第二章⑤

「……意味わからない」

「なんで人間に惚れるの」


 アサキの言葉を聞いて動きを止めたキザとキユウだったが、すぐに拳を構え直して問うた。


「人間に惚れようと思って惚れたわけではない。惚れた女子が人だっただけよ」


 アサキがてらいなく言い放つと、二人の気に障ったのか、彼らはまた口をつぐんで地を蹴った。アサキに受けた攻撃がまだ響いているようで、いくらか動きが鈍い。アサキの振るう金棒も、受けて返すのではなく避けるようになった。


「言いたいことはもう終わりか? オレはそろそろ、カタブキのところへ行くぞ」

「行かせ、ない……」

「アンタは、ここで……」

「フン。殺せるものなら殺してみろ、小童風情が」


 肩で息をしながらもアサキに噛みつく双子の鬼を、アサキは突き放した。青い目は冷たく、その目に見つめられた二人の鬼は、自分たちの主を思い出した。カタブキがアサキに一目置く理由が、ようやくわかった気がした。

 敵う気はしなかった。実力だけでなく、心にある想いの強さが二人とは桁が違う。見てきたもの、辿って来た過去、背負う鬼たち。ろくにアサキと対峙したことのなかったキザとキユウは、彼が千年の時をかけて東の地を治めてきたことを思い知らされていた。

 しかし、それで諦める彼らではない。西の鬼の誇りにかけて、力の差に、敵の前に膝を折るわけにはいかなかった。


「あいつは……カタブキは、東に攻め込んで何を始める気だ。また国盗り合戦でもする気なのか?」

「他に何があるのさ」

「この国は、カタブキ様が治めるべきだ」

「随分大きく出たな。昔ならいざ知らず、今の世で鬼が国を治めるなどできまいよ」

「できるよ」

「カタブキ様なら」


 むっとして言い返すが、言葉に覇気は無い。しかし体力を奪われて消耗しているのはアサキも同じだ。深呼吸して息を整えながら、アサキは油断なく用心している。


「今でも人を憎むカタブキの気持ちは、わからんでもないさ。オレもまだ許せたわけではないし……おそらくこの先、完全に許すことなどできんだろう」


 折れた幹に腰をおろして、アサキは金棒を地面に立てた。真剣な表情と全身から放たれる殺気に、キザとキユウは迂闊に動けない。とはいえ、時間がある分、体力を回復させることは出来る。二人は履いていた高歯の下駄を脱いで身軽になった。アサキは目を細くしてそれを見たが、何も言わなかった。


「カタブキの言っていることは、莫迦らしいことだ。……この国の人間を、一人残らず殺すなど」

「だから、東を攻める」

「この国の鬼が残らずかかれば」

「人間だって滅ぼせる」

「だから、その考えが莫迦らしいって言ってんだよ」


 アサキが溜息を吐く。カタブキへの見事な傾倒ぶりに、アサキはそうするしかなかった。

 いくらカタブキといえど、普段九州の山に籠っているときは早々人間の前に姿を現さないだろう。必然的に、配下の鬼たちも人間と接する機会は少なく、まだ若いキザとキユウはさらに少ないはずだ。よく知りもしない存在を、カタブキの言葉を鵜呑みにして滅ぼそうとする考えの莫迦らしさと恐ろしさを、彼らは理解していない。否、しようとしていない。

 二人にも言った通り、アサキ自身も人間を完全に許すことはできないだろう。

 ――しかしそれでも、カタブキと相容れることはないと思った。


「カタブキ様の考えが理解できないなら」

「やっぱり、アンタには死んでもらわなきゃ」


 息を詰めて飛びかかってきた二人に対し、アサキは焦ることなく立ち上がり、金棒を両手で握ると力いっぱい振り抜いた。

 下駄を脱いでさらに速さを上げた二人だったが、アサキの渾身の一撃を避けきれずに吹き飛ばされる。辺りの木はほとんど倒していたが、残っていた幹に叩きつけられると、二人はそのまま地面へ投げ出された。起き上がろうとしても全身に回った衝撃で手や足が震え、うまく力が入らない。

