第10話「食虫花」

 夢の中で夢を見るというのも変な話だ。

 だが、確かに夢だと理解出来る。

 何故なら、其処は病院の寝台だった。

 ぼやける世界。

 滲む視界。

 元に戻らない感覚。

 そう、やはり夢なのだ。

 母親と父親が話している。

 涙を零しているのは母親で。

 唇を噛んでいるのは父親か。


 目も耳も定かには何も捕らえないのに言葉だけが頭の中に途切れがちに流れ込んできた。


【あ……悪……!! この……名……に眩……が!!】

【……賞だぞ!! それ……の……為……しだった!!】


 口論しているのか。

 あるいは慰め合っているのか。

 各国を飛び回る研究職。

 分野も違う二人が出会った理由は料理教室だったとも聞く。


 でも、母には食べられないものがあって、父は自分の研究で食べられるようにするよなんて……そんなプロポーズをしたのだと、子供の頃に言っていた。


【この……は……必ず……わ!!】

【だが……なんて……能なのか!!?】


「かあさん……とうさん……」


【あ……!!?】

【……シ!!】

「けんかは……みっともない……よ」

【……ね……の……りだわ】

【……ああ………よ…】


 眠気が襲ってくる。

 夢の中の夢で夢を見たら、今度は何の夢を見るのか。

 分かりもしない。

 でも、それでも、もう一度、夢は見なければならないような気がした。


【これ……わ。も……きない……子の……しの……究で……】

【……類の……りに……そ……も……や……わ……は……】

「おやすみ……」

【……るわ……を……せは……】

【……は……ろ………面…る】


 少しだけ頭の横がひんやりとする。

 何かを付けられているような感覚。

 それでも枕は温かく。

 良い夢が見られそうだった。


――――――?


 目が覚めると妙に下腹部がもどかしい。

 薄っすらと目を開く。

 ズズン。


「………」


 思わず脳裏で擬音が出てしまう程度には覗き込まれている。

 あどけない首を傾げたかんばせ

 朱を塗った唇が歪に笑みを浮かべて。


「目覚められたか。寝心地は如何かな? 捕虜殿」

「?!」


 起き上がろうとして手首が重いかと思えば、そんな事もなく。

 バッと背を起こしたら、真横にサッと移動した黒い外套の美幼女がいた。


「おお? 中々に元気なようで。良かったでござるよ♪」

「此処は……何処だ?」


 部屋の内装は如何にも和室だった。


 少し黄ばんだ障子、灯された短い蝋燭、ささくれが目立つ畳、黒光りする傷だらけの箪笥、灰の燃える囲炉裏と天井から吊るされている古びれた鍋。


 様式美である。


「おめでとう。此処はごはん公国でござるよ。捕虜殿」


「………一応、捕虜扱いされてるのか? 最初に出会った時は乱雑な扱いで死体にされそうだと思ったのは気のせいか?」


「いや、気のせいではござらんよ。あの後、捕虜殿を連れて三日三晩の逃避行。いや~さすがのそれがしも死ぬかと思ったでござるよ」


「よくオレ無事だったな」


 染み染み言った。

 身体のあちこちが何やら擦り傷や打撲だらけでズキズキと痛み出した事からの本音だ。


「それはほれ。あのフラムなんちゃらが手を回してくれたんであろう。最後に振り返ったら、物凄く未練がましい視線をくれていて、アレはさすがに怖かった。女の執念、侮り難し」


「それで……ごはん公国はどうしてオレを連れてきたんだ?」


「ふむふむ? 自覚無しと。ま、上の連中から言われてやってるだけでござるから、某も然して知りもうさん。精々、お主があの城砦から発掘された骨董品である事。そして、そなたが我々の探していた骨董品の中でも一番価値がありそうな骨董品である事。知っているのはそれくらいでござろうか」


「骨董品、発掘……ミイラかよ」


 さすがに夢の中の自分はどっかの砂の国の映画よろしく黄金の棺に入ってました、なんて事は無いと信じたい。


「みいら?」

「こっちの話だ」


「ま、後数時間は養生すると良い。奴らが山越えして追ってくるとしても手勢は少数精鋭。発見される事は早々無かろう。首都まで行くのにあの馬モドキを使えば、二日掛からんだろうし、の」


