第22話「塩の掟」

「大いなる塩の化身よ。我、汝の糧となりて、遍く人の隣に……」


 それは小さな礼拝堂だった。

 明かりの灯された部屋は教会全体からすれば、極々一部だ。


 しかし、十人くらいは座れるだろう長椅子が一つと祭壇の上にある人と思われる塩の彫像は灯りの中で薄ぼんやりとしていても、十分に祈る場として機能している。


 子供達が数人。

 祭壇の中央で祈るサナリと同じように片手を胸に当てて黙祷していた。


「一つ訊いていいか?」

「………」


 キロリと子供達の視線が一斉にこちらを向き、思わず引け気味になる。

 少ししてからサナリも振り返った。

 その瞳には何か名状し難い色が宿っていて。

 この未知に違いない男をどう扱うべきか。

 慎重に迷っているような気配があった。


「何ですか?」

「何に祈ってるんだ? 塩の化身て呼んでる像の相手か?」

「……本当に何も知らないのですか?」

「何か知ってるように見えるか?」

「質問に質問で返す人は信用出来ません」

「自分だって質問で返しただろ」

「……そういう揚げ足を取る方も信用出来ません」


「信用じゃなく情報が欲しいだけだ。別にペロリストの弱点を教えて下さいなんて聞いてるわけじゃないし、信仰にケチを付けてるわけでもない。純粋な疑問だと思ってくれ」


 それに僅か瞳を細めた後。


「分かりました。我々は塩に付いては最古の真正宗派。要は最も古い教典を持つ者。故に我々の教義には古のお方……我々が塩の化身と呼ぶ方のお考えが載っているのです」


「それが崇める対象なのか?」


「いいえ、そのお方は糧無き世界に最初の塩砂の海を創り出した偉大な方ですが、自らを崇める事を禁じた。己の心の中に自らの信ずるモノを求めよと教典には書かれています。その方の教えは従うものではなく。我々が生まれてから今まで守ってきた規律や習俗。つまりは常識なのです」


「案外、まともなんだな。ペロリストの総本山なのに」


「……多くの人々に恐怖を与える事は我々にしても本意ではありません。ですが、少ない人数で敵を効率的に叩く為には……」


 僅かに口ごもる様子からサナリが必ずしもテロを容認しているわけではないというのが伝わってくる。


「多少の巻き添えは仕方ない?」


「―――仕方ないとは言いたくありません。大人達は口々にそう言いますが、彼らとて最初は全うな反撃が出来るものと思っていたはずです……ですが、総統は人々を抑圧すると同時に懐柔もした」


「何となく想像は付くな。塩利権を地域の直轄にして今まで通りの生活をさせてくれたんだろ? 軍事と政治に文句さえ言わなければ、共和国の人間として同等の権利も保障した。違うか?」


「……ええ、一部はその通りです」


 子供達が沈んだ様子のサナリを苛めるなと言わんばかりの怒り顔でその周囲に集まり、こちらを睨みつけて来る。


「さっきまでの話を聞く限り、逆らわずに共和国の人間として生きていくって事は出来なかったのか? 少なくともまともに生活出来たんだろ?」


「あなたは……この国が今までどうやって広大な領土を維持してきたのか分かりますか?」


 唐突に訊ねられて、サラッと思った事を言ってみる。


「他国、特に塩の取れない内陸国との貿易と海岸沿いの街から船を出して海洋貿易とかか?」


「それは正解の半分です」

「半分?」


 サナリがこちらを見て本当に不思議そうな顔をしていた。


「あなたは本当に何も知らない田舎から出てきたのですね」

「今、馬鹿にされたのは分かるぞ」


 子供達が田舎者、と口で攻めてくる。


「我が国の名前は?」

「塩砂騎士団領」


「その騎士団は元々が塩の流通を守る為の戦力でした。同時に長年我々の国は貿易保護の力を他国に売っても来た」


「ああ、つまり……傭兵?」


「はい。我が国の男は資質有りと認められれば、団員として登録され、食い逸れる事も無く、危険と隣り合わせではありましたが、誰からも尊敬される職を得ていた。しかし、共和国に敗北した後、傭兵の生業は解消され、男達の半分以上は労働者に、もう半分は兵として共和国内でいい様に使われている」


