第三章②

 金棒と刀の打ち合わされる金属音が、夜の空に響き渡る。二人の鬼の剣戟を遮る物は何もなく、月明かりに閃く白刃が闇を縫う。

 麻里奈はできるだけその場から動かないように、じっと見守っていた。時折、麻里奈に向けられる刃を防ぐため、アサキが背中にかばう。とはいえカタブキは、直接麻里奈を斬り捨てるつもりはないのか、かすめる程度の距離を狙い、突く。アサキはそれすら許さぬと言わんばかりに、麻里奈に降り注ぐすべての刃を代わってその身に受けていた。

 月のように美しい白の着物がじわじわと赤く染まっていく様は見ていられなかった。けれどカタブキのいう脆弱な人間であるところの麻里奈が勝手に動き回れば、アサキはもっと不利になるだろう。

 麻里奈は、ただただアサキの無事を祈るほかなかった。


「自慢の金棒も、振り回せなければただの重りだな」

「重りか如何か、貴様で試してみるかッ」


 アサキが強く地面を蹴って、宙に舞う。大きく振り上げた金棒を、叩きつけるようにカタブキへ振り下ろした。カタブキは刀で受けたが、威力に押されてじりじりと後ろへ下がっている。アサキがさらに力を込めると、カタブキは不意に力を抜いてするりと避けた。抵抗がなくなって数歩踏み込んだアサキに白刃が迫るも、体を反転させて難なくかわした。

 金棒を両手で構え直したアサキは、カタブキから距離を取って、麻里奈の側へ戻ってくると、何度か深呼吸して息を整える。


「……キザとキユウにやられたのが、少しは効いているようだな。あれでも多少は使えたのか」


 カタブキの言葉にアサキを見ると、着物の袖から覗いている腕にはいくつも痣が残っていて、鬱血しているのも見て取れた。カタブキはアサキに一度も拳を当てていないのだから、彼の言う通り、キザとキユウと言う、おそらくは先程斬り殺された鬼の双子によるものだ。

 アサキの体に刻まれた傷の痛みと、脳裏によみがえるキザとキユウの死に様を思って、麻里奈は顔を陰らせた。


「……キザとキユウは、熊襲くまその生まれではないだろう」

「ああ。そうだが、それが如何かしたか」


 固い声でアサキが問うと、カタブキはあっさりと肯定した。彼は先程、西の鬼はかつて大和政権に追われた熊襲一族が生まれ変わったものだと語った。しかし、キザとキユウはそうではないらしい。麻里奈には詳しくわからなかったが、まだ知らない事情があるのだろう。

 アサキはカタブキから視線をそらして、しみじみと呟いた。


「小童だが、貴様の手下の中では珍しく手応えのある鬼であった」

「奴らは私直々に育てた駒だ。当然だろう」

「……育てた? 貴様のそれは育てるとは言わん。造るだろうが!」

「何を怒っている? あれの親でもない貴様が」


 鬱陶しげなカタブキの声に、アサキは言葉を失くし、ただ怒りに肩を震わせていた。

 麻里奈は、キザとキユウがどんな鬼であったのか知らない。わかるのは、カタブキに忠実であったことだけだ。そのカタブキがどんな鬼であるかも、麻里奈には一面しかわからない。

 けれど、アサキがどんな鬼であるかは、少しだけ知っている。

 義理深く、ゆえに冷徹な面を持ち、明るく豪胆で、何より――優しい。

 そんなアサキが認め、カタブキに与えられた理不尽な死に憤るほどの鬼がキザとキユウだ。


「ならば二人の親同然である貴様が、己の手で子を斬り殺したことを嘆くべきだ!」


 ――アサキはきっと、二人を救いたかったのだ。


「親同然だが、あれらは子ではない。ただの鬼だ。ただの駒だ。駒に対して感情を抱くなど、滑稽以外の何物でもあるまい」

「やはり……貴様の考えは反吐が出るほど好かん」

「奇遇だな。私もだ」


 端々に険を含んだ言葉が交わされる。

 元々アサキは、キザとキユウを殺すつもりがなかったのだろう。だから二人は、アサキに敗れてもカタブキの元へ戻って来た。それはアサキの想定外であり、カタブキが二人を手にかけることはさらに予想だにしなかったことなのだ。

