第12話 好奇心旺盛かつ冒険好きで社交的なラブラドールは、子犬の頃はかなりやんちゃでいたずら好きな犬種です。

「わぁ! 瑚湖、それめっちゃ可愛いっ!」


 霞が原公園の花壇の前で待ち合わせた優希は、私に会うなり乙女らしい感嘆の声を上げた。


「えへへ。やっと完成したの! 似合ってるかな?」

「うん! 色もデザインも、瑚湖にすっごく合ってる!」


 池崎さんに教わったサマーニットセーターが完成し、今日の優希とのランチに早速着てきたのだった。

 淡いオレンジ色に、ほんの少しのラメと白や赤のネップが入った明るいトーンの糸は、池崎さんが私に見立ててくれた色。

 可愛らしい色合いになるからって、展示されていた水色のニットよりも少し甘めのデザインに池崎さんがアレンジしてくれた。

 それを誉めてもらえると、なんだかものすごく嬉しくなってくる。


 久しぶりに完成させた手編みのセーターはちょっと編むのが難しかったけれど、色合いもデザインも大満足の仕上がりだ。

 池崎さんとのコラボという思い入れもあって、ワードローブで一番の宝物になった。


 この地方は数日前に梅雨入り宣言がされたばかりで、今日の天気は快晴とまでは言えないものの、雲の合間から時々太陽が顔を出す。

 私たちの今日の予定は、チョコ太郎とヒメを連れて霞が原公園をぐるりと一周お散歩してから、最近できた公園近くのお洒落なドッグカフェに行ってみようということになっていた。


 公園内の遊歩道沿いには四季折々に花が楽しめるように植栽がされていて、今はまあるいボールのような紫陽花が小径を水色やピンク色に彩っている。

 真っ赤なサルビアや薄紫色のクレマチスの咲く花壇を起点にして、二人と二匹でのんびりぼちぼち歩き出した。


 チョコ太郎は今日もヒメに無防備に駆け寄ってガウッと一蹴されたのに、懲りずにヒメの後ろをまとわりついている。

 梅雨の合間の日中にのんびりお散歩できるタイミングは貴重だから、チョコ太郎が少しくらいウザめのテンションでもヒメには大目に見てもらいたいな。


「ところで、瑚湖の宿題の方はどうなったのよ?」


 歩き出してすぐに優希から尋ねられる。


「う…ん。一応、犬付きだけど二人で会ったよ?」

「えっ!? やったじゃんっ! どこに行ったの? ドッグカフェ? それともアウトレットモール?」

「いや、椎名川親水公園でお散歩しただけだけど……」

「はあぁっ!? 何それフツーに近所の公園じゃない! それ二人で会ったとは言えないでしょ?」


 厳しい優希先生は出来の悪い生徒の私に厳しく詰め寄ってくる。

 眉間にしわを寄せて鼻先を近づけられ、私は焦って視線を泳がせる。


「でっ、でもっ! この一ヶ月で五回一緒にお散歩できたもん!」

「それは瑚湖がストーカーみたいにしょっちゅう公園に行ってたまたま会えたってだけでしょ!?」

「う……。図星だけど、ストーカーってひどい……」

「しかもその様子だと、五回も会って何の進展もないんでしょう?」

「う……」


「とにかく! これじゃ宿題クリアしたことにはならないから、次の宿題を出します!

