第22話 威厳があり優雅な雰囲気のあるワイマラナーですが、大胆で活発な性格のため小さな子供のいる家庭には向きません。パートナーとして屋外で一緒に遊べる活動的な飼い主であることが求められます。

「次は池崎さんの見たいお店を教えてください!

 どんなお店に興味があるか知りたいし」


 私の好きなブランドのお店を出て、そう提案すると、池崎さんはアルカイックスマイルを浮かべてこう言った。


「その前にそろそろお昼を食べようか。

 そのパンプスじゃ、ココちゃんも足が痛いだろう?」

「え? あ……」


 思わず自分の足元を見る。

 普段は仕事でスニーカーばかりを履いてるから、硬くてヒールのあるクリームイエローのパンプスの中で爪先が悲鳴をあげていた。


 それに、寝坊して朝ごはんを食べてこなかったから、さっきからお腹がぐうぅって鳴っている。

 楽しさのあまり自分の体からのサインを素知らぬ顔でやり過ごしていたけれど、池崎さんには全部わかってたっていうことかな。


「あの……。もしかして、私のお腹が鳴ってたのも気づいてました?」


 恥ずかしくて顔が火照るけれども、思い切って聞いてみた。

 すると、池崎さんはアーモンドアイを丸くした後、ははっと声を上げて笑い出した!


「僕が言ったらきっとココちゃんが恥ずかしくなるだろうって思って黙ってたのに……。

 自分で言っちゃうんだね、それ」


 そう言ってからもくつくつと笑う姿に、沸騰したやかんのように頭から蒸気がピーッて出そうになった。


 でもでも!


 池崎さんがそんなに笑うの初めて見た……!


 グッジョブ! 瑚湖!


 心の中でガッツポーズを決める。


「行ってみたかったお店があるんです! そこでランチでもいいですか?」


 私が尋ねると、「ココちゃんに任せるよ」と言いつつもまだ笑いが収まらない池崎さん。


 ちょっと笑いすぎじゃない!? ってさらに恥ずかしくなるけれど、一度笑い出すとなかなか止まらない人なんだっていうのは嬉しい発見!

 私の宝箱にまた一つキラキラが増えた。


 エスカレーターを上って、最上階にあるレストラン街へ向かう間も、時々ふふって笑い声を漏らす池崎さんに頬をふくらませると、さらにくつくつと笑われて、私までつられて笑い出してしまう。


 ただの移動時間なのに、なんて楽しくて幸せなんだろう!


 🐶


「ラクレット、美味しかったですね~!」


 トロットロのチーズをパンや野菜にかけて食べるラクレットのお店でランチをし、デザートのライチのジェラートを口に運びながら談笑する。


 ライチのすっきりした甘さが冷たさとともに口の中に広がっていく。


「やっぱりこういうお店の情報は女の子の方が詳しいね。マークポーターズでラクレットが食べられるなんて知らなかったよ」


 そう言いながら、池崎さんが小さなスプーンをパクンとくわえる。


 かっ、可愛い……っ!


 普段の大人っぽい雰囲気とのギャップに身悶えしそうになる。


「このお店、半年くらい前にオープンしたみたいですよ。

 池崎さんはあんまり来ないんですか? マークポーターズ」

「ここ一年くらいは来てなかったかなぁ。それまでは時々来てたけど」


 その言葉に固まる私。


 池崎さんが亜依奈さんと別れたのが一年前。

 それまではデートで来てたってことなんだろうか……。


 ……って!