 ピリピリとした空気が辺りを覆っている。アサキのまとう怒りと明確な殺意は、麻里奈の言葉を奪うには十分すぎた。


「アサキ。貴様、手下の一匹や二匹が死んだだけで心を動かすのか? それで頭が務まるとは、東は随分と温いと見える」


 カタブキが挑発するように言ったが、アサキは身じろぎ一つせず、低い声で返した。


「己の手下の死に、心も動かせん奴に頭が務まるとは思えぬが」

「務まるさ。貴様にとっては信じられぬかもしれないがな」

「戯けたことを……命を軽んずる者は、必ず滅ぶぞ」

「ハハッ!」


 アサキの言葉を聞いたカタブキが、大きく口を開けて笑った。アサキは怪訝な顔をする。


「――小娘よ」

「はっ、はい……?」


 カタブキは何故か麻里奈を呼んだ。どきりとして裏返る声で返事すると、カタブキはそれさえも面白いのか喉の奥で笑う。


「『平家物語』を覚えているな」

「ええと……はい……」


 アサキの様子を伺いながら、麻里奈は答える。


「祇園精舎の鐘の声」

「えっと……、諸行無常の響きあり」

「沙羅双樹の花の色」

「盛者必衰の理をあらわす……」


 何故かはわからなかったが、麻里奈はカタブキに続いて『平家物語』の冒頭を暗唱した。カタブキがそれ以上続けなかったので、麻里奈も必然的に口を閉じる。麻里奈は何も言わないアサキをちらりと見上げたが、前を向いているため表情は見えない。


「わかるか、アサキ? 命を重んずるか軽んずるかなど如何でも良い。全てはいつか滅ぶ。それだけが真実だ。私とて、貴様とて、それは違わぬだろう」

「オレは屁理屈を聞きに来たのではない」


 カタブキの言葉を、アサキはぴしゃりとはねのけた。カタブキはつまらなさそうに鼻を鳴らす。

 アサキが金棒を肩に担いで腰を落とすと、カタブキもそれ以上の言葉は続けなかった。

 地を蹴ったのはほぼ同時だった。しかしカタブキの方が一瞬早く、アサキに斬り込んだ。アサキはその剣を避けない代わりに、カタブキの体に金棒を渾身の力で叩き込む。カタブキは咄嗟に刀を持たない方の腕でかばったが、骨の軋む音がはっきりと聞こえた。その場から吹き飛ばされたカタブキは、先程まで麻里奈といた山小屋に叩きつけられた。


「ぐ……っ……流石に、東の田舎者は馬鹿力だな」

「ちまちました人間の道具でオレの力を削れると思っていたのなら、それこそ貴様が愚かな証だ」


 壁伝いに立ち上がったカタブキが血反吐を吐き捨てながら言えば、アサキはすかさず鋭い口調で返した。傷こそ多いが、アサキの言う通りほとんどがかすり傷なのだろう。キザとキユウと戦った時の怪我も多少は回復しているようで、アサキの重い打撃を、致命傷こそ避けているものの、食らい続けているカタブキの方が若干不利なことが麻里奈にもわかる。

 しかし、立ち上がったカタブキの赤く濡れた目が麻里奈をはっきりと射抜いた瞬間、刀の切っ先が頬をかすめていた。目の前にはアサキの広い背中が見えている。何が起こったのか、理解が追いつかない。


「カタブキ、貴様……ッ!」


 アサキの怒声で、刀は――カタブキは引いた。麻里奈はようやく、己の頬を斬り付けられたのだと気付く。ちくりとした痛みに頬へ触れれば、薄っすらと赤い血の跡が付く。思わず息をのむと、すかさずアサキが振り返って斬られた方の頬に触れた。


「怪我を……すまない、麻里奈。すぐに手当てを――っ!」

「アサキさ、」


 まるで己のことのように胸を痛めた表情をするアサキに大丈夫だと伝えようとした麻里奈は、その途中でにわかに抱き締められて言葉を失う。アサキの体から直に伝わる衝撃と低い呻き声から、すぐにカタブキの攻撃だと気付いた。

 慌てて離れて様子を伺うと、アサキの顔は苦痛に歪んでいた。


「アサキさん! どうして……!」


 先程までのかすり傷とは違う、深々と肌を、肉を斬り裂いた跡がアサキの背中にあった。

 アサキならば容易く避けられたはずだ。あるいは躱して深手となることもなかったはずだ。何故、どうして、と考えて、麻里奈は息をのむ。


「私、なんかのために……?」


 出会ってから間もなく、共に過ごした時間も決して長いとは言えない相手だが、アサキの両腕に抱かれるぬくもりは、何故かはっきりと麻里奈の体に刻み込まれている。彼ならば守ってくれる。その安心感と共に。だからこそ、すぐにその考えが頭に浮かんだ。


「……寂しいことを言うな。オレはお主をこの手で守りたい。隣で笑っていてほしいのだ」


 アサキは弱く笑みを浮かべると、麻里奈の頭を撫でて、カタブキに向き直った。

 麻里奈は眼前に突き付けられた刀傷に手を伸ばしかけて、ぐっと堪えた。

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