「でも、軍人なら待遇は良いだろ?」


「そうですね。女子供を故郷に残して……いいえ、人質として留めおく事さえ無ければ、少なくとも今までよりも待遇は良かったと言えます」


「なら、どうして騎士団は今も活動を続けてるんだ?」

「この子達がどうして此処にいるのか分かりますか?」

「………」


 何となく察しは付いたが言葉にするのは憚られた。


「兵隊になった父親が死ねば、残された家族は困窮します。ですが、それも共和国の手の内です」


「手の内?」

「この子達は軍学校に行かされる前に母親達が逃がして此処にいます」

「つまり、この子達は将来的に兵隊にされそうだったのか?」


「はい。総統は人を大切にする男だと共和国では評判でしょう。ですが、人を数字として見ている。併合した国の民と共和国の元からの民では二つの義務で差が付きます。一つは父親を失った家庭は子供を軍学校に入れなければならない義務。一つは一度でも喪服を着た女は数年以内に再び結婚しなければならない義務。それも共和国の男と」


 サナリが反吐が出そうだと僅かに顔を顰めた。


(相手に天秤を差し出して、選べと言っておきながら、その実……天秤の片方に乗ってるのは誇り、と。どっかの聖典でやってる民族浄化と然して変わらないとか。どうなってんだか)


 確実にその遣り方は緩やかだが絶対的な同化政策に他ならない。


「軍には女も入れると男女平等を謳っておきながら、女軍人は共和国の男としか所帯を持てないのです。これが人を大切にするという事ですか? 彼女達は誰しも未婚か。あるいは共和国の男と結ばれるか。非共和国系の男と駆け落ちして殺されるしかなくなる」


(殺す相手が敵なら直接的な手を下してないから倫理的にも併合国内からの反発は出難い。憎むべきは敵と宣伝して、子供も洗脳出来るな。これで共和国のMUGI耐性者だけが増えていくって仕掛けか。ついでに軍は非MUGI耐性者が占めていくから、死ねば死ぬ程に共和国への併合地域の依存度は高まっていく……悪魔の所業過ぎるだろ)


 優秀な総統閣下は合理的で下種な手段がお好きらしい。


 だが、その政策が二十年も続いているとすれば、地域の人々がもう抵抗を止めようと言い始めた事にも納得が良く。


 新しい世代を担う若者がMUGI耐性者ばかりなのに生死を握る食物は逆らうべき敵の懐。

 これではペロリストが幾ら頑張ろうとも未来は無い。


「子供を手放したくなくて……自分の子供の指や足を切り落とそうと思う母親の気持ちが分かりますか? そして、母親に泣かれながら謝られながら、傷付けられる子供達の痛みが分かりますか? だから、私達はまだ戦い続けている。決して屈しない為に」


「………」


 サナリがこちらに歩いてくると。

 静かな瞳でこちらを見つめてくる。


「どちらが許せない悪か。あなたにもこれで分かったはずです」


「……別に最初から否定はしてない。ただ、そのやり方は確実に破滅すると言ってるだけだ」


「その言い方では総統を否定しないのですか?」


「今の話が本当なら確かに不憫ではあるだろうさ。けど、どっちが悪かろうと泣くのは幸せに暮らせるかもしれなかった誰かだ。善悪の判断を倫理に置けば、お前達が正しいし、判断を数に置けば、総統のやり方は理に叶ってる。少なくとも総統は人の感情が天秤に掛けるものを把握して、自分達に有利な状況を設定してるだけだ。最初期の共和国人にとっては神様みたいに見えるんじゃないか?」


「神様、神様と言いましたか?」


「別に信仰してないが、誰だって自分の民族や自分の隣人が幸せなら他人の事なんてどうでもいいってのが大半だ。そして、総統とやらはその隣人が全て自分達の血筋になる事を画策してる。だが、そうなれば、もう異論を唱える者は無い。お前達がこうやって追い詰められてるように」


