第11話 活発で洞察力や作業力に優れたラブラドールは、現在家庭犬としてだけではなく、警察犬や盲導犬などの使役犬としても活躍しています。

「えっ!? 予約しないとダメだった!?」


 征嗣せいじくんは、翌日突然うちの店に来た。


「駄目ということではないけれど、予約のお客様優先になってしまうんです。

 今はトリミングとシャンプーのお客さんが入ってて、あと一時間くらい待っていただかないと。日を改めて予約入れましょうか?」

「俺、明日から遠征で海外に行っちゃうから、今日がいいんだよねー。

 じゃ、待つからこの後お願いできるかな?」

「わかりました。ルークは先にお預かりしときましょうか」

「うん。お願いします」

「それと、終わりましたらお電話しますので、顧客カードにお名前とお電話番号書いていただけますか?」


「……瑚湖ちゃん」

 爽やか体育会系男子の征嗣くんが私をじいっと見つめる。


「お袋から聞いたけど、俺と同い年なんでしょ?

 他人行儀に敬語なんか使わないで、タメ口でいいよ」

 くっきりした二重まぶたを少し下ろして口を尖らせる表情が、実年齢よりも幼く見える。


「あ、はい。でも、今日はお客さんとして来ていただいてるんで……」

「俺はお客としてというより、瑚湖ちゃんに会いたくてここに来たんだけど」




 うわー久しぶりだなぁ。

 こんなド直球。




 征嗣くんはまっすぐに私を見つめたまま、白い歯を見せて屈託なく微笑んでいる。


「そ、それはどうもありがとう」

 ドキドキしたけれど、あまりの裏表のなさに思わずお礼を言ってしまった。


「というわけで、ルークの番が来るまで、俺瑚湖ちゃんとお話してていい?」

「ごめんなさい。カット待ちのワンちゃんがいるから、私もトリミングルームに入らないとなの」

「あ、そうか。忙しいから一時間後なんだもんな!

 じゃあ俺その辺をランニングしてるから、終わったら連絡くれる?」

「うん、わかった」


 征嗣くんの人懐こさと率直さにつられて、いとも自然にタメ口が引き出された。

 自分のテリトリーに人を引き込むのが上手いなぁ、この人。


 顧客カードに意外と達筆な字でさらさらと連絡先を書くと、ぴちっとした半袖Tシャツにシャラッとした素材のジャージのズボンを履いた征嗣くんがルークの背中をぽんと叩く。


「こいつ、トリミングサロンは初めてだけど、水浴びは大好きだからシャンプーは平気だと思うんだ。よろしく!」

「うん! 了解」


 それから、尻尾を振りながらルークにまとわりついていたチョコ太郎の首元をしゃがみ込んでわしゃわしゃと撫で始めた。


「こいつ昨日瑚湖ちゃんが散歩で連れてたトイプードルだろ? 名前なんていうの?」

「チョコ太郎っていうんだ」

「かーわいいなぁ! 俺、犬大好きなんだよ! 大きいのも、小さいのも」


 征嗣くんの言葉で、昨日の池崎さんの言葉を思い出した。




“僕はそんな犬が大好きだよ。

 大きな愛をまっすぐに向けてくれる、その素直さが大好きだ”




 犬が大好きなのであって、私ではない。

 それはわかっているんだけど!



 でも、あのときは池崎さんに自分を

受け入れてもらったように思えた。

 すっごく、すっごく安心したんだ。


 ランニングに出る征嗣くんを見送り、トリミングルームでカットの続きをしている間も、私の心に残るその言葉はいつも以上に仕事を楽しくさせてくれた。


 🐶


「飛び込みだったのにありがとね!」


 ルークのシャンプーが終わり、タオルで汗を拭きながら征嗣くんが戻ってきた。


 日焼けした肌に白い前歯、そして光る汗。

 爽やかだよ!

 爽やかすぎるよ!

 まるでスポーツドリンクのCMだよ!


 征嗣くんの声が聞こえて、ウッドデッキで日向ぼっこしていたルークが嬉しそうにご主人の元へ歩み寄る。

 尻尾を高速にピコピコ振りながら、なぜかチョコ太郎もくっついてくる。


「ルーク! チョコ太郎と一緒に遊んでたのか? 友達増えてよかったなぁ!

 ……お! お前シャンプーのいい匂いがするな~!」


 征嗣くんとルークって、兄弟か親友同士みたい。

 二人のやりとりに思わず顔をほころばせていると、トリミングルームから母が出てきた。


「ルーク君、初めてなのにとっても気持ちよさそうに洗わせてくれましたよ~。

 お耳の中が少し汚れてたので、時々綿棒やガーゼで優しく拭いてあげてくださいね?

 垂れ耳ワンちゃんはお耳の病気になりやすいので」

「そうなんすかー! わかりました! ありがとうございます!」


 いかにも体育会系の元気な応答に、母も目を細めてニコニコしている。

 都内の大学に通うために一人暮らししている、弟の奏斗かなとを思い出したのかも。

 あの子もサッカーをやってるバリバリの体育会系だから。


 支払いを済ませ、ルークのリードを手にした征嗣くん。

 名残惜しそうにまとわりつくチョコ太郎に「またすぐ会おうぜ!」とわしゃわしゃした後で、こちらを振り向いて笑顔を見せた。


「じゃ、ありがとうございました!

 瑚湖ちゃん、遠征から戻ってきたらデートしてね!」


 返事を待たずに店を出る征嗣くんを見送った後、母が私の腕を肘で小突いてきた。


「元気のいい子じゃない!

 瑚湖が久しぶりに編み物始めたのも、彼のおかげなのかしら?」

「なっ!? 違うよ! そんなんじゃないよ!」


 ニヤニヤと嬉しそうな母の誤解を解こうと必死に否定するけれど、照れ隠しだと思っているみたいだ。

「デートの時はお店休ませてあげるから!」

 とウキウキした声で、トリミングルームの後片付けに戻ってしまった。


 征嗣くん、確かに爽やかだし、フレンドリーだし、明るくて楽しそうな人だけど……。


 今見たばかりの征嗣くんの笑顔の記憶が、池崎さんの昨日の笑顔に入れ替わる。

 その瞬間、トクトクと高鳴る鼓動が意識されて、胸がきゅうっと熱くなる。


 池崎さんは。


 フレンドリーじゃないけど!

 そんなに楽しそうにしてるところを見たことはないけど!

 デートしてね♡なんて言ってくれなさそうだけど!


 ……でも、どうしてなんだろう。

 やっぱり池崎さんがいい。


 私はやっぱり、池崎さんがいい──。

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