第21話 ワイマラナーは元来猟欲が強く遊び好きであるため、家庭犬として飼育するためには適切なトレーニングと十分な運動量を必要とします。

「ねえ、チョコ太ぁ……。

 このワンピースでいいかなぁ!? それともこっちの白いフレアスカートの方が好印象かなぁ?」


 部屋の姿見の前で悩んだ私は、ベッドの上で寝ているチョコ太郎に思わず意見を求めた。

 チョコ太郎の周りには、ワードローブから引っ張り出した夏物のお出かけ着がこれでもかというくらいに散乱している。

 チョコ太郎は居心地が悪そうな顔で私をチラリと上目遣いに見ると、“そんなのどっちでもいいよ” と言いたげに再び目を閉じた。


「どっちでもいいわけないよぉ! 少しでも池崎さんの好みに合わせたいんだもんっ!」


 残酷なまでに正確に進んでいく時計の針を睨みつけながら、無関心なチョコ太郎を八つ当たり気味になじる。


 だって今日は待ちに待った火曜日。


 ドッグラン事件でアリョーナの無実を証明したお礼にと、池崎さんが承諾してくれたデート(しかも犬無しで!)の日が今日なんだ!


 前の晩に緊張と興奮でなかなか寝つけなかった私は、案の定今朝少し寝坊して、朝ごはんも食べずに身支度に気合を入れていた。


「あっ! もうこんな時間っ! やっぱりこっちのスカートにしようっ!」


 慌てて着替えて化粧をすませ、仕上げに髪を巻いていると、先日連絡先を交換したばかりの池崎さんからLINEが入る。


〔今から家を出ます〕


 日程調整や待ち合わせ、行き先の相談で何度か送られてきたメッセージ。

 絵文字やスタンプはついてないけれど、事務連絡のような短文の一つ一つが私にとっては宝物だ。


〔了解です! 店の前で待ってます〕


 ♡マークをつけたいところをぐっとこらえてメッセージを送ると、サイドの髪をバレッタでまとめて慌てて玄関へ出る。


「あら、随分気合が入ってるわね。征嗣くんとデート?」

 定休日でのんびりとコーヒーを飲んでいた母がリビングから出てきたけれど、今は否定するのもまどろっこしい。

「行ってきまーす!」

 パンプスを履いて外へ出ると、夏の終わりを告げる少し乾いた風が、ゆるくウエーブをかけた髪をふわりと揺らした。


 🐶


 ドキドキと高鳴る胸の音を聞きながら、お店の入口のひさしの下で待つ。


 こんなに誰かを待つ時間を楽しいと思うのは何年ぶりだろう?


 池崎さんに早く会いたいと思いつつも、待っているわずかな時間さえ、いつまでも抱きしめていたいくらいに愛おしい。


 やがて視界にメタリックなダークグレーの車が姿を現し、ハザードを出しながら目の前で停まった。


 助手席のウインドウ越しに見える池崎さんがアルカイックスマイルで片手を上げてから、サイドミラーで後続車がないことを確認すると、車を降りて小走りで近づいてきた。


 車は詳しくないけれど、前面のエンブレムから池崎さんの愛車がアウディだということくらいはわかる。

 外車にしてはコンパクトなのにスマートで高級感があるあたり、彼の雰囲気にぴったりだ。


「お待たせ。暑かったでしょう? 乗って?」


 助手席のドアを開けて、私を促す池崎さん。




 おおおおぉぉ……!!




 エッ、エスコート!!




 生まれて初めてしてもらったかも……!!





「お、おはようございます! よろしくお願いします」


 感動のあまり、会って5秒で早くも舞い上がりそうになる。


 革の匂いのする車に乗り込むと、ウインカーを出した池崎さんの車がゆっくりと滑り出した。


「今日は予定どおりマークポーターズに行くってことでいいかな?」

「はい! お願いします!」


 事前のLINEのやりとりで、残暑が厳しい時期だから一日涼しく過ごせるようにと、港近くにある超大型のおしゃれなショッピングモールに出かけることになっていた。

 車で小一時間ほどかかる場所だけれど、この狭い空間で二人きりの時間を過ごせるなら日本縦断してもいいくらい!


 嬉しさと緊張で心臓が飛び出てきそうなのをなんとか抑えつつ、たわいもない会話をつなげていく。


 ウインドウから差し込む晩夏の陽射しを受けてそんな会話の一つ一つがキラキラと煌めき、車の中を満たしていく。


 ああ、幸せ──


 私は時々目をつぶりながら、深呼吸をしながら、その空気を全身で感じるのだった。


 🐶


 開店後間もないマークポーターズは、平日だけれど夏休み中ということもあり、ファミリーやカップルでそれなりに賑わっていた。


「時間はたっぷりあるし、映画でも観ようか?」

 エレベーター前に掲げられた案内図で最上階を指さしながら池崎さんが提案する。





 うわぁ……!


 映画なんて……映画なんて……ほんとにデートみたい!


 いやいや、これはデートで間違いないんだよね。


 あまりにも夢のようで、足がちゃんと地についているかわからなくなってくるなぁ。





 ……なんてぽぉっとしていると、池崎さんに「ココちゃん?」と呼び掛けられる。


 だめだめ!瑚湖!

 池崎さんの言葉にいちいち感動していたら今日一日身がもたないよ!


 慌てて頭をフル回転させて、さっきの提案に対する最適解を考える。


「映画じゃない方がいいです!

 2時間以上も黙って座ってるだけなんてもったいないので、お話しながらいろいろなお店を回りたいですっ」


 鼻息荒く主張すると、池崎さんがアーモンドアイを細めてくすりと笑った。


「了解。じゃあ、ココちゃんの見たいお店から見ていくことにしようか。

 どのお店がいい?」

「じゃあ……このお店で!」


 私が指さしたお店に向かうべく、地下駐車場からエレベーターに乗った。


 🐶


「池崎さんっ! 見てくださいよ! すごく可愛いっ♡」


 お店の前のショーケースをのぞいて興奮する私に、池崎さんが半ば呆れたように笑う。


「ココちゃんは、本当に犬が好きなんだね。お店が休みの日でも犬が見たいだなんて」

「ええー!だって、お店には子犬ちゃんってめったに来ないんですよ?

 このコロコロした感じや拙い動き、見てて癒されますよね~」


 私がまず最初に見たいと希望したのはペットショップだった。

 大型モールに入っているだけに、このお店も規模が大きく、近くのペットショップではなかなかお目にかかれない犬種の子犬も沢山いる。


「あっ! こっちにボルゾイの子犬がいますよ! かわいい~!」

 興奮しつつ、手招きして池崎さんを呼び寄せ、二人でショーケースの中を覗き込む。


 つぶらな黒い瞳と真っ白なほわほわの毛がすごくかわいい!


「子犬の頃のアリョーナもこんな感じだったんですか?」


 思いがけずボルゾイの子犬を見つけて舞い上がる私の笑顔を見て、池崎さんは困ったように頬をかいた。


「僕はアリョーナの子犬の頃を知らないんだよ。

 大学時代に僕が地元を離れている間に、亜依奈の家で飼い始めたからね」





 池崎さんの口から聞きたくなかった名前──。






 舞い上がっていた心が一気に冷める。


 完全に墓穴を掘ってしまった。


 亜依奈さんのことをそれ以上考えてほしくなくて、必死に言葉を探す。


「そ、そっか! でもきっとアリョーナもこんな風にコロコロしてかわいらしかったんでしょうね!

 あ、あっちの水槽も見てみましょうよ!

 ほら!不思議な形のイソギンチャクもいるし、面白そう!」


 そそくさと子犬のショーケースから離れて奥の水槽へ移動する。

 池崎さんは少しの間ボルゾイの子犬を穏やかな眼差しで見つめていたけれど、アルカイックスマイルを浮かべて水槽の方へ来てくれた。





 ボルゾイの子犬を見ながら考えていたのは、アリョーナのこと?

 それとも亜依奈さんのこと――?





「あ、やっぱりいるね、カクレクマノミ」


 水槽を覗き込んだ池崎さんの言葉にハッと我に返る。


 せっかくのデートなのに、あのひとのことを気にしたら駄目だよね。

 宝物のような一日を自分で台無しにするなんて、勿体ないにも程があるもん!


「クマノミって、他の魚は近寄れないような毒をもつイソギンチャクに守ってもらってるんですよね」

「ココちゃん、よく知ってるね。でもね、イソギンチャクの方も、クマノミのおかげで成長が促されたり、栄養を摂りこみやすくなったりするらしいんだ。

 お互いにメリットがあって一緒にいる、共生の関係にあるんだって」


 お互いにメリットがあって一緒にいる――。


 その言葉に、また亜依奈さんを思い出してしまう。


 亜依奈さんは、池崎さんのことを、いつでも甘えられるメリットのある存在として手放せなかった。


 池崎さんも、亜依奈さんが好きだから、今でも一緒にいられることに幸せを感じているのだろうか。


 私は亜依奈さんに代わって、池崎さんに幸せを与えることができるだろうか。

 お互いに幸せを与え合う存在になれるだろうか。


 イソギンチャクの周りを楽し気に泳ぎ回る小さなクマノミが、私にはなんだかとてもうらやましく思えた。

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