第二章③
夜の山をかきわけて、アサキは迷いない足取りで進んでいた。時折月明かりに照らされるアサキの顔は激しい怒りに満ちていて、青い目は真冬の氷のように冷たい。
……ふと、肩に担いだ大きな金棒を、アサキが何の前触れもなく振り上げた。歩みは止めないままである。
「――ふんッ!」
強く踏み出した足で歩みを止めると同時に、金棒を投げた。闇を縫って何かの影を弾き飛ばすと、その奥の木に突き刺さる。アサキを取り囲むようにぞろりと現れた気配に目をやりつつ、アサキは構わず突き刺さった金棒を引き抜きに歩き出した。
「……オレ一人ならば、数で囲めば叩けると思ったのか?」
気配はアサキの鋭い眼光に怯むと、道をあける。いくつかの気配は果敢に彼へ挑んだが、いとも容易くとらえられると、頭から放り投げられた。障害物として排除された彼らが立ち上がることはない。
「よっ、と」
金棒を引き抜くと再び肩に担ぎ、アサキは振り返る。影をぐるりとねめつけて十を数えたところでそれ以上数えるのを止め、天を仰いだ。
アサキは影を見ていない。しかし彼らは、アサキの発する威圧感に押されて一歩も動けずにいた。
やがて、アサキが顔を戻した。もう一度じっくり周囲を見渡してから、今度は金棒を構えて言う。
「オレは人間のことに明るくないが、幸いなことに、良い言葉を知っている――――月とすっぽん、て言葉の意味、知ってるか?」
アサキが挑発するようににやりと口の端をあげると、それを合図にしたように影が一斉にアサキへ襲い掛かった。アサキは唇をちろりと舐めると、両手で握った金棒を豪胆に振り回して襲い来る影を地面へ叩きつけた。そして時には薙ぎ払い、飛んだ影で辺りの木をことごとく折り、倒す。影は次から次へとわいて出たが、アサキは手を止めることなく、怒りの溢れる表情で倒し続けた。それも、アサキ自身はほとんどその場から動くこともなく。
次の影が襲ってこないことに気が付いたアサキは、ようやく手を止めて金棒を肩に担いだ。息はあがっていないが、額は少し汗ばんでいる。辺りにはアサキに伸されたカタブキの配下の鬼たちが転がって山をなしていた。
「カタブキの奴……これで足止めのつもりか? ……くだらん」
彼らに一瞥くれると、アサキは小さく吐き出してから、再び歩き出した。
わざわざトラヌケに言伝させた以上、カタブキの夜明けまで待つという言葉は確かだ。カタブキとて自らの率いる西国の山に戻れば堅牢な守りを立てることができ、アサキも苦戦するだろう。しかし時間制限を考えると、東西の境界付近、すなわち長野と岐阜の県境の山のどこかにいると考えられた。
境にはアサキもカタブキも配下を置いているため、線引きが曖昧だとしても、近年小競り合いは少なくなっていた。
しかし、境に近付くにつれて襲い掛かってくるカタブキの配下の鬼たちが増え、置いていたはずのアサキの配下たちの姿は見えない。どこかで異変を感じれば、誰かしらがアサキへ報告に来るはずだが、それすらもない。それはつまり、知らせることのできる者がいないということだった。アサキもカタブキには深く用心していたため、多くの鬼を配していた。彼らがみな倒されたとすると、それはカタブキの配下だけでなく、カタブキ自らも手を下したと考えられる。
カタブキがアサキの土地で、アサキの配下に手を出したこと。
それはいわゆる、宣戦布告であった。
「大人しく九州の山に籠っていれば良かったものを……よりにもよって、麻里奈に手を出すとはな」
道中、カタブキの配下がたびたびアサキを襲った。しかし彼は歩みを止めず、息をするように襲い来る敵を返り討ちにした。
「昔のように正面から来れば良いものを、姑息な手を使いおって……まるで人間のようではないか」
金棒を振り、怨嗟のように吐き。アサキは青い目をぎらつかせながら山の中を探す。長野の――アサキの山からは、当然離れたいはずだ。しかし当のアサキがカタブキの下へ辿り着けないのでは、カタブキ自身が面白くないだろう。千年に及ぶ付き合いからそう考えたアサキは、純粋にカタブキの配下のやってくる方角を目指すことにした。
少しずつ傾いていく月が時の経過を告げている。アサキは焦りを表には出さなかったが、歩みを速めた。
「……麻里奈、無事でいろ」
今までと同じように飛びかかって来た気配に金棒を振るったアサキは、手応えのなさに首を傾げて足を止めた。
影からぞろりと現れたのは、二人の鬼。黒い髪をそれぞれおかっぱと一つに結い上げている他は、背丈も顔も同じだ。着物の上に熊の毛皮を半身ずつかけている彼らは、アサキにも見覚えがあった。
「お前らは……カタブキのところの双子鬼か」
これまで倒してきた鬼とは異なる力の持ち主に、アサキもひとつ息を吸って気を引き締める。
「名は何と言ったか」
「アンタに、教える必要はない」
「アンタは、ここで死ぬんだから」
「ほう……一丁前に、オレを倒す気でいるのか。ここまで肩慣らしにもならなかったから、ちょうど良いがな」
双子の鬼が拳を構えると、アサキも首を鳴らして両手で金棒を握った。彼の言葉に、無表情だった双子が不快そうに顔をしかめる。そんな双子を見ると、アサキは逆に、口の端を吊り上げた。
「付き合ってやるが、オレは急いでいるところでな。手短にするぞ」
「いいよ」
「すぐに済むから」
「元気なこった。……ああ、思い出した。キザとキユウ、だったか」
アサキが言うと、二人は返事をする代わりに、その場を蹴って飛びかかった。
一つ結びにしたキユウがアサキの金棒の上に立つと、アサキが振りきる前に後ろからおかっぱのキザが拳を突き出す。体をひねって避けると、そのまま握った金棒で円を描くように振り回すと、双子は一度距離を取って闇に隠れた。
別々の方向から攻めてくるキザとキユウに、アサキは小さな苛立ちを覚えた。それそのものはまったく構うことではないのだが、力自慢の鬼でさえ容易く吹き飛ばすアサキの一振りを物ともしない点が厄介であった。小柄な体に見合わず力が強いようで、金棒を封じる時は攻撃を避けるというより、押さえつけて威力を落としているように感じられる。なおかつもう一方の繰り出す徒手空拳は、耐えられないほどではないにせよ一撃が重い。
「なるほど。伊達にカタブキの側を務めているわけではないようだ」
「アンタも意外と丈夫」
「小童に意外と、なんて言われたくないものだが」
片手の金棒で一人を受けながら、残った手でもう一人を掴もうと伸ばす。しかし身軽に飛び回るため、なかなか掴まらない。双子の攻撃がアサキの体を掠るようになると、少しずつではあるが、アサキの体に傷がつきはじめた。
アサキは舌打ちすると、両手で掴んだ金棒を頭上で大きく振り回し、二人がアサキから離れたのを確認すると、そのまま金棒を地面に突き立てた。僅かな地鳴りに、キザとキユウは一瞬怯んだ。アサキが得物を離した絶好の機会にも関わらず、二人は闇に縫いとめられたように動けない。
アサキの青い目が、闇の中で爛々と光っている。
「――続きとしよう。楽しんでいる暇は、生憎とないんだ」
双子はごくりと息を飲むと、強く握った拳を構えた。
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