 今度こそ、ニット王子と日にちや時間を決めてきっちり約束して会うこと!」


 今にも噛みついてきそうな剣幕の優希に、私は苦笑いしつつ「努力してみます……」と言うしかなかった。


 そう。

 お散歩でも、サークルでも、うちのお店でも、池崎さんはいつだって穏やかで優しい。

 けれど、本気の笑顔を見せてくれたのはあの “そんな犬が大好きだ” の一度きりで、いつもは口元だけを微妙に上げるクールなアルカイックスマイルを崩さない。


 私は相変わらず丸太にしがみついて漂流したままだ。

 遠くに見えていた取り付く島ですら、今やだんだん霞んできている。

 このままじゃ、池崎さんという大陸には永遠に辿り着かない気がするなぁ……。

 必死でもがけば少しは彼に近づけるんだろうか。


 時々立ち止まっては臭いをかいだり他の犬と挨拶をするチョコ太郎とヒメ。

 楽しそうな二匹のペースに合わせてのんびり歩いていたら、お昼にちょうどいい時間になってきた。


「そろそろお店行ってみよっか」

「うん!お腹もすいてきたしね!」


 散歩を始めた時には晴れ間のあった空は、いつの間にかグレーの面積が大きくなり、予報どおりならば夕方以降には雨が降るらしい。

 それもあって今日は早めの待ち合わせにしたのだけれど、歩いたことで少し体温が上がり、梅雨時の空気が頬や腕に必要以上にまとわりついてくる。


 梅雨が本格化すれば、池崎さんにお散歩で会える回数も減るだろうな。

 次に優希と会うまでに、どうやったら今回の宿題をクリアできるだろう?


 公園の前の横断歩道を渡り、目の前の広い道路を200メートルほど進んで角を曲がってすぐのところに、お目当てのお店があった。

 グリーンの小さな葉をいっぱいにつけた楓の木がテラスを爽やかに演出しているけれど、空が低くなってきたせいか、テラス席にはお客さんは誰もいない。


「お店の中とテラス、どっちで食べる?」

「テラスもお洒落だけど、今日は中の方が快適かもね」

 そんなことを言いながら、優希がライトグリーンに塗装された木枠のドアを開けた。


「いらっしゃいませー」

 グリーンのエプロンをしたお姉さんが笑顔を向けて近づいてくる。

「2名と、犬2匹です」

「ワンちゃんのお水を用意しますので、お好きな席にお座りください。

 リードフックはテーブルの脇についてますのでどうぞご利用くださいませ」


 わぁー!

 雑誌で見たとおり、すっごく素敵!


 天井が高く、灰褐色アッシュブラウンの木材で作られた床や壁のあちこちに観葉植物グリーンが飾られている。

 ナチュラルで落ち着いた雰囲気がすごくおしゃれでテンションが上がる!


「どこに座ろっか」

 平日のお昼前でまだまばらにしかお客さんのいない店内を二人で見渡したとき、奥のテーブルに座る一組のカップルと白い大きな犬が目に止まった。




「あ……」




 横顔の、池崎さん──



 向かいの席には、女の人。



 二人の傍には、アリョーナが落ち着いた様子で臥せっている。

 それはまるでポストカードのように、目を奪われる美しいワンシーン──。




「……ごめん。優希。出る」

「はっ!? ちょ、瑚湖!?」


 踵を返した瞬間、


「あれ? ココちゃん」


 低い声に呼び止められた。

 鼓動は早いのに、顔から血の気が引いていく。


 アリョーナを見つけたチョコ太郎が尻尾をピコピコ振りながら後ろ足で立ち上がる。




 気づかなかったふりも、別人のふりもできなかった。




「こ、こんにちは……」


 ドッドッと大きく打ちつける鼓動のまま、ぎくしゃくと振り返る。

 女の人が着ていたのは、市民センターに展示されていた、あの水色のサマーニットセーターだった。


 池崎さんが編んだセーターを着たそのひとも、こちらに顔を向けている。

 艶やかな黒髪と、猫のように野性味を帯びた大きな瞳が印象的な綺麗なひと。


 お似合いな二人──。


「あ……。瑚湖! テラスに座ろっ!」

 察したらしい優希が機転をきかせて、さも自分の希望のように大きな声で誘うと、私の腕を掴んで引っ張る。


 池崎さんにぺこりと頭を下げる。

 いつものアルカイックスマイルで会釈を返す池崎さん。

 女の人が、私をじっと見つめている。

 きっとこの後池崎さんに、彼と私がどういう知り合いなのかを尋ねるのだろう。


 “アリョーナの担当トリマーで、トリコテのメンバーだよ”


 池崎さんが端的に伝えるその関係を、彼女は肩についた糸くずのように指先で軽く払って、何事もなかったように二人の世界に戻るのだろう。


「入ったばかりで店を出るのはあからさますぎるからさ、コーヒーだけ飲んだら出よう?」


 ランチなんて喉を通りそうにない私を気遣って、親友はいつもどおりの笑顔でそう言った。

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