番外編③
「
すがるように、田村麻呂はアテルイの名を呼び、立ち上がった。
「
側にいた男は何も言わず、預かった田村麻呂の剣を渡した。縄を解かれて戸惑いながらも受け取ると、その横をアテルイが通り過ぎる。
「オレは
「
「単身乗り込んでくるくらいだ。腕には自信があるんだろ?」
金棒を軽く振って、同朋達を追い払う。十分な広さを確保すると、アテルイは金棒を肩に担ぎ直して振り返った。口元には獲物を見つけた獣のような笑みを浮かべているが、田村麻呂を見据える青い目は長として、一族の命運を背負った真摯さを湛えている。
「……ふう」
田村麻呂は溜息を吐くと、アテルイの誘いに応じた。
二人を取り囲んで円陣を作る蝦夷の人々に見守られる中、田村麻呂は剣を構え、アテルイは金棒を構えた。
互いに真剣な目をして、隙を伺っている。武人としての力量は、ひと目見て分かった。容易くかかれる相手ではないことを、当人だけが知っている。
「――うむ」
先に動いたのはアテルイだった。笑みを浮かべたまま頷くと、大きな金棒を担いだまま一気に迫ってくる。田村麻呂が横に転がって避けると、叩きつけられた金棒が地面を抉る。そのまま地面を引きずりながら追ってくる金棒から、田村麻呂は走って逃げる。限られた範囲で、しかし素早く駆ける姿にアテルイは目を細めた。
アテルイの得物が重い金棒と言っても、彼にとっては慣れた相棒であり、まるで動きの鈍さを感じさせない。アテルイの素早さは、田村麻呂の予想以上だった。
しかし単純な速さだけでいえば、田村麻呂の方が上。それまで手をかけることもなかった腰の刀にようやく手を伸ばしたかと思うと、次の瞬間には切っ先がアテルイの頬をかすめていた。
「ちっ」
田村麻呂が舌打ちをして、すぐさま距離を取る。彼は首を狙ったつもりだったが、アテルイにうまく
「
「……出られるものかよ。戦は大将が獲られれば終いだ。万に一つもオレが動けなくなれば、民は
「ならば猶のこと、其方が選ぶべきは一つだ!」
「わかってるさ!」
間合いをはかりながら、緊迫した様子の二人が言葉を交わす。
アテルイも一人の武人だ。故に初めてこの地を訪れた時は、蝦夷一族の信頼を得るため、自ら命を懸けて戦場に飛び込んでいた。いつからか一族の長として祭り上げられるようになり、自ら戦へ出ることは少なくなった。それだけ一族が力をつけたということでもあるし、アテルイが容易に死ねないと悟ったためでもある。
血は騒ぐ。けれどそれ以上に、アテルイは己を抑えてでも人々の命と暮らしをその身に背負っていくことを選んだのだ。
「わかっている――だからこそ! 我が一族、我が首を預けるに相応しい剛の者でなければ、オレは頷く訳にはいかんのだ」
アテルイはそう言って、大きく振りかぶった金棒で襲い掛かる。田村麻呂は攻撃を避けると、すぐに切っ先を突き付けて牽制する。
人々が息をのむ。自然と握り締めた拳に力がこもる。
「……
「
田村麻呂が怪訝そうに聞き返したが、アテルイは薄く笑みを浮かべたまま答えない。
肩に金棒を担ぐと、腰を低く落として構えた。
「このままではキリがない。次で終いだ」
アテルイの言葉で、緊張に包まれる。
万が一にも、アテルイが負けるはずはない。人々はそう信じている。しかし、田村麻呂の付けた傷は確かにアテルイの頬に刻まれている。自分と家族。祖先眠る土地。そのすべてが、今、アテルイの双肩にかかっているのだ。すべてを背負っているアテルイは勿論のこと、受け止める田村麻呂も、一際気合が入る。
「――――ハッ!」
やはり先に動いたのはアテルイだった。強く蹴った地面は、体重で少し抉れている。
しかし直後、田村麻呂も地面を蹴っていた。鞘に納めた刀の柄に手をかけ、恐れることなく向かってくる。アテルイは一瞬目を開いたが、すぐに口の端を上げた。
一筋の光が田村麻呂の太刀筋を残す。人々がそれを見た時は既に、刀は鞘に収まっていた。息をのんでアテルイを見る。彼の握っていた金棒は、どっしりと地面に突き刺さっている。互いの腕さえ届く距離で、それは膝をついた田村麻呂の眼前だ。
「……いやはや。参った。やはり其方には幾ら私の策を弄したとて意味が無いようだ。私の首を取れ。さすれば、大伴殿も軍を引こう」
頬を緩めた田村麻呂は、剣を置いて両手を上げた。見守っていた蝦夷の人々が歓声をあげる。
しかしアテルイは、駆け寄ってこようとする人々を手で制した。そして地面から金棒を引き抜くと、肩に担いでしゃがみ込んだ。田村麻呂と視線を合わせると、にっと笑う。
「良かろう。オレたちの首、お前に預ける」
「ま……、真か!?」
「応」
驚きに目を瞬く田村麻呂に、アテルイははっきりと頷く。
「ま、待てよ、アテルイ!」
「そうだ! アンタの勝ちだろ? どうして頷くんだ」
人々は慌てた様子で言葉をかける。田村麻呂の心中にも、彼らと同じ疑問が渦巻いていた。
アテルイはわざと攻撃を外した。常人ならば持ち上げることも困難な重さの金棒であれば、田村麻呂の頭や手足を潰すことは容易だ。しかし彼は田村麻呂に傷一つ付けていない。圧倒的な力の差がある故の余裕だ。それは田村麻呂にも、人々にもわかっている。
しかし、アテルイは笑みを崩さない。
「お前らには見えなかっただろうが――
生成り色の羽織を脱ぐと、そのまま帯を解いて着物も脱いだ。鍛え上げられた肉体を露わにすると、肩口から腹にかけて殴りつけたような赤い跡が残っている。血こそ流れていないが、後で腫れあがるだろうことは容易に想像できた。
「お前とオレならば、勿論オレの方が強い。だが、このオレに一太刀あびせ……なおかつ己の首をかけて敵陣に乗り込んでくるその度胸、オレは好きだぞ」
「
田村麻呂の刀を拾うと、そのまま当人に押し付ける。田村麻呂が戸惑いながらも受け取ると、アテルイは満足げに立ち上がった。
「坂上――田村麻呂と言ったな。オレはお前を信じたい。オレの首はどうなっても良いが、我が愛しき一族を、我が愛するこの大地を、オレの代わりに守ってくれるか?」
ひたりと見据える青い目は、空よりも冴えわたり、海よりもなお深い色で、田村麻呂に注がれていた。息が詰まるほどの真剣な眼差しに、田村麻呂の背筋が伸びる。
「きっと契りを果たそう。其方等の命も、土地も其方等のものだ。……
田村麻呂の真摯な言葉に、アテルイは表情を和らげた。人々も口をつぐみ、もはやそれ以上何か言うことはない。
アテルイが手を差し出すと、田村麻呂も手を伸ばす。しっかり握りあうと、田村麻呂が立ち上がる。田村麻呂は固い
「すまんが、皆と話がしたい。暫し場を離れてくれるか?」
「ええ」
田村麻呂から目を離すことに人々は不安を覚えたようだが、それ以上にアテルイと話をすることを選んだようだ。
田村麻呂は深々と頭を下げると、颯爽と場を離れた。
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