「融和策や同化策なんて綺麗事です。これは間違いなく塩の民を殺す静かな虐殺……それに賛同する人間を許せるとしたら、その人はきっと人間じゃない」


「だが、人間はいつだって正しい判断だけで生きていけるわけでもない」

「ッ」


 唇を噛んだサナリが俯く。

 それに我慢できなくなった様子で子供達が殴り掛かってきた。


「サナリをイジメるな!!」

「出てけ!!」

「この共和国人!!」


 さすがに子供相手では暴力で排除というわけにはいかない。

 そもそもそんな腕力も無い。

 押し倒されて、馬乗りになれば、後は好き放題だった。

 しかし、それをすぐに止める手が一つ。


「いいの。この人は本当の事を言っているだけだから……」


 子供達の顔から見る見る怒気が失せていく。

 その少女の表情が薄っすらと何処か悲しそうだったからだろう。

 起き上がると子供達が威嚇しつつもサナリの周囲に集まって輪を作っていた。


「あなたは今まで連れて来た誰とも違う。それは分かりました」

「それで……何かされるのか?」


「何も。全てが終わるまで此処にいてもらうだけです。然るべき身代金が払われれば、開放するでしょうし、払われなくても開放はします」


「随分と優しいんだな……」


「どちらにしろ。最後の時は近い。あなたをどうにもしないのはあなたにはどうにも出来ないからです。情報が漏れても全てはもう動き出している。止められはしない」


「そうだな。オレには何も出来ないし、何をするつもりもない。出来るのは精々友達や知ってる人間が巻き込まれないように手伝うくらいだ」


 肩を竦めると僅かな苦笑がサナリから零される。


「こんなに沢山話したのは久しぶりな気がします。喉が渇きました……水を持ってくるのでそちらで待っていて下さい」


「ああ」


 二階にある礼拝堂の先にあるのは二階に上がる階段と木製の窓、ソファーが一つ切りの部屋。


 天蓋には硝子が複数嵌っていて、月明かりが差し込んでくる。


 礼拝堂の明かりを消した子供達がサナリに付き従って、こちらにあっかんべーをしながら、他の部屋に消えていく。


 灯りは油を使うから希少なのだろう。

 静かな月明かりに照らされながら、少し目が霞んだ。

 眠気をずっと堪えていたのだが、どうやらそろそろ限界らしい。


 ソファーに身を沈めるとソレがどんなにバネのヘタった代物でも高級な寝具に寝そべっているような心地になるのだから、不思議なものだ。


「……っ」


 木製の窓が少しだけ開くと教会へ唯一続く道の先。

 街並みの角を越えた場所に仄かな明かりが見えた。

 盛大な灯りが焚かれているのでもなければ、空の一部が耀いて見える事は無いはずだ。


(こんなにオレって神経図太かったかな……まぁ、夢だから、な………)