 ニコニコしているというよりは何か邪悪な笑みに見えるのは偏見なのか。


 とにかく物騒、危険、邪悪、の三拍子が揃っているのはフラムと然して変わらないが、とっつき易さは比べ物にならないだろう。


 幾ら親しげに話しかけてくるとしても、信頼は出来なさそうな類の相手に感じられた。


「……そう言えば、三日三晩寝てたのかオレ?」

「それはもうぐぅぐぅと高鼾たかいびき。いや、いびきは掻いておらんかったか」

「そうか……」


「ああ、ちなみに下の世話もしておいたから、某と捕虜殿はあっちの関係も卑猥な感じにアウトでござるよ?」


「ぶっ?!」


 思わず口元を押さえた。


「下の世話って……」


 背筋を慄かせながら尋ねると答えはサラッと返ってくる。


「この歳で男のおしめを換える事になるとは……もうお嫁にいけないでござそうろう♪ しくしく」


「すげぇ、殴りたい……」


 美幼女と言うより、邪悪な道化師に弄ばれているような感覚。


「ふふ、捕虜殿は面白いお人だ。世の中にはこんなに幼く可憐な某の肢体を弄びたい一部偏った趣味の輩もいると言うのに。そんな相手からすれば、そなたは歯軋りして羨まれる事必至の状況でござろう」


「自分で言うんだソレ……」

「こういうのは自分で言ったもの勝ち。己の価値とはその手で掴むものであるからして」

「そういう前向きな事を言っても、心象は今も最悪だがな」

「ふふ、立派なものを持っている割に後ろ向き思考。お主、童貞でござるな?」

「ッッ?!!?」


 美幼女からの童貞呼ばわり。

 赤くなればいいのか。

 青くなればいいのか。

 まったく、悪意満載の笑みがニタリとした。


「可愛がってやると言った事、嘘ではござらん。お主の身体はもう隅から隅まで把握済み。何処が一番敏感で何処が一番具合が良いのか。知らぬ事など何も無い!!」


 力説されて。

 絶望的な感覚が押し寄せてくる。


「知らない内に知らない人間に何か猛烈に邪悪な事をされた?!」


「そんな、邪悪とか失敬でござろう。これでも優しく優しく握って、優しく優しく扱いて、優しく優しく撫でて確かめたんでござるよ?」


「もう聞きたくないんだが……」


「んふふ。お主のような見るからに奥手で女のおの字も知らぬ者など、某に掛かれば、稚児ちご禿かむろ同然よ♪」


 完全にあそばれている感があった。

 幼女の癖に邪悪過ぎる。

 男の天敵みたいな性格は確実にフラムとは正反対だ。


 今にして思えば、あのナッチーな思想に染まり切ってる少女も、ちゃんと話が分かる相手だったのだ。


 だが、今現在、目の前にいるソレは……明らかに人を虚仮にして楽しむタイプの一番信用とは程遠い相手に見える。


「……我らごはん公国は領土こそ大きいが、内実は天然の要害と優秀な精鋭を揃える事であの木偶人形共に対抗しておる。奴らは技術と知略、我らは血と団結、これを持って争っておる。この意味が分かるか?」