 だめだなぁ、私。

 スルースキルをもっと身につけないと。


「あ、ラ、ライチのジェラート美味しいですね! 池崎さんはスイーツ好きですか?」

「うん。好きだよ。胸やけしちゃうから量はあまり食べられないけど」


 なんとか気持ちを立て直して、最後の一口をスプーンですくおうとしたときだった。


「あら、池崎部長?」


 頭上から降ってきたその声に池崎さんと二人で見上げると、上品な雰囲気を身にまとった初老の女性が、伝票を片手にテーブル横の通路に立ち止まっていた。


「あっ、片桐先生! ご無沙汰しております」


 さっと立ち上がってピシッと一礼する池崎さん。

 突然のビジネスモードに、そんな池崎さんを初めて見た感動を胸に抱きつつ、状況がわからないまま私も会釈する。


「この間納入していただいた毛糸、教室の生徒さん達にも好評だったのよ。

 私もあれで個展用の作品を一つ編ませていただいたの」

「そうでしたか。お気に召していただけたなら何よりです。近々秋冬に向けての新作も発売いたしますので、またサンプルをお持ちいたします」

「よろしくお願いしますね。

 ……あら、今日は可愛いお嬢さんをお連れになっているのね。デートかしら?」


 池崎さんが片桐先生と呼んだ女性が目を細めて私と視線を合わせる。


「はい」


 短く、池崎さんがそう答えた。


「まあ、ごめんなさい。お声をかけて若いお二人の邪魔をしてしまったわね。

 お邪魔ついでにお知らせしちゃうけど、この秋に久しぶりに地元で個展を開くことになったの。ぜひお二人で見にいらしてね」

「はい。彼女も編み物をしてますから、その時はぜひ伺わせてください」


 先生の会釈に合わせて、立ったままの池崎さんが一礼する。

 私ももう一度会釈をすると、先生はにこやかに会計カウンターに向かっていった。


 ──それにしても……


「あ、あの! デートとか、彼女とか、大丈夫でしたか!?」


 椅子に座り直した池崎さんに向かって、慌てて前のめりで尋ねた。


 池崎さんのことだから、即座に否定して誤解されないように説明すると思ったのに!


 柔らかな笑顔で私を見た池崎さん。


「今の人はね、有名なニット作家の片桐敦子先生で、うちの会社の糸をよく使ってくれるんだ。

 実際デートなんだから嘘は言っていないし、ここであれこれ説明する必要はないでしょ。

 それとも、先生に誤解のないように説明しておくべきだった?」


 私は慌てて首を横に振った。


「いえ! 池崎さんが困らなければいいんです!」


“私は嬉しいから──”


 続く言葉は、口には出せなかった。


 池崎さんへの思いを押しつけすぎて、また“気持ちが重い” って引かれるのが怖かった。


 前カレの時のように──





 少し溶けてしまったジェラートの最後の一口とともにその言葉を喉の奥に流し込み、私は池崎さんが語る片桐先生の作品の素晴らしさに耳を傾けながら気持ちを落ち着かせた。


 🐶


 お昼を食べた後は、ティータイムを挟みながら、池崎さんの好きなお店や本屋さん、電気屋さんなんかをのんびりと回った。


 私服は何度も見ているから、池崎さんの好きなお店の系統はなんとなくわかっていたけれど、思っていたよりも高級なブランドじゃないところが意外だった。

 スタイリッシュなスーツが置いてあるようなお店の、カジュアルコーナー。

 そこで池崎さんは秋物のストライプの綿シャツを一枚買った。


「どっちがいいかなぁ」

 シャツを胸の前であてる池崎さんに「こっちの方が似合ってると思います!」と微笑む自分が鏡に映る。


 まるで彼女みたい……!


 でれぇっと口元が緩んでいることに気がついて、慌てて口角を引き締めた。



 本屋さんでは、好きな小説のジャンルはミステリーであること、マンガも好きで集めているコミックスがあることを教えてくれた池崎さん。

 お互いにおすすめの本を紹介しあうなどして話が尽きることはなかったし、私がお菓子のレシピ本を開いた横から池崎さんが興味深そうに覗き込んだりしていた。


 どこのお店に入っても、新しい池崎さんを発見できて宝物が増えていく。

 今日一日でどれだけ沢山のキラキラを集められたことだろう!


 ふわふわと地面から足が離れていたんじゃないかと思うくらい、パンプスの足の痛みなんて気にせずに歩き回った。


 🐶


 マークポーターズからの帰り、海沿いの国道を少し山手に入った場所に構えるイタリアンのお店でディナーをとる。

 ガラスの向こうにはテラスのグリーンがライトアップされていて、そのさらに向こうには街の夜景と、夜空と溶け合うように広がる海が見える。


「それにしても、こんな高級そうなお店に連れてきてもらってよかったんでしょうか……?」

「今日は僕とアリョーナを助けてもらったお礼だよ。遠慮しないでいいから」

「でも……。ランチもお茶もご馳走になったし、その上こんなおしゃれなレストランにまで連れてきてもらって恐縮しちゃいます」


 生ハムやオリーブ、野菜が美しく盛られたアンティパストを前にかしこまっていると、池崎さんが私にフォークを取るようジェスチャーで促す。


「あの時は本当にありがとう」


 私の目を穏やかな瞳でまっすぐに見つめてそう言ってから、池崎さんは自分もフォークを手に持ってアンティパストをつつき出した。


「マキシは噛んでいないと飼い主さんが言い張る中で、僕が非を認めることはアリョーナに罪をかぶせているようで本当はすごく心苦しかった。

 自分では大人の対応でスマートに乗り切ったつもりだったけれど、結局アリョーナや君を傷つけた。

 ココちゃんがアリョーナのために一生懸命動いてくれて気づかされたんだ。

 大人の対応をすることで大事なものを守れなかったなら、それはただのその場しのぎで意味がないことなんだって」


「意味のないことではなかったです!

