第20話「卵、塩、油、酢」

 何処からか声が聞こえていた。


『忘我の果てより来たりて』

『彼の者は夢よりの使者とならん』


 音色が響く。


『明日の時へ思い募らせ』

『有無の波を超えて』

『行き着いた楽園で』

『輩の歩みを辿らん』


 奈落の底から震えるのは何か。


『深淵に分け入る稀人まろうど

『その身を焦がして劫火を掴み』

『亡国をはべらさん』


 分からずとも一つだけ分かる。


『世は最中、人は過去、果てを目指せ』

『……どうか良い旅を……いと高き御主に永久の安息を……』


 それはたぶん随分と皺枯れた声だった。


――――――?


 硝煙の臭いがする。

 分かってしまうのは夢の中で美少女が随分と発砲していたからだ。

 ジャラジャラと弾が互いに擦れ合い音を立てる。

 鼻を薄く刺すような刺激臭は酢のようだ。

 他にも煙草のような煙も混ざっているかもしれない。


 間違い探しやシチュエーションを連想ゲームしていけば、アメリカの妖しいバーで男達が煙草をプカプカやりながら銃やカードでも弄っていそうな場所にいると思いつくだろう。


 勿論、その横には食い掛けのサンドイッチでも置いてあるのだ。

 しかし、此処は夢。

 その上、自分の傍には煙草を吸っているところを想像出来る人々はいない。


 となれば、此処は少なくとも知っている人間がいる場所とは程遠い、と考えられなくも無い。


 チラリと瞳を薄く開けると。

 滲む視界の中にブラインドの下ろされた窓が見えた。

 薄っすらと入ってくる陽光は既に紅に染まっている。

 数時間は経っているらしい。

 見渡してみると部屋は煉瓦が剥き出しで埃っぽい。

 廃屋でも使っているのか。

 隙間風が少し室内に流れ込んできていた。

 視線を横に向ければ、複数の椅子が麻雀でも出来そうな台を囲んでいた。

 予想通り。

 灰皿が台には置かれているらしく。

 煙草がゆっくりと煙を吐き出し、僅かな火の光を灯している。

 薄暗い室内にまだ香る酢の匂い。

 それの在り処を探ると。

 吐き気がしそうな代物が目に止まる。

 台の横に付けられたカートには……クリーム色の物体の入ったガラス製の容器があった。


 椅子に座る人影がその容器から台の上に置かれているのだろう大皿にヌチャァッと大きなスプーンでソレを取り分けて、小さなスプーンで口元に運んでいく。


「あ~それにしても団長もツレないよなぁ。あんな大物とドンパチするのに連れて行ってくれないなんて」


「つってもなぁ。邪魔が入ったらしいからな」

「邪魔?」

「ああ、オールイーストの馬車を公国の連中が守ってたらしい」

「マジでか?」

「ああ」


「あの場に行った奴らの話だと予定外の戦力がいたせいで目標の馬車は破壊出来ず。その上、こちらが負傷者多数。どうやらEEが先に手を回してたんじゃないかって話だ」


「首都から連中が出てくるなんて……此処は戦地じゃねぇんだぞ?」


「どうだか。案外、総統が本腰入れてきたんじゃねぇか? 若いEEに公国人の護衛。さすが国内酵母製造の最大手って帰ってきた連中皮肉ってたぞ。実際、汚ぇ金で雇ったんだろうなぁ」