「まったく分からない……」


「つまり、血とは文字通り、優秀な家柄の事でもあるが、何よりもせい。我らが謀略を図るとすれば、それは男女のしがらみなのでござるよ」


「……何か、今……貞操の危機が迫ってるような発言を聞いた気がする」

「それ以外の何に聞こえたのか聞いてよいでござろうか?」


「「………」」


 チラリと見ると妖艶な明るいはしばみ色の瞳がキラリと耀いていた。

 シュルンと呆気なく黒い外套が落ちる。

 すると、内部の制服。

 何処か和服の襦袢を思わせるポケット付きの羽織が目に入った。

 しかし、それもすぐにシュルリと落ちる。


「―――」


 上半身が一瞬で露になった。

 露骨に頬を染めて。

 妖しい笑みで。

 その上、恥じらいを見せるかのように上目遣いで。

 薄い唇がクスクスと声を零す。

 まだ、桜色の膨らみも然程ではない。

 抜けるような白さとは違う。

 温かみのある温い乳白色。

 瑞々しい肌には傷一つ無く。

 僅かに小首を傾げるとサラサラ髪が音を立て、剥き出しのうなじが曲線を描いた。

 細い腕。

 薄っすらと鎖骨から見えるライン。

 あれでどうやれば、あんな万力のような力が出せるのか分からない程に薄く。


 その見てはいけないようにも思える裸体は周りにフワリと広がった外套や衣装も相まって、花びらの中心とも、生花の主役とも感じられる。


 どう考えても食虫花。

 しかし、理性が間延びする時間の中で解けていく。


 それがようやく囲炉裏の中から香ってくる紫色の煙だと理解しようとして……指がそっと細い手に持たれて、首筋を撫で上げ、唇に触れさせられた。


 それに少しだけ身を震わせて、芳しい毒の華が囁く。


「お主は……初めてか? 実は某も……初めてでござるよ 」

「ッ」


「……だから、二度と某無しには眠れなくなるように……骨董品に枯れぬ華を生けて……割れるまでずっとずっと愛でて……我が身を快楽に焼べながら愉しもう……どうでござるか? 捕虜殿♪」


 囁きが何時の間にか耳朶の近くでする。

 思考が胡乱になっていく。


(前頭葉がまずい……な)


 基本、催眠誘導の類は、額の下の脳の活動を低下させるところから始まる。

 眠っている最中に何かされたのは確実。

 薬物か。

 あるいは後催眠でも掛けられていたら、アウトだ。

 薬学は父親の専門で昔からよく聞かされた知識の一つ。

 この世で三つ許せない類の薬があるとよく父は言っていた。


 一つ目は人を殺すしか出来ない劇物。

 二つ目は人の精神を壊す麻薬。

 三つ目は人の判断を狂わす薬物。


「………花は生けるんじゃなく。野花がいい……それが……手に入らなくても……オレは……」


「―――この量を焚かれてよくまだ……お主……いや、そなた……やはり、面白い……んふふ、終わったら薬は抜いておくでござる……その代わり、これからは某の―――」


 閃光が、視界を埋め尽くした。


「ッッ」


 何かの留め金がバチバチと嵌る音。

 一瞬で傍らの温もりが消え。


『エエエエエニィイイイイイイイイイシイイイイイイイ!!!!』


 誰かが障子戸を突き破って転がり込んでくる。

 そして、再びの閃光と銃声と僅かな呟き。


『そなたの名は?』


 目が眩む中、押し倒されながら、耳元へ直接に声が囁く。


「縁……【佳重縁かしげ・えにし】だ」


『では、縁殿……今宵は面白かった。また、二人で善からぬ事をしよう……某の名は【羅丈百合音らじょう・ゆりね】……ごはん公国統合幕僚本部直衛、羅丈の第六席。次に会う時まではその女に慰めてもらうといいでござるよ。では』


 ザッと押し倒され、しばらく、そうしていた。

 鼓動が速い。

 さすがに銃声に身体が驚いている。

 そもそも打撲や擦り傷も痛い。

 薬の影響か。

 未だに意識がハッキリしない。


「……痛いんだが」


「我慢しろ。此処は敵陣だ。あのレベルの手練を相手に的となる趣味はない。この宿に本隊が到着するまでもう少し。その後はさっさとこんな野蛮人の国から出るぞ」


「オレは野蛮人じゃなかったのか?」


「馬鹿。貴様を守るのは誰の仕事だと思っている。ベアトリックス様が即座に戦力を出してくれていなかったら、今頃お前は奴らの首都で延々とハニートラップに引っ掛かっ―――」


「?」

「エ、エエ、エニシ……ッ、き、貴様どういうつもりだ?!」

「??」

「こ、この助けに来た私にた、対して?! な、何故、ソソソ、ソコを固くしているッ?!!」

「?!」


 頬を赤くしながら。

 顔を怒らせてプルプル震える美少女は少しだけ涙目だった。


 まずい。

 しまった。

 どうしよう。


 過ぎった言葉は数在れど。

 何も上手い言い訳は思い付かなかった。

 だから。


「………もう、お婿に行けない」

「こっちの台詞だ?!! この野蛮人の色情魔め!!!」


 頬の衝撃に意識が遠のいていく。


 まともに寝かせて欲しいと心の何処かで思いつつも少しだけホッとしていた事は秘密にしよう。


 例え、どんな夢だとしても、自分の夢でくらい、男らしくありたかった。


 少なからず。


 良かったと銃声の中で呟いてくれた人の前では……。

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