第9話「ペロリストにご用心」

 馬車が走り出して十五分。


 未だ果ての見えない都市部はどうやら商店が立ち並ぶ一角まで進んでいるようだった。


 道端に塵一つ落ちていないところを見ると公衆衛生観念は根付いているようなのだが、奇妙な程に買出しの人込みは多い。


 よくよく見てみると何処も彼処も食料品店ばかり。


 活気のある店舗には日本語で問屋との文字が書かれており、その癖どうしてか内装は純洋風だったり、モダンだったりという具合にちゃんぽんな様子だ。


「ここら辺は食品ばかりなんだな」

「何だ? 何か食べたいとか言い出す気か?」


 フラムに面倒そうに訊ねられて苦笑が零れる。


「朝飯食ってまだ三十分経ってないんだが……」


「ならば、余計な発言はするな。用意するこっちの身にもなってみろ。幾ら軍預かりで融通が利くとはいえ、業者とて人だ。余計な危険を冒させるわけにはいかない」


「危険物でも扱ってるのか?」


 夢の業者は一律にふぐでも捌いているのだろうかと脳裏に思い浮かべてみるが、何かしっくり来ない。


「はぁ?」


『何を言っているんだコイツ……』という顔をされて、黙る事にする。


「まったく、自分の主食を確保しなければ、生きていけない苦労も知らないボンボンだったのか。それとも単に恐ろしくモノを知らないのか……貴様の頭の中はまったく分からん」


「主食はまぁ、大事だが生きていけるだろ。とりあえず、食卓にごはんさえあれば文句を言わないのが日本人の美徳だ」


「貴様、昨日から思っていたが、KOMEくらい簡単に手に入るとか思っているのか?」

「?」


「昨日は軍の業者から納品が事前にあったから良かったものの。普通なら、ご禁制のKOMEはファースト・ブレッドでは流通が少なく、早々手に入らない希少品だ」


「そうなのか?」


「……はぁ、少なくとも“あんなもの”は公国の倉庫でも襲わない限り、大量の入手は不可能だ」


「共和国では作ってないのか?」

「そんなものを作ってる暇があったら、MUGIを植えるに決まっているだろう!!」

「あ、はい。ソウデスネー」

「何だ!! その棒読みは!!」

「ナンナンデショウネー」

「く、舐めると痛い目を見るぞ」


 何やらヒートアップしてきたフラムが悔しそうに拳を握っていた。


 そんな時だ。


 馬車しか走っていない車道に突如として破砕音と共に硝子の破片が飛び散り、馬が驚いた様子で興奮し始めた。


 御者が落ち付かせている間にも怒鳴り声は聞こえ始める。


『だ、誰かぁあああ!! KOMEがッ!!! KOMEが奪われたぞおおおおおお!! ペ、ペロリストだぁあああ!!!』


 その瞬間、周囲で買い物をしていた人々の顔が引き攣り、刹那の間をおいて恐慌状態に陥っ―――。


「静まれ!!」


 一発の銃声が響く。

 見れば、ゴツイ拳銃。

 白銀のガバメントにも似たオートマチックらしいソレを空に向けてフラムが撃っていた。

 馬車の窓が未だに余韻で震えている。


「レギオン・ガーブス!! 近衛師団直属EEだ!! この場は私が預かった!! 全ての民間人は秩序だって、この場から早歩きで半径600m圏内から退避しろ!! いいか?! 絶対に走るな!! また、大声を出す事も禁じる!! この中で状況を見ていた者はこちらに来い!! 今此処で聴取する!!」


 一瞬で場が沈静化し、暴動になるのは防がれたようだ。

 硝子の割れた屋内型の商店内部から早足に男達がやってくる。

 それと同時に洋装和装問わず。

 民間人が震え上がった様子で潮が引くように迅速な避難で何処へともなく消えていった。


「EEのお方でしょうか!! わ、わたくし、その店で店主をしているハインリッヒェルト・オールドマンと言います!!」


 男達の先頭に立つのは六十代前半くらいだろう少し小太りの柔和な顔の男だった。

 洋装の上に白く長い業務用エプロン姿の彼が顔を怯えさせながら状況を話し出す。


「まずは近くの駐在所に人を行かせて官憲を呼んで来るように指示しろ。近衛の特殊作戦群がもう動いているはずだ。すぐに事情聴取にやってくると思うから、彼らに洗いざらい話せ。いいな?」