 瞳を閉じて、最後に耳へ入ってきたのは『今帰った』という男の声だった。



第22話B「朝食の前に」


 目が覚めると木製の窓は全開になっており、日差しが差し込んで来るところだった。


 開いたままの礼拝堂の扉の先からは涼やかな声が、子供達のものと共に聞こえてくる。


 何語なのか分からない賛美歌のような音の連なりが穏やかな心地にさせる。


 そっとソファーの陰から覗いてみると。

 サナリ。


 ファンタジーのプリースト衣装な少女が僅かに目を細めて子供達と共に謳っていた。


 その唇の端は微かに笑みを形作っているようにも見える。


 最後に謳い終えた子供達と共に静かな祈りが捧げられる様子は何処か聖母を思わせた。


「………」

「可愛いだろ?」

「ッッ?!」


 思わず背後の声に振り向こうとしてソファーが不意に引っくり返る。


 中身があまり重く無かったせいか。


 少し身体を打っただけで起き上がると子供達が昨日に引き続き、お前は敵!!という表情で声の主の後ろに隠れるようにして睨んでいた。


「団長。オイタはいけません。それが例え人質だとしても」


「分かってる。分かってる。そう朝から固い事言うなよ。此処は俺達の愛の巣なんだからな」


「奥さんに怒られますよ」


 白い目でサナリが親しい間柄なのだろう男。

 十代後半くらいの青年に溜息を吐いた。


「はは、スマンスマン。で、ようやく起きた彼が、昨日の話をしたんだよな?」


「ええ」


 青年は軽いノリで天然パーマが緩く入った茶褐色の髪を乱雑にオールバックとして、何処かラテンな陽気を思わせる表情を浮かべる。


 その服は紅白を思わせる奇妙な制服姿。


 制服と分かるのは学ランのようにも軍服のようにもその衣装が見えたからだ。


 なごやかな表情でこちらを見る様子は騎士団の団長とは到底思えない。


 精々が少し洒落っ気のある陽気なにーちゃんといったところだろう。


 たぶん、自分と一歳、二歳しか違わない。

 そんな相手が手を差し出してくる。


「僕はアルム。アルム・ナッツだ」


「【佳重縁かしげ・えにし】です。よろしく」

「……昨日のように傲岸不遜に話したら、どうですか?」


 サナリがとりあえず友好的に接しようとした一歩目に背後から水を差す。


「傲岸不遜だったら、今頃正論で君を泣かせてる」

「ッ」


 それに少しだけ沈黙したサナリを見てか。

 子供達が目を丸くしていた。


「サナリ、赤くなってる」


 女の子がポツリ。


 すぐにダンダンと足音が不機嫌そうに歩き出し、背中を向けて一階へと降りていった。


「ほら、お前達もあっちに行っておいで」


『はーい』


 子供達が素直に言う事を聞くとワラワラ一階へと消えていく。


「さて、と。これで男同士の話が出来るな。カシゲェニシ君」

「ナッツさんと呼べばいいですか?」

「いいや、アルムで結構だ。それと口調も本来のものでいい」


 少しだけ顔が引き締まったか。


 それだけのはずなのだが、それだけで引っくり返ったソファーの上からでも少し圧迫感を受けたような心地がした。


「何かオレに話でも?」

「ああ、昨日随分とあの子に愚痴られたから」

「……内容は?」


「面白い事を言う勇敢で演技の上手い共和国人に口喧嘩で負けたとか」


「喧嘩じゃなくて事実の言い合いと訂正を」


「ははは、そうかそうか。あの子が正論で勝てないとは……それと君の伝言受け取ったよ。ハッキリ言おう。実にその通りだ」


 軽く肩を竦める青年は真実そう思っているような調子に見えた。


「ま、僕もその線は考えたんだ。いっそ服従して内部からこの地域をどうにかしようかって」


「でも、未だにペロリストをしている」


「そうだ。理由は極々単純。僕に騎士団長は務まっても、政治家は勤まらない。それと今まで死んだ連中への想いや今も少しずつ離反してる連中の心の底ってのも考えれば、抵抗を止められない」


「女子供を巻き込んでまで政府要人を狙ったのも、その為だと?」


「勿論、犠牲は最小限にしたいと常々考えている。だが、我々は共和国の兵器や軍に勝てないし、公国程の戦力も実力も無い。ついでに補給は限界間近。さて、どうする?」


 少し挑戦的な瞳だった。

 だが、しっかりとした決意が宿っているのは目を見れば分かる。


「……総統でも暗殺するか。あるいは……他人頼みか」


「他人とは誰かな?」


「他国の軍。この場合は共和国以外の沿岸部から進軍出来るか。陸続きの国境を接してる敵国の何処か」


「何故、そう思うのかな?」


「こんな身代金用の人質に情報を漏らしても、まったく問題ない。だとしたら、何を言おうが何をしようが問題にならないくらいの力がある。背後にそれだけの相手がいると推測出来る、とだけ」


「面白い。実に簡潔で明瞭だ。君の問いに答えよう。YES」


「やったとして、勝てる保証は何も無い」

「そうだな」


「軍事介入となれば、確かに共和国を慌てさせられるかもしれない。一時的には祖国も解放も視野に入る。でも、二正面作戦を強いるだけでどうにかなるようなら、最初から他国はそうしているとも思える」


