第41話・これは夢か幻か

 冬の精霊の頼み事を解決してから十日後。俺はリリティアにある雑貨店、ミーティルのカウンターで頬杖をついたまま、ぼーっと窓外の明るい陽射しに照らされた光景を眺めていた。

 どうやら力を失っていた冬の精霊の力はしっかりと戻った様で、五日くらい前から天候はある程度安定し、以前までの様な大吹雪が連日の様に吹き荒ぶ事はなくなった。


「俺はいったい何をやっとるんだろうか…………」


 暖かな様相を見せる外を見ながら、俺はふとそんな事を口にした。

 確かこの異世界へと来る前は、魔王を倒してハーレム生活を――とか考えていた気がするけど、現実はどこまでも非情なもので、こうして店番のアルバイトをしながら生活費を稼いでいるというのが俺の現在のリアル。

 せっかく越冬できるくらいの報酬を今回の調査クエストで稼げたと言うのに、それを台無しにしたのはラビィだ。アイツがこっそりと雪の精霊を持ち帰ったりしたから、屋敷の中は散々雪の精霊の吹雪によって荒らされ、その修繕が必要となった。おかげで今回のクエストで稼いだお金のほとんどをその修繕費で失い、こうしてアルバイトを余儀なくされているわけだ。

 さて、それではお金が必要な俺がどうしてクエストをやらずに雑貨店の店番をしているのかと言うと、その理由は三つある。

 一つ目は天候が安定してきたとは言え、やはり冬場のクエストには様々な季節的危険が伴う事。

 二つ目はラビィを伴ってクエストを行うと、高確率でろくでもない結果が訪れるから。

 三つ目はこの雑貨店の持ち主であるティアさんとティナさんに店番を頼まれたからだ。

 ではどうして店を空けるティアさん達に代わって俺が店番を任されたのかと言えば、単純にティアさんに信用されているからとしか言いようがない。

 それにここしばらくは大荒れ模様のせいで仕入れに行く事ができなかったと言っていたし、困った時はお互い様だ。まあ、俺も生活の為にお金は必要だったし、ちょうど良かったと言えばちょうど良かったと言える。

 そして朝のオープンからしばらく経った頃、本日一人目となるご老人のお客さんが店の戸を開いて入って来た。


「いらっしゃいませー」

「……おや? ティアちゃん達はどうしたんじゃ?」

「ティアさん達は仕入れに出かけてますよ」

「何じゃ……そうじゃったのか……」


 あからさまに落胆した様子を見せるご老人。どうやらこの様子を見る限り、ティアさんとティナさん目当てでお店へとやって来たのだろう。

 まあ、あんな美人姉妹が経営する雑貨店なら、このご老人の様なファンが居てもおかしくはないと思う。けれど、それにしたって態度に表し過ぎだ。気持ちはよく分かるけど、こちらとしては気分は良くない。


「二人は仕入れに二日から三日はかかると言っていましたから、その間は僕が店番をする事になりますよ」

「そうか……それじゃあまた来るよ」


 ご老人は再び落胆の表情を見せてそう言うと、店の商品を一切見る事なく両肩を落として店を出て行った。

 するとそのご老人と入れ代わる様にして、今度は中年くらいと思われる男性が店の中へと入って来た。


「あれっ? ティナちゃんはいないのかい?」

「二人は仕入れに出かけてて、今は居ませんよ」

「ほんとかい? 久しぶりに会いに来たってのに……それじゃまた来るよ」


 入って来た中年男性はさっきのご老人と同じ様に落胆しながら店を出て行く。そんな後ろ姿を見ながら、せめて振りでもいいから商品くらいは見て行けよ――と、そんな風に俺は思っていた。

 そしてそれからお昼を迎えるまでの間、老いも若きも沢山の男性客が店を訪ねて来たんだけど、その全てがティアさんかティナさん、もしくは両方を目当てで来ただけの連中だった。


「もぐもぐ……それにしても、いったいどうなってるんだ。ここに来る客は…………」


 店番をしながらティアさんが用意してくれていた昼食をカウンターで食べていた俺は、ろくに商品も見ずに帰って行った奴等に対して憤慨していた。商品を見るも見ないもお客の自由勝手とは言え、一人として商品を見て行かないのには流石に腹の一つも立つってもんだ。

 せっかくティアさんが用意してくれていた美味しい昼食なのに、俺の気分がその味を三割減にしているのが分かる。

 こんな事ではティアさんの好意が無駄になってしまうと思った俺は、カウンターから離れて店の外へと向かい、そこで思いっきり身体を伸ばしながら外の冷たく澄んだ空気を体内に取り入れて心のリフレッシュを試みた。


