってないものよりも、こっちの方がよっぽど美味い。この琥珀みたいに濁っても、異なるものを受け入れた先にこそ未来はあるんじゃないかってな」


「―――」


 絶句した様子の相手を見るのも億劫になってスープを啜った。


 この世界には他人を無邪気に信じられる人間が多過ぎる。


 信じる前に少しは疑う事を知れと言うのは傲慢なのかもしれないとしても………。

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