「じゃあ、何故今頃になって他国は僕達に力を貸そうとするのか。答えは分かるかい?」


「考えられるのは何か他国が介入に踏み切れるだけの理由が発生した、としか」


 パチパチとアルムが手を叩く。


「あの粉塵の最中に入っていく勇気といい。あの子を言い負かした知性といい。僕のスープを飲める耐性といい。実に多彩な才能と資質だ」


「自称、凡人の一般人なもので。その評価は素直に受け取れません」


「………共和国のEEと公国の人間が君を必死になって取り戻そうとしていた」


 それに沈黙するとアルムが苦笑する。


「別に取って食おうとは思わないから、そう固くならないで欲しいな。君は余程の要人だ。少なくともあの馬車に乗っていた、と推測出来るくらいには……違うかな?」


「………」


「沈黙は肯定と受け取らせてもらう。それでだが、どうかな? 取引しないか?」


「取引?」

「君を帰そう。それでメッセージを届けて欲しい」

「誰に?」

「勿論、EE……あの純共和国人っぽい子にだよ」

「断ったら?」

「断ってもいいが、断れるかな?」

「内容を教えてもらっても?」

「……我々は塩の化身の力を手に入れた」


 昨日の夜、サナリとの会話が思い出される。

 その中で少女は塩砂の海は創り出されたと言っていた。


 天地創造神話の類だと思って聞き流していたが、もしもソレが事実ならば、その力とやらがあるとしてもおかしくはない。


「本気で?」


「ああ、本気だ。それを証明する実験が今日にも行われる」


「ッ」


「君にはこの場所にいるEEに現地の治安維持部隊を撤退させるよう勧告して貰いたい」


「そんな事をせず。力を見せ付けたいなら全滅させればいい」


 実際、塩の化身とやらの力が大国を動かす程のものなら、そうしない理由とやらが無い。


「ははは、そこまで外道じゃないつもりだし、そこまで愚かでも無いつもりだよ。共和国の事だ。そんな事をしたら、今やってる公国攻めを中止して、こちらに完全武装の制圧部隊を出してくるのが目に見えてる。僕達の最大の弱点は数の少なさだ。幾ら塩の化身の力があったって、物量で押し潰される可能性は高い」


「即応出来る現地部隊を下がらせて、実験を完了。ついでに他国の軍を呼び込んで街に篭って篭城戦でも始めるとしたら、死人が出過ぎるのでは?」


「やっぱり、君は賢いよ。そこまで分かってるなら、僕がやろうとしている事が何なのか分かるだろう?」


 それは間違いなく一つしかない。


「時間稼ぎ……塩の化身とやらの力が塩砂の海を生み出す程の広大な地域を左右するものなら、それには準備と時間が必要なはずだ。他国の軍だって万能じゃない。確実な打撃を受けると分かっていながらの派兵となれば、其処には絶対の利益が無けりゃ話にならない」


 アルムが何やら嬉しそうな顔で倒れていたソファーを元の位置に戻した。


「何年ぶりかな。こうして楽しく軍事談義を話せるのは」


「楽しくないな。自分達の戦いにまだ平穏に暮らしてる奴らを巻き込むのか?」


 思わず顔が険しくなるが、しょうがない。

 人間を殺すのは人間だが。

 人間を殺す事に躊躇するのもまた人間だ。


 目の前の相手にはその躊躇というものが少しも見えない。


 擦り切れていると言っていい。


 正しく自分の傍にいる少女達が時折する瞳もそうだ。


 別に生き方を否定する気は無いが、大虐殺になるのを分かっていて、その塩の化身の力とやらを動かそうというのは正直頂けなかった。


「それは昨日、サナリの話を聞いていながらの言葉と受け取っていいかな?」


「他人の不幸は自分の不幸に出来ない。不幸自慢の大会がしたけりゃ、墓の下でしろ。迷惑を他人に掛けてまで成し遂げたい事があるなら、相手に同意を取れ。それが出来ないならせめて関係ない人間にくらい危険を知らせろ。それが最低限の道義と常識ってやつじゃないのか?」


「………ぐぅの音も出ないよ。確かにそれは正しい意見だ。だが、正しい意見で止まるには僕達の戦いは長過ぎた。僕が生まれる前から始まった戦いだ。戦争が終わったのに何も終わってない奴らはまだまだいる。で、ある以上は……柵ってやつは何処にも付いて回るのさ」


 スッとアルムの手が首筋に伸ばされる。


 その腕には袖の中から出された一本の短剣が掴まれていた。


「これは命令じゃない。だが、強制ではある」

「脅されて屈するくらいには弱いんだが」

「屈してくれるかな?」

「………三つの意見から断る」

「聞いてあげないよ?」

「聞いてくれ」


 率直に言うとアルムの顔からようやく全ての笑みが抜けた。


「一つ。塩の化身の力とやらが発動した場合、現地部隊を逃がしたところで意味が無い可能性が高い。この大規模な塩砂の海を作り出す程の力。後退させれば一方的な広範囲に渡る攻撃で全滅する可能性があるだろ」


