第19話「粉塵の中で」

 旧塩砂騎士団領。

 人口323万人。

 主要産業は塩の内陸国との貿易。

 その成り立ちは古く。

 二千年前程に遡ると言う。

 当時、地域を治めていた国家が戦争で財政破綻した折。


 旧来から封建制度を敷いていた為に地域の中核人材層であった騎士達が自らの国家を求めて、旧来の文官貴族達を排撃して官僚制を廃止。


 その後、数世紀の間に国土を拡張して周辺国を併合。

 それから千数百年の間は変わらぬ騎士達の統治が続いた軍事国家だった、らしい。


 二十年程前に当時イケイケドンドンな拡張政策を取っていた今のパン共和国との衝突で武力併合され、現在は経済分野のみに自治が与えられた地域との事。


 その最大の特徴は大地の白さだと言う。

 それは塩砂と呼ばれる広大な面積の塩の海。

 無限にも見える程の白き世界が現地に近付くと現れる。


 確かに白い大地が見えるようになってからというもの、周辺には草木が見えなくなっていた。


 沿岸部の都市沿いと内陸部の都市の狭間にある大塩海は直径で数百kmにも及ぶとか。


 水が乏しい地域としても知られ、過去には水1リットルと塩1kgが同レートで交換されていたとされ、主な輸入の品目は水が一番、小麦が二番。


 そんな人々の住まう家は煉瓦造りで中世の南欧を思わせるような街並みはとても明るかった。


「………ふむ」


 馬車が高速に乗って時速90kmで走る非常識な様子にも慣れて二日目。

 途中、四頭立ての大型に乗り換えてから一日。

 ようやく辿り着いた世界は地平の果てまで続く白い砂漠と赤煉瓦の街並み。

 コントラストも美しい優美な景色だった。


 内陸部の砂漠地帯には複数の石畳を敷いたルートが存在し、沿岸部までの道が続いている。


 主要な地場産業が塩の輸出である為か。

 昼間は人気が少ない街には女子供ばかり。


 男達は遠方の海のど真ん中で地下から混じりものの無い純度の高い塩を掘り出して、近くにある内陸部の工場へ運ぶ仕事をしているのだと言う。


「あの化け物へぶち込む塩が豊富だったのは助かったが、塩がこんなにあったからなのか……」


 外の真夏日和な様子に手で顔を仰ぎながら呟く。

 するとフフンと何やら対面から偉そうなドヤ顔が耀いた。


「そうとも!! この大塩海がある限り!! 我が国の国庫には余裕がある!! ごはん公国との戦争もこの地域の優秀な軍人材があればこそ可能なのだ!! まずは必要な小国を吸収し、大物を叩く。二十年前の総統閣下のお考えは今この時代を動かしているのだ!!」


「ソウデスネー」


「く!? 何故、棒読みなんだ!? 貴様も少しは共和国に馴染んできたかと思えば!!? やはり、あのやたら毎日来る野蛮人の女に入れ知恵されて?! どうやら貴様の教育をやり直さねばならぬらしいな!?」


