第二章⑧

 麻里奈は、震える唇を開いて聞き返した。


「今、なんて……?」


 カタブキは赤く濡れた目で麻里奈を射抜いたまま、繰り返した。


「私の願いは、大和の血を引く全ての人間を葬ることだ」

「そ、そんなことができるんですか。鬼がどれだけいるのか私は知らないけど、人間はこの国だけでも一億人以上いるんですよ」

「出来るか否かではない、するか否かだ」

「そんな……」


 強がる麻里奈の言葉を、カタブキは一笑に付す。強い意志が込められていることに気付くと、麻里奈は口を閉ざしてそれ以上の言葉を濁した。


「かつて西を傾けた我らとて、容易く大和の血を絶やせるとは思わん。だからこそ、東の――アサキの力がいるのだ」


 麻里奈ははっと息をのんだ。カタブキが言葉の端々に滲ませていたことから、アサキの過去にも、何らかの事情があったと想像することは難くない。ならば今でこそアサキは麻里奈に好意を寄せているが、元々は人間に恨みを持っているかもしれないし、そうでなくともアサキの部下たちに囲まれたときに向けられた視線を覚えている。東の鬼と西の鬼が対立しているとはいえ、東の鬼も人間を嫌っていないとは限らないのだ。


「…………あの」


 カタブキに声をかけると、どろりとした闇の中から、赤い目が麻里奈の方を向いた。

 カタブキの話を聞いていて、麻里奈にはどうしても気になることがあった。けれど聞いてしまっても良いのかわからなかった。カタブキの口調では、アサキがあえて黙っていることを、当人ではなく、対立する相手に聞こうとしているのだ。おそらく、カタブキはよく知っている。そして麻里奈が訊ねれば、きっと答えてくれるだろう。

 だから、声をかけたものの、続ける言葉に迷っていた。


「ええと……」

「何だ」

「その……」

「早く言え」


 急かすカタブキに、麻里奈はようやく覚悟を決めて、両手をぎゅっと握り合わせた。


「もしかして、アサキさんも、」

「――来たか」

「え?」


 小屋の外へ顔を向けたカタブキの言葉に、麻里奈は呆気にとられて呟く。波打つ赤い髪に隠された表情は何も語らない。ただ、静かに気配を探っているらしいカタブキに、言葉を重ねることはできなかった。機会を逃して俯く麻里奈の腕を、カタブキがにわかに掴む。


「来い」

「きゃっ!」


 小さな悲鳴をあげると同時に、小屋の外へ連れ出された。

 外は月明かりで意外に明るい。頂上付近で辺りがほとんど岩肌であることも明るさの要因だろう。光を遮る木は無く、それはつまり、障害物もないということだった。

 夏の盛りだが、標高が高く風が冷たいため、思ったより寒く感じられて、麻里奈は身を震わせた。カタブキに強く握られた腕が少し痛い。不安げに辺りを見回していたが、一点をじっと見据えているカタブキにならい、視線を定めた。

 風の音だけが聞こえる。生き物の声は聞こえない。

 遠くの木が、大きく揺れている。カタブキの手に力がこもる。

 空気が痛いほどの緊張感に包まれたことを、麻里奈も察した。存在だけで圧迫感を与えるような何者かが近付いているのだ。それが何者であるか、カタブキはもちろんのこと、麻里奈にもわかっていた。わかっていたが、背筋が薄ら寒くなるのを止めることは出来なかった。


「早かったな」


 カタブキが声をかけると、ようやく月明かりにさらされてはっきりと見えるようになった姿が、ずっしりと立っていた。


「――麻里奈は無事か」


 お面のように表情を見せないアサキは、けれどカタブキに問いかけた低い声には、確かに深い怒りを押し込めていた。低く、静かな声に、麻里奈は知らないアサキを見た。

 アサキの手に握られた金棒が肩に担がれているのを見て、カタブキは小さく息を吐きだして答えた。


「安心しろ。貴様の目の前で潰してくれようと、まだ何もしていない」


 その言葉を聞くや否や、アサキの金棒がカタブキの頬をかすめた。小屋の壁を破って突き刺さっている。


「麻里奈から手を離せ。今すぐにだ」

「……良いだろう」


 カタブキが麻里奈の腕を離すと、麻里奈はよろけるように距離を取った。足首がじんと痛む。アサキのところへ駆けていきたいが、いかんせん距離があり、足場も悪く心配だ。胸の前でぎゅっと手を組んで、麻里奈はアサキとカタブキを見やった。

