第二章⑥
「こちとら宴の邪魔されて苛々してんだ! 死にたい奴からかかってきな!」
夜の山で威勢良く吠えているのは、アサキの配下の鬼たちだ。瓶を片手に酒を飲み飲み、赤ら顔で吠えながら、カタブキの配下たちと拳を交えている。
「テメーらも運が悪かったなァ。東の長が集まってる時に攻め込んでくるたあよ」
一人の鬼が歯を見せて不敵に笑うと、組み合っている相手の鬼も獰猛な笑みを浮かべた。
「そんなことは承知さ。東へ乗り込むのに、カタブキ様が策を講じないとでも?」
「それがテメーらってか? はっ、へそで茶が湧くぜ!」
何十人もの鬼たちが入り乱れているためか、辺りの木はことごとく倒れ、地面は踏み荒らされている。近頃秋の訪れを感じさせるようになってきた虫の声も、罵倒と騒音の飛び交う中ではまったく聞こえない。
カタブキは当然、麻里奈を連れてアサキが来るのを待っているはずだが、かといって西の鬼どもが有象無象で攻め込んでくるとも考えにくい。すっかり混戦していて、はたから見ているタタキにはこちらの鬼がどれほど倒れ、逆に西の鬼をどれほど片付けたのかわからない。それでも実力が拮抗していることはわかる。西の鬼たちも指折りの者を集めてきたのだろう。誰かしら統率者がいるはずだと目を凝らしていると、不意に木の軋む音が聞こえて顔を上げた。
「澄ましこんでんじゃねえぞ」
「――ああ、手間が省けた」
カタブキに似た赤茶けた髪を夜風になびかせた一人の鬼が、太い枝の上に立ってタタキを見下ろしていた。足元の枝がみしみしと音を立てている。騒ぎから離れて気配を殺していたタタキを見つけたということは、向こうもタタキのような鬼を探していた、ということだ。
鬼にせよ人にせよ、頭を潰すのが一番手っ取り早い。
頭上の枝が折れる前に、タタキはその場を飛びのく。直後、枝は折れ、西の鬼が飛びかかってきた。
「今更攻め込んできて、カタブキは何を考えてる?」
「今更? 俺達は腑抜けた東連中と違って、ずっと狙ってたんだぜ」
「俺の知ってるカタブキなら、山の長達が集まっているときに襲撃なんて仕掛けないと思うがな」
「田舎者如きが、カタブキ様を語るな!」
拳を交わしながら、タタキは探りを入れる。激昂した鬼の拳をかわすと、そのまま腕を掴んで投げ飛ばす。軽々と着地した西の鬼は、顔にかかった髪を背中へ流して息を整えた。
「どうせお前たちはここで死ぬんだ。教えておいてやろう……むしろ逆だよ」
「逆?」
「面倒な鬼どもをまとめて片付けられるんだ。それもアサキ不在でな」
「……そういうことか。甘く見られたもんだな、俺達も」
西の鬼はいつの間にか抜き身の刀を手にしている。アサキは彼以外に扱うことのできない金棒を使うことがあるが、東の鬼たちは基本的に武器を持たない。ほとんどが己の拳で戦うのだ。それに対し、西の鬼はカタブキをはじめとして、人間の作る武器を使うことが多い。人間相手の武器が、鬼であるタタキたちに効果的とは言い難いが、長さがある分、やりにくいことは間違いない。
「牙を抜かれたアサキの鬼どもなど、恐るるに足らん。お前らがカタブキ様に従わないのならば――死ね」
風が吹くように、刀の切っ先がタタキの頬を切り裂いた。
「時代を見極めれない
タタキは不敵な笑みを浮かべると、真横の刃を掴んだ。西の鬼が驚いたように目を開く。手の平に食いこんで血がにじむが、そのまま力を込めて叩き折る。折った刃を地面に投げ捨てると、タタキは顔をしかめた。
「中々いいもん使ってるじゃねえか」
「ちっ、野蛮な奴め。だから田舎者は嫌いなのだ」
「馬鹿が。人間のこともよく知らず、未だに刀なぞ使ってるお前たちの方がよほど田舎者だろ」
使い物にならなくなった刀を捨てると、西の鬼はしかめ面で拳を握った。あえて言葉を選んでいることもあるが、西の鬼はタタキの言葉に腹を立てている。鬼の習性として、陽気な分、気の短い者が多い。挑発と分かっていても乗らずにいられない。西の鬼も、まさにその手のようだ。タタキは隠し切れずに笑みを深める。
「カタブキは大した鬼だと思うが、その手足は意外と大したことがないと来たもんか」
「貴様……あまり俺達を愚弄するなよ」
西の鬼の拳をかわしながら、タタキは問いかけた。
「お前、いつからカタブキと一緒にいる?」
「……何?」
「どうせ長くないだろう」
「馬鹿にするなよ。五百年はお側にいる」
「――はっ、五百年程度か?」