「………」


「二つ。今の言い様から考えて、塩の化身の力は人間の力で発動前なら十分に止められる可能性が高い。である以上、部隊を下げさせる意味が無い」


「………」


「三つ。そんな力が制御出来なかったら、どっちにしろ。この地域が滅ぶんじゃないか? 敵だろうが味方だろうが死人を量産されるくらいなら、大多数を守るのが正義だ」


「正義……正義と来たか。はは……いや、参ったよ。確かにあの子じゃ言い負かされる。だが、この会話が成り立っているのは僕が君に情けを掛けているからだって忘れてないか?」


 アルムの顔は既に冷たかった。

 それがたぶんはペロリストとしての顔なのだろう。


 鋼を思わせる冷徹な意思は傍にいるだけで実際ちびりそうだった。


「こっちは震えながら助けたくも無い相手に忠告してるんだが」


 手はもう微かに震えている。


「暴力は相手に言う事を聞かせる為にあるんだ。当然ながら」


「クソッ、二度も死ぬのかオレ」


「一度死んだような口ぶりだが、九死に一生というのは今回諦めてくれ。折れないなら仕方ない。次に目覚める事は―――」


 刃が首に容易に突き刺さり、一瞬で―――。


「止めてください」


 その声に刃の切っ先がギリギリ、静脈を切り裂かずに止まった。


 僅か流れる首筋からの血が身体を伝う。


「此処は教会。子供達のいる家に共和国人の血を振り撒く気ですか?」


 アルムが一人上がってきていたサナリの声に少しだけ考えた様子になってから刃を引いた。


「彼女に感謝してくれ。しょうがない……EEと現地部隊、ついでに公国人……戦って凌ぐ事にするよ。はぁ……やっぱり、最後にものを言うのは自分の実力か」


 最初の笑みを取り戻した青年は今までの事をさっぱり水に流した様子で軽くこちらにウィンクすると肩を鳴らして「慣れない事はするもんじゃないな」と笑いながら階段を下りていった。


 そうして、何やらすぐに青み掛かったグレーの外套が外の通路を歩き去っていく姿が見える。


「……さっきの団長は本気でした。死ぬつもりでしたか?」

「死んでも死なせたくないやつらがいる」

「そう、ですか」


 その言葉にサナリが小さく頷いた。


「奥さんや娘さんですか?」

「この歳でいるように見えるか?」


「余程の変人だと思いますが、あなたくらいに弁舌が立つなら、結婚くらい出来るでしょう」


「生憎、嫁とか娘とか。そういうのは今現在求めてない」

「まさか、未婚、なのですか?」


 それはかなりの驚き様だった。


「そういう自分こそどうなんだ?」


「な?! わ、私はあの子達という家族がいるのでセ、セーフです!!」


「何だ。いないのか。なら、人の事を言えたもんじゃないだろ」


「わ、私はい、イキオクレてなんていません!! 女性に対して失礼ですよ!?」


「髪が短いな」


「ッッ、そ、それは長いと手入れが……それに私には両親なんていませんから!!」


「人の弱点をあげつらうのは止めようって事だ」


「………朝食はどうやら要らないようですね」


 プイッと顔が不機嫌そうに逸らされる。


「せめて、水くらい出してくれると助かる。それと此処ってトイレあるか?」


「何だか、一気に力が抜けてしまいました」


 溜息を吐く表情は少しだけ人間臭かった。

 そんな様子をどうしてか介入してくる事なく。

 子供達が階段の下から顔を出して見つめてくる。


「サナリを泣かせたら、ぶっとばす!!」


「団長と言い合いしても負けないなら、ちょっとは認めてやってもいいぞ!!」


「サナリがイキオクレてるのは別に可愛くないからじゃないもん!!」


 その言葉に当の本人の顔が物凄い事になった。


「あなた達!! 朝食抜きにしますよ!!」


 ダダダッと怒られた子供達があっという間に消えていく。


「……子供は子供なりに心配なんだろ。まったく、今日はとんでもない朝だ」


 空は青く。

 晴れ上がった世界は眩い。

 それでも人は争う事に御執心だ。

 せめて、夢なら夢らしく。

 和やかな日々を過ごしたいと思うものの。


 和やかとは程遠い日常を過ごしている自分には今更かと自嘲が漏れる。


 戦争なんてのは自分のいないところでやって欲しい。


 これがきっと【佳重縁かしげ・えにし】の本音に違いなかった。

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