第15話 長い垂れ耳が愛らしいインギーは明るく活発で好奇心旺盛。愛情深く家庭犬としても愛されています。

「瑚湖ちゃん久しぶり! 会いたかったよー!」


 サークルの伊勢山さんが言っていた通り、息子の征嗣せいじくんから翌日すぐにルークのシャンプーの予約が入り、その三日後にはうちのお店にやってきた。


「わぁ! また一段と日焼けしたねぇ」

「だろ!? 三つの大会に連続して出場してきたからさ。砂浜ビーチはやっぱり焼けるよねー。

 はい! これ瑚湖ちゃんにお土産!」


 白い歯がますます目立つようになった征嗣くんが、小さな白い紙袋を差し出した。

「ありがとう」と受け取って紙袋を開けると、小さなガラスボールの中にピンク色のサンゴと真っ白な貝、そしてサラサラの白砂が入ったキーホルダーがコロンと出てきた。


「かわいい……! でもいいのかな、もらっちゃって」

「もちろんだよ! 瑚湖ちゃんにって思って選んだんだからさ!」


 征嗣くんに会うのはまだ三度目だし、あからさまに好意を示してくる彼からのプレゼントには正直ちょっと戸惑う。

 でも、高価なものではなさそうだし、突っ返すのも感じ悪いし。

 ということで、そっとカウンターの上に乗せる。


「じゃ、ルークお預かりします。一時間半くらいで仕上がると思うから、携帯に連絡するね」

 そう言いながらルークのリードを征嗣くんから受け取ったときに、トリミングルームのドアが開いた。

 会話を聞いていたらしい母が、にこにことカウンターに出てくる。


「瑚湖、他のお客さんもいないし、ルーク君のシャンプーは私がやっておくから、征嗣くんと休憩してきたら?」


 ヤバい! 前回征嗣くんがお店に来たときから、お母さんは完全に誤解している!


「お母さん! 私たちそういうんじゃ……」

「えっ! いいんすか!? 嬉しいなぁー! じゃ、瑚湖ちゃんちょっとお借りします!」


 困惑する私に向かって「行っといで!」と、しっしと手の甲で私を押しやる仕草をする母。

 褐色の肌に白い歯を大きく見せて満面の笑みを見せる征嗣くん。


 征嗣くんの背中に、黒ラブルークのような尻尾がぶんぶんと振れているのが見えるんですけど。


 空気的に断りづらくなって、私はしぶしぶエプロンを外して征嗣くんと店を出た。


 🐶


「ライフセービングって、ビーチフラッグとかやるスポーツでしょ?

 征嗣くんもそれをやってるってこと?」

「ビーチフラッグも種目の一つだけど、それだけじゃないよ。

 海を泳ぐサーフレースや、サーフスキーっていう細長いボートみたいなのに乗って競うレースもあるし、そういった種目を複合的に競うレースもあるし。瞬発力だけじゃなくて持久力も問われるし、波や風、潮の流れを判断する力も必要だし。

 競技の先にあるのはあくまでも人命救助だからさ、尊い命をより速く、より確実に救うために全力を注ぐことができるよう、スポーツとして鍛錬を続けるってことなんだ」


 お店から歩いて10分ほど、シャインロード商店街にあるコーヒーショップで、私は征嗣くんの熱っぽい話を頷きながら聞いている。

 ライフセービングとはどんなスポーツか、というところに始まり、この間の遠征の試合結果だとか、滞在した国の食べ物の話だとか、すごく楽しげに話してくれる征嗣くん。

 無邪気な彼にこちらも自然と笑みがこぼれて話を聞いているけれど、心のどこかではずっと池崎さんのことが引っかかっている。


 亜依奈さんを思う池崎さんの心は、フィヨルドのようにギザギザと複雑に入り組んでいた。

 その隙間に少しでも手をかけられたら、池崎大陸に上陸するチャンスはあるのかな。

 梅雨の間、結局お散歩で池崎さんに会うことはできなかったし、丸太にしがみついて漂流してる私が大陸に近づくにはどうしたら……


「でさ! これからは日本もビーチのシーズンになるから、国内大会への出場が中心になるんだ。だから、瑚湖ちゃんとももっといっぱい会えるといいなって思って!」


 不意に征嗣くんが前のめりになって顔を近づけてきた。

 はっと意識が戻って、ちょっとだけ重心を後ろに傾けて距離をとる。


「あっ、そうなんだ! もうすぐ夏だもんね!」

「うん! だからデートしよっ!? お店が休みのときに俺も休みを合わせるからさ!」


 うわー。親子そろってグイグイくるなぁ。


「あ、でも、休みの日は何かと用事が入ってて」

「えー!? 用事って何?」

「えっとね、友達と会う約束もあるし……。あとは……あ、そうだ! 秋のコミセン祭りに展示したり販売したりする作品も編まなきゃいけないし!」


 私は池崎さんみたいにクールにビシッとお断りができない性格だ。

 そこを察して! 征嗣くん!


 頬杖をついて私を不満げに見ていた征嗣くんが、何かを思いついたように突然晴れやかな表情になった。


「じゃあさ! ドッグラン行こうよ! もうすぐ夏なんだし、せっかくの休みに家に閉じこもって編み物ばっかりしてるなんて不健康だよ?

 二人で行くのに抵抗あるようなら馨さん誘ったっていいし」

「ドッグラン?」


 池崎さんを誘うって!?


 途端に乗り気になる現金な私。


「じゃあ、征嗣くんが池崎さんに声かけてくれるの?」

「いいよ。ルークもアリョーナも散歩だけじゃ運動量足りないから、俺らよくドッグランを利用しているんだよ。誘えば馨さんも来ると思うよ」


 わぁぁ。なんだか征嗣くんの背中に後光が差してくるようだ……!


「その代わり、瑚湖ちゃんの方も女の子の友達誰か誘ってくれる? せっかくだからWデートってことにしようよ」

「わかった! 心当たりはあるから誘ってみる」

「じゃ、瑚湖ちゃんのLINE教えて? 日にちとか連絡取り合おう」


 征嗣くんとスマホを突き合わせて連絡交換しながらも、心は久しぶりにふわふわと羽のように軽くなっていた。


 池崎さんとドッグランに行ける…!

 フィヨルドならばフィヨルドなりの近づき方があるはずだもん。

 まずは取り付く島に上陸して、そこから池崎大陸へのとっかかりを見つけることにしよう!


 🐶


「で、私の役目はその征嗣くんって人をこちらに引きつけて、瑚湖とニット王子をなるべく二人にするってことでOK?」

「優希ありがとう~! 一生恩に着ますっ!」

「こないだ出した “ニット王子と日にちと時間を決めて会う” っていう宿題、こうでもしないとクリアできなさそうだもんね。

 二人きりじゃないところは減点だけど、まずはニット王子を瑚湖の方に振り向かせるように、地道に下地をつくっていかないとだし」

「そ、そうだよね。地道に……だよね!」

「そう! 地道にね! けど、きっちり距離を縮めていかないと、またアイナって女がニット王子に近づいてくるよ? ドッグランの後に出す宿題は、今度こそ “二人きりでデートする” だからねっ!?」

「はい。頑張ります……」


 ドッグランの後の次の宿題がデートって、かなりハードルが高い気がするけれど……。


 とりあえずドッグランで、どれだけ池崎さんとの距離を縮められるかにかかっているということかな。


 丸太の漂流から取り付く島くらいには辿り着きたい!


 がんばるぞ! 瑚湖!

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