「は、はい!!」

「それで奪われたKOMEは何kgだ?」

「そ、それが……」

「どうした? 何か後ろめたい事でもあるのか?」


「い、いえ、我々サラダボウル・ダイニングは厳然としたご禁制取り扱い許可を受けた店舗なのですが、先月分の取引が無かったKOMEの処分を三日程遅れて行っていた最中に問屋からの納入があり、同時に4……40kg以上の在庫が偶然発生してしまい」


「チッ」

「ひぃぃい?!」


 フラムの舌打ちに名乗った店主とその後ろの従業員達がビビッた様子でガクガク震え始めた。


「40だと……地下反抗組織に供給されれば、どうなるか。成人の男なら一日600gもあれば十分。10人分で一日6kg、切り詰めれば確実に8日以上は活動出来る。そうでなくても、もし……それがバラ撒かれれば……分かっているだろうな?」


「ひぎぃぃい?!! わ、わわわわ、分かっております!!?」


 ギロリとフラムの瞳に睨まれて、失禁しそうな勢いで平謝りする男達が涙目となった。


「認可の取り消しは最低条件だ。営業権の取り消しは考えておけ。さぁ、そろそろ来たぞ。ゆっくりと聞いてもらうんだな」


「は、はぃぃぃ……」


 男達が背後からやってきたカーキ色の軍服と紺色の警察らしい制服の男達の群れに走り出していく。


 その中から一人の軍服姿の男がやってくると。

 すぐに待っていろと言い置いてフラムが外に出た。

 そうして、数分後。

 戻ってきた彼女が溜息を吐いて、御者に出せと言って馬車が走り出す


「良かったのか? 仕事だったんじゃ……」


「ふん。治安維持は官憲、警務省の管轄だ。軍も協力するが、基本的に出るのはよっぽど火力が必要とされる時か。“後片付け”の時だけだからな」


 真面目な話。

 フラムが初めて軍人らしく見えたのだが、それは黙っておく。


「それにしてもテロリストじゃないのか?」

「貴様、何を言っている? テロリストとは何だ? 新手のペロリストか」

「ペロ……ペロリストが何か聞いていいか?」


「……貴様の頭にも分かり易く言うと敵性国家の主食を使って悪事を働く反政府組織の人員。要は凶悪な犯罪者の事だ」


「何でペロリストなんて呼ばれてるんだ?」


「また、訳の分からない事を。連中がペロリと食材を盗み平らげ、それを持って凶悪犯罪を多数犯しているからに決まっているだろう」


「結局、日本語なのかよ……」


 もはや、何が常識から外れているのかまるで分からない。

 じゃあ、下のリストは言語的に何を意味するのか。

 なんてのは面倒過ぎて訊く気も失せる。


「奴らの根は深い。軍高官を狙ったMUGI偽装事件や軍人が多く使用するというだけで一般の飲食店にKOMEの細粉を使った時限式噴霧装置を仕掛けるなど、国際的にも悪名高い。ごはん公国は正式に彼らを非難しているが、上辺だけだ。後ろで手を引いているのは奴らなのだから」


 何やら夢の国にも夢の国なりの苦労があるらしい。


「一つ訊いていいか?」

「何だ?」


 カタコトと揺れる馬車の中。

 やっぱり、夢だと思える程に酔う事もなく。

 今までの疑問を総合して口にする。


「KOMEって食うと死ぬのか?」

「………はぁ」


 それは深い深い溜息だった。


「パン公国の民がKOMEを食って死ぬかだと? まったく、答えるのも馬鹿らしい!!」

「ま、まぁ、そうだな……」

「死ぬに決まっているだろうッッ!!!」

「え?」


 怒髪店を突く勢いでその目が怒っていた。


「貴様は人間を何だと思っているんだ!? そもそも自分が高耐性者だからと言って、その言い草はなんだ?! 自分はKOMEもMUGIも食えるから関係無いとでも言うのか!? 貴様のような恐ろしい耐性を持っていても、何かには必ず反応があるはずだ!! 貴様のような傲慢な輩がいるから!! 世界中で非炭水化物系の主食しか食せない弱小民族が我々の崇高な考えに拒否反応を示す!! 彼らを統合し、大陸の民を生み出す為にこそ総統閣下は立ち上がったというのに……まったく、嘆かわしい!!」