 アサキはカタブキを鋭く睨んで牽制すると、麻里奈に向かって手を伸ばした。麻里奈もよく知った、優しい、慈しむような笑みを浮かべている。


「おいで、麻里奈」

「アサキ、さん……」


 浅黒い肌に角をいただく鬼の姿であっても、アサキはアサキだ。

 何よりも麻里奈の身を案じてくれる。

 横目でカタブキが動かないことを確認してふらりと歩き出す麻里奈を、二つの影が現れて遮った。


「……お前ら、まだ動けたのか。大したものだ」

「僕たちは、カタブキ様の手足だ」

「莫迦にしないで」

「莫迦にはしちゃいないが、ちと邪魔だな」


 傷だらけで、立っている足も震えている二人の鬼が、麻里奈に背を向けてアサキを見据えていた。

 キザとキユウ。本来、アサキの足止めを申しつけられていた二人だが、麻里奈はそれを知らない。だが、アサキとの会話を聞いて、先程まで戦っていたのだと察することは容易だった。


「そこを退け」

「嫌だ」

「……お前らのことは嫌いではない。だが、オレは今、虫の居所が悪い。……退け」

「どかない」


 麻里奈がカタブキを見ても、彼は見向きもしない。二人の鬼はあくまで立ちはだかるが、アサキとの戦闘で負った傷が深いのか、麻里奈に手を出す様子はない。麻里奈は不安げな表情で双子鬼とアサキを交互に見た。

 アサキのまとう雰囲気が変わったことに、麻里奈でさえ気付く。


「退け」

「命をかけても、あんたを止める」

「それが、僕たちの使命」


 アサキの青い目が、冷たい色で細められた。


「ならば、死ね」

「――――え?」


 キザの言葉だったか、キユウの言葉だったか、それは判然としない。

 麻里奈が目の前で首を落とされ、地面に倒れていく二人の体を呆然と眺めているうち、アサキは険しい顔でカタブキを睨んだ。


「カタブキ! 貴様、己を慕う者をよくも手にかけられたものだなッ!」


 血の付いた刀を提げたまま、カタブキはアサキ以上に冷ややかな視線を送った。アサキの言葉には、何も返さない。

 白い光に照らされて、岩肌を赤く染めていくキザとキユウ。ぴくりとも動かず、絶命していることは明らかだった。


「使えぬ物は、捨てるまでだ」


 麻里奈の手が震えていた。


「己の配下を、物、だと?」


 麻里奈の息が荒くなっていた。


「……何故怒る? 鬼も人も、等しく物よ。要らぬ物は捨てる。当たり前のことだ」


 麻里奈の動悸が激しくなる。


「貴様に……鬼の長たる資格はない!」

「そう言うのならば、私を倒してみせよ」

「言われなくとも――」


 カタブキの挑発に、アサキが一歩踏み出した時。


「先に此奴を返しておこう」


 キザとキユウの首を落としたままの位置にいたカタブキが、麻里奈の腕を掴むと、アサキに向けて強く押しやった。


「――え?」

「麻里奈!!」


 不意のことに戸惑う麻里奈は、足元が覚束ないまま数歩よろめき、岩に流れた血で足を滑らせかけたところでアサキに抱き寄せられた。

 キザとキユウのこと。カタブキのこと。

 まだ荒い呼吸で頭が真っ白なまま、目の前のアサキにしがみつく。

 アサキは両の腕でしっかりと麻里奈を抱きしめたまま、距離を取ったカタブキを睨みつける。動かない双子の鬼を一瞥してから、アサキも距離を取った。


「麻里奈、遅くなってすまなかった。……お主が無事で、本当に良かった……っ」


 アサキの腕にまた力がこもる。少し苦しい位の抱擁に、麻里奈もようやく落ち着いてきて、アサキの名前を呼んだ。


「アサキさん」

「ん?」


 力を緩めて麻里奈の顔を覗き込むアサキの顔は、よく知ったいつもの顔だ。冷酷でもなければ、恐ろしくもない。着物越しに伝わる体温の暖かさも、麻里奈が知っているものだ。

 強く目を閉じると、キザとキユウが、目の前で首を切り落とされた光景が浮かぶ。


「……こわ、かった……」


 小屋の中で麻里奈と話していた時のカタブキと同一人物であると、にわかには信じられなかった。冷酷でも、残酷ではないと、勝手に思っていた。自身もいつ首を落とされてもおかしくはないのだと気付いた時、麻里奈は怖くてたまらなくなった。

 アサキは震える麻里奈の体を抱き締めて、なだめるようにそっと髪を撫でる。


「そうだな。オレが悪かった。すぐに家まで送ろう。……だがその前に、彼奴を倒さねばならん。暫し待てるか?」

「…………はい」

「良い子だ」


 麻里奈が頷くのを確認すると、アサキは微笑む。そして麻里奈の肩に紺青の羽織をかけると、自身の後ろへやった。


「――アサキ」

「ん」


 カタブキが名前を呼ぶと同時に、小屋に突き刺さっていたアサキの金棒を投げて返す。受け取ったアサキは短く返事をすると、金棒を肩に担いだ。

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