「いつ教育されたんだよ……」


 ツッコミもそこそこに横目でチラリとフラムを見る。

 その顔は常よりも不機嫌そうではあるが、旅の初日に比べれば、随分とマシになった。

 現在乗る大型馬車は客室の他にも背後の調理室兼控え室、二階の寝室に分かれる。

 狭いものの上等なクッションが積まれた寝室は寝心地が良く。


 オールイースト家のメイド長が馬車の外で野営している事を負い目に感じなければ、随分と快適な寝床だった。


 問題はその寝室が一つしかなかった事であるが、幼い頃から面倒を見てくれているらしいリュティさんに逆らう事の出来ない性格なフラムは渋々と同室を許可。


 左と右に分かれて。

 いつかと同じように反対側の窓を其々に向いて眠る事となった。

 律儀というか。


 どんな状況下でもその場に合わせて寝るように躾けられたフラムは絶対見るなよという何処かの芸人の鑑みたいな念の押しようで夜は衣服を脱いで肌着で就寝。


 その衣擦れの音がリアル過ぎて寝るのには少し苦労した。


 朝、寝惚けて着替え中に起きたらゴリッと愛用の白いガバメントっぽい拳銃を後頭部に突き付けられたのも今となれば良い思い出だ。


 今日は別荘に泊まれるとの話。

 明日になったら現地の庁舎に向かうらしい。

 少しだけ青少年としては残念かもしれないが、背に腹は代えられない。

 命とお色気では命の方が重いのは言うまでもない事だろう。

 結局、どんな肌着を着けているのか。

 まるで知る機会も無かったが、それはそれで良い気がした。

 見せてくれるのと見てしまうのでは百倍違う。

 また、見たいのと見たくないのは両天秤だ。

 当たるも八卦。

 当たらぬも八卦。

 自然体が一番である。


『……し……の~』


「ん?」


『縁殿~』


「?!」


「あ、ようやく追い付いたでござるよ。縁殿♪」


 馬車の外。

 馬に乗った長い黒髪の美幼女がニコリとした。

 瞬間、開閉式の窓の外にヌッと拳銃が突き出される。

 キュラキュラと手回し式の窓が全開にされて、凍えるフラムの瞳が併走する相手。

 ごはん公国、野蛮人の国の女。

 その歳にして大人達を一手に仕切る邪悪な笑みの幼女。

 羅丈百合音に向けられた。


「貴様、我が馬車に併走するとは撃つぞ?」


 その瞳は限りなく本気だ。

 前にあったゴタゴタで一歩間違えばフラムは銃弾で死んでいた。

 その上、馬車を転がされて酷い目にもあったのだ。

 デジャブというだけではない怨みの篭った視線はかなり冷たい。


「そんなにカリカリしておるとせっかくの肌着が泣くでござるよ?」


 ブッと思わず噴出しそうになったフラムの顔がワナワナと戦慄していた。


「どうして貴様が知っている?!!? 答えろッッ!?」


「どうしてって、羅丈にそんな事を聞く方が野暮でござるよ。我が国の諜報網は完璧。それなりにそれなりのところからそれなりの情報を集めたり集めなかったり出来るのは共和国の軍でも知られた事だと思うが?」


「くッ?! 他国の人間をたらし込みおって!! その身体で何人誑かした?!!」


「そんな事しないでござるよ♪ 仮にも我が姓は羅丈。この身体を使うなら確実に我が国にとって大きな利益となる人物が目標となる。勿論、縁殿は圏内でそれがしのストライクゾーンであるからして、いつでももよおしたら呼ぶでござるよ ふふ……」


「ぬぐぐぐ?! エニシ!!? 我が家や私の目があるところで!! いや、何処だろうとも!! その女に何かしたら、貴様の身体がどうなるか!! よく考えるんだな!!」


「言われなくても考えてます」


 自分でも半眼になるのが分かる。

 公国での一件では知らない内に身体に何かされたのは確実。

 邪悪な笑みの幼女の魔の手で本気な感じに貞操を奪われそうになったのだ。


 脳機能に影響を及ぼすような薬が使われていたのも事実であり、その妖しげな笑みの先にはたぶん……快楽はあっても破滅がセットで付いてくるだろう。


「それで何の用だ!! 私は忙しい!!」


「ふむ。貴国とこの地域の塩の流通網を確認しに来ただけだ。勿論、縁殿としっぽりする為でもある♪ ああ、ちなみにフラム殿にはこれっぽっちも用事は無いが、一緒でないと身動きが取れぬ。故に追い掛けて来たのでござるよ♪」


