第三章⑦
「理解できんな。貴様も、
「ええ、そうです。アサキさんだから、私はここに立っています」
カタブキは苛々した口調を隠さず麻里奈に問うたが、麻里奈は毅然とした態度で臆さず返した。声は少しだけ震えている。しかし、大きく広げた腕を下げる気配はない。
「下がれ麻里奈!」
「嫌です」
「麻里奈!」
アサキが強い口調で止めるが、麻里奈はアサキの言葉を是とすることはない。
「わかっておるのか!? お主が其処に居っても出来る事はないのだ! 頼むから下がってくれ……!」
「動くなよ、小娘。貴様が動けばアサキを殺す」
「カタブキッ」
アサキが遠回しに身を案じても麻里奈は頷かず、カタブキは眉間のしわを少し緩めて口の端を上げた。上機嫌に麻里奈へ向けられたカタブキの言葉に、アサキは唸った。
「心配しなくても、私は動きません。アサキさんは死なせませんから」
「フン。健気なことだ」
麻里奈の強い言葉を、カタブキは鼻で笑った。わずかだが、カタブキの激昂も収まってきたようだ。切っ先を麻里奈に向けたまま、カタブキはちらりとアサキを見やる。
両手をつき、体に鞭打って起き上がろうとするアサキは、血を流しすぎたせいかよろけて倒れた。それでも荒い呼吸を繰り返しながら、何度でも立ち上がろうと試みる。
「無理をするな、アサキ。無様に
カタブキが喉の奥で笑う。しかし麻里奈が唾をのむと同時に、カタブキは再び眉をひそめた。
「――くだらん茶番だ」
カタブキの目が細く光った。
麻里奈の後ろで、アサキが震える足を叱咤しつつ立ち上がろうとしている。
「アサキ。貴様はその小娘が、人間であろうがなかろうが関係ないと言ったな」
「? ああ、そうだ」
話を蒸し返すカタブキに、アサキは怪訝そうな顔で答える。その返答に、カタブキは愉快気に言った。
「傑作だな、アサキ」
「何を言って……ぐ、ゥ」
立ち上がったアサキはカタブキに食いつこうとして、先程殴るように斬り付けられた脇腹を押さえて呻いた。それまで一度もアサキを見なかった麻里奈が、心配そうに眉尻を下げて振り返る。
「アサキさん、まだ無理は……」
「平気だ。……麻里奈、下がれ」
「でも……、」
血の付いた手を拭って、アサキは強く麻里奈の肩を抱く。麻里奈はアサキとカタブキを交互に見やった。
「大丈夫だ。ありがとう」
腕に力を込めると、アサキは微笑んだ。弱弱しく覇気のない笑みだったが、不安に昂っていた麻里奈を落ち着かせるには十分だった。
麻里奈が逡巡した目を伏せたのを見計らって、アサキはそのまま麻里奈の体を後ろへ追いやった。荒い呼吸につられて、アサキの大きな体も揺れている。
「クク……」
カタブキが声をあげて笑うと、アサキはきっと睨みつける。カタブキはその視線を流して笑い続けた。遠くの木々が風にざわめく。
「小娘が人間か否かは関係なくとも…………
「――――え?」
「なん、と?」
麻里奈とアサキが驚きに目を見開くと、カタブキは二人を見て満足そうに笑みを浮かべた。
「小娘。貴様、名を田村と言ったな」
「まさか――田村麻呂、か。……だが、人の名など幾らでもある。麻里奈が真に田村麻呂の子孫であるかなど、わかるものか」
「だから貴様は愚か者だと言うのだ」
「何だと!」
絶句する麻里奈を横目に見ながら、アサキはカタブキの言葉に噛みついた。アサキは牽制するように突き付けられた切っ先に嫌な顔を浮かべたが、無闇に踏み込むことなく続きを待つ。
「貴様のような愚図とは違うのだ。確かに調べたさ。……小娘。貴様、祖先は仙台の方だろう」
「え、ええ……」
「麻里奈の故郷が奥州だからと言って、田村麻呂の子孫とは限らんだろう」
「話を急くな」
アサキはカタブキの話を遮りたいようだったが、カタブキは悠然とした態度で刀を突き付けている。
麻里奈が見つめるアサキの背中は、もはや染めるところが残っていないほどに赤い。麻里奈はカタブキの話も気になったが、やはりそれ以上にアサキの身が心配だった。
