第14話 インギーの胸や耳、足などについた巻き毛やウェーブの美しい飾り毛は、茂みから体を守るためについています。
「では、十月の
月に二回の【手編みサークル トリコテ】の活動日。
コミュニティセンターのいつもの会議室で、サークル代表の福田さんが話し合いのまとめに入っていた。
おばさま方が「はぁい」「いいでぇす」とてんでばらばらに賛同の意を表している。
私もおばさま達が居並ぶ端に座り、よくわからないままに同調していた。
「すいません。遅くなりました」
ガチャリとドアが開いて、スーツ姿の池崎さんが入ってくる。
池崎さんと会うのは、あのドッグカフェ以来だった。
笹倉さんの顔が浮かんで、私は思わず目をそらした。
「先生! コミセン祭りの件、例年通りってことで決まったけれどいいわよねぇ?」
「はい。僕はかまいませんよ。バザー販売用の材料はいつもどおりこちらで提供しますから」
「先生の会社の毛糸は在庫処分品でも可愛らしいから、何を編んでもすぐに売り切れるのよねぇ」
「編んでるあたし達のセンスがいいのかもしれないわよぉ」
「売り子してるあたし達が美人揃いだから売れるのよぉ~」
あははははーと笑い合うおばさま達に合わせて、こわばっていた口角をなんとか引き上げる。
「ココちゃんはこないだセーター完成させたけれど、次は何を編むか決まった?」
池崎さんはいつもどおりのアルカイックスマイルで話しかけてきた。
私の誘いを断ったカフェに笹倉さんと来ていたことも、譲れないと断ったセーターを笹倉さんが着ていたことも、笹倉さんがアリョーナを連れてうちの店に来たことも、私が気にしているとは思わないんだろうか。
ううん。
私が気にしていようがなかろうが、池崎さんには関係のないことなんだ。
だからそんな風にいつもどおりに話しかけてこられるんだ。
「いろいろ余裕なかったんで、考えていません」
視線を下に向けて顎をひいた。そのせいで、低くかすれた声が出た。
「そう……。バザー品だけじゃなくて、一人一点展示する作品を編まなくちゃいけないからね。
相談にのるから、どんな作品を編むか考えてきてね」
やっぱり私の態度を気に留めたりはしないんだ。
わかってはいたけど、やっぱり悲しい。
池崎さんはそのまま私の横を通って福田さんの隣に座り、福田さんが持参した昨年のバザーの写真を見ながらあれこれと打ち合わせを始めた。
バザーの相談があるというから来たけれど、編むものもないし帰ろうかな……。
立ち上がろうとパイプ椅子を後ろに引いたときに、「瑚湖ちゃん!」と伊勢山さんが声をかけてきた。
「うちの
「あ、はい。池崎さんとたまたま親水公園で会って散歩していたら、偶然」
「あの子、瑚湖ちゃんのことずいぶん気に入ったみたいよぉ!
昨日遠征から戻ってきたんだけど、またお店に行くからよろしく伝えてくれって言われてね」
「そうなんですね。 お待ちしてます」
「母親のあたしがあんまり出しゃばるのも良くないんだろうけど、ああ見えて根は優しいし頼りになる息子なのよぉ。今度ぜひうちに遊びに来てやって?」
「そうですね。じゃあ、そのうち……」
しまった!
半分心ここに在らずで、適当な返事をしちゃった!
案の定、ぱあぁっと顔を輝かせた伊勢山さんが畳み掛けてきた!
「じゃあ、今度瑚湖ちゃんのお休みのときにいらっしゃいな! 征嗣の方はわりと自由に休みが取れるみたいだから! 来週の火曜日なら……」
「らっ、来週のお休みはもう友人と約束があってっ(嘘だけど)!
すみません!編むもの用意してこなかったので、今日はお先に失礼しまーす!」
慌ててショルダーバッグを抱えて立つと、池崎さんが顔を上げた。
「今日、ココちゃんはここまで歩いてきたの?」
「あ、はい。雨だったので」
「けっこう降ってるし、僕は社用車で来てるから乗せて行ってあげるよ。今日は皆さん質問もなさそうだし」
「でも……」
遠慮しかけて、慌てて口をつぐんだ。
ちょっと待って、瑚湖!
これはチャンスだ!
「じゃ、じゃあ、お願いします!」
「うん」
池崎さんが福田さんに写真を返して席を立つ。
「そういうことで、僕もこの後会社に仕事残してるんで失礼します」
「先生、送り狼になっちゃダメよぉ~」
「あたしにならいつでも送り狼になってちょうだぁ~い」
おばさま方に生温かく見送られて二人で会議室を出た。
「お店の二階がココちゃん
「はい。そうです」
池崎さんの1メートル後ろを追いかけるように、メイン照明が落とされて薄暗くなった市民窓口の脇を通る。
なんだかドキドキしてきた……!
咄嗟にチャンスだ!って思っちゃったけど、そのチャンスを生かして何かアクションを起こすべき?
でも、その前に笹倉さんとの関係を池崎さんサイドから聞いてみたい気もするし、そんなことを私が聞いてもお前には関係ないだろって思われそうだし、でも彼女のことをどう思ってるか聞かないことには私も……
「ココちゃん、僕は傘が車の中だからここから走るよ。後から来てね」
「あ! はいっ!」
ぐるぐると考えていた私に声をかけると、池崎さんはしとしとと雨が降る中を暗闇に向かって走っていく。
傘立てにあったピンク色の傘をさして、慌てて池崎さんの後を追った。
運転席に乗った池崎さんが、中から助手席のドアを開けてくれる。
「お願いします」と乗り込んでドアを閉めると、濡れた池崎さんの肩から雨とスーツと彼の香りが混じりあって鼻先に届いた。
その途端、急に心臓が握りしめられたようにきゅうっと痛くなる。
池崎さんがキーを回してエンジンをかける。ヘッドライトが点灯すると、車はゆっくり動き出した。
アスファルトの水がはねるバシャバシャという音が、軽自動車の軽いエンジン音と私の鼓動の音をかき消してくれる。
運転席と助手席の距離が近すぎて緊張するけれど、顔を見せずに話ができるのはメリットだ。
私は左右に揺れるワイパーに視点を定めたまま切り出した。
「笹倉さんが、先日アリョーナを連れてお店に来ました」
「うん。知ってるよ。珍しく亜依奈が自分で連れて行くって言いだしたんだ。
サロンジプシーだったアリョーナが嫌がらずに通うなんて、どんなお店か行ってみたいって」
「すごく綺麗な人ですよね。ドッグカフェでお会いしたときには池崎さんの彼女かなって思ったけど、幼馴染みだってお聞きしました」
顔は見れない。
けど、空気で池崎さんの反応を感じ取ろうと神経を研ぎ澄ます。
「そう。小学校からの腐れ縁でね」
空気は澱まない。
気まずそうな沈黙もない。
ならばさらに踏み込んでも。
「でも、元恋人でもあるんですよね?」
途端にじっとりと重い空気が降りてくる。
一瞬の沈黙の後「そうだね」とだけ、池崎さんが口を開いた。
「まだ好きなんですか? 彼女のこと」
ワイパーがキュッキュッと二回、左右に動く。
「どうなんだろうね。幼馴染みが長かったから、恋愛感情と友情との境界線が曖昧なんだ」
キュッキュッ
「ただ、特別な存在であることは確かだろうね」
予想はしていた。
だって、あの水色のセーターは、きっと笹倉さんへの思いを込めて編んだものだもの。
だから私には譲れないって言ったはずなんだもの。
「前にココちゃん、“犬みたいだ” って前カレに言われたって話してたよね。
僕も亜依奈に同じ言葉を言われて傷ついたことがあるんだよ。
だからあの時は君をフォローしてあげたくなった」
もしも、笹倉さんへの感情が100パーセントの恋愛感情でないのなら。
「……あのとき、池崎さんは私に言ってくれましたよね?
“私の気持ちを受け止めてくれる人がきっと現れるよ” って」
必死でもがけばあなたの心の入り江に入り込めるかな。
「池崎さんにも現れるんじゃないでしょうか。
池崎さんの気持ちをちゃんと受け止められる別の誰かが……」
今、池崎さんの心に手を伸ばせば──
「私っ……!私は……」
「あ、この先の信号を左に曲がるのが近道かな?」
「ふぇっ!? あ、は、はぃ」
なぜここでかぶせてくるんですかあぁ……
極度の緊張と沸き上がった勇気は、フロントガラスについた雨粒のように彼の言葉にあっさりと振り払われてしまった。
行きは雨の中20分以上かかった道のりが、わずか5分で店の前に着く。
「じゃ、またね」
「あ、ありがとう、ございました……」
池崎さんという大陸の海岸は、丸太にすがっただけの私にはとても近づくことのできないフィヨルドだった……。
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