気の強そうな表情だった西の鬼は、タタキの嘲笑に不愉快そうに眉を寄せる。何も言わず、力を込めた腕を振り下ろすと、タタキは顔の前で交差させた両腕でそれを受け止める。強い力に少しだけ後ろへ下がったが、すぐに止まる。
「俺はな、この千年以上、アサキと共にいる。長さがすべてとは言わんが、あいつらに、俺達にあったことを知りもしないで偉そうな口は利かないでもらおうか」
タタキはじろりと睨みつけると、腕をはねのけて勢いよく頭突きした。西の鬼がのけぞると、すかさず頭を掴んで地面に叩きつける。仰向けに引き倒された西の鬼は起き上がろうと地面に手をついたが、タタキはそれを許さず顔に拳を叩き込んだ。
「うぐっ……!」
「俺達を始末する気なら、カタブキ直々に出向くんだな……っと、もう聞こえてないか」
膝をついたまま、西の鬼の顔から拳を引き抜いたタタキは、白目をむいた鬼に言葉を投げ捨てる。
立ち上がって着物を整えると、辺りを見回した。タタキが戦っていたのは長い時間ではないが、その間にも乱闘は進んでいたらしい。倒れている鬼の姿が増えていて、残っている鬼を見る限り、東の方が優勢なようであった。
「……カタブキの奴、本当に俺達を潰す気があるのか? アサキにも足止めは行ってるだろうが、それにしても……」
累々と重なっている鬼たちを軽々と越えながら、タタキはまだ戦っている鬼たちのもとへ向かった。途中向かってくる西の鬼を地面に沈めながら進んでいくと、騒ぎの中心へ着くころには、攻め込んできた鬼たちはみな倒れていた。
「タタキさん」
「結構時間がかかったな」
「数が多かったんでねえ」
「お前らが酒飲んでたってのもあるだろ」
呆れたようにタタキが言うと、彼の名前を呼んだ鬼は頭をかいた。
倒れた鬼たちを一か所に積み上げて、残った鬼たちは再び車座を囲んだ。木が倒れたおかげで見やすくなった月を眺めながら、酒宴を再開している。その様子を見て溜息を吐くと、タタキは腕を組んで考え込んだ。
「タタキさんも一杯どうっすか?」
「俺はいい。それよりお前ら、寝てる奴ら起こしとけ」
「へいよ」
タタキは誘いを断って指示を出したが、言われた鬼たちは気にした風もなく、地面に転がっている鬼たちに酒をかけたり肩を叩いたりして起こした。
……アサキは口に出さなかったが、カタブキの侵攻を許し、挙句の果てに麻里奈をさらわれてしまったということは、用心していた東西の境を破られたと言うことだ。そして境を破るためには圧倒的な力と、アサキへ報告する暇を与えない手際が要求される。それを可能にするのは、内通者の存在だ。
「そうなるとトラヌケか? ……いや。その前にもいるはずだな」
西の鬼たちが攻め込んでくる前にトラヌケから聞いた話では、彼女が一人河原にいた時、カタブキに声をかけられたという。タタキはまだすべてを信じられるとは考えていないが、少なくとも麻里奈をさらうためには境を破らねばならない。ならばトラヌケに接触した時点で境の守りが破られていた可能性も考えられないことはないのだ。
アサキは何も言わなかったから、既に内通者と思しき配下は始末したのか、あるいはその前にカタブキが始末したのか。いずれにせよ、もはや生きているまい、とタタキは思った。
「……しかし、山の長を集めたのは急な話だし、アサキは滅多に鬼を集めたりしない。あの人間の娘を披露するためだが、それも急な話だったはず……」
タタキですら予想しなかった、麻里奈と言う人間の少女のこと、それにより集められた東の山の長達のこと。急な話がカタブキに伝わるのが早いことには目をつぶることができるが、それにしてもその後の動きが早すぎる。かといって虎視眈々と機を伺っていたというには、アサキの不在を攻め込む戦力があまりにもおざなりだ。多少なりともカタブキを知るタタキには、今回の作戦に疑念が尽きなかった。
ふと顔を上げると、月が西の方角に幾らか傾いていた。夜明けまではまだ時間があるし、アサキがそれまでにカタブキと麻里奈を見つけられないとは思わなかったが、嫌な予感が鎌首をもたげた。
宴を再開する鬼たちを一瞥して、タタキは口を開く。
「お前ら、酒はまだ取っておけ」
「え?」
「意識のある者は、俺について来い」
戸惑う声を振り切って、タタキは鋭い視線で闇の奥を見据えた。
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