「貴国とこの地域、ではない。此処はパン共和国だ」


 ギロリと肝心な部分を言い直した忠実な軍人に笑みを返して。


 ヒョイッと馬から跳躍した小さな身体がトスンと屋根に着地し、その外側からでも開けられる天窓を開いてスルスル寝台まで入り込み……ササッと下の客室へと降りてきた。


「何を勝手に入り込んでいる?!」

「コレをどうぞ♪」

「む?! まさか!?」


 フラムが白い外套の内側にある羽織のような制服内部から取り出された一枚の書類。

 何やら印鑑の押された正式なものを覗き込んで、拳をプルプルと震わせる。


「さ、縁殿~某とイチャイチャするでござるよ♪ 初心で童貞な縁殿もこんなにかわゆい女子おなごに好かれて悪い気はしまい?」


 隣に座って片腕を自分の胸に抱いた百合音がほんのり邪悪な頬の染まった笑みを浮かべる。


「悪い気はしないが、その誘いに乗ったら地獄行き確実だろ」


「地獄? ああ、やっぱり縁殿は面白い。んふふ♪ では、その気になるまでかわゆい妹にベタベタされているとでも思って我慢するとよい。勿論、好きなだけ立ててよいと申しておこう」


「うぐぐぐ?! ベ、ベアトリックス様の書類さえ無ければ!! 貴様など蜂の巣にしてくれると言うのに!!」


 どうやら上司からの命令がその書類には書き込まれているらしい。


「ちなみに何処とは言わないがお触り禁止だ。オレの精神衛生的な面で」


 何とかそう言ってみたが、まるで効果も無く。


「では、程々にこの旅を満喫しよう」

「ちなみにあの馬、いいのか?」

「ああ、あのモドキは自分で主の下に帰るようにしておいた故、心配ござらんよ」


 確かに今まで併走していた馬が走る速度を落とすと何処へやら勝手に消えていく。


 これからどうなる事やらと余裕の表情でニヤニヤとする幼女と狂犬のように今にも飛び掛ってきそうなナッチー美少女の狭間で悩んでいると。


 突如として絶叫が外から響いてきた。


『ペ、ペロリストだぁあああああああ!!? うぁあああああ!? KOMEの細粒だぞおおおおおおおお!!! 官憲に!! 官憲に連絡してくれぇえええええええええ!!!』


 ゆったり街中を走る馬車の前方から白い粉塵が吹き上がり、馬が急激に御者から止められて嘶いた。

 それと同時にゴリッと愛銃をフラムが百合音の額に押し付ける。


「おい!? いきなりか!!? このペロリスト!?」


「まぁ、待つでござるよ。何もペロリストは我が国だけではござらん。それにフラム殿とて知っておろう? 此処が一体どういう所なのか?」


「チッ?!  そういう事か!! 貴様の目的は?!」


「ちょっとした調べものに来ただけでござるよ。あちらが盛んに我が国のルートを秘密裏に襲撃してくるのでな。出来れば、排除したいと思っておった。ま、あの恐ろしい上司殿と利害が一致したと思ってくれて構わないでござるよ」