 何やら理想と現実のギャップにイライラした様子で。

 厳しい顔となるフラムがギラッとこちらを睨み付けてくる。


「いいか? これだけは覚えておけ!! 我々パン共和国はKOMEとごはん公国を滅ぼし、必ずや全主食統合人類を生み出す!! それこそが総統閣下の掲げられる全食生存権主義!! いつか結実する彼らは即ち!! 我々と我が民となるべき人々の子孫!! 平和と繁栄の先にある約束された未来なのだ!!」


 何やら情熱に完全燃焼しそうな勢いで語り始めた美少女の目は本気と書いてマジだ。

 一体、何を言ってるのか分からねぇと思うが、とか。

 お薬増やしておきますね~とか。

 何処の平行世界の話だよ、とか。

 夢に今更イチャモンを付けても始まらない。

 それと今まで出会ってきた人々の驚き様に何となく納得がいった。

 要は食べたら死ぬものをひょいひょい口にしていたので畏れられていた、らしい。

 何とも言えない心地。

 喜んでいいのか。

 それとも夢の癖にシリアスだと呆れるべきなのか。

 今までのチグハグな常識の擦れ違いが本気でシリアスだったという事実こそが恐ろしい。


「ちなみにパン共和国の人間がKOMEを食うと具体的にどうなるんだ?」


「全身に蕁麻疹が発生して、痙攣を起こし、前後不覚に陥りながら、呼吸困難を併発して、内臓器官がショック症状を起こし、停止……要するに多臓器不全で死ぬ」


「……そこまで詳しくなくて良かったんだが」


「いいか? 貴様が何なのかは知らんがな……自分の食えるものが多い事を鼻に掛けるな……それは人として最低の人間がする事だ。いいな?」


 恐ろしくはない。


 もう情熱の炎は消え去った様子で静かに瞳を見つめてくるフラムの視線は何処か諭すようだった。


「分かった……気を付ける」

「ならば、良し。そろそろ首都の郊外に出る。高速が5分もすれば見えてくるぞ」

「高速?」

「ああ、我々の世界最先端の土木建築技術だけが成しえる物流の大動脈だ」

「へぇ……」


 御者台に声が掛かると今まで走っていたアスファルト製の道路の先。

 何やら巨大な鉄橋が見えてきていた。

 それは往来する道幅が15m程もあるだろう完全舗装の道らしく。

 その上を何やら馬車が高速で奔っている。

 そう、奔っていると形容するべきだろう。

 動物が何かを引きながら出す速度を遥かに超えているとしか思えない。

 馬車が正しく車道を奔る自動車の如く擦れ違っていた。


「馬ってこんなに速く走れたんだな……」


 夢の中だから、奇妙な世界である事なんて百も承知のはずだった。


 が、それにしても時速80km以上の速度で馬車が行き交う様子なんてもの……かなりシュールだ。


 これなら馬の形をした機械だと言われた方が納得出来る。

 高速に乗る為の坂道をスイスイと車体が奔っていく。

 二頭立てなのだが、馬は巨大な荷台を引いているにも関らず疲れた様子もない。


「貴様の故郷では知らないが……普通、馬は単体で時速180kmくらい出るものだろう。馬車なら二頭居れば、90kmくらいか」


「それ、もう馬じゃないんじゃないかな……」


「おかしな事を言う奴め……此処からはベルトを締めるのだ。今、こちらでやってやるから黙って座っていろ」


 何やら座席の上付近をカチャカチャやり始めたフラムの顔が思わぬ程に近く寄ってくる。


「―――」


 そうして近付いてみれば、思想と本人の性格はともかく。

 限りなく最上位に近い美少女ぶりが窺える。

 白い外套姿はある意味でフラムの容姿を強調しているようですらある。


(やっぱ、美少女なんだよなぁ。基本……)