「クソが、どうするよ? 今回の騒ぎは本腰入れる前の前哨戦。もう準備は終わってるってのに大物をれてねぇんじゃ、他のグループを巻き込む算段も……」


「それ以上は止めておけ。眠り姫のお目覚めだ」


 一応、それっぽく演技しておく。


 見知らぬ人間に連れて来られたとすれば、それはあのペロリストのKOMEとMUGIの粉を使ったテロに巻き込まれて後の事だろう。


 それに妙な湿っぽさが身体には残っている。


 オールイースト家に居候してからというもの、メイド長が自分で一針一針縫いましたと自慢げな肌着の感触もしない。


 その上で微妙に肌にざらつく衣服の感触。


 状況を纏めるなら、意識を失った後にペロリストが攻めてきたドサクサでフラムと百合音から引き離され、その事件を起こした当人達に確保されたと考えるのが妥当だ。


 相手からすれば、それなりに仕立ての良い服を着た少年が粉塗れで倒れていたという事になるだろう。


 テロと誘拐は切っても切れない因果だ。

 ゲリラだろうが過激派だろうが、そういう武装組織にとって一番のネックは常に懐事情。


 ならば、彼らが見掛け上裕福な人間を粉を洗い落としてわざわざアジトに持ってくるとすれば、それは身代金目的以外には考えられない。


「………?」


 まだボンヤリしたように見せ掛け、胡乱な瞳を相手に向ける。

 振り向いて見下ろしてくる顔は四十代が二人。

 どちらも透明なプラスチック製にも見える鎧のようなものを身体に着込んでいた。

 嘗て、フラムを初めて見た時にもそんな格好だった気もする。

 その透明なアーマーの下は共和国で一時的に着せられた事もある軍服と同じもの。

 テロを行うペロリストが軍服を着込んでいるという時点でもう嫌な予感しかしなかった。


「おう。坊ちゃん。オメェの勇気に敬意を表して、目隠しはしないでおいてやったんだ。目が覚めたなら、自分がどうなったのか分かってんな?」


「え、え?」


 一応、オロオロしておく。


「オイオイ。かわいそーだろ♪ こんなひ弱ちゃんにはもっとやさーしくしてやれよ。ははは」


 ゲラゲラ笑う貧相な髭面。

 その唇が酢の匂いをさせる乳白色のソレを口元に運んでグチャグチャと汚らしく咀嚼した。


「な、何、食べてるんですか?」


「アン? これかぁ~~? いーいところに気付いたな♪ こいつはKOME油とKOME酢と塩から造った……マヨネーズさぁああああああああああ!!!?」


 男が脅かそうとその三角形に切られたパンらしきものが入っているマヨネーズの沼から大きなスプーンで中身を掬ってベチャベチャと落下させた。


「う、うあぁあぁあああ(棒)」


 驚いた事にしておかないと後で面倒事になるだろう。

 それくらいは慣れているので怯えた声を出してみると男達はゲラゲラと笑い出した。


「くくく、こいつはマヨネーズのパン和えだ♪」


(うぁ……なんつーものを……マヨラーは早死にしそうってハッキリ分かんだね)


 内心でツッコミを入れつつ、身体に悪そうな食事にげんなりする。


 そもそもパンのマヨネーズ和えながら、まだ理解のしようもあるだろうが、マヨネーズのパン和えというのはおかしい。


 絶対におかしい。


 世の中にはマヨネーズを容器一つ分使う料理がロシア辺りにあるとも囁かれているが、主に可憐な妖精が自滅の道を歩む場合の特殊ケースと思っていた。


 カロリーをハーフにしても確実に寿命が縮みそうなソレは食べて死なない身体であるとしても、口にしたいとは思えない代物だ。


「ひひひ。坊ちゃん。どうしてパンと純KOMEのマヨネーズを一緒に取れてると思う?」

「え、ど、どどど、どうしてですか(棒)」

「そいつはなぁ!? このパンがKOMEパンだからだよおぉおおおおおお!!!」

「う、うぁああぁあぁああ(棒)」


 そろそろやり取りに飽きてきた+疲れてきたのだが、驚かない事には面倒(以下略)