 二人の間に何やら火花が散って、颯爽とフラムが馬車から降りて白い粉が立ち込める一角へと走り出していく。


「おい!? お前が行く事は―――」

「我が国の民だ!! 旅行者の貴様には関係無くとも、私には関係ある!!」


 その声に一瞬躊躇するかと思ったが、自分でも思わぬ程に早く体が動いた。

 馬車から飛び降りて、すぐに追う。

 すると何やらピッタリ後ろに同じような速度で走ってくる足音が一つ。


「付いて行くでござるよ」

「旅行で目的地に着いた初っ端から死人を見たくはないんだが、手伝ってくれるか?」

「貸しという事で」

「ああ、それでもいいさ」


 ニヤリと邪悪な笑みが目の前を通り抜けて先へと向かう。

 その速度は明らかに幼女のソレではない。

 超人。

 そう呼んでも構わないだろう。


 今まで調べたところによれば、ごはん公国の兵士は極めて高い身体能力を持つ者ばかりらしい。


 そんな連中を監査する羅丈という組織の重要人物ともなれば、幼かろうが邪悪だろうが強いのは間違いない。


 それは前回の化け物の一件からも分かっていた事だ。

 それにしても100m七秒を切りそうな速度は理不尽と言う以外に無い。

 すぐに自分よりも先行していたフラムを追い越して、白い粉塵の中に姿が消えていく。

 そして、すぐに遠巻きに集まっていた人々の方へ人が放り投げられてくる。


 驚いた人々の大半はソレを避けようとしたが、フラムが歯を食い縛って、その投げられた真っ白な人々を身体を張って受け止め、即座にその服を脱がせていく。


「おい!! 誰でもいい!! とっとと水を持ってこい!! 後で軍が一括で支払う!! 早くしろ!! 死人が出る前に!!?」


 フラムの大声にワラワラと人々が周辺の家々に水を取りに戻り、一分せずに大量の甕が持って来られ、並べられていく。


 服を脱がされた老若男女に次々フラムの指示で水が掛けられ、口にも水が注がれると容赦ない美少女の拳が腹に打ち込まれて、誰も彼もが吐瀉しては青白い顔で人々に救出されていく。


 布に包まれた人々はガクガクと身体を震わせており、今にも死にそうな青白い顔で全身には蕁麻疹が出ていた。


 現代風に言えば、アレルギーのショック症状というやつにも見える。

 その合間にも走って消えていった百合音がバッと煙の中から出てきた。


 そして、何kgあるかも分からない水甕の一つを片手で持ち上げ、バシャバシャと頭部を漱ぎ流して、ブルブルと子犬のように水気を払う。


「縁殿。どうやら全員は無理そうでござる」

「何?! 今ので全員じゃなかったのか?!」


「耐性者の事を考えてか。MUGIが三割程混じっておって、これ以上は某も危ない。ただ、後はこの先にある小さな肉屋の二階に一人だけ。悪いが、此処は諦め―――」


「行ってくる。後、そいつらの容態とか見ておいてくれ」


 超人が無理となると凡人の出番。

 死人が出たら寝覚めが悪い。

 少し収まりつつある煙の中に走り込む。

 煙くはあったが、前が見えない程でもない。

 すぐに目的の肉屋とやらは見つかった。

 そのまま店内に入って階段を探し、真上に靴のまま上がり込む。

 すると風が吹き込む二階には女の子が一人倒れていた。

 まだ百合音よりも幼い青いワンピース姿。


 顔まで青白く浅い吐息を吐いているのを見付けて、身に纏っている上着を脱いで、頭の上から被せ覆う。


 そのまま両手で肩に抱えて元来た道を全力で戻った。

 精々が一分弱だろうか。

 粉塵の途切れた空間では水甕を持った人々が待機していた。

 そのまま少女を肩から下ろす。


 するとフラムが今までと同じように服を全て脱がせて水をぶっかけさせ、口に水を流し込んでから腹部を掌で強く圧迫して胃の内容物を吐瀉させた。


 少女は他の大人達よりも念入りに周囲の大人達から洗われ、胃を空っぽにされてから布で包まれて駆けつけて来たらしい官憲の後ろにいた病院関係者らしい白衣の男女に連れて行かれる。


「むぅ。やはり、その耐性は羨ましい。それと本当に縁殿はお人よしでござるな~」


 顔と頭を水でバシャバシャと念入りに洗っていた百合音が水気を手で落としながら、こちらを見ていた。


「お人よしじゃない。人命救助だ。普通だろ」

「普通、ペロリストの行為からは逃げるものでござるよ」


「フン。エニシは当然の事をしたまでだ。何故なら我が家で養ってやっているのだからな!! これくらいはして当然だろう!! 一応、褒めてやるぞ?」


「ア~ハイハイ」


「何だ?! 褒めてやってるのにその態度は?! くッ?! 家に帰ったらリュティに初等教育のフルコースを用意させるからな!?」


 久しぶりに全力で走ったせいで息切れしているところに遠くから『おひいさま~』との声が聞こえてくる。


 近くの家の壁に凭れ掛かると大型の馬車がゆっくりとやってくるところだった。

 いきなりの運動に身体が驚いたせいか。

 熱くなった身体は火照ったまま、意識がゆっくりと落ちていく。

 その時、途切れかけた明滅する世界の中。


『我々は【夜明けのマヨネーズ戦線】!!! 我々はパン共和国に反旗を翻―――』


 空には何者かの声が響いていた。

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