第三章③
「タタキさん、ほんとにお頭んとこに行っていいんですかね?」
「手を出さなきゃいいだろう」
「でも、留守を頼むって言われやしたぜ」
「俺達のとこに来た奴らは片付けたんだ。問題ない」
草をかき分けて足早に進むタタキを追う配下の鬼は、心配そうな口調だった。しかしタタキはその懸念をばっさりと切り捨てると、それ以上の無駄口は不要とばかりにさらに足を速める。
時折、アサキに投げ飛ばされたと思しき、西の鬼が倒れていた。その辺りは草も木もなぎ倒されていて、アサキの足取りをわかりやすく教えてくれる。
「……まだ夜は明けないか」
月の居座っている空を見上げて、タタキは呟く。しかしその傾きは明らかに低くなっており、空の色も深い闇色から藍色に変わり始めている。刻一刻と、時は過ぎていた。
「トラヌケ」
歩みを止めずに、タタキは後ろについてきているトラヌケを呼んだ。
トラヌケは勿論、タタキたちもアサキの言葉を忘れたわけではないが、今回の情報を持ってきた当人だけに、置いてくることはできなかった。
トラヌケはすぐに隣へ並ぶ。
「何よ」
「お前が接触したのは、カタブキ一人か? 他に配下は見ていないのか」
「見てないわ。聞いてもいない」
「そうか」
「いつの間にこんなに西の鬼を引き入れたのかしら……」
「俺が気になっているのもそこだ」
タタキたちを襲撃した鬼の数も相当だったが、アサキの道をふさいでいた鬼の数も負けじと多い。もちろん西の鬼のすべてではないだろうが、ならば一層、東へ攻め込むのには戦力不足と言える。千年以上の均衡を保ってきた領分へ仕掛けるには、互いの全精力をもってするのが当然である。カタブキの性格からして、トラヌケを利用した奇襲を仕掛けることは不思議ではない。だが、奇襲が成功した以上、カタブキはアサキが動揺している隙を徹底的に叩くはずであり、そのための手段は選ばないはずだ。
「何を考えている、カタブキ――」
思惑があることは間違いなかった。そしてタタキが気付いている以上、アサキも当然気が付いているはずだった。しかし彼は、タタキがこれまで見たこともないほど怒っていた。
アサキは鬼としては気が長い方だが、頭としてはいくらか頭に血が上りやすい性質だ。だから普段はタタキが諫めたり、諦めて配下が従ったりしている。それでも怒りの片隅で冷静に物事をとらえてもいるから、アサキ単身乗り込むことを配下たちが心配することはなかった。
しかし、今夜は今までと違う。まるで周りが見えていないのではないかと、タタキは心配していた。
「……フジ、カケクレ」
「はいよ」
「はい」
「何人か引き連れて、境界の方を見に行け。西の鬼がいれば捕えろ」
「全員?」
「……二、三人でいい」
「了解!」
フジの返事の後で、いくつかの気配がタタキの後ろを離れた。
東の鬼の中に、何人の密偵が潜んでいたのかは不明だ。しかし多くとも数名のはずで、それも間違いなく境の見張りが含まれている。でなければ東の領分に侵入し、トラヌケと接触することはできるはずがない。カタブキの腕ならば境を破ること自体は容易だが、そうすれば異変はすぐにアサキへ伝わる。アサキが何も気付けなかったのは、手引きする者がいたからで間違いない。
しかし、先程もタタキが考えたように、手引きをした密偵はすでに命がないだろう。カタブキ一人が忍び込むのと違って、西の鬼が攻め込んできているのだ。それだけ多くが境を越えるには、やはり複数の見張りを倒し、境を破るしかない。ならばカタブキの存在を知っている東の鬼は、真っ先に切り捨てられるはずだ。例え己の密偵をしていても、カタブキが東の鬼を信用するとは思えない。
アサキがカタブキの元へ乗り込んだ以上、残る者で境界を確認し、今後の守りを考え直さなければならない。元よりアサキとカタブキの戦いに手を出すつもりはないため、タタキ本人が境へ向かっても良かったくらいだ。
しかし、妙な胸騒ぎが気になって、タタキはアサキの後を追っていた。
「アサキ様と麻里奈は無事かしら……」
ふとトラヌケが漏らした声を聞きとめて、タタキはちらりと目線を流した。沈んだ表情をしているトラヌケを見て、タタキは素っ気なく返す。
「アサキは問題ないだろうが……娘はどうだろうな」
「……アタシのせいだわ……」
「そうかもしれないが、お前だけの責任じゃない。気負いすぎるな。それに、アサキは惚れた女を守り切れない奴でもない。それはお前もよく知っているだろう」
「ええ……そうね」
タタキの言葉は、決してトラヌケを慰めるためのものではない。これまでの付き合いから来る信頼だ。けれど、もっとも付き合いの長いタタキだからこそ、ここ最近のアサキへ違和感を覚えていたのも事実である。
東の鬼の長、という肩書に惹かれてアサキへ近付く女は、昔から数え切れないほどにいた。そしてアサキは来るものを拒まず、また去るものを追わなかった。アサキはそうした女の名前など憶えてすらいないだろう。これまで例外があるとすれば、どんなことがあってもアサキの後を追ってきたトラヌケくらいだ。
女には興味がない。タタキや配下たちはそう認識していたし、おそらくはアサキ自身もそう思っていただろう。
――それが、田村麻里奈と言う人間の登場によってひっくり返された。
気に入った女がいれば、相手の話など聞かずにさらい、名前も覚えることのなかったアサキが、嫌われたくないと思い、心を砕いている。その姿はトラヌケだけでなく、アサキを知るすべての者に衝撃をもたらした。麻里奈と出会ってからのアサキの姿は、千年以上を共にしたタタキですら見たことがなかった。
それほどまでに、アサキにとって麻里奈と言う少女は大きな存在となったのだ。
これほど何かに執着するアサキに、タタキはわずかだが心当たりがあった。千年より遥か昔――おそらくは、アサキもタタキも、まだ鬼でなかった頃のことだ。アサキが執着していたものはおぼろげで、当時のアサキのことも自身のことももはやわからない。けれど何か知っている気がしていた。
「タタキ!」
トラヌケの呼ぶ声に足を止める。
辺りを見回すと、今までに通って来た道以上の木がなぎ倒されて、ほとんど広場のようになっている場所だった。地面の抉れた跡や金棒の跡がついた木の幹を見て、アサキが激しい戦いを繰り広げたことを察する。
「なかなか派手にやったようだな」
「カタブキかしら?」
「……いや、違うだろう。カタブキの得物は刀だ。跡がない」
カタブキを相手にしたとなれば惨状はさらに酷いものになっているだろう。
「だが、腕の立つ相手であったことは間違いないな。急ぐぞ」
アサキが後れを取るとは思えなかったが、激しい戦いの後に続けてカタブキと刃を交えているとすれば、多少不利になる。戦いそのものに手を出すことは無くとも、アサキが十分に戦えるよう、タタキたちで麻里奈を保護する必要は感じられた。
トラヌケは胸騒ぎがしていた。それはアサキと麻里奈の安否を気遣うが故のものである。
タタキもまた胸騒ぎがしていた。しかしそれは、トラヌケのものとはまったく別の、得体のしれないところから来るものだった。
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