第2話 あやかし
ゆっくりとした時間を楽しんでいた時、その使者は現れた。
「この
「ここに妖の類が潜んでいるの?」
素っ頓狂な声を出したのは、この温明殿の主である、尚侍その人である。
万物には
その手の話は身近にないようでいて身近なもので、
人は見えないものに畏怖を感じるものだと思う。
尚侍に仕える女房は、深窓の姫君とまでいかないにしろ、それなりの下級貴族の姫や、豪族の娘たちが多い。
いきなり舞い込んだ、見えざる“お客様”の話に、気絶までする者はいないが、青ざめる者はいる中、尚侍は天井を見上げると、悠然と
「それはいつからですの?」
「いつからと申しますか……ここ数年、でしょうか」
御簾の向こうでは、妖について
「数年……ということは、かなり以前ね。私たちに何か悪さをされたということもないわねぇ。
古くは
いうなれば、妖、物の怪の玄人……陰陽師のいる部署が陰陽寮である。
「悪しきものではないが、異質なものではあるという事でした」
それを聞いた尚侍が、パチリと扇を閉じ
「では、捨ておいてよろしいでしょう。この温明殿で病に倒れるものが続出したり、誰かを驚かせたのであればともかく、潜んでいるものを突いて暴れてもらっても困るわ」
「しかし、尚侍はどう判断されましょう?」
その言葉に尚侍は目を丸くし、女房たちは虚を突かれたような顔になった。
尚侍の役割は今上の御言葉を臣下にお伝えする職務の長。と表向きなっているが、その役目が
そもそも数多の女御がいる今上が夜のお渡りになることもなく、尚侍本人も寵を急ぐということもなく、政治的な嫉妬からも離れ、いたって平和に過ごしているが、尚侍が
内裏に
幾重にも立てかけられた几帳の後ろに尚侍は座していて、近くにいる女房に耳打ちしてから、その女房が使者に尚侍の言葉を伝える……それが普通。
ただ、中宮や女御と呼ばれる姫君たちよりも少しだけ突飛なこの姫君は、そういった時代的に奇異な行動に出るために、尚侍としてこの後宮にいるのである。
「……どうしようか。左近」
助けを求められて微笑んだ。
「と、尚侍もおっしゃられておりますと語尾におつけなさいませ」
今更かもしれないが、ないよりはマシだろう。
「そう、尚侍もおっしゃられております!」
ちょっとやけくそ気味にそう言った尚侍の言葉に、使者はしぶしぶと言った
彼を見送り、女房たちがホッと息をつく。
「尚侍。話しかけてはなりませんと、あれほど申し上げておりますのに」
キッと尚侍を見たのは、彼女の
「しょうがないでしょう? 思わず声を上げてしまったのだもの」
しょんぼりとしているのは尚侍。身体の弱かった母について行き、田舎で育ったという尚侍は、まだ18歳の姫君である。
いつになったらちゃんと“常識”をわきまえるのか。それは私にもわからない。
「でも、妖ですって。私、まだ見たことがないので楽しみだわ」
「……楽しみ……ですか?」
思わず瞠目して尚侍を見ると、彼女は何のてらいもなく頷いた。
「ええ。楽しみよ。害はないのでしょう? それなら是非、見てみたいわぁ」
目をキラキラと輝かせながら嬉しそうに微笑む尚侍に、まわりの女房たちが毒気を抜かれたような顔をする。
どこまでも突飛で、そしてどこまでも前向きで、明るい尚侍はとてもかわいい。
妖かぁ……それ、私だと思いますって言ったら、きっと笑われそうな気がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます