番外編④
「では皆。オレが留守の間を頼むぞ」
そう言い残し、アテルイは愛用の金棒すら持たずに
アテルイは腕を縛られ、馬に乗せられて京まで旅をした。手綱を取らない旅を、楽だがつまらぬと評して田村麻呂の笑いを誘った。そしてまた、田村麻呂が気に入った敵将を、此度の征討軍の将である
田村麻呂は、アテルイに都の話をした。どんな人々が住んで、どんな暮らしを送っているのか。奥州の山奥で暮らしていたアテルイには想像もつかないような話の連続で、彼は喜んで聞いた。
アテルイは、田村麻呂に山の話をした。蝦夷の人々がどのように畑を耕し、獣を狩っているのか。閉ざされた一族に伝えられる数々の技に、田村麻呂は驚嘆した。
二人はすっかり息を合わせた。
アテルイよりも田村麻呂の方が、年にして十よりも上であったが、まるで関係ない。むしろ田村麻呂は、都にいる息子たちを思い出すといって笑みを深めた。若造扱いされたアテルイは不満の色を見せたが、田村麻呂は「私の息子より、ずっと素晴らしい武人だ」と褒めて笑った。
田村麻呂一行が京を目指している間に、残された蝦夷の人々は
しかし、一部の人々はアテルイの話を聞いても納得できず、恭順することを良しとしなかった。彼らは自らの村に残った。朝廷軍も指揮官を待たず攻め入ることはできないため、膠着がなお続いている。指示を仰ぐべく、田村麻呂たちに遅れて、使者が馬を走らせていた。
アテルイは遥か遠い故郷で起こっていることも知らず、とうとう京の都へ足を踏み入れた。弟麻呂と田村麻呂は、長年朝廷に背き続けてきた蝦夷をついに下したとして、人々から称賛されて迎えられた。そして人々は、アテルイに石を投げた。人々は田村麻呂が止めるのも聞かず、アテルイもまた背を伸ばしてそれを受けた。
都の人々は、アテルイを殺せと口を揃えた。
田村麻呂が胸を痛める一方で、アテルイはまったくの無表情で遠くを見据えている。投げられる石に、浴びせられる罵倒に、一切動じていない。そこでようやく田村麻呂は、この若者が死を覚悟して京の地へやってきたのだと理解した。
「……すまない」
「何の話だ」
都の人を追い払って人気がなくなると、田村麻呂は謝罪を口にした。アテルイは小さく笑みを浮かべてとぼける。
「オレの首は、もはやお前に預けている。……それよりも、我が一族をくれぐれも頼む」
「ああ――ああ、必ずや」
田村麻呂が深く頷くと、アテルイは歯を見せて笑った。嬉しそうな、恥ずかしそうな笑みは、一族の長として浮かべるものではなく、一人の若者として浮かべるに相応しいものだった。
田村麻呂が唯一見た、アテルイの顔である。
沙汰が下された。
大和朝廷に軍を向けた蝦夷の指導者である
功労者である坂上田村麻呂の陳情は一切聞き届けられなかった。沙汰を下した貴族らに再度不服申し立てしようとした田村麻呂だが、大伴弟麻呂に止められた。
アテルイに覚悟があることは、田村麻呂にもわかっている。しかし、それでも、己の力を認めて信じてくれた男のために、何かしたかった。粛々と受け入れるアテルイの姿を見ていられなかった。
だが、征夷大将軍に任ぜられたとはいえ、田村麻呂はただの役人であり、武人である。朝廷を治める貴族らに働きかけられるわけもなく、処刑当日を迎えた。
罪人は罪の重さによって、異なる刑罰を受ける。しかし当然のことながら、朝廷へ反逆した一族の長であるアテルイは最も罪が重く、死罪を命じられた。
市井の人々が押し寄せる中、アテルイは柵の中で白い首を晒していた。元々着ていた物は焼き払われ、与えられた着物は大柄なアテルイには少し小さい。長い髪は片側に寄せられて、俯いた顔を隠している。
常ならば、貴族たちが処刑に参じることはない。しかしさらし首になるといっても、反逆者であるアテルイが死ぬ瞬間を見なければ安心できないのか、わざわざ車を出して来た。
喧騒の中、アテルイは口を引き結んでいる。思い出されるのは、収穫の宴の賑やかな村の様子だ。あまり宴に顔を見せないアテルイも、一年の実りに感謝する夜ばかりは必ず座を囲んだ。酒を飲み、歌を歌い、娘たちは踊った。あの楽しいひと時が、今も頭の中に響いている。
「
「――我が罪、我が命をもって償うこと、確かに」
役人の言葉にアテルイが答えると、人々が口々に罵倒を浴びせる。役人が懸命に人々を押しとどめる中、人をかき分けて進む影があった。人波にもまれながら柵に取りついた人影は、身動ぎ一つしないアテルイに声を張り上げた。
「
「……田村麻呂か」
僅かに顔を上げたアテルイは、表情を和らげた。しかしすぐに役人に頭を押さえられ、無理矢理下を向かされる。
「坂上殿。蝦夷征討の命が下っているはずの貴方が、何故ここにおられる。まさか、貴方まで朝廷に楯突こうと言うのではありませんな?」
「私はまだ、此度の征討を受けたわけではない!」
「……どういうことだ?」
役人の言葉を聞いたアテルイが、下を向いたまま呟く。指一本動かさなかった彼が、その身をわなわなと震わせている。
「我が一族は朝廷に恭順し、胆沢の城に受け入れられたはずだ……何故、田村麻呂がもう一度征討に行かねばならん」
アテルイの声は、喉の奥から絞り出すように低く、小さい。人々の声にかき消されて、側にいる役人以外には聞こえていない。
「未だ朝廷に従わぬ者もいる。長である
「話が違うぞッ」
「其方の話など我々には知らぬところ。さあ、もう良いであろう」
「良いわけがあるか! ふざけるな!」
にわかに大きな声を出して、役人の手を逃れようと身をよじり始めたアテルイの姿に、人々は思わず静かになる。何人もの役人がアテルイの大きな体を取り押さえる。
「離せ! オレは一人たりとて、一族を手にかけることは許してないぞ!
三人がかりでもアテルイを押さえきることが出来ず、人々を留めていた役人たちも加わって、六人がかりでようやく動きを封じた。しっかりと体を押さえられたアテルイは、首から上だけを動かして必死に抵抗している。貴族たちの乗っている車を、射殺さんばかりに睨みつける。
「これが大和か! 己らが国を治めるというのか!」
「そうだ。蝦夷はもはや人に非ず、鬼である。国を治める我々が、人に仇なす鬼を征伐して何が悪い?」
「鬼、だと……?」
「――――やれ」
一人がアテルイの頭を押さえた。乱れた髪が首にかかる。
「己――恨む、恨むぞ、大和の人間共よ! 己らが我ら一族を鬼と呼ぶのなら、望み通り鬼になってやる。そして己らの首、一人残らず落としてくれるッ」
怨嗟の言葉。膝に落ちる滴。やりきれない想いが胸中に渦巻く。大和。鬼。頭の奥が熱い。目眩がする。喉を焼くような咆哮が漏れ出した。
「
アテルイの叫びで人々が静まり返る中、田村麻呂の声が耳に届き、彼は僅かに顔を上げた。
「
田村麻呂は泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにしていた。柵を折らんばかりに握り締め、ただ真っ直ぐにアテルイを見据える。彼に向けて振り下ろされる刀からも、決して目をそらすまいと息をのみ見つめている。
アテルイは、強く目を瞑った。涙が頬を滑り落ちる。
そして再び目を開いた瞬間、ごとりと首が落ちた。青い目に清涼さはなく、ただ虚ろに天を仰いでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます