第二章④

 闇の中で、互いの拳の交わる音が響いていた。

 キザとキユウは、先程と同じように異なる方向から同時に襲ってきたり、同じ方向からまるで一直線に重なるように襲ってきたり、二人であることを活かして攻撃している。

 しかし得物を手放し、己の両手で二人を相手するようになったアサキはその攻撃をことごとく防ぎ、かわし、いなしていた。

 息も付けない速さの応酬に、辺りの木は軒並み倒れ、足元の草も踏み倒されて地面すらところどころ抉れている。そのため月が雲間から顔を出すと、彼らがぽっかりと照らし出された。


「――なあ、お前らに聞きたいことがあるんだが」

「アンタ、腹立つ」

「余裕綽々?」

「お前ら、オレと言うだけで随分と嫌っているようだな」


 眉をひそめて力を強めた双子の腕をつかむと、力いっぱいに放り投げる。呆れたような口調のアサキに、キザとキユウはしかめ面を返した。

 しかし、アサキは構わず言葉を続けた。


「それにしても、西の鬼どもの間抜けた面も見飽きたところだが、お前らのシケた面もつまらんものだ。笑ったことは無いのか?」


 双子は答える必要などないとばかりに、無言を貫いたままアサキに襲い掛かる。アサキはつまらなさそうな顔をしたが、もとより返事は期待していなかったのか、すぐに二人の攻撃をいなした。

 頭を掴むことができれば楽なのだが、とアサキは思いながら、決して頭を掴ませず、アサキの手を巧みにかわす双子を見る。

 アサキとカタブキは千年以上昔に出会い、領地を争ってきたが、アサキがすっかり東の地を治め、人の世の文明が花開き、鬼たちが隠れて生きねばならなくなった頃から、東西の対立は表立っては落ち着いた。

 ――双子の鬼、キザとキユウが現れたのはその頃だ。今から二百年ほど前の話である。


「あまりとやかく言うものではないと思うが、笑えることの一つもなくては生きるもつまらんだろう」


 双子はやはり答えない。しかしアサキには予想することができた。

 ここ二百年で見るようになった新しい顔ということは、彼らは生まれた時からカタブキの下にいて、カタブキの言葉を聞いてきたということ。カタブキと彼の配下をよく知るアサキには、それがこの二人を生み出したのだと想像できる。


「アンタ、さっきからうるさい」

「そういうところが腹立つ」

「ようやく口を開いたかと思えばそれか」


 アサキは苦笑すると、キザの拳を跳ね返した後、キユウの腕を両手で掴み、遠くへ放った。キユウは軽々と着地すると、またすぐに地面を蹴って飛びかかってくる。

 二人を相手しながら、アサキは傾いた月にちらりと目をやった。そう長く戦っているわけではないが、カタブキの言う夜明けまではあまり時間がない。立夏を過ぎて徐々に日が短くなっているとはいえ、まだ真夏であり、日が昇るのは早い。月はまだ傾いている途中だが、それが沈み始めたら秒読みだ。のんびりしている暇はない。


「で、聞きたいことだが……お前らはどうしてカタブキの言うことに従ってる?」


 アサキが問いかけると、双子はぴたりと動きを止めた。その隙に、アサキは首筋に浮かんだ汗をぬぐう。

 キザとキユウが、月明かりに照らされながら交互に口を開く。


「僕たちはカタブキ様の手足」

「それ以外に、理由はない」

「嫌じゃないのか?」


 眉を寄せたアサキが重ねて問うと、二人は同時に、反対方向へ首を傾げた。


「何が?」

「何がって、自由がないことだよ」

「自由って何?」


 キザかキユウか。どちらが問うたか、月が雲に隠れてしまったため判然としないが、アサキはその問いに目を瞬いた。そして苦いような難しいような表情を浮かべると、言葉を紡いだ。


「それは……思うままに、望むことをすることだ。誰かに言われてするんじゃなくてな」


 アサキの言葉に、双子は再び拳を構える。


「それなら、僕たちは自由だ」

「思うままに」

「望むことを」

「カタブキ様のために」

「アンタを殺す」


 言うが早いか、二人は地面を蹴った。アサキも表情を消して、青い目で二人の姿を追う。

 しばし無言でやりとりされる、拳と蹴り。やはりどちらか先に倒さなければならない。アサキはそう考えて、大きく息を吸って胸を膨らませると、キユウの両足を掴んで振り上げ、地面に強く叩きつけた。


「キユウ!」


 思わずキザが声をあげて足を止めると、キユウは地面に頭をめり込ませながら唸り声をあげた。まだ意識があるようだ。


「ほう。意外と丈夫だな」

「よくもキユウを……!」

「なんだ、ちゃんと怒れるんだな。感情がねえのかと思ってたぞ」

「黙れ!」


 アサキが茶化すと、キザは目を吊り上げて速さをあげた。しかしアサキはキザの拳も受け止めると、みしりと音が聞こえるほど強く腕を握り、手を伸ばして金棒を地面から引き抜くと、頭から叩き下ろした。


「うぐっ……!」


 掴まれていない腕で金棒を受けたキザが呻く。骨のきしむ音が聞こえたが、キザは強い眼差しでアサキを睨みつけている。


「良い目だ」


 アサキは口の端を吊り上げると、ますます力を込めて金棒を押し当てた。キザの体が押されてじりじりと後ろへ下がっていく。

 その背後でゆらりと影が立ち上がり、闇の中からアサキを睨んだ。キユウに気が付いたキザは後ろへちらりと目を流すと、力を込めて金棒を押し返してアサキから離れた。

 二人は目配せをすると、今度は正面から同時にアサキへ向かってきた。先程よりいくらか弱まったとはいえ、まだ十分に戦う力はあるようだ。


「お前たちとは、別の機にまたまみえたいものだ」

「次は無い」

「アンタは、ここで殺す」

「オレの若いのも、これくらい元気があっても良いかもしれんな」


 アサキの挑発と、双子の強い意志。悠然とした態度を崩さぬアサキに、二人の鬼は苛立ちを露わにしていた。しかしそれさえもアサキの思う壷のように思われて、ますます二人の気に障った。


「……お前たちは、なぜ人間を殺す?」

「カタブキ様が命じるから」

「人間が嫌いなのか?」

「別に、そういうわけじゃない」

「人間のことなんて知らないし」


 二人の鬼は、先までより素直に言葉を返す。しかしその答えを聞いて、アサキは顔をしかめた。


「人間は僕たちの国を奪った」

「カタブキ様がそう言っていた」

「それで十分」

「だから殺す」


 東と西の違いこそあれど、かつてカタブキと同じような境遇に置かれていたアサキとしては、カタブキが人間に対して強い恨みを抱き、憎しみ、殺したいと思う気持ちは理解できる。

 ……アサキ自身も、かつては憎悪のために人を襲っていた過去がある。鬼として多くの人間を殺し、食らってきた。今更人間が好きとは言えぬ身だが、それでも好いた女が人間であった以上、昔のように嫌って憎むことはない。

 鬼の中には、アサキの部下とていまだに人間に恨みを抱えている者もいるだろう。しかし露骨に人の世へ干渉する者は大きく減った。人に存在を怪しまれては、今度こそ鬼が迫害され、駆逐されると誰もが理解していたからだ。

 ――だが。


「カタブキが、お前らにそう言ったのか」

「そう」

「なぜ信じる」

「カタブキ様は僕たちを育ててくれた」

「カタブキ様の言うことは絶対だ」

「…………そうか」


 キザとキユウは、カタブキやアサキのように直接人間から害を受けたわけではない。憎悪を抱く謂れも、そのために殺すこともないはずだった。それが、カタブキの言葉だからという理由で、自らの意思なく手を下している。

 アサキの治める東の山にも、過去を知らぬ若い鬼はいる。無垢な彼らを人間への憎悪で黒く染めてしまうことは、過去を知っているからこそ、アサキにとっては悪に思われた。


「アンタこそ、どうして人間に肩入れするわけ」

「アンタだって、カタブキ様と同じだ」


 逆に問い返した双子の言葉に、アサキは一瞬目を丸くして、それから笑った。今まさに救い出さんと欲する麻里奈の姿を思い浮かべてこぼれた笑みに、今度は問うた二人が困惑する。


「お前らには理解できんだろうが――――惚れた弱み、というやつよ」

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