「ぼ、僕をどうするつもりですか?!」


「くくくく、そうだなぁ。とりあえず、住所を教えてもらおうか? こちとらいつもカツカツなんだよ!! たっぷりと身代金を払ってもらうぜぇ」


 三下で雑魚にこの発言。

 これが映画なら真っ先に主人公の餌食だろう。

 しかし、夢は非情だ。


 非力なゲーマーは決して大人二人相手に敵わないし、銃弾を何やら確認しているらしき男達が銃を持っているのは確定的……逆らえる選択肢が無い。


 コンコン。


 そんな時だ。

 薄暗い部屋の先にある木製の扉が叩かれたのは。


『見張りの交代時間ですよ』


「さて、行くか。坊ちゃん下手な事すんなよ? 殺されたくなかったら黙って従ってる事だ。ま、今は住所も勘弁してやるよ。こっちは今忙しいからな。出るぞ」


「おおよ」


 男達が二人、銃弾の入ったらしき弾倉をしこたま皮製のバッグに入れて立ち上がり、声のしたドアを開けて、呼びに来た相手に軽く会釈してから歩き去っていく。


「……大丈夫ですか」


 疑問系には聞こえない。

 涼やかな声音。

 ローブを着せられて、縄で雑に縛られているものの。

 立ち上がる事は出来る。


 何とか体を起こして、ドアの先に向けると其処から奇妙なファンタジーなシスター衣装っぽいものを着る亜麻色の髪のベリーショートの少女がいた。


「………」


 ナッチー美少女や極悪美幼女よりは控えめな容姿。

 しかし、何よりも二人と比べてしまうのは表情だろうか。

 どちらも陶酔にしろ、演技にしろ、いつでも豊かな感情が伝わってくるのだ。

 人間が味の濃い料理を美味いとか不味いとか感じるのは刺激するものがあるから。

 人の感情が薄いという事は味が薄いのとほぼ同義。

 美味い不味い以前の問題として中身の把握が上手くいかない。

 判断材料が乏しくなってしまう。


「怯える必要は……サナリと申します。彼らの仲間ではありません」

「本当に?」

「……今まで演技していましたか?」

「ッ」


 思わず顔に出てしまった。

 それで僅かに少女の表情が動くのに気付く。

 微かな驚き。

 片眉が少し上がる程度の変化だ。


「あの死の粉塵の中を進んだはずのあなたが情けない悲鳴を上げるものだろうかと思った故の言葉です。もし逃げ出そうと思っているのならば、お止めなさい。この建物の周囲には彼らの仲間が溢れていますから」


「……分かりました」

「では、行きましょう」

「何処に?」

「付いてくれば分かります」


 そのまま、少女が扉の先。

 通路の奥へと歩き出す。

 それに付いていくかどうか考えてみたが、考えるまでもない。


 此処で一人取り残されたところでマヨネーズがたっぷり入った容器と一緒に放置されるのがオチだ。


 ならば、外に出られるかもしれない選択を選ぶのが妥当だろう。

 何とか縛られたまま歩き出すと。

 どうやら自分が二階にいるのだと分かった。

 廊下の突き当たりには下に急な階段があるらしく。

 すぐに追っていくと何も無い埃だらけの一階へと抜ける。

 すぐ傍の戸が開いていて、ゆっくり顔を覗かせると少女がこちらを見ていた。


「ああ……その縄では歩き難いですね。気付きませんでした」


 イソイソと傍に近寄ってくる姿は自分と同じくらいの背丈。

 妙に汗が浮かぶのは何処からか見られているような、視線を感じるからだろう。


 少し屈んで縄を解いた少女が再びこちらへ背を向けて煉瓦造りの街並みの奥へと歩いていく。


 どうせ逃げ出しても土地勘がまるで無い人間には脱出なんて不可能だ。

 仕方なく背中を追うと曲がりくねった迷路のような路地を何度も曲がる事となった。

 そして、どれだけ曲がったか数えるのが面倒になった頃。

 日が落ちた街の奥に教会を見付ける。

 現実ならば、普通に十字架が掛かっていそうであるが、空飛ぶ麺類教団とやらか。


 建物が密集して四方を取り囲まれた庭の如き場所にポツリ立つ建造物の門横には漢字で【正道純塩会せいどう・じゅんえんかい】との文字があった。


 僅か文字の内容を飲み込んで考えていると。

 扉の内側から招き入れるように少女がこちらを見ていた。


「どうぞ」

「………」


 入れば、出てこられない場所。

 とは見えないものの。

 得体の知れない教会に入るのはホラーゲーム的には戦闘開始か惨劇の合図だ。


 重要なアイテムが落ちているという事も考えられるが、全体的にボロい様子の建物全体を見ると不気味さの方が感情には訴え掛けてくる。


(こういう時は……ええい、ままよ……とでも言うべきなのかもな)


 流されまくっているとしても、今は流される以外に無いとの理性に従って教会の扉を潜る事にした。


 まだ、周囲の建物には明かりが点る様子もまるで見えなかった。

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