気をもむ麻里奈の様子に満足し、カタブキは続ける。
「坂上田村麻呂の系譜は、今やほとんど消息不明だ。だが、人間共の記録に残っていてな。……群雄割拠の時代に下ると、田村家は当時有力だった戦国大名へ娘を嫁がせた。それにより強い結びつきを得て戦乱の世を生き抜くと、その後も人間共の戦火をくぐり抜けて子孫を残し――今に至る、というわけだ」
覚えは無いか、とカタブキが麻里奈に訊ねる。
アサキは険しい表情でカタブキをひと睨みすると、僅かに視線をずらして意識を背後に向けた。
「父方の実家は確かに仙台ですし、元々は武家だったとも聞いてますけど……でも、坂上田村麻呂の子孫だなんて、聞いたことありません」
「ならば聞かされていないだけだろう」
麻里奈は疑わし気な口調で言ったが、カタブキは淡白に言い放った。カタブキの調べたということを信用できるかはわからないが、麻里奈の父の実家が厳格な武家であったことは、麻里奈自身が知っている。それに、話を聞いて思い出したことがあった。
「そういえば、聞いたことがあります。うちは昔、伊達政宗へ娘を嫁に出したって……」
「あの独眼竜に!? 本当か、麻里奈!」
「た、たぶん……おじいちゃんが言ってましたから」
驚いて詰め寄るアサキに、麻里奈は頷いた。
「アサキさん、伊達政宗のこと知ってるんですか?」
「名前くらいはな。あの頃はまだ、オレも奥州の山に居ったのだ」
そういうと、アサキはすぐに麻里奈へ背を向けてカタブキと対峙した。
カタブキの話。麻里奈の話。それぞれが繋がって、いよいよ信憑性を帯びてくる。アサキはいまだに半信半疑だったが、心の奥には認めざるを得ない気持ちと葛藤が生まれていた。
「確かに貴様は、小娘が人間であろうがなかろうが、構わないのだろう。だが惹かれるその感情が、小娘当人へのものでなく、坂上の血へのものだとしたら? 貴様は所詮――過去を繰り返しているにすぎないのだ」
アサキは押し黙っている。背中を向けられている麻里奈には、アサキが何を思っているのか、表情からうかがい知ることは出来ない。言葉がなければ、ますますアサキの様子を知る手立てはなくなる。
――過去を繰り返している。
カタブキの言葉は、重く、深く、アサキを抉った。
跳ねのけること自体は簡単だ。だが、カタブキの言う通り、アサキが麻里奈を見つけ、心を惹かれた理由が万に一つも、田村麻呂の血を引いているからであったなら。麻里奈の笑顔も、優しさも、全てがアサキの中に眠る過去を掘り起こしているのなら。到底、戯言だと一蹴できるものではなかった。
「わかったか、アサキ。所詮、鬼と人間は相容れぬ物だ。それに……かつて貴様を殺した坂上の血を引く者だ。共に居れば、いつかまた、貴様を害する日が来るだろう」
カタブキの赤い目が、獰猛な獣のように光る。アサキの体を透かしているかのように、視線は真っ直ぐ麻里奈へ向けられている。
「……そうだな。オレの考えが甘かったようだ」
アサキは俯いたまま言った。麻里奈が息をのんで、一歩後ずさる。カタブキが笑みを浮かべると、アサキが再び口を開く。
「もはや貴様を西へは帰さん。オレがこの手で葬ってくれる」
「……何?」
カタブキの表情が固まる。
「麻里奈が田村麻呂の血を引いている? 構わぬよ。オレが田村麻呂の血に惹かれていると言うのなら、それで麻里奈に出会えたのだ。むしろ有り難いくらいだな」
「アサキ、貴様……ッ」
「それと一つ言っておく。
「莫迦な……」
アサキは、青い目に確固たる決意を込めてカタブキを見据えていた。カタブキは、笑みを消して呆然と呟く。
そして絶句するカタブキに、アサキは畳みかけた。
「――オレは覚悟を持って、麻里奈を愛する」
カタブキはただ、アサキを見ていた。その向こうの空は、明るく白み始めていた。
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