「う――――んっ! ふうっ…………」


 薄い雲間から顔を覗かせる太陽に向けて大きく両腕を伸ばすと、身体のあちこちからポキポキッと関節の鳴る音が聞こえ、それと同時に適度な快感が全身を駆け巡る。するとそれまで感じていたイライラも少しは吹き飛び、残りの昼食を美味しく味わう事ができた。


「――暇だな…………」


 ティアさんとティナさんがお店に居ない事が伝わったからなのか、昼食を食べ終わってからは誰一人としてこの雑貨店にお客さんは訪れていない。普段の店の様子を知らないから何とも言えないところはあるけど、さすがに今みたいにお客が一人も来ないなんて状況は無いだろう。

 それにこのまま一日を通して1グランも売り上げがでなかったら、善意で店番のアルバイトを任せてくれたティアさんに申し訳が立たない。俺はこのままではいけないと奮起し、何とか売り上げを出そうと良い方法が無いかを考え始めた。

 しかし日本に居た時にもアルバイト経験があるとは言え、経営とか営業とかそういったものに深くかかわった事がない俺に良いアイディアがすぐに浮かぶわけもなく、無情にも時間だけが過ぎていく。そしてそんな俺が時間をかけて考えた末にやり始めた事と言えば、店の外に出て呼び込みをするくらいだった。


「――いらっしゃいませー! 雑貨店ミーティル、色々な商品がありますよー。いかがですかー?」


 太陽の陽射しがあるとは言え、冬の寒々とした風が吹き抜ける路地に人の姿はほとんどない。まあ、こんな寒い日に外をうろつく人なんて少ないのは当然だ。

 あれから店の前を人が通る度に声を出して呼び込みをしているけど、こちらを見る事はあっても店の中へ入ろうとしてくれる人はただの一人も居ない。これが日本だったら冷やかしでも見て行ってくれる人は居ただろうけど、この異世界では基本的にウインドウショッピング的な行為をする人は少ない。

 それは必要な物だけを目当てに店を訪れ、それだけを買って行くという無駄の無いスタンスの消費者が圧倒的に多いからだ。この点は自身を含め、ある程度恵まれた環境下に居る人が多い日本で育った俺には驚きだった。似通った部分も多少なりあるとは言え、さすがは異世界だと感じる点の一つでもある。

 そしてそんな状況でもめげずに俺は呼び込みを続けたんだけど、結局、呼び込みを始めてから陽が落ち始めるまでにお客さんがお店に入ってくれる事は無かった。


「はあっ……そろそろ店じまいをしないとな…………」


 陽が暮れれば俺はいつもの様に女体化してしまう。そうなればもう商売どころではない。

 結局一つとして物を買ってもらえなかった事に落胆しつつ、俺はしょんぼりとしながら店じまいを始めた。


「そう言えば聞いたか? 噂の凄腕女剣士、また討伐指定のモンスターを倒したらしいぜ」

「マジか!? まだ冒険者になって一ヶ月も経ってないって噂の女剣士だろ? すげえな……」


 店じまいをしている俺の横を通った冒険者のそんな会話が聞こえ、思わずその冒険者達の方を見る。

 噂の女剣士の話は約二週間くらい前から聞く様になったんだけど、話を聞く限りでは相当に強い剣士だと言う事は分かる。それが証拠にその凄腕女剣士は、数々の討伐指定のかかったモンスターを退治しているからだ。

 どんな女剣士かは知らないけど、きっとゴリラの様に大柄で、凄まじく筋肉質な女剣士なんだろう。


「お兄ちゃん!!?」


 頭の中で嫌な想像をしながら顔をひくつかせて折りたたみの看板を片付けていると、突然聞き覚えのある声が遠くから聞こえてきた。


「えっ!? ゆ、唯!!?」

「やっぱりお兄ちゃんだ!!」


 聞き慣れた声の聞こえてきた方へ視線を向けると、そこには立派な細身の剣をたずさえ、いぶし銀で細かい傷のあるライトアーマーを纏った妹の姿があった。


「お兄ちゃ――――ん!!」


 日本で平和に暮らしているはずの妹が、異世界に居る俺の目の前からこちらへ向けて走って来ている。

 俺は夢か幻を見ているんじゃないかと言った気分でその光景を見つつ、あまりの驚きで大きく目を見開いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る