 世の中には美人なんて三日で飽きるとの格言もあるが、それはすっぱい葡萄よろしく。

 手が届かない故の僻みだ。

 金持ちの性格が悪い。

 なんて話と然して変わりはしない。


 健全なる青少年であるところの自分でもこう思うのだから、周りの人間はそれこそお姫様扱いして育てていただろう。


 思想や性格の傾向はともかく。

 人の事を思いやる姿は見ているし、それなりに人間味がある。


 だから、僅かにコクリと喉がなっても仕方ないと自分に言い訳するのだが、何か疚しい事をしているような後ろめたさがある。


「む、このベルト少し緩んで……整備部隊に懲罰が必要だな。まったく!!」


 何やら不備を見つけてお怒りのようだが、ベルトがゆっくりと引き出され―――。

 乾いた音と共にその身体が横へ吹き飛んだ。


『お、当たったでござるか』


「フ、フラ……ム?」


 血は……出ていない。

 まだ、見えない。

 しかし、傷を確認しようとするよりも先に扉が外側から剥ぎ取られた。

 それが後方に弾け飛んで内部に影が突入してくる。


「おお~~これがEEに盗られたやつでござるか~」

「な?! お前、何なんだ!?」


 入ってきたのは身長130cm程の相手。

 幼い声を無邪気に上げる長い黒髪の……幼女だった。

 フラムに負けず劣らず美しい。

 いや、可愛いと言うべきか。

 純日本人、和風の佇まいなのだが、それは大人しい幼子ではなく。

 どちらかと言えば、歴戦の武人や無頼漢のような気配を漂わせていた。


 日本人形のような精緻な貌と華奢な球体ドールにも見える小ささとは裏腹にその足音は重い。


 鋭い目元。

 笑っていない瞳。

 ある種、軍人としてのフラムに近い。


 だが、それよりも幾分か凄惨さと皮肉げな口元が明らかに中身は子供ではないと背筋に汗を浮かべさせる。


「さ、来るでござるよ。お主は我々ごはん公国のモノなれば」

「ッ」

「そんな反抗的な目付きをしてると、この馬車を砕いてしまうが、良いのか?」


 綺麗な笑顔で言われて、血の気が引いた。


「……いいだろう。だが、もうこの馬車の人間を攻撃するな」

「いいでござろう。世の中、水心在れば魚心と申す。この手錠を」


 黒い外套。

 稲穂が金糸で刺繍されたソレの中から白い制服が見えた。


 手に握られているのは成人男性の手を難なく封じられるだろう鋼の分厚い手錠で鎖が付いている。


 それにデジャブを感じて、夢に初めて来た時の感触が蘇った。


「それは?!」

「さ、早く」

「……ああ」


 自分で手を差し出す。

 すると、ガチャリと鉄の重く冷たい感触が手首を圧迫した。


「く……これからどうするつもりだ? こんな場所からどうやって逃げ出すんだ? それに此処はパン共和国の領土内なんだろ?」


「それは秘密でござる。ふふ、もしもお主が生きて領土を出られたら、その時は可愛がってやるでござるよ? 骨董品」


「骨董、品?」

「さ、まずはこの馬モドキを……ジャックするでござる♪」

「うわ?!」


 鎖が勢いよく引っ張られ。

 その瞬間、走り続けていた馬車の外。

 高速の外壁に激突しそうになった。

 完全に馬車内から投げ出されて、背筋から一斉に汗が噴出す。


 しかし、その伸び切った手錠の鎖がクイッと軽く引っ張られ、もう御者台に乗り込んでいたごはん公国の幼女の下に一瞬で引き寄せられ、首根っこを掴まれた。


「あらよっと」


 幼いとはまったく思えない。

 強力ごうりきな様子を見せて。


 ピエロよろしく跳躍した彼女が一頭の馬に飛び乗り、馬車を繋いでいた太い綱を全て片手の小刀で切り裂いた。


 一瞬で離れ、バランスを崩した馬車が背後で横転するのが見える。


「フラム!?」


 御者は……最初から事切れていたのが投げ出される瞬間の首筋からの血で分かった。


 しかし、それを見続ける事も出来なかった。


 小刀を懐に戻した小さな手が首筋に万力のような力を込めて、指先が血管を押さえ付けたからだ。


 スゥッと意識がゆっくり遠のいていく。


「ペロリストも疲れるものよ。ふぅ」


 夢の中だろうと少しは仲良くなれそうな相手がいたのだ。

 それが理不尽に殺されていいはずがない。

 そう、はずはない。


「この……外道、め……」


「これはおかしな事を。パン共和国、あの馬鹿げた夢想家に付き従う哀れな木偶人形達のやってきた事に比べれば、まだまだ。そもEE相手に手加減なんて論外でござるよ。あの容姿、百人帳に乗っておったぞ。確か……狙撃部隊上がり。EEへ名を連ねるまでに23人程我が軍の部隊長を討ち取ったつわもの。まぁ、要は戦争が終わったら、死刑か英雄になってる類の化け物でござ―――」


 何かが鎖の上で火花を散らして弾けた。


「……ふむ。上に跳弾してたら危なかったでござるな。覚えておこう。フラム・オールイーストとやら」


「?!」


 最後に明滅する意識の中。


【エニシ……待っていろ……】


 微かに、銃声が何発も聞こえたような気がした。

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