 現にあの時、池崎さんがうまく収めてくれたことで私がマキシの飼い主さんにあれ以上詰め寄られることが避けられたわけだし、噛まれたキャシーも早く病院に行くことができたし、マキシの立場も守られた。

 ……ただ、その代わりに池崎さんとアリョーナが犠牲になってしまったのが私には心苦しかったんです」

「だからって、あんまり無理しないで。

 ココちゃんが傷ついたら、僕はそれ以上に心苦しくなるんだから」


 包帯から大きな絆創膏に代わった私の腕の傷に池崎さんが視線を落とす。

 その声が少し掠れて切なく聞こえた。


 私がマキシに噛まれたことを知った時の池崎さんの険しい顔を思い出す。


 あんな顔をさせてしまうようでは、池崎さんに幸せを与える存在にはなれないんじゃないか。


 黄緑色のオリーブにフォークをちょんと当てたまま俯いていた私に、池崎さんが明るく声をかける。


「さ、反省会はこのくらいにして、美味しいご飯は美味しくいただくことにしよう?

 運転でワインが飲めないのは残念だけど、ここのアクアパッツァは地元の新鮮な魚介を使っていて絶品なんだ」

「あっ、はい! 魚は大好きなので楽しみです!」


 池崎さんの気遣いで、その後の時間は美味しくて楽しくてキラキラしていて。

 ガラス越しに広がる夜景の輝きと共に、また一つ宝箱にしまえる思い出になったのだった。


 🐶


 池崎さんの車から、窓の外を流れていく街灯の明かりをいつまでも見ていたかった。


 現れては消えていく対向車のヘッドライトに照らされる池崎さんの横顔を見ていたかった。


 けれどもそんな時間はあっという間に過ぎて、ハザードを出したアウディが店の前でゆっくりと路肩に寄る。


 運転席から外へ出た池崎さんが、助手席のドアを開けてくれる。


 今日最後の宝物となるエスコートの嬉しさをしっかりと胸に刻んで、「ありがとうございます」と車を降りた。


「今日は本当にありがとうございました。

 とっても……とっても楽しかったです!」


 深々とお辞儀をして顔を上げると、そこには柔らかい笑顔の池崎さんがいた。


「僕こそ楽しい一日を過ごさせてもらったよ。

 ありがとう」


 社交辞令とは思えない微笑みに、私はまた欲を出してしまった。


「あのっ、また今日みたいに会ってもらえますか?

 サークルとかお散歩とか、お店とかじゃなくって……」


 池崎さんの口元から微笑みが消えそうになる。


 断られる!


 焦った私はさらに言葉をつなげた。


「あっ!もちろん、ご飯をご馳走してほしいとか、そういうことじゃないですっ」


 何のフォローにもならない言葉に、一瞬目を丸くした池崎さんがまたははっと声を出して笑う。


「そんなこと気にしてるわけないじゃない。

 学生の頃じゃないんだから」


 笑い上戸のスイッチが入ったのか、戸惑う私を前にしてくつくつと楽しそうに笑っている。


 ようやく笑いが収まった池崎さんは私に穏やかな視線を向けると、再び柔らかい笑顔を向けてこう言った。


「また、ね」


 片手を上げると運転席に回り込んで車に乗り込む。


 ウインカーを出して車道へ戻ると、見送る私にハザードを2回点滅させて、赤いテールランプがみるみる小さくなっていった。




“また、ね”




 それは、サークルや散歩、お店でまた会おうってことなのかな。

 それとも、またデートをしてくれるっていうことなのかな。


 どちらともとれるような言い方だったけれど、それは気にしないことにしよう。


 今日はきっと取り付く島に上陸できたはず!


 キラキラに輝く池崎大陸目指して、これからもまっすぐに突き進んでいこう!!

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