 アサキがゆっくりと歩み寄ってくる。


「う……あ……」


 言葉すらろくに話せず呻く二人を見つめながら、アサキはさらに歩みを進める。


「お前らがオレを殺さねばならんのなら、オレはやはり、カタブキを殺さねばならん」


 まだ地面でのたうち回っているキザと、何とか起き上がろうと土を掴んで体を震わせているキユウ。

 しかしその甲斐もなく、アサキは二人の側へ来て、青い目で見下ろした。


「人間の肩を持つわけではない。同じ鬼としての、けじめだ」

「うそだ……あんたは……人間が、好きなんだ」

「まだ喋れるのか。つくづく丈夫だな……どうだ、オレのところへ来ないか?」

「ふざ、けんな」


 喉の奥から絞り出すような声を聞いて、アサキは薄い笑みを浮かべながらしゃがみ込む。


「……あいつにも、慕ってくれるものがいるのだな」


 僅かに顔を上げていたのはキユウだが、視界は歪み始めていてアサキの表情はぼやけてはっきりと見えない。声音は、悲しいのか嬉しいのか判然としない調子だった。

 吹き飛ばされたときに頭が揺れたのか、次第に意識まで朦朧としてきた。キザはすでに指一本動かせず、意識もほとんど手放している。キユウは気を失うまいとして、唇を強く噛んだ。


「ろくに自分で考えずあいつに従っているようじゃ、何百年かかってもオレは倒せんよ。お前らはカタブキのことを、何もわかっちゃいないんだ」

「うるさい……ひがしの、分際で……」


 絞り出した言葉が強がりであることはキユウ自身にもよくわかっていたが、決して敵わないアサキの言葉を素直に聞いていることは出来なかった。

 同じだけの時間でも圧倒的な回復力の差を見せつけられ、西の鬼でも力自慢だった二人でかかっても膝をつかせることすらできなかったのだ。カタブキの手足を自負して、幾人もの人間や鬼どもを手にかけてきた。その自分たちを、まるで赤子の手をひねるように、アサキはいなした。キユウは胸の奥から湧きあがる、歯を食いしばりたくなるような感情を何と呼べばいいのかわからなかった。


「ああ、もう一つ言っておくけどな」


 立ち上がったアサキが、キユウに向かって言葉を投げ落とす。キユウの意識もそろそろ限界だった。


「けじめとか言うより先に、オレはあいつが、麻里奈に手を出したことに怒りを覚えてんだ。人間だの領地だの、そんなのは全部後付けだ」

「かしらが、そんな……で……」


 キユウが言いかけた言葉は途中から消えてしまった。すっかり気を失った双子の鬼を見下ろして、アサキは深く溜息を吐いた。


「……ったく。力ばかり付けたってどうにもならんだろうが」


 首を鳴らして周囲を見回す。戦っている最中にはまったく思わなかったが、随分派手に暴れたようだ。明日以降、運悪く人間に見つからないことを祈るばかりの有様である。

 キザとキユウは最後、アサキに圧倒的な力の差を感じていたようだが、アサキとて彼らに勝つのは容易いことではなかった。長い間金棒を握っていた右手には、しびれが残っている。夜の空気に冷やされているが、汗もだいぶかいた。


「準備運動には、十分すぎるな」


 そう呟くと、倒れた二人を置いて歩き出す。月の傾きが深くなっている。山の向こうに沈んでしまえば、反対の空が白く明らみ始めるだろう。もはや猶予はない。

 しかしキザとキユウほどの配下が出てくるくらいだから、カタブキと麻里奈の居場所も近いはずである。


「麻里奈……すまない。お主は、必ず助け出す」


 固い意志の満ちた目をぎらりと光らせると、アサキは闇を抜けた。

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