第4話 ボルゾイの毛色はホワイト、ブラック、レモン、レッド、シルバーなど様々ですが、ダブルコートの長毛の美しさを保つためには、週に2~3回のブラッシングが必要です。

 「取り付く島どころか、すがる藁一本すら見つからなかった……」


 月に一度のチャンスだったのに、ちゃんと声をかけたのに、まっっったく距離が縮まらなかった。


 次のチャンスは来月かぁ。

 その前に優希にランチを奢らされるハメになりそうだし、次に声をかけたところで結果は同じような気がしてくる。


 池崎さん、もしかして彼女がいるのかな。

 だから、あんなにすげなく断られたんだろうか。

 あれだけイケメンでスタイルもいいんだもん。彼女いて普通だよね?

 でも、次の来店で「彼女いますか?」なんて聞いた日には、確実にウザいと思われるよね。

 最悪、お店変えられて会えなくなっちゃうよね……。


 せっかく私の錆びかけたアンテナが反応したのに、池崎さんのアンテナは私には全然反応していないみたいだ。



 ヘコむなぁ……。




 今日は定休日。

 お日様はだいぶ高く上っているのに、私はまだベッドでゴロゴロしながら昨日の失敗を引きずっていた。

 母に朝ごはんを貰ってきたチョコ太郎が部屋に戻ってきて、私の両足の間で丸くなって惰眠を貪っている。


 足の間にチョコ太郎の温もりを感じながら、日差しに明るく照らされた白い天井をしばらくぼんやりと眺める。


 よし!

 こうしてうだうだしていても仕方ない。

 気分転換に外に行こう!

 市民センターの図書室で借りていた本があったんだ。

 チョコ太郎を散歩させたら返しに行ってこよう。


「チョコ太~。

 ココは起きるよ! ダイニングに行って朝ごはん食べてくる」

 私がむくりと体を起こすと、チョコ太郎はとんっとベッドから飛び降りて、“早く済ませて散歩行こうよ!” とワクワクした目で私を見上げた。


 🐶


 チョコ太郎の散歩を済ませ、自宅から自転車で10分の市民センターに到着したのはお昼前だった。


 市内で一番大きな総合図書館へは電車で行かないといけないけれど、この市民センターに併設された市民図書室にも小説や実用書ならそこそこの数が揃っている。専門書やDVDなど総合図書館でしか借りられないようなものも、ネットで予約してここで借りたり返したりできる。


 二週間前に借りた恋愛小説と収納の実用書を返し、新しい本を借り直すために、私は市民センターの奥にある図書室へ向かった。

 平日の昼間でも、センターを入ってすぐにある市民窓口には住民票や印鑑証明などの書類を請求する人が数人待っていて、窓口の職員さんもそれなりに忙しそうに動いている。

 そこを通り過ぎ、二階のコミュニティセンターに続く階段を通り過ぎたとき、ふと廊下に設置された陳列コーナーに目が止まった。


 そこには、コミュニティセンターで定期的に活動している文化サークルの作品が常時いくつか展示されている。

 美しい千代紙を組み合わせて折られた飾り箱や人形、小さな額に入れられた油絵、木のプレートに花の絵などが細かく描かれたトールペイントなど。

 高齢者向けのサークルで作ったような作品が並んでいて、いつもは素通りして図書室に入るのだけれど、今日に限ってハンガーに架けられた手編みのサマーニットセーターに引きつけられた。


 うわぁ……

 綺麗……

 そして可愛い……!!


 涼し気な水色のサマーヤーンで編まれたそれは、ふんわりと優しい表情で、大きめに開けられたレース編みの可憐な襟元、丈が長くて細身のシルエット、裾に施された複雑な透かし編みがすごく素敵で。

 使われている糸も、銀色のラメと紫色の細い糸がほんの少し混じっていて、個性的ですごく可愛い。

 展示された作品の中で、このセーターだけは私の琴線に触れるような若々しく洗練された雰囲気で、私は思わず立ち止まってしまった。


 その瞬間。


 突然私の頭の中に、二年半前に放たれた悲しい台詞が次々と再生され始めた。


 ―――――


“手編みのセーターなんて、そんな重たい気持ちの入ったものは受け取れない”


“ごめん。もう俺は瑚湖の気持ちを受け止めきれなくなったんだ”


“瑚湖ってほんと犬みたいだよな。

 察してほしくて冷たくしてるのに健気すぎて、愛情を押し付けてくるのが俺には辛い──”


 ―――――


 手編みのものは二年半前からなるべく目に入れないように避けてきた。

 見たらやっぱり思い出してしまった。

 私の失恋の傷は完全に癒えたわけではなかった。


 どうしてあんなことになったんだろう……。


 専門学校を卒業して、お互い別々の場所で働き出して。

 休みの日がなかなか合わなくて、彼に会うのがとても楽しみで。

 会えなくなった分、電話やLINEの言葉で寂しさを埋めようとして。

 彼を大好きな気持ちを伝え続けていれば。

 彼のためにできることをいつも考えていれば。

 少しくらい会えなくたって私達は大丈夫だって信じていたのに。


 私は重い女だったのだろうか――。


 ずんと重苦しくなった心の上に、昨日池崎さんに素っ気なくあしらわれたショックがさらに重みとなってのしかかってくる。


 池崎さんを好きになったら、また重い女になってしまうのだろうか。

“犬みたいだ” って、池崎さんにも引かれてしまうんだろうか。


 池崎さんにもう一度声をかけよう! と、むくむくと湧き上がっていた入道雲のような勇気があっという間に霧散していく。


 はあ……。

 この歳になってちゃんと恋に向き合えないなんて、この先どうなっちゃうんだろう。

 ずっと誰かを好きになるのが怖いまま、誰も好きになれずに過ごすのかな。


 重たくなった気持ちをため息と一緒に押し出して、私は図書室に向かった。


 けれどもその日はなんとなく恋愛小説を借りる気にはなれなくて、私はケークサレのレシピ本と普段は読まないミステリー小説を借りて帰ったのだった。



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